見えない呪符《前編》
「陛下……正直に申し上げます。もう今日は帰ってください」
機織りをする私の後ろに座りながら、本を読む燿世様に初めて強くそう伝えた。これまで何度か遠回しに「早く帰れ」と伝えていたが、のらりくらりかわされており全く通じていなかった。だが、今日ばかりは通じて貰わないと困る状況だ。
「なんと――私が邪魔か?」
燿世様だけでなく、機織りの助手を務めていた宮女らもハッと息をのむ。
「邪魔――ではございませんが、さすがに納期が迫っております。集中させていただきたいのです」
「既に夜中だぞ。終わるまで待とうかと思っていたのだが……」
「今日は終わりませんよ」
私は大きく息をはいて持っていた杼(糸を通す道具)を置いた。
「陛下が仕事を増やしたんですよ。ただでさえこれから生まれてくるお子様方のために帯を織るだけでも大変なのに……」
皇帝の子供が生まれた場合、式典が行われ陛下から帯が贈呈される。その帯を織るのも私の仕事だ。国家安寧のためには子供が十人も生まれるのはおめでたいことだが、なぜか最近その事実にイライラする自分がいる。
「あれは……私の子というより瑛庚の子なのだが……」
他の宮女に聞こえないようにモゴモゴと言い訳をする燿世様をキッと睨む。二人で一人の皇帝なのだから、燿世様の子供でもあるはずだ。
「それでは……それは薇瑜の帯か……」
そう言った燿世様の声は心なしか沈んでいるように感じた。先日、皇后・薇瑜様の帯を新たに数本作ることが決定した。勿論、その理由は明かされていないが、尚服局も含め私の周囲は急な仕事に奔走している。現に普段ならば二人の助手と制作しているが、五人に増やし機織り機を一台増やした程だ。効率化のために柄が入らない部分は他の宮女に任せているのだ。
「えぇ、そうでございます。どういった理由で着物や帯を総取り換えされているのか分かりませんけど……本当に大変なんですよ」
「薇瑜に呪いがかかっているというのだ――」
話が長くなりそうなので再び杼を手に取り作業を進めることにした。どうやら現状をハッキリ伝えても帰ってくれるつもりはないらしい。切なそうな燿世様の声が無償に腹立たしく私は乱暴に縦糸に杼を通す。
「そもそも先週、医師から皇子を妊娠しているかもしれないと言われてな……。それからなんだ。理由もない熱病にうなされ、苦しんでいる。祈祷も頼んだのだが、呪符が見つからなくては根本的な解決にならないといわれた」
皇后に対して呪いがかけられたことが公になっては一大事だ。だからこそ末端の宮女である私達には事情が伝わっていないのだろう。
「部屋もお探しになられたんですよね」
「勿論だ。部屋の隅々まで探し、着物をほどいて裏側に縫い付けてないかまで確認した。それでも容態は回復しないので部屋を移したのだが、やはり熱病にうなされたままだ」
「それで仕事が増えているんですね……」
再び大きく息をはいて杼を置く。
「早く言って下されば、呪符がどこにあるかぐらい見つけますのに」
目は見えないが、見えている人には見えないものを見ることができる――という自負がある。
「そうか……そうだな。そなたに頼めばよかったのだな」
「今から行きますか?」
既に深夜を回っているが、熱病でうなされている薇瑜様のことを考えると一刻も早く呪符を見つけた方がいいに違いない。そして呪符が見つかれば私の仕事は大半がなくなり、元の仕事に専念することができる。さらに先代の宮女らが織りなした芸術的なまでの帯や着物を無駄にしなくて済む。
「あぁ、そうしてくれ。林杏、先に薇瑜の部屋の者に行くことを伝えてくれぬか」
部屋の隅で眠そうにウトウトしていた林杏は、燿世様の言葉にハッとして起き上がる。確かに連日深夜にわたり仕事をしており、それに付き合わされている彼女も寝不足なのだろう。
「は、は、はい。いってまいりましゅ」
呂律が回っていないだけでなく足元もおぼつかないのか、林杏はいたる所に身体をぶつけながら部屋から出て行った。
「さて、それでは参ろうか」
燿世様が手を引くので私は慌てて手を引っ込める。
「陛下。さすがにそれは薇瑜様がお可哀想です。お体が辛い時に陛下が后妃でもない宮女と手を取り合って訪れたら不快ですよ。下手をすると部屋に入れてもらえないかもしれません」
「そうか――。そう言われればそうだな。ああ……やはり後宮は性に合わぬ」
瑛庚様と燿世様は二人で一人の皇帝を演じているが、主に後宮では瑛庚様が皇帝役を引き受け、表の政治は燿世様が担当しているらしい。
「ならば瑛庚様にお任せになられればよかったのでは?」
外出の支度をしている宮女らに気付かれないよう、ソッと囁くと
「それでは、私がそなたに会えないではないか!!」
と燿世様は突如大きな声を出した。どうやら後宮生活に慣れない彼は、まだ物珍しい機織り宮女に飽きていないらしい。二人で一人ということもあり、飽きるまでの時間も二倍ほどかかるのだろう。二人分身体があって便利だな――と思っていたが、その実態を知ると意外に面倒なのかもしれない。





