そして誰もいなくなった《其の伍》
皇后・薇瑜様の突然の登場に私も襟元を直しながら同じように膝をついて礼の体勢を取った。
「騒がしいから来てみれば……蓮香が名推理を披露していたので、思わず聞き入ってしまいました。でも蓮香、それでは詰めが甘いのではないかえ?」
その言葉に私の背中に冷たい汗が流れるのを感じた。陛下が目の前にいるということもあり、優雅な言葉遣いをされる薇瑜様だがやはり言葉の端々から凄みを感じるから不思議だ。
「私、不思議でしたのよ。水の中で出産するなんて方法を北の部族が行っているなんて聞いたことがございませんでしたからね」
「我が村は少数民族で北方の中でも特殊な文化を持っておりまして……」
「えぇ……。そうね。鉱物に恵まれている土地だから、少数民族でも豊かな生活を送っていると聞いています。蛙や蛇を食べたり、一妻多夫性だったり……都での生活が長い私からすると『異世界』だと思いましたわ」
紅花様の反論など歯牙にもかけないといった様子で薇瑜様は言葉を続ける。
「でも出産方法が耳に入った時、妾は紅花様について何も知らないことに気付きましたの。そこでちょっと調べさせました。紅花様やその周辺の宮女の身辺をね」
薇瑜様の言葉に、紅花様が静かに唾を飲み込む音が聞こえてきた。
「そしたら不思議。今夜亡くなった宮女には妹がいて、その妹もやはり女児を出産したばかりだと判明いたしました。しかも、その乳飲み子は何故か失踪しているんです」
「それでは、その子は……」
唖然とした様子の瑛庚様の声を聴き、胸が苦しくなる。この事実が暴露されることを恐れて私は『不幸な事故』として事件を解決したかったのだ。
林杏が井戸の側で赤子の泣き声を聞いたと言っていたが、おそらく宮女の妹の子供の泣き声だったのだろう。後宮には戦禍などの時に皇帝や后妃らが逃げ出せるようにいくつもの抜け道が存在している。不自然なほど深いこの井戸もおそらく抜け道の一つという可能性が高そうだ。
そして家相を何よりも気にする紅花様が井戸の側の部屋で納得したのは、『抜け道』であることを知らされたからなのだろう。普通は后妃にすら抜け道の存在を伝えないが、駄々をこねる紅花様を納得させるために関連局がその重大な秘密を明かした……と考えると納得がいく。
そしてその抜け道を利用して宮女の妹がたびたび出入りしていたため、林杏は『宮女の服を着た幽霊』を目撃したに違いない。
「おそらく宮女の妹の子でしょうね。平民の血を皇族としようなど……浅はかな」
薇瑜様に吐き捨てるようにそう言われたのが、癪に障ったのだろう。先ほどまで静かに聞いていた紅花様が勢いよく立ち上がった。
「何がいけないんですか?! どうせ男子しか帝位継承はできないんですよ?女児が一人ぐらい増えたっていいじゃないですか?!」
「正二品の后妃の間では、そなただけなかなか妊娠しなかったからのぉ」
とても優しそうな薇瑜様の声に気をよくしたのか紅花様は勢いを得たように話し出す。
「あのままでしたら私だけ子がなせず、正二品の后妃としての身分を奪われかねませんでした。そんな中、あの者の妹が妊娠したと聞き今回の計画を思いついたんです」
「確かに……。皇女は世継ぎというより諸国との外交上の駒ですわね」
「そうなんです! 話をつけてくれた宮女にはシッカリと謝礼もしましたし、妹の夫には官職まで紹介したんです。なのに……なのに……あの女は『妹を乳母にしろ』とまで言い出したんです」
后妃様が妊娠した場合、本人達が育児をすることはほとんどない。それぞれに乳母が付き、子供たちの世話をするのが一般的だ。
「おや、紅花様は有力貴族の娘を乳母を手配したと聞いたが……」
「はい。皇女たるもの最高の教育を受けさせる必要がありますから。あんな出自も分からない女なんかに出入りされては困ります」
「それで宮女を殺したのね」
薇瑜様の冷たい一言に、紅花様はようやく自分が置かれている事態に気付いたようだ。
「反逆罪でこの者を捕まえなさい」
薇瑜様は後ろに控えていた衛兵らに、そう声をかけると紅花様は直ぐにその場で取り押さえられた。おそらく最初からこれが目的で衛兵と共にこの場に現れたのだろう。
「それと……この赤子も処分なさい。伯母と共に死ねれば本望でしょう。井戸に捨てましょうか?」
その段になり始めて薇瑜様の腕の中にいる赤子が紅花様のお子様だという事実に気付かされた。薇瑜様の足音が近くなり私は慌てて立ち上がった。
「赤子に罪はございません。どうぞ、どうぞ、平民として健やかな人生をお授けくださいませ!!」
私の言動に驚いたのだろう、林杏は小さな悲鳴を上げ、周囲の宮女もザワザワと騒がしくなる。
「なるほど……。そなたの推理の詰めが甘かったのは、この赤子を守るためであったか」
私は肯定する代わりに無言でうつむいた。井戸を見た時点でこの事件のあらましは分かっていた。ただ全て伝えてしまうと紅花様だけでなく赤子も死罪になることは明白だ。だからこそ、紅花様を不幸な事故に見せかけて宮女を殺した后妃様……にだけ留め、離宮などに追放してもらいたかったのだ。
「蓮香……。こればかりは無理だ」
私の肩をそう言って支えたのは瑛庚様だった。
「それを赦してしまうと秩序が保てぬ……」
瑛庚様の声は酷く苦しそうだった。私も分かっている。皇帝の血縁を守るためには、こんなことは絶対起こってはいけないし、起こった場合は徹底的に処罰を与えるべきであるということを。ただ彼に罪のない赤子を殺させたくなかったのだ。
「二人でそんなに辛そうな顔をなさらないで。真実を突き詰めた私がまるで悪者みたいではございませんか」
薇瑜様は苛立った様子で赤子の背中をポンポンと叩く。その強さが強くならないか気が気ではなかったが、少しすると「仕方ないですわ」と大きくため息をついて、その手を止めた。
「では今回は紅花様のお子は不幸な事故で亡くなったということにして、この子供は本来の両親のところに戻す……ということにいたしましょう」
その声はあまりにも優しく、ささやかれた言葉は非常に耳当たりがよかった。それゆえに軽やかに笑い声をあげながらその場を去っていった薇瑜様の思惑が分からず思わず瑛庚様の腕にすがってしまった。
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