#7
リコは腰の革袋から煙草の様な物を取り出すと、それを咥えてガシガシと噛み始める。差し出された一本を同じ様にして噛むと、薄荷に似たスッとした感覚が口の中に広がった。心なしか歯の表面もツルツルしてきて、どうやらこれは食後の一服ではなく歯磨きの代わりらしい。
「あたしの父さんは君と同じ『転生者』だった」
リコはハミガキタバコを咥えつつ語り始めた。
「薄々分かってはいたが・・何人も居るんだな、この世界には」
そして、だった・・という事は。
「君と同じ様な事をして、君と同じ様な目に遇って、でも君と違って助けられなかった」
リコは目を閉じ、静かに呟く。
「父さんは色んな人に色んな事を教えた。皆嬉しそうだった。でも、偉い人達はそんな父さんを怖がった。皆を幸せにしてくれる人を、それに関わった人達を全員殺すなんて、きっとそんなの間違ってる」
「・・だから、俺を助けてくれた?」
「噂を聞いてもしかしたら、と思って急いだんだけど・・ごめん、村の人達は・・」
「お前のせいじゃないだろ」
「・・うん、ありがと」
少し困った様に笑い、リコは歯型だらけになったハミガキタバコを焚き火の中に放り込む。あ、コレ捨てるヤツなのか。端っこの方少し食っちまったぞ。
「『転生者』でなくても、少し賢かったり違う考え方を持っているだけで殺される人達もいる。あたしは、そんな人達を一人でも多く助けたい」
リコは真剣な表情で、意志の強い紫色の瞳を俺に向けた。そこに嘘や打算がある様には思えない。コイツは純粋に、心の底からそれを望んでいる。きっと、『転生者』である彼女の父親は立派な人物だったんだろうな。これ程真っ直ぐな娘を育てる事が出来るなんて、余程の人格者だったに違いない。
ちゃんと助けられたのは君が初めてだったけどね、とリコは寂しそうに笑った。その言葉の裏にあるのは、彼女が幾度か経験してきたであろう悲しみと後悔の念だ。あれ程の剣の腕前を持ちながら、何人もの〝父親〟が目の前で処刑されていく。一体、何度無力感に苛まれた事か。リコの虚しい奮闘に想いを馳せると胸が締め付けられると同時に、それでも諦める事の無い彼女のひたむきさを眩しく思った。
諦めるには、まだ早い。それはきっと、リコが自分自身に言い聞かせてきた言葉なのだろう。あるいは、父親の薫陶の賜物だろうか。
「それで、ソイツに乗って旅を?」
リコ自身の装いと、ドラッヘの胴に括りつけられた大量の荷物。何より彼女のサバイバル慣れした立ち振る舞いが、旅の期間の長さを物語っている。そしてそんな危険な冒険を娘にさせている以上、聞きそびれていたが母親の事も推して知るべしなんだろうな。
リコはコクリと頷き、最初は独りぼっちだったけどね、と丸くなったドラッヘを見た。翼の生えたこのデカ猫はどうやら旅の途中で出会った相棒らしい。こういうのは大抵ペットとして兄弟同然に育ったなんてのがお約束なんだろうが、この二人には当てはまらなかった様だ。
「獲物の取り合いでもして、そこから意気投合したのか」
「よく分かったねっ?!」
ビンゴかよ。返す返す野生児過ぎんだろお前。
「刀と拳銃は親父さんの形見か?使い方も親父さんから?」
「ん・・うん、そう」
「作ったのも?」
「それは・・どうだろう。お手入れしてる姿はよく見たけれど」
多分『世界蛇のウロコ』だと思う、とリコは言った。
「『世界蛇』って、あの空に見える巨大な影の事か?」
俺は夜空の黒に紛れて形のぼやけた、空を覆う細長い影を見上げる。
「時々ね、よく分からない物が漂着したり発掘されたりするの。それは『世界蛇』から剥がれ落ちた『ウロコ』だって、あたしの生まれた所ではそう言われてた」
