#4
何をするでもなく剥き出しの地面に伏せながら、昼夜の感覚すら失う暗い地下牢での数日をただただ無為に過ごした。どこの隙間から侵入してきたのか、時折目の前を横切って行く鼠の様な小動物に話し掛けようとして逃げられては、孤独の中で枯れた涙のしょっぱさを幾度となく思い出す。そんな抜け殻の様な生活から俺を救い出してくれたのは、前日のいつもより少しだけ豪勢な食事と、鉄格子の目の前で立ち止まった兵士達の足音だった。
被せられた麻袋越しに、数日振りに感じた陽の光の眩しさに目を眩ませる。裸足で歩く地面の感触は固く冷たい。大勢の人間の怒号が耳朶を打ち、その中でさえ聞き取れる程の声量で初老の宗教家が説法を垂れていた。
「汚れた教えに耳を貸すな!『転生者』とは、邪教徒の尖兵に他ならない!!」
「『転生者』を殺せ!『転生者』を殺せ!」
「神をも恐れぬ冒涜的な魂は清廉なる炎に焼かれ、今日、諸君の目の前で一つの正義が為されるであろ う!!」
「『転生者』を殺せ!その女を殺せ!!」
ああ、成程。ここにきてようやく理解した。
これはこの世界に於ける『魔女狩り』だ。
『転生者』の持つ前世の記憶、異なる世界の知識や常識は、この世界の為政者や宗教家にとっては都合の悪いものだろう。支配の正当性や既存の概念を覆しかねない『転生者』の存在は危険視されて当然だ。
産業革命によって神秘主義から科学主義に傾いていった人々が多くの王国を革命によって滅亡させた歴史と、しかしその影で権力の前に倒れた名も無き者達が居たであろう事実。この世界の科学技術が前世の中世と同じレベルであるのなら、人々の意識もまた然り。ある意味未来からやって来たに等しい俺は、『転生者』の持つアドバンテージを最も厄介な箇所で発揮出来なかったという訳だ。
「・・はしゃぎ過ぎたって事かよ・・、クソ・・っ」
屈強な兵士に引き摺られ、死刑台の上に立つ。麻袋を取り払われて視界が開かれると、想像以上に大勢の人間が広場に詰め寄せていた事に驚愕した。
「先日この娘から野菜を買った者は後で教会に来るように!悪しき食べ物によって汚された、その身体を 浄化させる聖水を分け与えよう!」
脇で派手な衣装に身を包んだ宗教家が叫ぶ。その鮮やかな青色のローブを仕立てる為のお布施は、はて、どこから出ているんだろうな。訊かずとも分かるが。
見渡せば確かに、野菜を買っていった覚えのある数人の顔が見て取れた。あの時は皆穏やかな表情をしていたと言うのに、今や親の仇の様な眼差しを向けてくる。一見誰もがごく普通の市井の人々なのに、そんな彼等が狂った様に殺せと叫ぶ光景は、人間の闇の部分をむざむざと見せつけられている様でいてゾッとさせられた。恐らく良い様に扇動されているとは言え、こんなにも簡単に変われるものなのか。俺はそんな民衆に対して、あの夜の兵士達にも勝る恐怖を覚える。
村の皆が俺を受け入れてくれたのとは対照的に、恐らく『転生者』を危険視する宗教は都会の人々の間に浸透しているのだろう。農村部と都市部の間にある格差や認識のズレが、俺に自分を取り巻く状況を気付かせなかったという事か。
「殺せ!殺せ!『転生者』を、殺せ!」
柱に括りつけられ、油の撒かれた足元の薪に執行人の掲げる松明の火が近付く。まるでジャンヌ・ダルクの最期だな。手元に十字架は無いが。
ああ、畜生。もしもう一度転生出来るのであれば、今度はもっと平和な世界か、あるいは皆を守れる強さを持った、そんな人間に生まれたい。
その前に、〝向こう側〟で皆に謝らなくちゃあな。俺が『転生者』で、そして調子に乗ったばっかりに死なせてしまった様なものだ。全ての責任は俺にある。
そう思いながら、忌々しいくらいに晴れ渡った緑色の空を見上げる。普段であれば、今頃はそう、緑空教室の時間だった。