蚕と花花
「依依、仕事ができそうなくせに虫が嫌いなんて、意外な弱点ですね」
蚕を育てている養蚕宮までの道中、林杏は嬉しそうに笑う。依依は虫が苦手らしく、蚕を貰いに行くというと顔を真っ青にして同行を拒否したのだ。
「そんな虫って嫌い?」
「まぁ、私は結構、虫食べるの好きですけど、嫌いって人は多いですよね。蚕の世話をさせられることになった――って嘆く宮女も多いですよ」
養蚕業は瑛庚様と耀世様の母である皇太后様が中心となって行われる。本来は後宮のすべての決定事項を決める役目は皇太后様が担うが、遊牧民育ちということもあり表にはなかなか出てこられず皇后の薇瑜様が主にその役割を果たしている。
「何匹ぐらい貰うつもりなんですか?」
「とりあえず数匹かしらね。番になって卵を産んでくれたら、次の年は数百個卵を産むらしいのよ」
「じゃあ、数年後には一から手作りの帯ができそうですね」
そんな他愛もない話をしていると、直ぐに養蚕宮に到着した。
「あぁ、機織り宮女の蓮香だね。聞いているよ!」
土がむせ返るような匂いが広がる少し蒸し暑い宮で私達を迎えてくれたのは、素朴な雰囲気の中年の女性だった。
「ここ以外では本当は飼っちゃダメなんだけどね。陛下がどうしても――って懇願されてね。今用意してやるからね」
そう言うとその女性は棚に置いてあった箱を持ち出し、せっせと蚕と桑の葉を詰め始めた。
「しかしあんた、皇帝からかなり寵愛されているね。珍しい」
「寵愛など……陛下の気まぐれにございます」
謙遜しながらもどこか気恥ずかしい気持ちが私の中で広がる。
「しかし珍しいといえば、蚕を育てたいなんていう宮女も珍しいねぇ。見たことあるのかい?」
「はい。故郷の村で何度か。ただ本格的に育てたことはないので、ご指導いただければと思います」
女性は「いいよ、いいよ」と楽しそうに作業をしていたが、その途中で何かを思い出したのかその手が止まった。
「村で……って、もしかしてあんた花花かい?」
十二歳の時まで呼ばれていた名前に私は思わず固くなる。すでに十年以上、その名前を呼ばれていなかったが、いざ呼ばれると幼少時代の緊張感が蘇るから不思議だ。
「あんたが機織り宮女ってことは、機織り宮女を養成しているあの村の出身なわけだろ。花花じゃないのかい?」
「ど、どこかでお会いしましたか?」
「やだよー。忘れちまったのかい?ちょっとの間だけど、村で養蚕の手伝いをしていただろ。ほら、うちの息子達とよく遊んでくれたじゃないか」
そうだ。私が幼なじみの少年と出会ったのは、村にあった養蚕場でのことだった。母親の手伝いという名の悪戯をしながら過ごす彼と直ぐに仲良くなったのを思い出した。
「あの時の!」
「そうだよ!こんなところで再会するとはねぇ~~。ずいぶん、綺麗になって」
まるで母親のような温かい言葉をかけてもらい、再び心が温かくなるのを感じた。
「幼なじみの少年の母親があの人なら、なんで少年の居場所とか名前とか聞かないんですか」
宮からの帰り道、林杏にそう責められ私は苦笑する。
「どうでもいいからよ」
「え?!」
「会いに来る機会があったのに来なかった人よ。おそらく彼は彼で別の生活があるのよ。今更素性とか聞きだして、どうこうしたいと思わないわ」
正直に言うと、彼が今どこにいて何をしているのか……という事実を知るよりも、なぜ自分に会いに来てくれなかったのかを知り傷つくのが嫌だったのだ。こんなにも近くに居るのに会いに来ないというのだから、よほどに違いない。
「それと……『花花』って何ですか?あだ名ですか?」
私は内心、林杏が意外に真面目に人の話を聞いていたことに驚かされた。
「昔はねそう呼ばれていたのよ。みんな」
「みんな?!」
「村にはね、三十人ぐらいの同い年の女の子が集められていたの。人買いから買ったり、近くの村の親なしの子を集めたりしてね。で十二歳の時に試験を受けて、合格した十人にだけ名前が与えられたの」
それまでは全員『花花』と呼ばれ、十二歳の時に初めて『蓮香』という名前を与えてもらった。
「名前を与えられない子達は未だに『花花』なんですか?」
林杏の呑気な推測を私は鼻で笑う。
「そんなわけないでしょ。文字や芸事も習わせておいてね、そこから妓楼に売り払うの。それでそれまでの養育費を稼ぐんだって」
芸事をしっかり習っておけば、妓楼でも大切に扱ってもらえる――というのが、村の長の言い分だった。ただ『花花』達が現在、本当に大切に扱って貰えているのかは確認のしようがないのだが……。
だが、少なくとも私が後宮で働く以上、新たに少女たちが集められるのは二十年後のこととなる。それまでは万が一何かがあっても残った十人が代わりの宮女として待機しているのだ。その十人が半数になった時は新たに『花花』として少女達が集められる。
ここでの生活が楽しいか楽しくないかは別として、新たな『花花』の誕生を最小限に留めるためには私は一日でも長くここで宮女を務めなければいけないのだ。
花花と蚕は似ているのかもしれない。
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