人魚の呪い《其の参》
「何度も申し上げますが、こういう時には私の部屋へお渡りになられるのはいかがなものかと思います」
その晩、私の部屋を意気揚々と訪れた耀世様に私はキッパリと宣言すると、みるみるうちにションボリと背中を丸める。
「今日一日、そなたと一緒にいたのは瑛庚ではないか。それに徳妃との子は瑛庚の子だ」
絞り出すようにそう言われ、私は大きくため息をつく。確かに徳妃様と皇帝の子供を祝うための式典を行うために、この地へ来ているが実際のところ瑛庚様の子供であって耀世様の子供ではない。
「ですが、徳妃様の体裁にも関わります。ご生家でも陛下が宮女の元へ渡られたと知れ渡ったら……」
「大丈夫だ。忍んできた」
「忍ぶって……」
皇帝には常に護衛や宮女らが追従している。おそらく夜中になりこっそり部屋から抜け出してきたつもりなのだろうが、周囲の人間には丸分かりだろう。
「じゃあ、朝になる前には帰ってくださいよ?」
私は何度目になるか分からないため息をつき、そう言って寝台をポンポンと叩き座るように促した瞬間、遠くの部屋から
「ぎゃああああああ!!!!」
っと悲鳴に似た叫び声が聞こえてきた。
陛下が一緒にいるということもあり、その場に駆け付けることはできなかったが、慌てて報告に来てくれた林杏と依依によると宮女が二人亡くなったらしい。
「だから戸締りはしておけって言ったのに」
私は小さく悪態づくと、耀世様は「知っていたのか?」と驚きの声を上げた。
「宮女が狙われる可能性があったので進言したんですけど、聞いてもらえなかったみたいですね。それでどんな状況なの?」
「それが大変なんですよ。血がドバーーっとしていて、もう気持ち悪いんです!」
全く要領を得ない林杏の説明に思わず首を傾げるが、それを察してか依依が言葉を引き継いだ。
「被害者となった宮女は、徳妃様付きの雪嬌と暁君でございます」
「確か……二十三歳と二十歳の宮女だったわよね?」
「蓮香様、よくご存知でございますね」
依依に感心され、ここに来る道中瑛庚様から伺ったことを説明すると、林杏も一緒に感心する。
「さすが陛下ですね。私なんて入宮して五年になりますけど、未だに宮女の名前なんて覚えていませんからね」
「それが仕事だからな」
と自嘲気味に言った耀世様がボロを出さないか心配になり、私は慌てて本題へ話を戻すことにした。
「それで、お二人は八人いる宮女のうち、中堅どころにあたるのかしら?」
「はい。年齢順でいきますと四番目、五番目の宮女がなくなったことになります」
「それが酷いんですよ!顔が潰されていたんです」
依依の言葉を遮るようにして、そう叫んだのは林杏だった。不謹慎だが、まだ興奮冷めやらぬといったようだ。
「潰されていた?」
「遺体の近くに岩が落ちており、それでつぶしたものと思われます。部屋は水で濡れた足跡もあり、やはり人魚の呪いではないかと話題になっております」
本当に分かりやすい『人魚の呪い』の証拠が残されているようだ。しかし問題はそちらではない。
「顔が潰されていたのにどうして被害者が特定できたの?」
「着ていた着物と部屋の位置から二人と特定したのですが……言われてみれば二人ではない可能性もあるわけですね」
自分が死んだように見せかけるため被害者の顔をつぶす……というのは物語によく登場する悪計だ。
「陛下、徳妃様付きの宮女の人物画を取り寄せることはできないでしょうか?」
「人物画か?」
「さようでございます。おそらく徳妃様はお付きの侍女達全員の人物画を既に絵師に描かせているのではないでしょうか」
自分付きの宮女から后妃が出るということは、自分の手駒になる后妃が増えることを意味する。おそらく徳妃様は后妃募集について聞いた時点で、絵師に賄賂を渡し優先的に彼女達の人物画を描かせていたに違いない。
「そこは詳しくは知らんが……。しかし何故人物画が今になって必要なのだ?顔は潰れているのだぞ」
「先日、私の人物画を描こうとした絵師は、顔や髪形だけではなく、体型、ホクロの位置なども描写すると申しておりました。おそらく人物画があれば、ある程度身体的特徴を確認することができるかと思うのですが……」
「先日の絵師は本当に仕事熱心だっただけなのだな」
絵師が殺されそうになった時点で懇切丁寧にその理由を話していたのだが、この様子を見ると、今日の今日まで信じていなかったのだろう。いつもは冷静沈着な耀世様だが、時々目の前が見えなくなることがあるのが玉に瑕だ。
「陛下、おそらく都から取り寄せるとなると半日以上はかかると思います」
さっさと部屋に戻って指示してくれ――と遠回しに伝えると、耀世様は名残惜しそうに私の手をギュッと握る。
「騒ぎが大きくなる前に部屋に戻る必要もあるしな……。怖くはないか?」
『恐ろしゅうございます』と泣きすがって欲しいのだろうが、私はきっぱりと否定する。
「林杏も依依もおりますので、大丈夫でございます」
「そうか……」
部屋に来た時とは打って変わり、重い足取りで彼が自室へ戻っていったのは言うまでもない。





