5,セイラの日常
全開からまたえらく期間がとんでしまいましたが。
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時刻は、午前七時前くらいだろうか。
「…………」
布団から起き上がる。
……まだ、少し眠気が残っている。
だが、眠気に甘えて二度寝に堕ちることはできまい。
なおも睡眠を欲する脳と身体に鞭を入れて、セイラは布団を出た。八月末の肌寒さがセイラの細い肢体を突くが、いい眠気覚ましだと考え直して布団を畳む。
リュウトが病院から退院してから、約一カ月ほどが経つだろうか。
見舞いの帰り道、わけもわからず、誰ともわからない何者かに襲われた日からも、おおよそ一カ月である。
その間、何か変わったことがあるわけでもなく、日常に変化があったわけもない。他と何も変わらない、他愛もない一日が、ずっと続いている。
退屈であると嘆くべきなのか、何も起きていないことに安堵するべきなのか。それは、セイラの感性次第であろう。セイラとしては、どっちとも言えないわけであるが。
さて、何をしよう……?
改めて時計を見ると、七時を少し過ぎたあたりだ。
いつもであれば、まだ寝ている時間帯。
そしておそらくは、リュウトがちょうど起床する頃でもあるはずだ。
だがどうも、家の中はしんとしている。もともとリュウトは無口な方だが、歩き回る音とか、朝食を作っているような音も聞こえない。珍しく、本日はまだ眠っているようだった。
ならば、自分のするべきことは……。
「…………さむ」
身震い一つして、セイラはキッチンへと向かった。
セイラの現在の住処は、未だリュウト宅である。
居候状態が続いているわけなのだが、存外、セイラにとってここは居心地がよかった。
なんとなく、ノスタルジックな気分になるというか、昔に戻ったような気分になるというか……。
「……」
――昔。
そう、昔だ。
もはや、どこにもない、今はセイラの記憶だけにある。
どう頑張ろうが、どう足掻こうが、自分がセイラ・カミネである以上、もうあの頃には戻ることはできない。それは、時間的な問題以前に……。
瞼を閉じれば、今でも思い出すことができる。
過ごした時間の長さが、セイラの記憶に焼きついているのだ。
ベランダから見下ろす、騒々しい景色が。
街中を走りまわっている、車の列も。
歩道を練り歩く、人の群れも。
あの街で見てきた光景が、こうして今でも思い出すことができる。
「…………」
でも、同時に覚えていること――平和なんてものは、永劫に続いていったりなんてしないこと。
世界は、静かに滅びへと向かう。それはもう、静かに、ゆっくりと、人一人の一生では、その変化を認識することなんてできまい。
でもセイラは……。
セイラたちは、違った。
セイラは、人類の滅亡とも言える、その時代を知っている。
長い戦争だった。
原因が何だったのか、セイラは知らない。覚えていない。
でも、三回目に起こった世界戦争で、人々が生きていた世界は、人類の文明は死んだ。生き残った人類には、残っていたものを使うことも、新しく何かを造ることもできず……。
世界はそうやって、廃れていったのだ。
セイラたちは、その流れを見ていた。
百年も続いた世界大戦の末に、結局何も残すこともなく、何も生み出すこともなく、人類が滅びの道を歩むのを。
ああ、なんて、ありきたりなんだろうか。
そんなこと、小さな子供だって知ってるのに。
……それでも。
世界が滅んでも、人が、滅びきれなかったのは、なんというしぶとさか。
かく言う自分もそうだ。
すべてが満ちていた世界から一転、文明退行と形容していい変化を遂げた世界の中でも、長く生きた。
どうして、そんなに生きたのか。
どうして、そこまで生きようと思ったのか。
……やはり、彼がいたから、だろう……。
彼と共に、生きたいと思った。
彼をずっと、見ていたいと思った。
だから、気が狂うほどに長い年月を、生きていられたのだ。独りだったら、きっともっと早くに自分で自分を殺していただろう。そうならなかったのは、彼がいたから。
けれど、最近は彼を想うと、決まってある少年のことも考えてしまう。――リュウトだ。
彼に、とてもよく似ている。
でも、違う。彼とリュウトは、絶対に違う。
さすがのリュウトでも、あんな人でなしと比べるのは失礼というものだろう。
こればっかりは、あんなモノを好きになってしまった自分が悪い。
彼は、セイラが知る限りにおいては、最低の人間だった。
他人に対する思いやりに欠け、卑劣で外道な行いにも眉一つ動かさず手を染める、そんな奴だった。
本当に、冷静になれば、どうしてあんな人間に好意を持ってしまったのか。
常識的に考えれば、アレに引っかかった自分は、相当に駄目な女と言うことに……。
「…………さっさと準備しよ」
自虐的な考えを振り払い、現実に目を向ける。
どの道、あの頃に戻る手段もない。
――時間の経過は不可逆の変質でなければならない。昔、どこかで聞いた言葉だ。いつまでも過去に囚われていては駄目なのだ。
気持ちを新たに、時計を確認する。
午前七時十二分。
まだ、リュウトは起きてきていない。
朝食の準備が終わっても起きないようなら、起こしに行ってやるべきだろう。
一応、居候させてもらっている身なのだ。家主を軽視するほど恩知らずなつもりはないし、リュウトとは友好的な関係を続けていたいと思っている。
「……何、作ろう?」
そろそろ本格的に、朝食の準備に取り掛かった。
基本的に、リュウトは前日に朝食を仕込みをするような生活ではない。だから、基本的に今キッチンはまっさら、朝食の準備的な痕跡もないわけだ。
となれば、セイラが勝手に調理を開始してしまったとしても、リュウトは何も文句は言うまい。
実際、これまでも何度かセイラは朝食を作っている。
とは言え、それはそれで困ってしまう。
ノープランで朝ご飯を作れと言われても、すぐにメニューが思い浮かばない。なので、とりあえずこれまでと同じように、あるもので何を作るか決めることにした。
一通りキッチンを探してみると、パン、肉、野菜類などが見つかる。
「……米、は、流石に無いか」
今となっては、ザーナ大陸内でも米を好む家庭も多くなってきているが、生憎とリュウトは米を置いていないようであった。
セイラとしては、米料理がそろそろ恋しいのだが。両親がまだ生きていた頃は、よく食卓に出てきたものだった。諦めるしか、ないのだろうか……?
