林杏との別離
「林杏を美雨様のお部屋付きにしたいとおっしゃっているんだけど……」
そう悩まし気に相談してくれたのは私の直属の上司で、尚儀局の長である小芳様だった。
「林杏をですか?」
特に役立つわけではない林杏を美雨様が望まれていることが純粋に疑問だったのだ。美雨様は正二品の后妃で、従一品の后妃が徳妃様だけとなっている以上、後宮でも権力を持ち始めた后妃の一人だ。
噂では従一品の后妃に取り立てられる――という噂も流れている。
「別に美雨様でしたら、林杏ではなくもっと優秀な宮女が側仕えするのではないですか?」
后妃を狙う宮女も多いが、出世するためには権力がある后妃の元で働くのが一番手っ取り早いともいわれている。おそらく美雨様が希望すれば、徳妃様程とはいかずとも複数人の宮女がその役目を担いたいと希望し、試験が行われるに違いない。
その類の試験が行われた時、真っ先に落第するのは林杏だ。
林杏は気立てもいいし明るく朗らかだが、絶望的なまでに仕事ができない。朝、遅刻するのは当たり前だし、遣いに出せば半日は戻ってこない。掃除も雑だし、勤務時間内に昼寝することもしばしば……。
そんな林杏が私付きの宮女となったのは、私が後宮へ入宮してからだ。私の目が見えないため、機織りの助手とは別に身の回りの世話をしてくれる宮女として付けてもらった。ただ従五品の宮女にさらにお付きの宮女が付くことは珍しく、やっかみから失敗が多い林杏がつけられたのではないか……と私はみている。
「なんでも、林杏が毎日のように作るお菓子を目当てに陛下が毎晩、蓮香の元へいらっしゃる……という噂が一部で出回っていてね」
元淑妃様が使われていた宮を使わせていただいていることもあり、かつての部屋にはなかった簡易厨房が設置されている。そのため毎日のように手作り菓子を作ってもらえるようにはなった。そして、それを耀世様や瑛庚様も楽しみにしていらっしゃるのは確かだ。
だが、それを作っているのは、あくまでも元麻花売りである依依だ。
「ですが……それは依依が作っているものですが……」
「そうなのよね。でもね……林杏が『私が作った』って厨房で宣言してしまってね――」
大きく呆れたようにため息をつかれた小芳が全てを物語っているようだった。
おそらく林杏は、自分があたかも菓子を作っているというように周囲には触れ回っており、その虚言を美雨様が信じてしまったのだろう。
「私からも美雨様には林杏は使えない子だと伝えたんだけどね、それが逆に林杏を手放したくないため嘘をついているって思われたみたいでね――」
「なるほど。それでは仕方ありませんね。林杏を美雨様付きの宮女にしてくださいませ」
「で、でもそれで本当にいいのかい?」
小芳様はまるで肩透かしをくらったような声をあげて驚いた。
正二品の后妃様からの要望ということで、最初から断れる話ではなかったのだろう。ただあまりにも一方的な要求に小芳も腹立っており、私が反対するならば何か対策を立ててくれようとしたに違いない。
「一ヶ月……いえ、一週間もすれば戻ってくると思いますよ?」
「何か算段でもあるのかい?」
「小芳様もご存知かと思いますが、林杏はお茶を入れるのは上手ではございますが、菓子など作れません。仕事も決して満足にこなせる――というわけではございません。一週間もかからずに『話が違う!』と言わんばかりに追い返されるに違いありませんよ」
私の見立てに、小芳様は「それもそうね」と安心したように大きく頷いた。
「美雨様の大切な置物を壊したり、大切な着物をダメにしなければいいのですけど――」
意地悪ではなく真剣に私はその可能性を心配していた。現に私の部屋に複数体あった象牙の置物は半分以上が無残な姿になっている。
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