帯の秘密《前編》
「蓮香!皇后になってくれるって本当!?」
その夜、『皇帝』として訪れた瑛庚様は、宮女らがいなくなると開口一番にそう言った。
「いえ、そのようなことは申しておりません」
そんな私の返答に瑛庚様は不思議そうに首を傾げる。
「耀世はそう言っていたよ?」
「え……?」
私も思わず首を傾げる。確かに彼の辛さを共有したいとは伝えたが、どこからどう飛躍したら、『皇后になる』になるのだろうか。
「瑛庚様……そのような報告、連絡、相談でよくお二人が一人の皇帝だとバレずにこれまでやってきましたね」
「まぁ、基本的にそれぞれの分野には立ち入らないようにしているからね。蓮香は特別なんだ。それで皇后になってくれるんだろ?」
私は小さくため息をつく。
「もし后妃になることがあったとしても、『皇后様』になんてなりたくありませんよ」
「何故?後宮の頂点に君臨するんだよ?」
のんきにそう言う彼に私は再び大きくため息をつく。
「薇瑜様は幼き頃から『皇后』になるために育てられてきた方でございます。そんな『皇后』に私が一朝一夕でなれるわけないじゃないですか」
「そうなのか……?」
「例えば、私の機織りを明日から薇瑜様にやっていただいたとして、帯は完成しませんよね?それと同じことです」
「そうか……でも蓮香は后妃にはなってもいいのだな?」
「いいえ。それも難しいでしょう。機織り宮女は確かに代わりが効く仕事ではございますが、後任の者が就任するのは、前任者が亡くならなければいけないからです」
一子相伝というわけではないが、この秘伝の技術と帯に織り込んだ情報が漏洩することを防ぐために決められている掟だ。
「村にかけあえば……」
「そうですね。村にかけあえば数か月もすれば新しい機織り宮女は送られてくるでしょうが、その数日後には私は暗殺されているにちがいありません」
「何故、そのような惨たらしいことを……たかが帯ではないか?」
「陛下は帯に何が織られているかご存知ではないのですか?」
私は思わず不思議になり聞き返す。極秘情報だが、この情報を皇帝は知りえる立場にいる。
「知っているよ。私達の運命が書かれているんだろ?でも……あくまでも占いだよね?」
私はコクリと頷く。
「確かに占いでございます。祠部司の役人が国の要人が誕生する時、皇帝や皇后へ就任した時などにその方の命運を占います」
「そんなことを蓮香は信じているの?」
「極秘中の極秘情報ですから、陛下から伺われなければお答えしておりませんでしたが、帯には占われた方々の命日が刻まれているのでございます」
「め、命日?!」
私は瑛庚様の手を引き、機織り機の前までいざなう。
「ちょうどこれは、来月ご誕生になられる正二品の后妃・芽衣様のお子様の帯でございます。この銀糸の横糸がその命日を織るものでございます」
「これは表からは見えないよね……?」
「見えません。裏側に詩を織り込む場合は、帯を解体した時に文字が見えるよう織り込んでおりますが、命日の場合は帯を解体しても直ぐには分かりません」
「でも調べる方法はあるんだよね?」
勿論、と私は頷く。単に私が記憶すればいいだけならば、何も帯に織り込む必要はない。
「数字として調べることはできませんが、どの糸と銀糸が触れているかを調べます。そしてその二つの糸が奏でる音を数字に変換するのでございます」
「音を数字に?」
「十二律を利用します。一:黄鐘《コウショウC》、二:大呂《タイリョC#》、三:太簇《タイソウD》、四:夾鐘《キョウショウD#》、五:姑洗《コセンE》、六:仲呂《チュウリョF》、七:蕤賓《スイヒンF♯》、八:林鐘《リンショウG》、九:夷則《イソクG♯》、0:南呂《ナンリョA》と変換いたします」
「なるほど……。だから耳がよい蓮香が機織り宮女として選ばれたわけだな?」
私は静かに頷く。耳の良さでいうと盲目の私の右に出る物は村には一人もいなかった。
「では……芽衣の子供の命日が分かるわけだな……」
「お聞きになりたいですか?」
瑛庚様は爽やかに笑うと、首を横に振る。
「生まれてきた我が子の命日など知りたい親がいるものか」
「左様でございますね」
彼らしい返答だ。思わず頬が緩むのを感じた。
「じゃあ……俺の命日は分かるのか?」
おそらくそう聞かれるであろう質問に私は思わず身を固くしながら、
「一度織った帯は全て覚えておりますので、存じ上げています」
と答えた。
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