#2
村の中央広場、共用井戸の隣で開催していた青空教室ならぬ緑空教室での授業を終え、俺は腰に手を当てながら伸びをする。教師はこの俺、不肖ルサールカ嬢が務め、当初対象は村の子供達だったのだが、時折大人達も家業の合間に顔を覗かせていた。
黒板も机も、ノートも鉛筆も無い。小枝で地面に文字を書き、後は口頭で知識を分け与える。輪になって瞳を輝かせる子供達の姿はとても可愛らしく、そしてこちらが驚く程の成長を見せる姿はとても頼もしい。大人達もそんな子供達に負けまいと励み、気が付けば村人達の識字率を始めとした知的水準は飛躍的に向上していった。
教師が天職だったとは自分でも意外だった。俺は今教育者としての毎日を満喫している。
「また明日な、先生っ!」
生意気盛りの少年が、挨拶ついでに俺の胸を触って駆けていった。
「気を付けて帰れよー。あと俺と母ちゃん以外のおっぱいは触るな エロガキ」
気持ちは痛い程分かる。我ながらたわわに実った胸部は目の毒以外の何物でもないからな。普通の十六歳の少女だったら顔を真っ赤にして恥ずかしがるところだろうが、理解のある俺は子供の悪戯程度では動じない。大人の男に触られるのは心底勘弁願いたいが。
「先生さん、ちょいと・・」
子供達が散っていった後、そんな成人男性の一団が声を掛けてくる。
「スリーサイズなら、上から八十八・・」
「聞いてねぇんだが・・」
おっと。頭の中がおっぱいで一杯になっていた。サバサバしたキャラクターと云うのも、度を越すとただの痴女だな。あけっぴろげであったとて、恥じらいの完全な欠如はワビサビが無い。エロスのバランスとは絶妙なのだ。
それでどうした兄ちゃん達よ。
「これから畑で採れた物を城下にまで売りに行くんだ。先生さんが 一緒に来てくれれば心強い」
成程。都会の客は駆け引きが上手い。多少の知恵がついたとて、朴訥な田舎の商売人ではいいように搾り取られてしまうのがオチだ。丹精込めて作った物を、口先一つで端金に替えられてしまうのは健全な商取引の姿だとは言い難い。いいよ、力になろう。どうせなら、客寄せパンダの役割も担ってやろうじゃないの。
「さすが先生さんだ。頼りになるぜ」
満面の笑みを浮かべた彼等の後に続き、馬車の荷台に飛び乗った。ちなみに、この世界の馬は長い体毛によって全身を覆われている。ここが比較的寒冷な地方だからなのだろうか、他にも長毛の動物は多かった。
正直言って、俺のよく知る馬程は可愛くはないな。アルパカよろしく唾吹きかけてくるし。
城下まで出掛けるのは初めてではない。農村で賄える生活必需品にも限界があるからだ。しかし、売り子として出向くのは初体験となる。うん、ワクワクしてきた。
「よっしゃ、出発っ!」
テンション任せに発した俺の号令に、おおっ、と男達は拳を振り上げた。いやぁ、この村の人達は皆ノリが良くて助かるね、ホント。
かぼちゃに似た野菜を枕代わりに寝転び、同行する若い男衆との他愛の無い会話に花を咲かせながらのどかな田舎道を征く。緑色の空を白い雲がゆったりと流れ、世界は違えど小鳥のさえずりは同様に心地良く耳をくすぐった。
体感時間で、村を出発してからおおよそ二時間程度。畑と疎らに点在する数件の民家しか無かった風景の中に、突然石造りの壁と大きな門が現れる。兵士達が常駐するそれは、言わば関所の様な物だ。
西洋と東洋の物をミックスした様な、且つ呪術的な文様が象られた甲冑を着た兵士達。腰に剣を履き、槍を携えたその立ち姿はとても雄々しくカッコイイ。武器や防具、それを使いこなす屈強な男達の姿に憧れを抱くのは、男の子の性だ。変な意味ではなく興奮する。
「お世話になってます」
村の男は懐から取り出した一枚の羊皮紙の書類、通行手形を門番に見せ、ついでに少しの野菜と賄賂を彼等に手渡した。
「おう、励めよ」
