華の諍い《其の壱》
美雨様が『皇后代理』として張り切る中、問題が起らないわけがなかった。
「大変です!芽衣様、御一行が後宮の門前で締め出されています」
その日の夕方、依依は慌てた様子で、問題の発生を教えてくれた。
皇帝一行が神殿に参拝しているのに合わせて、早朝から後宮外の神殿へ、正二品の芽衣様が安産祈願の参拝に行かれる――というのは聞いていた。
「お戻りが遅くなられたの?」
後宮の門は夕刻に閉められるのが決まりとなっている。いわゆる門限でそれを過ぎると後宮の人間でも外部から入ることはできない。勿論、外泊をすることも可能だが、そのためには申請書を事前に提出しておく必要がある。
「はい。数刻でございますが、お戻りが遅くなられまして……」
「賄賂などは渡されなかったのかしら?」
門限が存在するが、あくまでも建前でしかない。やむを得ない場合やうっかり時刻を過ぎてしまった場合は、門番に賄賂を渡し通してもらうのが一般的だ。
「それが美雨様一族の息がかかった門番だったらしく、賄賂を受け取ろうとしなかったんです」
「あら」と小さく驚いてみるものの、これは想定できる範囲内のことだったはずだ。
瑛庚様もだが、ここ数日は今までと事情が違うのだから、大人しくしていればいいのに――と芽衣様に対する同情の気持ちが薄れる。
「でも、この時期に外に締め出されたら大変よね?芽衣様は臨月だし……」
既に冬の香りが色濃くなっているこの時期、門外で野宿というのは死人が出てもおかしくない。
「もう一度、見て参ります!」
そう言う依依の声は少し楽しそうだった。生真面目な彼女が後宮になじめるか心配だったが、早々に馴染むことができたようだ。
「大変です!」
一汁一菜という質素な夕餉と共に現れた依依の声は緊張の色が感じ取れる。どうやら事件が大きく動いたらしい。
「どうしたの?慌てて」
「芽衣様付きの宮女全員に暇が出されました!」
「暇?! それは、美雨様が指示されたということなのよね?」
「そうです」と頷く依依に、新たな疑問が生じてくる。
「やりすぎよね――」
確かに美雨様は『皇后代理』を任されているが、后妃付きの宮女をクビにするのはやりすぎだ。勿論、本当の皇后にはその権限はあるが、美雨様はあくまでも『代理』。権限はあっても、それを行使するのは憚られるというのが暗黙の了解とされている。
「それで芽衣様は?」
「現在、美雨様の元で取り調べが行われています」
美雨様からすれば、どうしても潰しておきたい相手は芽衣様だが、彼女は現在、妊娠後期にさしかかっている。皇帝の子供を身ごもった彼女を追放――ということはできなかったのだろう。
「芽衣様も迂闊だけど――美雨様も浅慮よね……」
「とおっしゃりますと?」
「確かに芽衣様は門限に遅れたかもしれないけど、今回の処罰は重過ぎるわよ。それにこんな仕打ちを黙って聞くほど大人しい一族ではないと思うのよね。絶対、仕返しされるだろうに」
完全に芽衣様を潰せない以上、恩を売る程度にとどめておくのが得策だったに違いない。林杏の時もそうだが、美雨様は数手先を読むのが苦手なのかもしれない……。
「美雨様は名家の出でいらっしゃるため、あまり悪意を向けられるという経験が少ないのかもしれませんね」
後宮で五年も生活していれば色々学びそうなものだが順調に皇帝の子供も妊娠し、従一品の席も見えてきた今、奢りが出てしまったのかもしれない。
「まぁ、驕ってはいけないということよね」
依依と共に静かにうなずきながら、既に冷え切ってしまった汁を飲もうとしたところ
「俺も一緒に食べていい?」
と間の抜けた瑛庚様の声が部屋の入口から聞こえてきた。宦官の格好をしているからだろうか、依依は「こんな時間になんですか?!」と明らかに不機嫌そうな声で彼を出迎えた。
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