絵師の仕事
活動報告にも記載しましたがペンネームを華梨ふらわーから小早川真寛に変更いたしました。特に中の人は変わっておりませんので、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
「本当に必要ないですから」
私は作業場と化した応接室の片隅で絵を描き続けている男性に少しきつめにそう進言するが、相手は全く気にした風もなく素描を止める様子もない。
「ご謙遜いただかなくても大丈夫ですよ。陛下が毎夜渡られているって有名じゃないですか」
その噂の出どころが誰なのかが直ぐ分かり私は部屋の隅でお茶を入れている林杏を軽く睨む。
「后妃様になりうる人物の絵を描くようにと命がありましたので、蓮香様の絵を描かなければあっしが叱られてしまいます」
先日から連続するように起きている事件のせいで后妃の数が減り、今回新たに后妃を宮女から募ることが決まったのだ。だが希望する宮女と全員面会していたら、おそらく后妃が決まるまで一年以上時間がかかるだろう。この後宮には宮女だけでも千人以上存在するのだから……。
そのため絵師を手配し、希望する宮女や后妃にふさわしい容姿の宮女の絵が描かれることになったのだ。その絵を基に后妃選定の一次審査が行われるのだとか。
確かにかねてから私にも「后妃にならないか」という要請はある。だが私が秘伝の技術について知識を持っていることもあり、私が機織り宮女を辞める時は死ぬときだけと決まっている。例えそれが后妃になるためだったとしても……。
死んだことにして后妃にする――とも提案されたが、後継者のことを考えると私は一分でも長く機織り宮女を続ける必要があり、やはり后妃になることはできない。
「それに、こうして機織りをしながらでは、人相書きとしてはあまり意味がないのではないですか?」
本来ならば正面を向いて素描に協力するべきなのだが相変わらず仕事は立て込んでおり、『后妃になるための絵』を描いてもらう時間を割きたくなかったのだ。
「人相書きって――」
私の言葉に絵師は快活に笑う。
「大丈夫ですよ。何枚か素描を基にして人物画を完成させますから。それに蓮香様の横顔だけでも十分、その魅力は伝わってきますよ。黒髪に透き通るような瞳。色白で薄っすらと桃色の頬、長いまつげに形の良い唇……。描き応えのある美人だ」
この人の耳にもやはり私の声が届いていないことが分かり、小さくため息をつく。
「あの――賄賂が必要と聞いたのですが……」
遠慮がちにそう言ったのは依依だ。
「賄賂?」
全員分入れたお茶を何故か一人で飲みながら林杏は首を傾げる。
「腕の良い絵師にそもそも描いてもらうために、賄賂が横行していると聞きました。さらにより魅力的に描いてもらうためにも賄賂が必要だとか……。中には賄賂を渡さなかったばかりに醜女に描かれた者もいるとか――」
今回のように複数人がその対象となる場合、絵師の力加減の入れ具合が賄賂で変わってくるというのも自然な話だ。
「確かに! 私の宮女仲間も絵師に描いてもらいたかったけど、時間がないって断られたみたいです。お金が用意できないって泣いてましたけど、そう言うことだったんですね」
「そんなにするの?」
后妃にも正一品から従四品まで八つの位があるように、宮女にも正五品から従六品までの四つの位が存在している。そしてその位や務めている期間などが加味されて給金が決定する。
ただ基本的な衣食住が保証されていることもあり、位が低い宮女となると月に金貨二枚程度とお小遣い程度の給金しか支給されないらしい。その金貨二枚程度の金額では、雇えない程の賄賂が必要ということに少なからず驚かされた。
「そうみたいです。描いてもらうために金貨十枚、さらに美人に描いてもらうために十枚」
依依の言葉にその場にいた宮女は全員、悲鳴のような声を上げる。
「美人に描いてもらわなければ、最初に払った金貨十枚すらも無駄になりますからね――。人の心理をついたえげつない商売ですよ」
「まぁ、そういう絵師もいることにはいますけどね――。蓮香様は別でさぁ」
素描を続けながら絵師は依依の言葉を鼻で笑う。
「あっしは蓮香様の絵を描くために、他の絵師らに賄賂を渡したぐらいですよ」
「あなたが?」
「まず、あれだけ陛下からの寵愛が厚い蓮香様ですから、后妃入りは確実です。ただ陛下は審査とは別に絶対、この絵を所望されるに違いねぇ。そん時に蓮香様の美しさを最大限描いたこの作品を見たら、『これを描いた絵師は誰だ』『筆頭絵師に!』となるわけでさぁ」
「なるほど……出世のための布石だったとは」
依依はそう言って頷きながら、静かに感心してみせた。後宮には複数人の絵師が抱えられているが、筆頭絵師となると一つの部署を任せられることもあり上級役人並みの権力や金を手にすることができる。
「他の絵師達は小銭を稼ごうとしていますがね。あれじゃぁ、信用も失いかねない。みんなはあっしのことを『馬鹿だ』って言いますけどね、あっしからしたらあいつらが馬鹿ですよ。あ、ちょっと失礼」
絵師はそう言って私の衣紋をグイッとつかみ背中を覗き込む。
「ひやぁ!な、何を……」
「少しばかり色っぽい構図にしようと思って、ちょっと背中や胸元にホクロなんかが無いかな――と思いまして。あぁ~~右肩甲骨あたりに花みたいな痣がありますね。胸元にもあったら、絵になるんだけど――」
そう言って絵師が襟元を掴もうとした瞬間、入口から
「何をしている!!!! 即刻、蓮香から離れよ!!」
という耀世様の怒声と共に、剣をスラリと抜く音が聞こえてきた。その今にも飛びかからんばかりの鬼気迫る気配に、このままでは目の前の絵師が殺されかねないので私は慌てて立ち上がり、襟元を直し穏やかな笑みと共に彼を出迎えることにした。
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多数のブックマーク、評価ありがとうございます。
【お詫び】
諸事情により一日一回の更新になってしまうかと思いますが、第二部終了まで毎日更新したいと思います。どうぞよろしくお願い申し上げます。





