大いなる眠り《其の弐》
「だから結構だって言っているでしょ?!!!」
宮の入口の前で淑妃様付きの宮女頭から、部屋へ入ることを拒否され林杏と共に首を傾げる。
夜になり瑛庚様がお渡りになる時間に近づいても可馨が現れなかったので、仕方なく林杏と私の二人で淑妃様の宮へ伺うことにした。ところが『そのような約束はしていない』の一点張りで部屋へ案内してくれない。
「ですが、今日、可馨から来てくれるよう依頼があって……」
「何度も言っているけど、淑妃様付きの宮女の中に可馨なんて娘はいないの。何かの手違いか、他の后妃様と勘違いしているんじゃないの?」
宮女頭様の声には疲れが帯びており、淑妃様の容態はあまりよくないということが伝わってくる。おそらく彼女は睡眠時間を削ってまで淑妃様につきっきりで看病しているのだろう。
「でも、今日、昼に――」
飛びかからんばかりにそう言う林杏の襟首をサッと掴み、宮女頭から引き離す。
「林杏、わきまえなさい」
私がそう言うと、渋々といった様子で林杏は私の後ろへ下がった。
「お忙しい中、お時間をいただきありがとうございます。淑妃様につきましてはご自愛いただきますようお伝えくださいませ」
私は仰々しく礼をして、その場を立ち去ることにした。助けを求めているならいざしらず、あそこまで言われて関わらなければいけない道理はない。林杏は納得していないようだったが、私は仕事が一つ減ったことへ安堵のため息をついた。
「おっかしいなぁ……。可馨、別の部屋へ移されちゃったのかな……」
自室へ続く廊下を歩きながら、ひっきりなしに林杏は首を傾げていた。確かに昼間あれほど情熱的に助けを求めていた宮女が存在しないというのは不思議な話でもある。
「麻花、分けてもらったのにな……」
麻花は小麦粉と砂糖、膨張剤などを材料とするシンプルなお菓子だ。ただ油で揚げ、砂糖をまぶすということもあり手間暇がかかる。そのため宮中であっても、なかなか食べられないことでも有名だ。
「あんた、その麻花で私を売ったわけ?!」
「売ったなんて人聞きの悪い。たまたま昼食を運んでいる時に可馨と厨房で会って、私の好物が麻花って話をしただけですよ……」
「私は食べてないんですけど?」
「そりゃ~~、揚げ物ですからね。冷めたら美味しくないですし、身体にも悪いですから。私が全部責任をもって食べましたよ」
「『全部』ってことは一つだけじゃなく、私の分もあったってことよね?」
「え――、そんなこと言いました?」
この子は……と思いながらイライラしていると、前方から嗅ぎなれた品の良い香りが漂ってくる。微かに汗の匂いも交じっており、少し慌てているのだろうか。
「蓮香、こんなところで何をしている」
案の定、前方からかけられた声は瑛庚様のものだった。
「部屋にいないから、探したぞ」
「淑妃様の宮へ伺っておりました」
「何か事件でもあったか?」
好奇心を隠そうとしない瑛庚様の声の調子に私は思わず苦笑する。
「怪奇音がするという相談があったのですが……、何か手違いがあったようで追い返されたところでございます」
「怪奇音というと?」
「それを確認に行こうとしたので何とも……」
「分かった。それでは私が参ろう」
確かに陛下として瑛庚様が淑妃様の宮を訪れたら、誰も「入るな」とは言わないだろう。
案の定、淑妃様の宮へ到着すると、先ほどとは打って変わって宮女頭が平身低頭、来訪を歓迎してくれた。
「急なお渡りで何も準備できておりませんが……。淑妃様はお待ちでございました」
この数か月、陛下は毎晩のように私の部屋へ来ていることもあり、淑妃様へのお渡りは下手をすると半年ぶり……になるのかもしれない。
「直ぐにお呼びいたしますので、こちらでお待ちくださいませ」
そう言って案内されたのは、応接間だった。
「宮には、こんな部屋まであるんですね」
林杏が小声で感心している。私も声にしないが初めて訪れる宮に内心わくわくしていた。
「寝室、簡単な調理場、風呂、布庫、書庫などもある」
出された酒をチビチビと飲みながら、林杏の疑問に瑛庚様が答える。
「といっても新たに建造した宮だからな……他の后妃らの宮と比べると小規模だがな」
広大な敷地を擁する後宮だが、新たに広い宮を建てるだけの敷地はなかったようだ。ただ『小規模』といっても、おそらくこの応接間ですら私の部屋より広いだろう。
「先日の詫びとして、蓮香にも宮を建ててもよいぞ?」
寝ぼけたことを言う瑛庚様に私は他人行儀な笑顔を向ける。
「宮女ごときにそのようなお戯れを……」
「なぁ……蓮香まだ怒っているのか?」
「そんな滅相もない」
再び笑みを浮かべようとした瞬間、
「パッ、パンッ」
と何かが弾けるような異音が聞こえてきた。
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