門番の兵士は悪びれる事もなくそれを受け取り、少々威圧的とも取れる笑顔を向けた。前世の常識に照らし合わせれば搾取とも取れる光景だ。しかしこれこそが彼等にとっての普通であり、円滑な関係を保つ為の必要な措置だと俺は納得した。つまり、大人しく従っている方が失う物が少なくて済むという事だ。
大仰な城門をくぐる。堅牢な石造りの門は威圧的で、有事の際はそれ自体が強固な砦として機能する事を物語っていた。ここから先が城下、通称『内側』だ。
『オットーヘイデン』。これがこの地方の名前であり、その中心都市であるこの街の名前であり、更にその中央にそびえ立ち領主が住まう城の名前だった。
外周を高い壁でぐるりと囲んだオットーヘイデンは所謂城塞都市であり、道は石畳で整備され、屋根は青色、壁は白色で統一された家々のコントラストが美しかった。人口も多く、ブルジョアジーを感じさせる垢抜けた人々が通りを行き来している。街は活気に満ち溢れていた。
彼等の衣装は俺達と同様エキゾチックな幾何学模様によって彩られていたが、しかし田舎者とは違ってほつれた箇所も無く、仕立ては上等で生地自体がキラキラと光沢を放っていた。中にはツタンカーメンみたいな奴まで居て、二度見した後ちょっと笑った。
俺達は早速市場へと赴き、往来する人々に次々と声を掛ける。女性は褒め、男性には精が付くと言い、スケベそうなオヤジには色仕掛けもしてやった。時に精算度外視で値段を下げ、時に上乗せして高級感を煽る。そして根負けした客を尻目に商売の成功を皆と喜び合った。
もしかして俺、商売の才能もあるんだろうか。いやだねぇ、恵まれ過ぎて困っちゃうわ。
気付けば日が傾くよりも早く、用意していた商品のほとんどが捌けてしまっていた。
石畳が整備された城下町の広場は、夕焼けで茜色に染まっていた。空の色は緑色でも、日の出と日没時の空は前世の世界と同じく黄金と紫に輝いている。外を歩く人々の数も疎らとなって、俺達は村へと帰る準備に取り掛かっていた。
「もう、終わってしまったかな?」
ふと、夕日を背に佇む一人の紳士に声を掛けられる。顔も衣装も特徴の無い、どうにも印象に残りにくい御仁だ。
「いらっしゃい、余り物で良ければ見ていってよ」
紳士は屈み込んで、幾つかの野菜を手に取り物色する。
「・・見事な物だ。君達はどこから?」
「東の方っス。名前も無い小さな村スけど」
どうも、と微笑む。俺は農業に関してはまったくの素人だった為、そういった分野に口を出した覚えは無い。俺が教えた知識をベースにより良い商品を作ろうと工夫したのは、紛う事無き村人達だった。今日のこの繁盛振りは、彼等の努力の賜物だ。
「東の・・。そうか、最近めっきり賢くなったと評判の」
「・・そうなんスか?」
「ああ、噂は聞いているよ。なんでも、一人の人物が村人に教えを 説いているとか」
「・・はぁ」
「それが若い娘さん、だという事もね」
言いながら紳士は野菜を手に取り、数枚の銅貨を差し出す。それを受け取ろうとしたその瞬間、何故だか急に寒気がした。反射的に手元から顔を上げると紳士と目が合う。彼の瞳は、何の感情を纏う事無くじっと俺を見据えていた。
それはほんの一瞬の出来事だったろう。だが蛇に睨まれた蛙よろしく、俺はその視線に身体を強ばらせ身動きが取れなくなってしまっていた。銅貨が手のひらから滑り落ち、石畳に落下した小さな金属音によって俺は正気を取り戻す。見上げれば紳士はにっこりと目尻に皺を刻み、そして夕暮れの広場から姿を消していった。
「さぁ、そろそろ帰ろうぜ。先生さん」
「お・・おお」
男衆の一人に声を掛けられ、ぎこちなく返事をする。既に見えなくなった紳士の背中を仰ぎ見るが、視線の先にあるのは雑踏ばかりだ。妙なもので、既に彼の顔を思い出せない。
一体、何だってんだ・・。
狐に化かされた様な感覚を後に、俺は家路に就くべく馬車へと飛び乗った。