人魚の呪い《其の伍》
「宝様の遺体と思われます」
漁をしていた漁民の網に引っかかったのは、顔を潰された宮女の遺体だったらしい。遺体を確認しに行ってくれた依依によると、昨日部屋から飛び出した宝様と同じ服装をしていたらしい。
「だから部屋から出るなって言ったのに……」
彼女の命を救えなかったことが口惜しく思わず唇をギュッと噛み締める。
「三人も殺すって凄いな……」
唖然とした様子でそういう瑛庚様の腕を取って私は足早に現場を離れる。一刻も早く犯人を見つける必要があったからだ。
だが私の推論はアッサリと宿屋の主人に否定されることとなった。
「ここら辺で宮女様のような女性が泊ったなんて話は聞きませんぜ」
「他にも宿屋はあるでしょ?女の一人旅とか聞いてませんか?」
私が身を乗り出してそう言うと、宿屋の主人は呆れたように首を横に振る。
「ここらにゃ、うちぐらいしか宿屋はねぇです」
「でもあれだけ有名な神殿があるんだから、宿屋だって……」
都から離れた場所に歴史的な神殿が存在する場合、当然だが泊りがけで参拝することになる。そのため神殿の周辺には複数の宿屋が集まり街を形成するのが常だ。
「普通はそう考えますわな。一昔前はここらも参拝客を泊める宿屋であふれかえっていたんですが、先代の巫女様に代わられてから神殿で参拝客を泊めるようになっちまったんですわ。しかもほぼ無料に近い価格でね。部屋は上等、飯も美味い、さらに安いとなりゃ、誰も普通の宿屋なんて泊りませんよ」
確かにあの神殿の中には皇帝一行が宿泊してもまだ部屋が余るほど客室が存在した。おそらく皇帝一行が来られるということで宿泊を一時的に断っていたのだろう。
「うちに来るのは釣りに来る客ぐらいでさぁ。さすがに神殿では釣り船なんて出さねぇからな」
そう言って笑う宿屋の主の声には力がなく、決して経営状態がよいというわけではないのだろう。おそらくこの宿屋が潰れるのも時間の問題なのかもしれない。
「では怪しい女などを村では見なかったと……」
「あぁ、そういえば領主様の所の娘さんが昨夜、一人で里帰りしてるのは見ましたぜ」
「里帰り?」
後宮で亡くなった娘、足に怪我をした息子がいたはずだが、もう一人いたのだろうか。
「隣町に嫁がれた娘さんでね。こそこそと帰っているところを見ると、ありゃ、嫁ぎ先で何かやらかしたに違いねぇ。次女は亡くなられる、長男は怪我しちまう……本当に領主様もついてねぇなぁ」
下品な笑いを浮かべる宿屋の主人に礼を言ってその場を後にしながら、喉の奥に小骨が刺さったような違和感を覚えていた。
「珍しいな、蓮香が推理を外すなど」
神殿の廊下を歩きながら犯人について考えると、瑛庚様は快活に笑いながらそう言って私の背中をバンバンと叩く。一応、慰めているつもりなのだろうか。ただ馬鹿でかい彼に背中を叩かれると、かなりの衝撃でその度に呼吸が乱れる。
「だから陛下と一緒には行きたくなかったんですよ」
『やめてくれ』という代わりにそう言って彼を睨むと、バンバンと叩いていた手で私の肩を抱く。
「そんなことを言うな。浜辺を一緒に歩けて楽しかったぞ」
「あ――楽しかったですね」
棒読みでそう言いながら、自室へ帰ろうとすると廊下の先から女性の叫び声が聞こえてきた。
「大変でございます!! 琳様が!! 琳様がお亡くなりになられました」
自室の長椅子に座り、林杏の入れてくれたお茶を飲みながら私は大きくため息をついた。静かな焦りと後悔の念が私を包んでいた。もう少し早く犯人を捕まえ、この事件を解決できると思っていたのだ。
「でも何だって、こんな面倒なことするんでしょうね?」
林杏はお茶を飲みながら不思議そうにそう言う。
「面倒?」
「そうですよ。だって宮女全員を殺したいならば、全員が食べる食事に毒か何かを混ぜればいいんですよ。あ、でもそうなると犯人は生き残っている宮女頭ってことですね!」
確かに言われてみればそうだ。何故犯人はもう少し簡単な方法で殺害しなかったのだろうか。林杏の良く分からない推理を聞き流しながら犯人について考えていると、肩で息をしながら依依が部屋へ戻ってきた。
「今度は毒殺でございました」
私の代わりに現場へ行ってくれたのだ。
「遺体の状態からおそらく昨夜の時点で殺されたものと護衛の者が申しておりました」
「顔は潰されていたの?」
私の質問に依依は首を横に振る。
「顔は潰されておらず、確実に琳様であることが判明いたしました」
私は頭の中で事件の概要について整理することにした。
『人魚の呪い』が存在していると噂されている。
領主一族に最初に被害が及び、五年前に次女が後宮で死亡。
長男は昨年、夜中に人魚に海に引きずり込まれ怪我を負う。
長女は嫁いでいるが出戻っている可能性もある。
被害者は徳妃様付きの宮女で、宮女頭を除く二十歳以上の宮女四人。
琳様以外は顔面を潰されている状態で発見された。
宝様とみられる遺体は海岸で発見される。
「確認したいことがあるから宮女頭様の元へ行くわよ」
既に温くなったお茶を一気に飲み干し問題を解く最後の鍵を求めて宮女頭様の部屋へ向かうことにした。
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