皇帝との賭け
基本的に宮女には個室は与えられない。ただ私の場合は作業場を兼ねていることもあり、個室が分け与えられている。しかし決して地位が高いわけではないので、后妃達のように複数人の侍女がいるわけではない。
身の回りの世話をしてくれる林杏。
機織りの助手を務めてくれる宮女達。
私も含めて部屋には、三人から多くても五人しかいることはないが、この日の夜、初めて部屋が人であふれかえった。
皇帝の来訪を伝えるために二人の宮女。
警備。
皇帝。
警備。
宮女。
部屋には所せましと人があふれかえり、部屋の主である私ですら戸惑いを隠せなかった。そんな空気を壊したのは陛下の言葉だった。
「宮女の部屋にしては意外に広いのだな」
その声の主に私は違和感を覚える。
陛下……なのか?
周囲の人間は彼を陛下として扱っているが、歩き方、衣擦れの音からどう考えても昨日の陛下とは全くの別人でしかなかった。
「あ……あ、あの」
「あぁ、そうだな。皆の者下がれ」
私の狼狽を緊張ととったのか、陛下は人払いをする。それによりさらに彼の音だけが残るが、やはり昨夜のそれとは全くの別物だった。
「陛下なのでしょうか……」
部屋に二人だけ取り残され、私は小さな声で事実を確認する。人払いしているが周囲には宮女らが控えている。
「と……いうと?」
「私をおからかいになっていらっしゃるのでしょうか。私の目が見えないからといって、昨夜の陛下と今晩の陛下が別人なことぐらい分かります」
この手の嫌がらせは今まで何度も受けてきた。それで笑われるぐらいならば、それでいい。だが今回の悪戯は度が過ぎている。
「分かるのか……」
そう言って取られた手の感触に、私の推測が正しかったことが分かる。
「今夜の陛下は武術の心得がある方の歩き方でございます。剣を携えられることが多いからか、左側に重心が寄っていらっしゃいます」
「そんなに違うのか」
「違います」
陛下との会話のやり取りを経て、さらに確信を得る。少なくとも目の前にいる男性は私に「嘘を見破られた」と狼狽している。
「凄いな。初めて見破られたぞ」
陛下の言葉に思わず私は耳を疑う。こんなにも違う二人だが、周囲の人間は気付いていないのだろうか。
「私達はな、二人で一人として育てられていたんだ。だから、これまで誰も気付かなかった。最近では母ですら気付かんぞ」
「それでは貴方様は影武者様でございますか」
「あ、まぁ……そうなるな」
一国の皇帝に影武者がいることはよくあることだ。特段驚くべきことではない。そして宮女の『褒美』として来訪してきた彼が『影武者』ということに妙な説得力があった。
「大変でございますね」
「え?」
「陛下のお戯れでこのような宮女の元にお渡りになられなければいけないなんて」
私は林杏が用意していたお茶を彼に差し出すと、勢いよく飲み干す音が聞こえた。何だかんだといって彼もやはり緊張していたのだろう。
「でもこれで宮女の間での嫌がらせも減ると思いますわ」
「そのように変わるものなのか?」
「侍女の林杏の計画ですけどね。精一杯本日の『お渡り』を私達は楽しみにするんです。ですがそれ以降、陛下からのお渡りはなく后妃への取り立てもない。すると他の宮女達から同情されるという計画らしいです」
色々穴がありそうな計画だが、『可哀想な宮女』という扱いの方が『寵愛を受けている宮女』よりも後宮では生きやすいだろう。
「では楽しみにはしていなかったのか?」
「私ども宮女は陛下の物でございます。楽しみにするなど恐れ多いことでございます」
「みな、后妃になりたいのだとばかり思っていた」
林杏など若い宮女らは陛下に取り立てられ、后妃となりのし上がることを夢見ているようだが、正直、私はそれには関心がない。この宮中で機が織れればそれでいいのだ。
「そなたの心は別の所にあるのだな」
少し寂しそうな声に私は慌てて言葉を選ぶ。影武者とはいっても、陛下とつながっている人間だ。失言は許されない。
「いえ、そのようなことは……。ただ……昔の初恋を胸に死ぬことができれば本望だとは思っています」
これはいざという時のために半日考えておいた口上だ。
「初恋……」
「えぇ、子供の頃、一時、村で一緒に遊んだ少年がおりました。半年もしないうちにどこかへ越して行ってしまいましたが、今でも彼との日々を懐かしんでおります」
宦官の命乞いに耳を貸した陛下だ。陛下の琴線に触れる要素は「幼なじみ」「初恋」だったに違いない。ならばそれを応用しようと考えたのだ。
「その者と会えば、やはり気付くのか?」
「どうでしょう……。もう十年以上前のことでございますから。ただ今一度会えるならば会ってみとうございます」
陛下のように二日連続で比べれば直ぐに分かるだろうが、正直、十年前に出会った少年の音を見極めろといわれても難しい。そもそも初恋の相手ではあるが、そんな想いがあったことを今朝方ようやく思い出した程度だ。
「なら……。私と賭けをしないか?」
そう言った彼の声は悪戯をしかける少年のような響きがあった。
「賭けでございますか?」
「簡単な賭けだ。私がそなたの初恋の君を探して見せよう。もしその者を初恋の相手だと、そなたが分かったならば一緒に後宮から出るがよい。ただもし気付かなかったならば、后妃になれ」
思わぬ申し出に思わず言葉を失う。
「陛下……それは随分、陛下にご都合のよい『賭け』ではございませんか?」
彼が初恋の君を見つけてこなければそれで済む話でもある。
「なに、賭けというものは親が得するようにできているのだよ」
この日初めて彼は快活に笑い声をあげたが、その時点になり物事が希望していない方向へ進んでいることに気付かされた。
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