#8
赤い森は乳白色の霧に包まれ、徐々に高度を上げ始めた朝日が辺りを優しく照らしていく。微かな小鳥のさえずりを目覚まし代わりに目覚めた俺達は、昨夜の食事の余りを軽く炙って小腹を満たした。起き抜けの焼肉は些かヘビーだったが、昨日までの出来事を思えば爽やかな朝を迎えられたと言えよう。
「この後は?」
「国境付近なら多分安全。そこで君を降ろすよ」
「何言ってる。助けるべき次の『転生者』は何処だって聞いてるんだ」
「・・へ?・・付いてくるの?」
「俺も手伝いたいんだよ」
同じ『転生者』だけでなく、それに巻き込まれた村の皆の様な人達の事も助けたい。彼女の言葉を聞いて湧き上がってきたこの感情は、多分本物だ。それにこれは、彼等に対する俺なりの贖罪でもある。
それにこれから先『世界蛇のウロコ』を発見したとして、『転生者』の俺にならその使い方が分かる。有用な道具なら彼女の行動をバックアップ出来るし、それが武器なら戦力にだってなれるかもしれない。悪い買い物じゃあないと思うぜ、お嬢さん。
「それにな、お前の復讐ではまだ足りないと思うんだ」
「・・足り、ない・・?」
「助けるだけでなく、迫害された奴等で徒党を組むべきだ。仲間を増やして世界を変える」
数は力だ。〝世界そのもの〟に立ち向かう為には、多くの人間の協力が必要になる。だがそれは裏を返せば、皆で団結すれば世界の構造だって変えられるって事さ。
「お前のお陰で目が覚めた。これが、俺なりの復讐ってヤツだな」
笑って、彼女の反応を待つ。しばらくの間ポカンとした顔をしていたリコは、おもむろに背負っていた刀の柄に手を伸ばし、そして。
斬り掛かってきやがった。
「・・っ、おい、何が気に入ら・・っ?!」
押し倒される様にして仰向けで地面に突っ伏した俺のすぐ上で、リコは袈裟斬りに空を斬る。甲高い金属音が響き渡り、彼女が叩き落とした物が俺の顔の横に突き刺さった。
矢だ。リコの行動が無ければ、それは確実に俺の背中を撃ち抜いていた。
朝の森に笛の音が鳴り響き、大勢の人間と馬の足音が近付いて来る。カチャカチャとした鋼の擦れる音を伴ったそれは、彼等が武装している事を明確に物語っていた。
間違い無い。俺達を追って来た『オットーヘイデン』の兵士達だ。自在に空を飛ぶドラッヘのスピードから考えれば、この追撃は正確でかなり速い。部隊の指揮を執っているのは、言うまでも無くあの仮面の男だろう。
「しつこいな!」
「君は見せしめだったんだよ。民衆の前でむざむざと逃げられて、兵士達のプライドはズタズタなのさっ!」
「だから必死なのか!戦うのか?!」
「冗談!ドラッヘに乗って!」
全身の毛を逆立てながら周囲を警戒するデカ猫に駆け寄り、その背中にしがみついた。襟首の毛を握った瞬間ドラッヘはふわりと浮かび上がり、瞬時にトップスピードに乗って木々の間をすり抜けていく。悲鳴を上げるよりも早く、直前まで俺達が立っていた場所には無数の矢が突き刺さっていた。
前方にも兵士達が現れる。どうやら囲まれていたらしい。上空に逃げようにも、街から出る時と違って多くの弓兵が動員されているようだ。飛行能力を持ったドラッヘへの対策を昨日の今日で済ませてくるとは、憎らしい程に行動が素早い。恐らく、この掃射の中を無傷で突破するのは困難だろう。
「どうすんだ?!」
併走するリコに向かって叫んだ。デコボコの地面と木々の隙間を、ドラッヘに負けない速度で駆けて行くリコの野生児っ振りには改めて驚かされる。
「退却路は前!!」
「島津かよっ?!」
「何それ?!」
