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街灯の下  作者: かさのきず
街灯の下ver.1.20
10/13

シーン10

 気が抜けた反動か、深く長いため息が口から漏れた。

 大学受験当日。試験が終わった直後の大学の教室は、同じ教室ではあるものの雰囲気だとか、そういう様子が全然違うせいか、ひどく違和感を覚える。

 そんな教室の中で、回収されていく答案用紙をぼうっと眺めながら、僕はもう一度ため息を吐いた。

 今度は安堵のため息ではなく、これから考えなければいけないことについてのため息だ。

 別に試験の結果が悪かったわけではない。

 あの車に轢かれそうになった夜から一日だけの検査入院はあったけど、元々余裕があったのだ。それくらいのロス時間は屁でもない。

 実際手ごたえはあったし、今日は全力を出し切れた達成感まである。これで落ちたら、それはそれで諦めきれる。

 僕の悩んでいることはそれではない。

 有希の悩んでいたことについて聞いたあの夜から、僕は有希と会うことができずにいた。

 検査入院のときも見舞いに来てくれなかったし、退院したときも家族の姿はありはしたが有希の姿はなかった。

 それ以降は心配した家族から外出を禁止されて、今日だって父親の運転する車での送迎だ。

 そこまで心配しなくても……と思わなくはないが、その原因を作ったのが他ならぬ自分であるからして、あまり強く言えない。

 文化祭で一度は入ったことのある大学だが、慣れない場所であることには違いないので、人の流れや要所に貼られた貼り紙などを見つつ校門へ向かいながら、試験中に切っておいた携帯の電源を入れていると、帰りも送ってくれると言っていた父親からメールが来ていた。

『悪い。用事ができた。電車で帰れ。』

 簡潔な文章はメールが苦手な父親らしいが、僕は思わず呆れてしまった。

 あれだけ心配していたのに、これはいったいどういうことだ。試験が終わったらもう心配する必要はないのだろうか……。

 思わず家族の誰かが倒れでもしたんじゃないかと心配したが、父ならそういう時はちゃんとこちらにも教えるはずだから、その心配は無意味だろう。

 そんなことを考えながら校門まで来ると、私服姿の知った顔の女子が一人、キョロキョロと顔を動かしながら立っていた。

「有希?」

 僕が思わず疑問の声を上げると、有希もこちらに気づいたのだろう。少し困ったような様子を見せながらも小さく手を振ってきた。

「来てたのか?」

 有希が頷く。

 僕のためにわざわざこんなところまで来てくれたと思うと、ついつい嬉しくなってしまう。

「ごめんなさい。受験前だっていうのに、私の所為で怪我させて……。

 それに、両親に外出禁止にさせられてお見舞いにも行けなくて」

「あー」

 有希の所為で怪我をしたかどうかはともかく、お見舞いについては僕と同じような感じだったのか。と一人で納得する。

「それは仕方ないな。怪我は気にすんなよ、俺はこうして元気なんだし」

 僕はそう言って手を差し出す。

「行こうぜ」

「うん」

 ずっとそれだけ言いたかったのだろう。

 有希は憑き物が落ちたかのように安心した顔で、僕の手を取った。



 滅多に人も車も通らない。それ以外に特筆することのない道路に、等間隔に設置された街灯。

 そのうちの一つの、僕と君の思い出の場所。

 駅からの帰り道には、その場所も含まれている。

 空は既に夕方の赤さがなくなっていて、夜のどこか吸い込まれそうな暗闇が広がっていた。

 僕と有希は、そんな暗闇の中で街灯の光が照らす小さな世界へと入り込んでいく。

「まだお姉ちゃんを探すの?」

 僕がそこで立ち止まると、有希は不安そうな声で言った。

 それに対して、僕は首を横に振る。

「実は、もう見つけたんだ」

 僕がここで気絶した瞬間に見た、有希によく似たもう一つの顔。有香が、僕の目の前に浮いていた。

 生前の姿。彼女が車に轢かれる寸前の服装のままで有香はそこにいる。その顔は僕らを見て幸せそうで、有希の言っていた彼女を嫉妬させる作戦は完全に失敗していたらしい。

「有香」

 そんな彼女に僕は声をかけた。

 不安なのか、僕の手を握る有希の手に力がこもる。

 その感触に僕はやっぱり嬉しさを感じて、その手が離れないように、手を通じて安心させるように、有希の手をしっかりと抱きしめるように優しく握りしめた。

「悪い。他に好きな人ができたから有香とはもう付き合えない。別れてほしい……」

 あの夜以来ずっと言おうと思っていた言葉。

 我ながらかっこ悪いとは思う。でも、そう言わなければ、有香との関係を終わらせなければ、有希と新しい関係を結ぶことがひどく不誠実なことになってしまう。

 僕はそれが嫌だった。

 だから、生まれてきて初めて人を振った。

 最悪の気分だ。でも、そうするしかない。

 しかし、顔を上げた僕の目に映ったのは、あの日、僕のことを好きだと言ってくれた時と同じ、有香の笑顔だった。

 許されたのだ。そう思う。

 ふとそこで、有香が有希のほうに向いたので、釣られて僕が視線を有希のほうへ移すと、彼女は有香を見て目を丸くしていた。

「見えるのか?」

「こ、これってお姉ちゃんだよね?」

 震える声で有希は言う。かなり驚いているらしい。

「間違いなく有香だよ」

「そっか……」

 僕が安心させるように言うと、有希は改めて有香と見つめあった。

 有香は何かを話しているようで、口が動いているのが見えるが、僕にはその声は聞こえなかった。

 しかし、有希にはちゃんと聞こえているみたいだ。時々頷いている。

 やがて伝えるべきことは終わったのか、有香はゆっくりと有希から離れていった。

「もう、行くのか?」

 僕は慌てて言った。

 その言葉に、有香は答えず、代わりに有希が握っていた僕の手から自分の手を抜いて言う。

「私、しばらく目を瞑っているから」

 何のことか聞こうとする前に、遠ざかっていたはずの有香の顔がすぐ近くに現れる。

「有香?」

 急な有香の行動に、目を瞑ることもできずに、僕と有香の唇は重なり合った。

 触れている感触はない。けれども僕らはたしかにキスをしていた。

 薄らの向こう側が透けているようにも見える有希の顔。

「これが最後だから」

 そんな声が、有香から聞こえた気がした。

 だから、有希が目を瞑っているって言ったのか。と僕は納得して、感じられない感触をもっと感じていたくて目を閉じる。

 その時たしかに、何の変哲もない街灯の下。その街灯の光が照らす世界の中で、僕らは二人だけだった。

 どれくらいの時間が経ったのだろう。

 目を開けた時には、有香の姿はもうどこにもなかった。

 気まずそうに、けれども宣言通りに目を瞑ったままの有希の姿が目に入る。

 有希には悪いけど、もう少しだけ目を瞑っていてもらおう。

 頬を伝わる暖かい雫が止まるまでは。

次の更新は明日。

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