#3
水面から勢いよく飛び出し、豊満な胸を左右に振りながら叫ぶ。
「ダッダーン!」
「きゃははは、なんだか分からないけど面白―いっ!」
夜の帳が落ちた村外れの小川。微かに灯した松明の下、うら若い村の少女達が水浴びを楽しんでいた。誰と結ばれた訳でもない生娘達が堂々と肌を晒せるのは、辺りが暗くなったこの時間帯だけだ。川の水は少々冷たがったが、少女達は裸になった開放感と身体の汚れが落ちていく爽快感に、より一層の元気な声を張り上げていた。
中身はオッサンでも十六歳の女の子である俺は、こんなパラダイスの輪の中にも合法的に入っていける。白状します。最高っス。
「ルカはいいな、おっぱい大きくて」
「気にするな、小さいのが好きな男もいる」
そうなの?と、小動物の様な村娘の一人が俺の顔を見上げる。俺ことルサールカは、胸だけでなく身長もそれなりに大きい。歳下は勿論の事、同年代の少女達までもがそんな俺の事を姉の様に慕ってくれていた。相談事を持ち掛けられる事も多く、そりゃあ俺ほど男心を理解している女もいない。ここでも俺は集団の中心に居座る事が出来ていた。あまりにも恵まれ過ぎていて、時々怖くなる程だ。
「好きなヤツでも出来たのかい?可愛いなぁ、コイツめーっ!」
「きゃはは、やめてよ、ルカぁ~っ」
少女に抱きついてくすぐってやる。傍から見ればなんとも百合百合しい光景だが、すいません、俺三十過ぎの変態オジサンです。真似したら即プリズンだからな。理性ある紳士諸君は転生するまで我慢するように。
「ねぇ、ちょっと静かに!」
少女達とのキャッキャウフフを満喫していると、一足先に川から出て髪を整えていた一人が声を上げた。その場の全員が振り返り、彼女が人差し指を唇に当てる仕草を見て黙り込む。この世界でも同じジェスチャーなんだよなぁ、と妙なところで感心していると、夜風に乗って微かな声が聞こえてきた。村の中央広場の方向からだ。
先程まで辺りを埋め尽くしていた少女達の黄色い声とは明らかに違う。
それは、大勢の人間の悲鳴だった。
急いで服を着て、少女達を引き連れながら村へと戻る。中央広場、子供達がはしゃぐ緑空教室の舞台であった共用井戸の横には、大勢の兵士達が詰め寄せていた。
ソイツ等は広場に集められた住人達に向かって刃をかざしていた。若い男の何人かは縛り上げられ、その顔には抵抗の証としての痣がある。幸い死人は出ていない様だったが、尋常な状況ではない事が嫌が応にも理解出来た。
少女達を庇う様にして先頭に立ち兵士達を見据える。振り返った一人がこちらへと歩み寄り、その鎧は他の兵士に比べて幾分か造りが豪華に見えた。何より異質だったのは、ソイツだけが仮面で顔を隠していた事だった。特別な装備を与えられている事から察するに、恐らく指揮官なのだろう。至近距離まで近付いてきたソイツの仮面の下の双眸と真っ向から目を合わせると、城下の市場で見たあの鋭い視線を思い出した。ああ、そうか。あの時の紳士。恐らく別人だろうが、同じ目をしている。
「・・『転生者』。貴様か?」
「なに?」
「ルサールカ!!」
槍の切っ先を向けられた、この世界での親父殿が叫んだ。彼は黙れ、と兵士に殴られ尻餅をつく。母親が寄り添い、同様に駆け寄ろうとした俺の喉元に指揮官の剣が突き付けられた。おいおい、抜刀の瞬間がまるで見えなかったぞ。部隊を率いるからにはそれなりって事かよ。
「村人に教育を施していたのは、貴様だな?」
仮面の指揮官はドスの効いた低い声で、先程とは少し違う質問を投げ掛けてきた。
さて。答えていいものかどうかは分からないが、黙秘したところであまり良い未来は想像出来ないな。現状、村人達を人質に取られている様なものだ。最悪自分だけで済むのなら良いが、俺の返答次第では二、三人殺されても不思議じゃない。兵士達からはそんな不穏な空気が発せられ、周囲を強烈に包み込んでいた。
俺は指揮官の顔を睨みつけたまま、ゆっくりと顎を引く。
「・・これが何かを答えろ」
指揮官は懐から一枚の羊皮紙を取り出し、そこには数点の簡単なイラストが描かれていた。正直言って、非常に〝味のある〟絵ではあったが、辛うじて何が描かれているのかは理解出来る。
これは・・前世の世界地図?五大陸の形が大まかにだが描かれている。その下にあるのはナスカの地上絵のハチドリだ。更に有名な構図の聖母子像と続いて、最後のは大戦中の戦闘機だろうか?
