#6
カチン、と乾いた金属音が赤い森に響いた。反射的に目を瞑った俺は、いつまで経っても脳に痛みが辿り着かない事にゆっくりと目を開ける。意地悪そうに笑うリコの顔があった。
「コレが何か分かるって事は、本物の『転生者』で間違い無いみたいね」
「・・」
「ゴメンゴメン、そんな怖い顔しないでよ。弾も入ってない」
咄嗟の出来事に身構えてしまったが、よくよく考えてみればこの世界に拳銃は無い。火薬式の何かしらの武器はあるのかもしれないが、片手に収まるサイズの精巧な造りの物を開発する技術は持ち合わせてはいないはずだ。知識の無いこの世界の住人が銃を突き付けられたとて、それが離れた場所から容易く人を傷付けられる恐ろしい物だとは夢にも思うまい。
「・・どいつもこいつも、他人を試す様な真似しやがって」
俺は大きく肩で息を吐いて、存外悪戯好きの空気を醸し出す少女の顔を睨みつけた。そして幾つかの疑問に行き当る。この世界に存在するはずの無い拳銃、そんなオーパーツとも言うべき物をどうして彼女が所持しているのか。その使い方をどこで知り得たのか。一体誰が制作した物なのか。
彼女が背負った日本刀も、兵士達が手にしていた両刃で平たいこの世界のスタンダートとは形状が大きく異なっている。素人知識だが、精錬には高い鍛冶技術が必要だ。リコの装備はそのどちらも、この世界の基準からは逸脱していると言えた。
あるいは、俺が知らないだけでそれらを造れるだけの技術を持った人々が居る・・?
そもそも、このリコリヌという少女は・・。
「説明しなきゃならない事はたくさんあるけど、取り敢えず・・」
俺の疑問に満ちた視線を何食わぬ顔で受け流したリコは、仁王立ちのままきゅう、と腹を鳴らす。普通、年頃の娘さんならば顔を赤くするものであろうが、彼女は眉一つ動かさず、むしろドヤ顔で自分の虫の声を披露し続けた。はしたなくってよ、リコリーヌ。
「ごはんにしましょ」
言ってネックレスの様にぶら下げた犬笛を咥え、食えるのかソレ、と軽くボケた俺を無視してドラッヘに指示を出す。のっそりと起き上がった巨大な猫は森の奥へと消えて行き、ほどなくして野生のヒツジイノシシを誇らしげに咥えて戻って来た。
「ビストロ『リコリヌ』へようこそ。君は薪を集めてくれるかな」
「俺従業員側っスか?!」
抜刀したリコは早速作業に取り掛かり、鮮やかな手つきで獲物を解体していく。まだ食材とは言い難い肉の塊を前に、涎を垂らしながら目を輝かせる彼女の横顔は猟奇的だ。ドラッヘもワクワクしている様子でそれを見ている。
フランス人形みたいな顔して、意外と男らしいと言うか、野性的と言うか。
俺は頭を掻きながら辺りを見回し、言われた通り乾燥した枯れ枝を拾い集める。ともかく、彼女が話をしてくれなければ分からない事だらけだ。今はその指示に従っておく。
「うほほーうっ!」
「にゃーんっ!」
胴体から切り離したヒツジイノシシの立派なもも肉を掲げ、リコが謎の声を発する。鈎尻尾をフリフリさせたドラッヘがそれに続き、一人と一匹、もとい二匹の獣は今にも踊り出さんばかりにテンションを上げた。どこかからウンババウンババ聞こえてきそうな光景だ。
話をするまでもなく分かった事があるぞ。
コイツ、絶対変な奴だ。
崩れて地面に落ちないよう、二、三本の枝を生肉に突き刺す。始めは火から少し離してじっくりと熱を通していき、色がピンクから乳白色へ、内側から肉汁が溢れ出してきた頃合を見て表面を直火で軽く炙った。赤身が茶色く、脂身の角が黒く焦げたまさしく巨大な焼豚は見た目だけでも食欲をそそる。満を持してそんな口よりも大きな肉の塊にかぶりつくと、香ばしい匂いが口内から鼻へと抜けていき、ブチブチとした肉の繊維をほぐす食感とヘルシーとは程遠い量の脂の甘みが口一杯に広がった。高い肉なんてそう食った事は無いが、柔らかいよりも歯応えがある方が、個人的には「肉食ってる!」って感じがして好きだ。ああ、白飯が欲しい。
リコがドラッヘの脇腹に括り付けていた革袋から塩に似た、この世界では黒い色をした調味料をおもむろに取り出す。それを拝借して肉に振り掛けると味は更に変化して、また、焼く前の生肉に刷り込んでも違った風味を楽しむ事が出来た。
前日までの檻の中での生活と朝から何も食べていなかった空腹感が相まって、気付けば俺はいつもの食事の倍の量を胃袋に納めている。焚き火を挟んで対面に座ったリコもまた、美少女らしからぬ口の周りをテカテカにした姿で満足そうに小骨をしゃぶっていた。ドラッヘはその身体の大きさに似合わず、前歯で小さく削ぎ取った肉を音も立てずに咀嚼している。俺達よりも、コイツの方がよっぽど上品に見えるな。
見上げた空は既に満天の星空に覆われ、三つの月の形はあの夜から半月以上が経過している事を物語っていた。
「美味かった。ごっそさん」
一通り腹を満たした後、服の上からでも分かる程に膨らんだ腹をさすりながらリコに頭を下げる。獲ってきたのはこの子だよ、と彼女はドラッヘを指し、俺は笑って巨大な猫にも礼を言った。猫はアオ、と短い返事をする。今更だが、コイツは人語を理解しているんじゃなかろうか。
「ごはんは凄い。辛い事や悲しい事を、ちょっとだけ楽にしてくれる」
「・・そう・・だな」
「誰かと一緒に食べると効果はなんと、1・5倍に!」
ケプ、とゲップ混じりにリコが微笑みながら言った。マジで奔放ね、キミ。
確かに、少し元気が出た気がする。食べる事でストレスを発散出来たのは、前世も含めて初めての経験だった。改めて、何気無い人の営みの重要さを思い知る。
「・・・で、お前は一体何者なんだ?」
「やっぱり、まずはそこからだよね」
お水、と差し出された革袋を受け取り、それに口を付けて喉を潤した。真水は貴重だから一口で済ませ、感謝の言葉と共に口の周りがテカったままである事を指摘しながら彼女に返す。リコは唇をペロリと舐めた後袖で乱雑に拭い、自身も革袋の中身を胃の中に流し込んだ。再三言うが、お前はもう少し恥じらいを持った方が良いぞ。
リコはふう、と息を吐いた後、俺の顔を正面から見て真剣な顔で言い放つ。
「あたしは・・」
「『転生者』の、娘さ」