流星王の喪失《其の六》
「あんたもしつこいねぇ~~。だから、流星王みたいな白い馬は俺達の馬の中にはいないって言ってんだろ」
対抗馬の馬主のゲルに到着するやいなや、そう言って苛立ったような男に出迎えられた。
「気持ちは分からなくもないよ。あの馬を盗んで一番得するのは俺だ。だが冷静に考えてみてくれよ。俺達が流星王を盗んだところで、あれだけ目立つ白銀色の馬をどうやって持ち出す?」
全身白銀の馬は確かに珍しい。もし彼がその馬に乗って、他の競馬に出場しようものならば、すぐに流星王とバレてしまうだろう。
「持ち出すのも難しいでしょうね」
「分かってもらえればそれでいい。じゃあ、帰ってくれ。明日の大会に向けて最後の調整を行いたいんでな」
「明日、出馬する馬はどちらの馬になるんですか?」
「お、見るか?」
私が諦めたと思ったのか、馬主の声は途端に明るくなる。
「流星王には苦汁を飲まされてきたが、それでも流星王がいなかったらうちの絶影獅子も負けちゃいないんだぜ」
「絶影……」
「影も追いつかねぇってことさ。全身真っ黒でな。ほらこれだ」
そう言って案内された先には鼻息の荒い馬と十数頭の馬がつながれていた。大地を撫でるように風が吹き馬特有の匂いと共にほんの微かだが、ヘナと藍の香が私の鼻に届く。
「耀世様、もう大丈夫です。帰りましょう」
「え?!でも、流星王が!!」
後ろに控えていた林杏が、不満そうに叫ぶが、私は「いいから」と言って彼女の腕を引っ張ってその場を立ち去ることにした。確かに流星王を確保して元の持ち主の元へ帰すのは簡単だが、それでは問題が解決しない。
私はその日の深夜、耀世様が寝静まったのを確認し、依依と共に再びこのゲルを訪れ馬主と話を付けることにした。
「ことを穏便に運ぶために私の言うことを聞いてもらえないでしょうか」
私が一頭の馬の頭を撫でながら、そう切り出すと馬主はその場に言葉もなく項垂れる。
「流星王は人気馬というだけではございません。陛下が何よりも目にかけていた馬。このことが公になれば競馬に勝ったとしても死罪になってもおかしくありませんよ?」
耀世様が馬一頭のために、そこまでするとは思えないが、その言葉は馬主には響いたのだろう。重かった口がようやくユックリと開く。
「分かりました――。その代わり私が流星王を隠していたことは内密にしていただけないでしょうか」
「それでは明日の大会で流星王の活躍が見られますことを楽しみにしていますね」
難航するかと思った交渉だが、意外にもアッサリと事が進み私は依依と共に早々に部屋に帰ることができた。
「蓮香様!! どうするんですか?!流星王結局、見つからなかったじゃないですか!!」
競技が行われる演習場で、私を見つけるなり物凄い勢いで駆け寄ってきた林杏は開口一番に私をそう責め立てた。
「大丈夫よ。出馬しないなんて案内されてないでしょ?」
流星王の盗難は浩宇さんが公にしなかったこともあり、ごく一部の人間しか知らない事実でもある。
「どういうことだ?」
威厳に満ちた耀世様の声が背後から投げかけられ、私は慌ててその場に膝まづく。宦官の彼にならば、そこまでしなくてもいいが公式の式典で何時ものような態度をとっては周囲から責められるのは私だ。
耀世様は短く「よい。顔を上げよ」と私の腕を引き上げてくださる。
「まもなく競技が始まりますが、流星王はおりますでしょ?」
「白銀の馬などおらぬが……」
大きな笛の音と共に一斉に馬が草原をかける音が地面を伝わって体全体に響いてくる。会場からは歓声と声援、怒声が混じった声が響き渡る。
「茶色い馬が飛び出しました!」
最初に叫んだのは林杏だった。
「すごい。一番後ろにいたのに一番前に出ていますよ! 速い!! 黒い絶影獅子もくらいついていますが……二馬身! 三馬身!! もう追いつける馬はいません!!」
そんな熱狂的な林杏の実況と共に競技が終了したのを知る。
「優勝したのが流星王でございます」
私がサラリとそう言うと、その場にいた全員が驚愕の声を上げた。
「一から説明してもらえないか」
悔しそうにそう言った耀世様に私は形のよい笑顔を浮かべて見せる。
「まず流星王はそもそも盗まれてなどいなかったのでございます」
「と、いうと?」
「一番不自然なのは番犬が吠えなかったことです。もし見知らぬ馬泥棒が入ったならば、まっさきに犬が吠えるでしょう」
「内部の人間による犯行ということだな」
耀世様の言葉に私は静かに頷く。
「次に気になったのが食事でございます。陛下へ振る舞う料理ということで奮発したのかもしれませんが、陛下が望まれるような料理ではないのは一目瞭然でした。では、なぜあの辛い料理にしなければいけなかったのか……」
本来の遊牧民の料理は塩分だけを味付けとするさっぱりとした料理だ。何故、その料理を出さなかったのか――。いや、出せなかったのだ。
「睡眠を促す薬を混ぜ込むためだったのではないでしょうか。普段の料理に混ぜ込んでしまうと、味の変化で気付かれてしまう。だから素材の味も分からなくなるような辛い料理を出したのだと思います」
「薬が盛られていたというのか?」
にわかに信じがたいといった様子の耀世様だ。皇帝となる人物は幼い時から毒薬に毎日触れており、多少の薬剤では効きにくい体質になっているという。だが、あの日彼は勧められるままに大量の酒を飲んでいた。薬物の効きが普段よりもよくなってしまったのだろう。
「普段、陛下はお酒を飲まれても意識を失うほど呑まれることはございません。ですが、あの日は私の部屋へ到着する前に眠っていらっしゃいました」
「そ、そうだったか……」
にわかに照れたような口調になった耀世様に思わず笑みがこぼれる。
「何か薬物が入っていたと考えるのが自然でございます」
「ではその薬物を入れた人間が犯人ということなのか?」
「はい。料理を担当していた仔空が犯人でございます」
私がはっきりと断定すると、耀世様が喉の奥で静かに唸るのが聞こえてきた。
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