世界地図、世界遺産、宗教画に、飛行機。いずれも、この世界の人々が知り得もしない物ばかりだ。これを知っている、これを描ける人物ということは・・。
「・・『転生者』?」
俺と同じ世界からやって来た、前世の記憶を持った何者かが俺以外にもここに居る。あるいはかつて居たのか。ともあれ、どうやら俺という存在はこの世界に於けるオンリーワンではなかったという事らしい。
「分かるんだな?」
驚きで目を丸くした俺の表情は、知り得る者にしか出来ないリアクションだ。その顔は何よりも指揮官の問いに対して雄弁にそれを肯定し、彼は仮面の下の双眸を満足そうに細めた。
「連行しろ」
羊皮紙を懐に仕舞った指揮官は顎で部下に命令し、俺は屈強な二人の兵士にガッチリと両脇を固められ一台の馬車へと引き摺られていく。抵抗しようとしたが、俺の細腕は兵士の腕を振りほどくどころか微動だにもしなかった。ただの力任せの束縛ではなく、人間の身体の構造を熟知したプロフェッショナルな拘束だ。どんな世界でも兵士は兵士って事かよ、畜生め。
恐怖で立ち竦んだままの少女達が次々と俺の名を呼ぶが、俺は彼女達に向かって大丈夫だと微笑むのが精一杯だった。
槍を構えた兵士達に囲まれた村人達も、俺の事を呼び始めた。その声は段々と熱気を帯びていき、涙で震える声色は縋る様にして鼓膜にまとわり付く。
ああ、畜生。改めて実感させられる。こんなにも愛されていたのか。
俺は前世の記憶という、少しばかりのズルをしていい気になっていただけだと言うのに。ともすれば、発展途上なこの世界の住人を見下していただけなのかもしれないのに。それでも尚、あなた達は俺の為に声を張り上げてくれるのか。泣かせるじゃないかよ、クソ。
これから何が起こるのか、これから何をされるのか。正直言って怖くて堪らなかったが、俺の身柄ひとつで彼等が無事でいられるのならば、喜んで人柱になってやろうと思った。俺を暖かく迎えてくれた、俺を慕ってくれたこんなにも優しい人達が傷付く姿を見たくはない。
大仰な手枷をはめられ、更には首に麻縄まで回された。たかが小娘一人に入念な事だ。こちとら非力な女性の身体、前世に於いても格闘技の心得なんて無いっていうのに。
それ程までに、コイツ等は『転生者』という存在を恐れているという事だろうか。
「・・教えてくれ、どうしてこんな・・」
「勇敢だな。お前も、彼等も」
馬車の前、仮面の指揮官の横顔に訪ねようとすると、彼は未だ兵士達に囲まれて怯える村人達を見据えたままそれを遮った。静かに、そして高く右腕を掲げる。
「故に、哀れだ」
腕を振り下ろした。それが何の合図だったのかを、俺は一瞬遅れて理解する。
「やめろおおおおっっ!!」
槍の切っ先が村人達を貫く。放たれた火矢が家々の屋根に突き刺さり、村はあっと言う間に紅蓮の炎に包まれた。輪の外に居た少女達は、つい先程まで水浴びを楽しんでいた小川の方向へ踵を返して逃げ出すが、剣を掲げた騎馬兵がそれを追いかけていく。暗闇の森の中からは、馬のいななきと悲痛な断末魔が聞こえてくるだけだった。
「目的は俺だろ?!皆は・・っ!!」
体当たりを食らわせる勢いで指揮官に詰め寄るが、首に掛けられた麻縄を兵士に引っ張られて俺は派手に草の上に転がる。咳き込む俺の口に猿ぐつわが巻かれ、仮面の指揮官はそんな俺の姿をただただ冷たい眼差しで見下ろすだけだった。
