シーン1
街灯の下ver.1.20です。
発表原稿とは言い回し等がちょっと違います。ご了承ください。
歩く人はおろか、車さえも滅多には通らない、それ以外に特筆することのない道路。
繋がっている道路をたどって行けば、きっとどこへでも行けるそんな道に、等間隔に設置された街灯。
そのうちの一つが、僕と僕の彼女の思い出の場所だ。
日はすっかりと落ちてしまって、街灯の下以外では足元さえ見えない中、僕は懐中電灯ひとつだけ持って、その場所へと来ていた。
周りを見渡す。
暗くてよく見えはしないが、少なくともその街灯の下に、有希はまだ来ていないようだ。
街灯の下に無造作と言っていいように置かれた花も、昨日と同じまま。
そこで僕は懐中電灯の電気を消して、街灯の明かりの中から彼女を探し始める。
やっぱり暗くてよく見えない視界の中に、探している彼女の姿はなかった。
「有香、いないのか?」
名前を呼ぶが、返事は来ない。
そのことに肩を落として、いつもの定位置であるちょうど座れるくらいの高さの塀に腰を下ろすと、鞄の中から文庫本を一冊取り出して読み始める。
数か月前から続くその習慣だけど、同じようにいつも隣で文庫本を広げていた彼女は、今はいない。
いや、君は僕が見えていないだけで、まだ隣にいてくれるんじゃないかって。
そんな都合のいい、僕にとってだけ嬉しい想像は心地いいけど、同時に空しくも思う。
期待するだけ無駄なその妄想を、僕は半分以上本気にして、あの頃と同じようにこの街灯の下で本を読んでいる。
僕はまだ理解できていないのだ。僕の彼女が、本当の意味でいなくなってしまったということを。
自虐的な思考の中、一ページ、二ページと紙をめくる小さな音だけが、暗闇の中で響いていく。
僕の好きな音が辺りに広がっていた。時折、遠くから聞こえる車の音ですら愛おしくも思う。
そんな静かな空間の中で、ふと異音が混じった。
誰かの、たぶん有希のであろう歩く音だ。
ちょうど良いシーンだったので、そのまま気にせずに本を読み続け、ふと顔を上げた時には彼女は僕のすぐ近くまで来ていた。
有希。僕の彼女であった、死んでしまった新田有香の妹は、僕を一度睨めつけた後で言う。
「今日もちゃんと来たわね」
ぶっきらぼうなその確認に、返事する気も、する必要もなく、ただ僕は鞄から水筒を出して彼女に渡した。
魔法瓶になっているその水筒の中には、僕の趣味の一つである豆から挽いて、ペーパードリップでじっくりと淹れたコーヒー。
有香が好きだったブレンドのものだ。
まだ三月のはじめの今、暦的には春に入ってきているとはいえ、まだまだ肌寒さは消えていない。そんな中で、せめておなかの中だけは暖かくしてあげようという心遣いだ。
しかし、蓋に注いだコーヒーを一口飲んだ有希は、顔をしかめて言う。
「苦いの嫌い……」
「お前が有香と同じものを飲みたいって言ったんだろう」
まあ、そう言うと思っていたから、僕は苦笑しながらも鞄の中からスティックシュガーとミルクポーションの袋を彼女に渡してやる。
「水筒の中に入れていいよね」
「俺も飲むんだからやめてくれ」
有希は舌打ちをしながらも、改めて蓋に注いだコーヒーにスティックシュガーを注いだ。
「これなら飲める。ありがとう」
それだけ聞いて、僕はまた本を読むことに戻った。
「ねえ、出た?」
そんな僕の様子に構うことはなく、有希は聞いてくる。
聞きたい気持ちはわかるので、僕は本から顔を上げずに言う。
「まだだ」
「そう……」
行儀の悪いことに、ずずずっと彼女がコーヒーをすする音が辺りに響く。
なんとなく、いつもは聞かないことを聞いてみた。
「美味いか?」
「まずい……」
そう僕に言いながらも、有希はコーヒーを飲むことをやめなかった。
そして、地面に置いてあった花束を回収して、新しいものと交換する。
「ねえ」
彼女が話しかけてくる。
珍しいことだ。
こうして一緒に有香の幽霊が現れるのを待つようになって一週間経ったくらいではあるが、いつも必要最低限以外は喋らず、僕は本を読んで彼女は携帯か何かをいじっているだけだったのに。
「なんだよ」
困惑しながら本から顔を上げたが、有希はこちらと目を合わせず、どこか斜め上の虚空を見つめている。
僕には何もないように見えるその場所。
まさかと思い、慌てて有希に聞く。
「有香がいるのか!」
期待と、そして少しの不安。そして大きな落胆を覚えた。
有希にしか見えていないのだろうか、と。
「……ごめん、そうじゃない」
しかし、有希のその一言に、高ぶっていた感情は息をひそめた。
僕は大きく肩を落として、紛らわしいことをしてくれた有希に、ついつい抗議の視線を送ってしまう。
「ごめん……」
有希は素直に謝った。
たぶんそれは、有希にもわかっているからだ。
有香が幽霊として僕の前に再び姿を現す。それを僕がどれだけ待ち望んで、でも叶わないかもしれないと諦めて、それでも諦めきれないこの感情を。
幽霊なんていない……そう知りながらも、もしかしたら、万が一。そんな言葉に惑わされて心の奥底ではそうであってほしいと願い続けている。
有希も同じだろうから。
そう、僕らは同じだ。
だからこそ、有希の一言に僕は自分の耳を疑わざるを得なかった。
彼女は言ったのだ。
「ねえ、私たち付き合わない?」と。