恋の手ほどき
「陛下はバカなのでございますか?」
皇后・薇瑜の言葉に、耀世は思わずシュンとなる。後宮で過ごすことがない彼にとって、男女の関係を相談できる人物は薇瑜しかいなかったのだ。勿論、後宮での生活に慣れている瑛庚に聞くのが一番だったが、それでは負けたような気になり薇瑜を頼ることにした。
薇瑜は持っていた扇をパシリと閉じ、自分の手の平に苛立ったように何度か軽く打ち付ける。
「蓮香は放っておいて欲しいと申しているのでございましょう?」
「ち、違う。向き合って欲しいと言われたのだ」
「でも自分は向き合うかどうかは分からないと言われたのでございますよね?」
結局『放っておいて欲しい』という意味だったことに気付き、耀世は静かに項垂れた。
「しかし陛下を諫めるとは、なかなか筋がある――」
「いや、蓮香は何も悪くない!」
「感心しているのでございますよ」
薇瑜がピシャリと言い放つと、再び耀世がシュンっとする。普段は毛嫌いしているような素振りを見せる皇帝が自分を頼ってくれているのがこそばゆく、薇瑜は思わず小さく微笑む。
「それで――どうしたら向き合ってもらえるか教えてほしいということでございますね」
「そうだ」
「ではお渡りになるのを辞めれば、よろしいだけではございませぬか」
簡単な答えだと薇瑜に言い放たれ、耀世は虚を突かれた思いがした。
「いや、それでは蓮香に会えぬではないか」
「陛下……、何も学んでおりませぬとは……」
薇瑜は大きくため息をついて、軽く頭を抱えた。これは蓮香も苦労する――と初めて同情の念を抱いた。
「その間、何か贈り物を贈ったりするなどして、関係を深めればいいのでございます」
「そういえば文を贈ったら喜ばれたことがあった」
重大な勘違いを耀世がしていることに気付き、薇瑜は慌てて首を横に振った。
「文はいけませぬ」
「なぜだ。先人達も思い人に恋の歌などを詠んで贈っているではないか」
「ですから――、それがいけないと薇瑜は申しているのでございます。一般的な恋の話をしているのではありません。蓮香のことだけを考えてくださいませ。もし陛下が文を贈れば、それを側仕えの宮女が読み上げなければ、彼女は読むことができないのでございますよ?」
『側仕えの宮女』という単語から林杏の姿が思い浮かび、耀世は慌てて重大なミスを犯すところだったことに気付いた。
「そういえば以前贈った文は詩だけだったので、林杏は理解できなかったようだった」
「さようでございましょう……」
ようやく耀世が理解し始めたことに薇瑜はホッとするものの、この恋愛講座はかなり続けなければいけないということが判明し、内心ウンザリもさせられていた。
「では楽師などはどうだ?蓮香は耳がいい。きっと美しい音色も聞き分け、喜ぶに違いない」
やはり耀世は何も理解していなかったと薇瑜は小さく唸る。
「いいですか、陛下。まず蓮香は目立つことがしたくないのでございます。一度、完成しかけた帯をズタズタに切られたことがあり、それ以降、人から嫌われないよう、目立たないよう生活してきたのでございます」
「そなた、よく知っているな」
「これでも後宮の主でございますからね……」
単に帯が台無しにされたということだけならば後宮ではよくあることだが、式典の際に使われる帯ということで犯人を洗い出すことに力を注いだ記憶が薇瑜にはあったのだ。結局犯人は蓮香の活躍を妬んだ尚服局の宮女だったことが判明した。
「ではどうしたらいい……」
子犬のようにシュンとする耀世が可哀そうになり薇瑜は本来、出すつもりではなかった助け船を出すことにした。
「視覚以外を刺激するというのは良い考えでございます。香などはいかがでしょう?」
「香か?」
それがあまりにも単純なものであることに耀世は不服そうな表情を浮かべる。
「ただの香ではございませぬ。陛下が愛用されている香を贈るのでございます。ちょっとした小物などに香の香りを移し、蓮香の元に渡る代わりに贈るのです」
「なるほど!着物などだな!」
「いいえ、違います。着物ではやりすぎでございます。扇や手布など、ちょっとした小物でございます」
「そんな物、宮女でも買えるではないか」
それで効果があるのか……といぶかし気な表情を浮かべる耀世に、薇瑜はにっこりと微笑む。
「買えるか、買えないかが大切なのではございませぬ。蓮香の周りに小さな小物が増える度、彼女は陛下のことを思い出すでしょう。それが日常になりますと、その香りを近しい存在だと思うようになります。さすれば時間をおいて陛下が会いに行かれた時、蓮香の気持ちが動くのでございます」
我ながら名案を思い付いたという表情の薇瑜に、半信半疑の耀世だったが代替案を思いつくこともできず、仕方なしに小物を手配しようと決意したのだ。
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