「何でもねぇよ!来るぞ!!」
槍を構えた兵士達が突撃して来た。リコとドラッヘは速度を落とす事無くその中に突っ込み、刀と爪による血風を巻き上げながら人間の壁を突き破る。俺は振り落とされないように猫にしがみつくので精一杯だ。視界の横を千切れた手首が通り過ぎていく。
後方からは弓矢の雨が追い縋る。それは挟撃を目論んだ仲間の兵士達にも命中し、不幸な何人かは味方の攻撃によって草の上に沈んでいった。
「ちったぁ手段を選べよ!クソ野郎!!」
姿の見えない仮面の指揮官に毒づいた瞬間、視界が一気に開けて目が眩んだ。そしてそこが高い崖である事に気付き、寸前まですぐそこにあったはずの地面は遥かに低くなる。
ドラッヘは崖の上から飛翔し、大きな翼を羽ばたかせた。
「ルカ!!」
リコの声に振り返り、同じく崖上から飛んだ彼女に向けて手を伸ばす。その更に後方には、諦めの悪い兵士達が迫っていた。
「踏ん張れよ、猫っ!!」
「にゃおおおおおっ!」
垂直に近い角度で傾いたドラッヘの背中に片腕でしがみつきながら、もう片方でリコの腕をひしと掴む。勢いの乗った体重にぐらつき、一度錐揉みしながらもなんとかリコを支え上げた俺は、渾身の力で彼女の身体を持ち上げた。
「テメー、何持ってんだよ?!」
ドラッヘの背に乗せたリコは、戦闘のドサクサ紛れの中で兵士の剣を鞘ごと一本回収してきていた。そのお陰で余計に重くなり、ハッキリ言って俺の腕力で持ち上げられたのは奇跡に近い。火事場の馬鹿力ってヤツだろう。
リコはその盗品を俺に突き出し、君のだよ、と叫んだ。
「一緒に来るんだろうっ?!必要さっ!!」
「・・・!」
左腕に剣の鞘を抱いた俺は、前にまたがったリコの腰に右腕を回す。顔半分だけ振り返ったリコは満足そうに笑い、俺はそれに力強く頷いた。
「さぁ、行くよっ!」
リコの合図に応え、ドラッヘが天高く飛び上がる。
追撃の弓矢を潜り抜け、その射程を脱した俺達を出迎えてくれたのは黄金に輝く朝の太陽だった。それはまるで俺達の旅の始まりを祝福してくれている様にも感じられ、希望に満ちた光景に嫌が応にもテンションが上がる。気付けば二人と一匹は、緑色に色付き始めた大空に向かって雄叫びを上げ始めていた。
『転生者』。前世の記憶を有した者達は、この世界では迫害の対象だ。その意識は宗教や権力と密接に結び付き、根深く、強大で慈悲も容赦も無い。
その力の前に蹂躙される人々が居るというのならば、『転生者』である自分自身の為だけでなく、そんな人達の為にもやる価値はあるのだと思った。きっとそれは、正しい事だ。
世界は簡単には変わらない。前世の世界でだって、俺の生きていた時代でも様々な問題があった。長い間燻り続け、未だ解決の糸口すら掴めない事も多くある。
だが、変わろうとしている世界を、変わる事が出来た世界を俺は知っている。それは何よりの、〝違う世界〟を知っている『転生者』の持つ明確なアドバンテージの一つだ。どんなに停滞している様に見えても、必ず変われる。変える事が出来るはず。
そうとも。いつだって、諦めるにはまだ早いんだ。
「革命家って皆、こんな気持ちだったのかな?!」
「え?何?」
「何でもねぇ。それより、何処に向かうんだ?」
「北の方!噂では、妙な発明ばかりするお爺さんがいるらしいよ!」
「ただの変人でない事を祈るぜ!」
「にゃーーん」
朝焼けの空を飛んで行く。
気の抜けた猫の鳴き声こそが、俺達の旅の始まりの合図だった。
ひとまずここで完結です。
続きを書くかは未定。
ここまで読んで下さりありがとうございました。