こればかりは、ほとんど米を食べないリュウトに文句を言いたい気分のセイラだった。
「サンドイッチ……でいいかな」
朝食メニューが決定したのだった。
サンドイッチ二人分を作り終えても、リュウトは起きてこなかった。
仕方なく、セイラはリュウトの部屋へと向かう。無論、リュウトを起こすためである。
ドアの前で数回ノックして、返事を待たずに扉を開ける。
やはり、リュウトはベッドの上で寝ていた。見事な熟睡模様である。「くう、くう」という、小さな寝息の音さえ聞こえてくる。
「……リュウトくん?」
そっと、呼びかけてみる。
だが、リュウトの反応はまるでない。
「……おーい、リュウトくーん?」
声のボリュームを上げて、再度呼びかける。
だが、それでもリュウトの反応はない。
「……リュウトくーん? リュウトくーん?」
わりかし強めに揺すりながら、なおも呼びかける。
だがやはり、それでもリュウトの反応はない。
……考えてみれば、こうしてリュウトを起こしに来るような機会はこれまでなかった。
リュウトはいつもセイラより早くに起床しているし、今日のようにセイラの方が早かったとしても、ここまでリュウトが惰眠を貪っていたことはない。
さすがにここまで無反応を貫かれると、セイラとしても苛立ちを覚えてくる。律儀に起こしてやろうとしていることが莫迦みたいに思えてくる。
「………………」
無言で、無表情で、手刀を作るセイラ。
次の瞬間、容赦なくそれをリュウトの首筋に向けて叩き落した。
「――ふごぉっ!?」
完全な不意打ちが決まった。
間抜けな声を上げ、ベッドから跳び起きるリュウト。
それを見て、少しすっきりした気分になるセイラであった。
「……カミネさん?」
「おはよう、リュウトくん」
にっこり笑い、朝の挨拶を告げる。無論、内心は皮肉で一杯だ。
リュウトの視線が、さっと目覚まし時計の方へ流れる。おそらくは、たったそれだけの情報で、リュウトならば大体の状況を察しただろう。
「……おは、よう……」
頭を振りながら、リュウトも朝の挨拶を返してくる。
ふとその視線がセイラの手刀を捉え、ややひきつったようにぴくぴくと口端が動いているのがわかる。
「……ぐっすりだったわね。何回か起こしたんだけど」
「あ……あ、ははは。おかげさまでね……」
乾いた笑い声を出すリュウト。
……ふいに気になった。
いつもは早く起きるこの少年が、何故今日はこんなに寝腐っていたのか。どんな夢を見れば、そんなに眠りに落ちていられたのか……?
セイラにとってしてみれば、リュウトの寝坊とはそれぐらいには珍しいことだった。
特に意識するでもなく、質問が口から出る。
「どんな夢を見ていたの?」
「え? あぁ……いや、別に……大した夢じゃなかった……かな。ていうか、うん、もうほとんど忘れちゃってる」
歯切れの悪い、リュウトの答え。
即座にセイラが脳裏に浮かんだのは、そんなリュウトの態度への違和感だった。
そもそも、たとえ寝惚けていたとしても、直前まで見ていた夢を綺麗さっぱりと忘れてしまいました――なんてことがあるのだろうか……?
違和感は、即座に疑問へと変貌する。
しかし、
「……あ、そう」
なんとなく誤魔化されていると察しつつも、セイラはさらに言及したりはしなかった。
好奇心とは言っても、セイラが抱いたそれは、所詮はその程度のものだったのだ。
少なくとも、その時は……。
その後、朝食を食べ終えた二人は制服に着替え、ソージック学園へ登校した。
今日も今日とて、なんら変化のない一日の始まりだった。




