大いなる眠り《其の壱》
「こちらは従一品の淑妃・葉青様付きの宮女・可馨です」
林杏が部屋に宮女と共に現れた時、新たな助手が派遣されたのかとにわかに喜んだが、少ししてそれは浅はかな願いだったことに気付かされる。淑妃様付きの宮女が機織の手伝いをしてくれる可能性は低そうだ。
「えっと……淑妃様付きの宮女様がどのような御用で?」
その言葉の端々には苛立ちが隠れていたが、忙しさが極まっている現状、彼女を怒鳴り飛ばさなかった自分を褒めてあげたいぐらいだ。
「淑妃様の部屋で怪奇現象が起きているんですっ!」
林杏の言葉を聞いた瞬間私は気が遠くなるのを感じ、意識をつなぎとめるために再び作業に戻ることにした。
「ちょっと、蓮香様、聞いてくださいよ!」
「聞いているわよ。怪奇現象って何?」
「実は……夜になると部屋から変な音がしてくるんです」
訴えるように叫んだ可馨の声は酷く脅えていた。そんな彼女の肩を優しく抱くようにして林杏は
「音のことなら蓮香様かな――って思って」
と助け船を出す。おそらく宮女仲間の間で私のことを自慢し、後に引けなくなったのだろう。もしくは賄賂か何かをもらったか……。
「あ――幽霊とかじゃない?呪術師に頼んで祓ってもらったら?」
投げやりにそういうと、林杏はムッとした様子で私に近づく。
「なんでそんなに冷たいんですか。紅花様のお子様の時は、あんなに親身になられていたのに」
「だから――、幽霊かなにかの仕業ならば、私が出る幕じゃないからよ」
正直な所、その怪奇現象には霊媒師は必要ないことは分かっていたが、手元にある帯の進捗状況がのっぴきならない状況なのだ。
「お願いします!淑妃様は臨月にも関わらず、その音のせいで毎夜眠れない夜をお過ごしでございます。このままでは赤子にも影響が……」
赤子のことを出されるとどうも弱い。私は作業していた手を止めて、大きく息を吐く。
「霊媒師は一応呼んだんですよね?」
「はい。もちろんでございます。ただ淑妃様がお住まいの宮は建てられたばかりということと、紅花様の事件などが重なっておりなかなか手が回らない状況でございまして」
「あら……新築なの?」
皇后様と従一品までの后妃様方は『部屋』ではなく『宮』という屋敷が与えられている。ただ新しく建立することは少なく、前王朝から引き継いだ屋敷が割り当てられるのが常だ。
「当初、淑妃様に割り当てられた宮は日当たりの悪い場所でして……、持病の咳が止まらなかったことから陛下にお願いしたところ、南向きの部屋を新たに建てていただけました」
「咳ねぇ……」
「あ、蓮香様、淑妃様が陛下からの寵愛が厚いってや焼きもち焼いているんですか?でも淑妃様が新しい部屋へ移られたのは二年前のことですから安心してください!」
二年前……。おそらく私と陛下の関係が始まる前だということを林杏は伝えたかったのだろう。実際のところ陛下達と私の間で何かが始まっているわけではないのだが……。
「それまでは怪奇的な音は鳴っていなかったんですか?」
「はい。夏が終わった頃から、夜になると鳴るようになりました」
「一度、その音を聞いてみますので、今夜もう一度いらしていただけないでしょうか」
今から私が淑妃様の部屋を訪れて、音の原理について説明したところで目の前で音が鳴らない限り、おそらく彼女達は納得してくれないだろう。今晩、瑛庚様が訪れる前に淑妃様のところへ数分行くだけならば仕事にも支障はないはずだ。
「それでは解決してくださるのですか!?」
まるで希望の光にすがるような口調で可馨にそう言われ、バツの想いがした。
「私ができることは、原因を解明して対処法をお教えするだけです。私の想像が正しければ、その音は今日明日に鳴りやむものではございませんがよろしいですか?」
「それは……どういう意味でございますか」
「それも含め、今晩お話しいたしますので、今はお引き取りくださいませ」
きっぱりと『これ以上の会話はしません』という意思を表示すると、可馨はすごすごといった様子で部屋から出て行った。
「淑妃様の部屋って、後宮の一番南にある部屋よね?」
「そうです。后妃様方のお部屋からは少し外れていますが、厨房や書庫などからも近く結構便利な場所なんですよね。正直、あの場所に新たな部屋が建てられるって分かった時は、陛下からの寵愛が厚いんだろうな……って噂になったぐらいです」
「なるほどなるほど」
私は目当ての糸を通しながら、今後の算段についても考え始めていた。