裏目を織る
細く真っすぐな鼻筋、目と眉毛の位置は近くホリの深い目元。薄っすらとした涙袋もあり目は大きい。形のよい口、吸い付くような美肌……。見えないが、おそらくこれは相当な美男子なのだろうということが指先から伝わってくる。
「どうだ?一緒だろ?」
嬉しそうにそう言う瑛庚様に私は頷く。実は昨夜もこうして耀世様の顔を触らせていただいたのだ。
「寸分たがわぬ配置でございますね」
「こうして近くで見ても蓮香は美しいな……」
そう言って頬に触られ、初めて二人の距離が近いことに気付かされた。私は慌てて瑛庚様との距離を取るために後ろに後退する。
「陛下、酔っていらっしゃいますよ。そんなに強いお酒を出したつもりはなかったんですが……」
蛇を漬けた酒が飲みたいと言われたが、飲み頃になるまでまだ時間があるので別の酒を用意させた。明日に差しさわりがあってはいけないので、軽い物を用意するよう林杏に頼んだのだが、おっちょこちょいな彼女だ。強い酒と間違えたのかもしれない。
「いや、酒には酔っていないさ。蓮香に酔っているだけだよ」
ヘラヘラと笑いながらも瑛庚様はそう呟く。本当に口が上手い。後宮で過ごす時間が長いからか、サラリとこんな言葉を口にされる。何もしらない宮女ならば、その言葉一つ一つに舞い上がっていたに違いない。
「それは私めにかけるべき言葉ではございません」
私はスルリと彼から離れ、機織り機の前に座った。
「なんだよ。連れないな……」
「従二品の后妃様方のお側にいて差し上げてくださいませ」
西国の蛇使いらが持っていた解毒剤のおかげで、重体だった后妃様も快復に向かっているという。だが、それでも一時は生死をさ迷ったこともあり、まだ部屋から出られない状態なのだとか。
「いや、それなんだけど……、次の『種馬』としての仕事が始まるまでは『蓮香』以外の所には渡らないって決めたんだ」
その口調は意外にもハッキリとしており、確かに酩酊はしていないのかもしれない。
「私の態度がハッキリしないから従二品の后妃らもあのような諍いを起したんだと思うんだよね。なら最初から『渡る予定がない』と伝えておけば平和になるはずだよ」
私は小さくため息をつく。
「確かに后妃様方の間では諍いが起きないとは思いますが、私どもに火の粉が降ってくるではありませんか」
「それならば大丈夫。守ってあげるよ」
『守ってもらえるならばね――』という言葉を飲み込んで、私は静かに「ありがとうございます」と短く返事をする。
確かに陛下がいる前で嫌がらせを受けようものならば、瑛庚様にしろ燿世様にしろ烈火のごとく怒ったり、守ってくれたりもする。だが後宮の苛めとはそんなに分かりやすいものではない。
着物がなくなる、寝所に虫が入れられる、食事が捨てられる……私だけでなく林杏にすら迷惑がかかり始めている。正直、放っておいて欲しいと思うのだが、この部屋でくつろぐ彼らの姿を見ていると「来るな」とは強く言えずにいる。ハッキリとした答えを出す代わりに私は機織りの仕事を始めた。
「なぁ……、前から思っていたんだけど、蓮香は目が見えないのにどうやって織っているんだ?」
すると、瑛庚様はフラフラとした足取りで近づいて来る。
「糸の音を聞いております」
「糸の音?!」
驚いたように聞き返されて、そうか……これは普通の人には聞こえない音だったということを思い出した。
「私が使う糸は全て染料が異なっているんです。本当に小さな差ですが、一つ一つの糸に音があり、その音の違いを聞いて織っているのです」
これを習得するまでに十年以上がかかったが、この国に伝わる秘伝の技術を習得するためには少なくともこの糸の音を聞き分けられなければいけない。
「では図案はどうやって見ているのだ?毎回触って確認しているのか?」
機織り機の経糸の下に置かれた図案を指で突きながら瑛庚様は質問する。
「熟練の職人になりますと、図案はある程度しか見ないんですよ」
これは目が見える見えないの問題ではない。
「例えば、今回の図案は梅の枝が描かれております。右上に向かって伸びていることだけ分かれば、あとは図案を見ないでも織れるんです」
そもそも原画を方眼状の設計図に起こす時点で、想像を絶するような図案にはしないという背景もある。囲碁に十数手先までの定石があるように、機織りの図案にも定石があるのだ。
「それに……帯を織る中で、機織りが一番緊張する瞬間は何時だかご存知ですか?」
「複雑な絵柄を入れる時か?」
私は苦笑して首を横に振る。
「完成して帯を裏返す瞬間なんです」
「というと?」
「帯は筒状になっていますので機織りに見えているのは帯の裏目になります。完成しましたら、最後に裏返して出来上がりを確認するのですが、それまで表目の柄を確認することができないんです」
この瞬間はどんな熟練の職人でも緊張する瞬間だと言われている。
「つまり見えていても見えていなくても帯を織るということは、非常に緊張感がある作業ということなんです」
『だから今すぐ帰ってください』と彼に笑顔を見せたが、あまり伝わっておらず「なるほど――」とひとしきり感動している。
「蓮香は我が国の宝なのだな」
あれだけ帰って欲しいと思っていた瑛庚様だが、そう言って手を取られるとまんざらでもない気がしてくるから不思議だ。後宮の主の熟練の技に内心、感動すらしていた。
【余談】
最近ではメールに添付する形で職人さんの元へ図案が送られてくるようです。時代ですね~。お話を伺った伝統工芸士の職人さん(70代)曰く一番焦る瞬間は「PCがフリーズした時」らしいです(笑)
本日6時にもう一本更新予定です。
【御礼】
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