流星王の喪失《其の弐》
「お――耀世来たのか!こっちだこっち!」
そう言って私達を迎えてくれた遊牧民の方の声は明るく、心から耀世様との再会を喜んでいるようだ。
「耀世様……、あの方は耀世様が皇帝とご存知なのでしょうか?」
「知っているはずだ」
私の心配を何の問題もないといった様子で耀世様は小さく頷く。だが一国の長に対する態度としてはいささか遠慮がないのではないだろうか。我が国の大臣などに見とがめられたら国際問題になりかねないだろう。
「あれは遠縁にあたってね。いつまで経っても私は親戚の子なのだろうよ」
「おい、どうした耀世……」
なかなか耀世様がゲルに入らないことに痺れを切らしたのか男は不思議そうに私達へ近づく。
「こちらは叔従父の浩宇だ。現在遊牧民の族長を務められているんだ」
耀世様はそう言うと、私の手をその男性の上にポンッと置く。
「おじさん、この子は蓮香です」
「后妃様をこんな場所に連れてきていいのか?」
おそらくお気に入りの后妃の一人という認識なのだろう。
「いや。蓮香は大切な人ですけど、后妃ではありません」
「そうか。後宮の仕組みはややこしいから良く分からんが、耀世をよろしく頼む」
浩宇さんは私の手を両手で包むと、勢いよく上下に振った。どうやら彼なりに歓迎はしてくれているのだろう。
「そうだ。瑛庚はどうした? あいつも馬好きだっただろ?」
「耀世様と瑛庚様の秘密もご存知なのですか?」
私が驚いて声を上げると、耀世様が面白そうにクスクスと笑う。
「私達が双子であることがバレなかったのは、おじさん達が協力してくれたからなんだ」
確かに広大な後宮ならば、どちらか一人を隠すのは簡単だが、遊牧民の生活環境でどちらかを隠し通すというのは無理があるだろう。
「まぁ、どっちがどっちかなんて言われないと分からんがな」
浩宇さんはガハハハッと豪快に笑う。
「まぁ、それはいい。流星王を見てくれ」
浩宇さんに手を引かれ、たどり着いた先には数十頭の馬が柵の中に囲われているようだ。どこからか番犬の声も聞こえてくる。見知らぬ来訪者に警戒しているのだろう。
「聞きしに勝る美しい毛並みですね」
どうやら耀世様も今回、流星王を初めて見たのかもしれない。
「蓮香、ちょっと触ってみて」
そう言って誘導され、流星王の身体に触ると少し硬い毛だが手入れの行き届いた毛並みの感触が手の平に伝わってきた。
「とても大切にされているんですね」
「そりゃ、こいつで大分稼いでいるからな。今回も優勝してガッツリ稼がしてもらう予定だ。耀世も覚悟しておけよ」
競馬で優勝すると皇帝から褒美がもらえるだけでなく、観客から支払われた掛け金の一部も支払われるという。当たり前だが開催される大会の規模が大きくなればなるほど、順位が高くなればなるほど支払われる金額も高くなる。
「あまり無理は言わないでくださいよ」
珍しく誰かにやり込められている耀世様が珍しく、顔がニヤケそうになる。おそらくこれが彼の子供時代の日常だったのかもしれない。そしてそれを耀世様が楽しんでいるのも伝わってきた。
そんな彼らのやり取りの輪に入るのは諦め、流星王を触ることにした。何度も撫でていると、毛並みの良さだけでなくその下に広がる筋肉の感触まで伝わってくる。馬については詳しくないが、それでも『いい馬』であることを理解することができた。
色々なことを考えながら馬を触っていると、突然袖が誰かによって引っ張られた。
「ねぇ、お姉ちゃん、流星王が欲しいの?」
その声色からしておそらく10歳前後の少年だろう。
「素晴らしい馬だけど私は馬に乗れないし……いらないわ。どうしてそんなことを聞くの?」
「耀世の兄ちゃんが皇帝になってからは、そんなことがなかったんだけど、前の皇帝の時には競馬で勝った馬は王様が自分の物にしちゃってたって聞いたんだ」
おそらく先帝時代は、競馬は皇帝へ献上する馬を披露する場を兼ねていたのかもしれない。
「大丈夫よ。もし耀世様が欲しいって言い出したら、私がしっかり注意するわ」
宝石、着物、花、菓子など想定内の贈り物をしてくださる瑛庚様に対して、耀世様は時々斜め上の贈り物をしてくださる。私が流星王を気に入っているという素振りを見せては、流星王を贈り物にするかもしれない……。私は慌てて流星王から手を離した。
「お願いだよ?この流星王は赤ちゃんの頃からボクが世話をしてきたんだ」
彼にとって流星王はただの早い馬ではなく、自分の弟のような存在なのかもしれない。
「任せてちょうだい」
彼は今日、皇帝が流星王を見るために訪れることを知り、愛馬が連れて行かれないかずっと心配していたのだろう。私はそんな彼の不安を打ち消すために笑顔を見せて彼の頭を優しくなでた。
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