この世界での父母が胸部を槍で刺し貫かれた。
優しい人達だった。妙にマセた娘を真っ直ぐに愛し、むしろその特別性を助長する様に育ててくれた。時には敢えて子供扱いせず、立派な一人の人格として接してくれていた。その振る舞いにはこちらが学ばせて貰った事も多い。二人のリベラルな物の捉え方とバランスの取れた教育姿勢は、前世の世界であっても遜色の無い素晴らしいものであったと思える。胸を張って言おう。最高の両親だった。
教え子達が吹き飛ばされた。兵士達は子供が相手でも容赦はしない。
誰もが俺を慕ってくれていた。屈託の無い顔で、希望に満ちた眼差しで見上げられるといつだって元気になれた。やんちゃ坊主も、お喋り好きも、恥ずかしがり屋も。目を輝かせながら授業を受けていた彼等の眩い笑顔は、例外無く涙と血によって染められていく。待ち受けていたであろう明るい未来は、たった一振りの刃によって無慈悲に閉ざされていった。
友人達が次々と朱色の淵に沈んでいく。反撃に転じる暇すら与えられずに。
男も女も、歳上も歳下も皆が暖かかった。生意気な小娘を面白がり、頼りながらも囃したて、そして自然と輪の中に迎え入れてくれていた。彼等の常識の範疇ではこれ程イレギュラーな存在も無かったであろうに、同郷の誼というだけでは言い表せない程の厚意を俺は与えられていた。改めて感謝を述べる機会は、永久に訪れる事はない。
「~~~~っ、~~~~~~っっ!!」
凄惨な光景が繰り広げられていた。火矢を胸に受けて炎上する男が土の上を転がり、母親の亡骸に寄り添う子供が馬に蹴られて潰される。抱き合った老夫婦が同時に首を撥ねられ、妊婦が大きなお腹を刺し貫かれていた。愛した村の風景が壊されていく。愛してくれた人々が無残な最期を遂げていく。お願いだ、やめてくれ。どうして彼等が殺されなければならないんだ。
「~~~~~っ、~~っ、~~~~~~~~っっ!!」
声帯がはち切れんばかりの叫びを塞がれた口内で発した。怒りと憎しみと、悲しみと寂しさで涙が溢れて止まらない。身体を押さえ付ける兵士の手を振りほどこうと藻掻くが、それはあまりにも虚しい抵抗だった。
仮面の指揮官は微動だにせず、兵士達は淡々とその凶刃を振りかざす。炎に照らされた影は徐々にその数を減らしていき、赤い色の草木の隙間に点在していた剥き出しの土の地面もまた、同じ色に染まっていった。
髪を掴まれて無理矢理起き上がらせられ、幌の無い馬車の荷台の上に放り投げられる。滲んだ視界で仰ぎ見た夜空には星々と三つの月が煌々と輝き、だが巻き上がる黒煙がそれを遮り飲み込んでいった。
ほどなくして、馬車が出発する。同乗した兵士達は片時も腰の剣の柄から手を離さず、俺はそんな警戒の視線を浴びながら、それでも嗚咽を止める事が出来ない。遠ざかっていく喧騒と炎の光。平穏だった二度目の人生、その日常はこうして唐突に終わりを迎えたのだ。
ああ、畜生。思い知らされたよ。
世界が変わっても、変わらない部分もあるって事を。
世界っていうのは往々にして、理不尽で無慈悲だという事を。
そしてあまりにも簡単に、人は死ぬっていう事もな。