「初耳だ」
「地域差があるのかも。きっとこの辺りでは『ウロコ』は特に珍しいんだよ」
「・・で、親父さんだけが、その『ウロコ』の使い方を知っていた。『世界蛇』が、前世の世界の道具をこの世界に召喚している?」
「分からない。そういう言い伝えってだけだし」
話を整理してみよう。それが果たして『世界蛇』が関係している事なのかはさて置き、少なくともこの世界では時折、前世の世界の道具が見つかる事がある様だ。そしてそれらが近代的な道具である程、当然この世界の住人には使い方が分からない。正しい使用方法を理解しているのは、前世の、しかもその道具が開発された以降の記憶を持つ『転生者』のみだ。
「死人の魂だけでなく、道具まで引っ張られて来てるのか。二つの世界は意外と密接な関係にあるのかもな」
こうなってくると、自分ももしかしたら『ウロコ』の一つなのかもしれないとも思えてくる。お前は海で拾ってきたんだという、親の冗談あるあるも冗談に聞こえねぇ。じゃあなんで全くの別人として生まれ変わったのかという疑問は残るが、人間と違ってどうやら道具はそのままの姿でこちらの世界へと流れ着いて来るらしい。
「この剣も、剣だという事は分かっても上手く使えるのは父さんだけだったみたい。力任せに叩き斬るのが普通だったから、こう、撫でる様にってのが難しいんだって」
「拳銃に至っては言わずもがな、か」
『転生者』が恐れられる理由がもう一つ増えたな。俺達にしか使い方が分からない道具、『世界蛇のウロコ』が彼女の持っている様な武器だったなら、しかもそれが強力なものだったなら世界の常識と仕組みは容易く変わる。さすがに核爆弾なんて流れて来られても、一般人の俺には起爆方法はさっぱり分からないが。て言うか、んなモン怖くて扱えねぇよ。
「なるふぉ・・ふああ」
言おうとして、セリフに欠伸が重なった。難しい事を考え始めた脳に、体力的な疲労と満腹感とマッタリ感、何より死の危機から解放された安心感が一斉に襲い掛かる。
「もう寝ようか」
「・・ああ、そうだな。でも、その前にもうひとつ聞いておきたい」
「何かな?」
「・・仇を、討ちたくはないのか?」
「・・・」
「俺は討ちたいぞ。特にあの仮面野郎、出来ればこの手で・・」
「・・仇って、誰?」
「・・は?そりゃあお前、親父さんを殺した奴だろ」
「父さんを処刑した人?陥れた人?捕まえた兵士?それを命令した権力者?そんな人達を支持する民衆の事かな?」
「・・・」
「キリが無いよ。強いて言うならきっと、仇は〝この世界そのもの〟さ」
リコは微笑みながら言い、俺はしばらく呆気に取られていた。復讐は虚しいだけだ、なんて綺麗事を述べるつもりは毛頭無い。けれど確かに彼女の言う通り、よくよく考えてみればその相手は特定の個人の事じゃあないんだ。目的を果たしたとて、恐らく別の人間が同じ事を繰り返すだけ。敵は初めから、形を持っていないのだから。
そうか、そういう考え方なのか。お前は既にそんな境地にまで至っていたのか。
「・・だから、お前は・・」
「うん、それがあたしなりの復讐、かな」
俺達はドラッヘの懐に潜り込み、天然の毛皮を枕にして肩を並べながら眠りに就く。何かあればすぐにこの子が気付くからと、見張りの必要が無い事を俺に説いたリコはあっと言う間に寝息を立てていた。さすがに刀は手放してはいなかったが。
俺は眠るリコの隣で星空を仰ぎ見た。さて、折角救われた命だ。これから自分はどう生きていくべきか。帰るべき家は無く、見知った顔は全員死んだ。
そして、彼女の言葉を聞いた。
「・・俺は・・」
重い瞼に逆らう事を止めると、俺は自分でも驚く様なスピードで眠りに落ちていった。