4,とある夜:リック・プラム
深夜。
シドー国ジャミヤ地方のとある町の一角にて。
周囲に人気はない。この辺り一帯は、もうずいぶん長いこと人が寄り付かなくなっているのだ。ゴーストタウンと形容しても、まかり通ってしまうだろう。
そんな、寂しい町の道路を、二人の男が静かに歩いていた。
「ホシはこの先の校舎に隠れているようです。十日間奴を追っていましたが、ようやく尻尾を掴みましたよ」
男の一人――ピーター・トカティーラは、後ろをついてくるわ若者――リック・プラムに対して、丁寧な言葉遣いで言った。
「はあ」
リックは、何とも言えないという感じに相づちを打つ。
どうして、自分はこんなところにいるのだろうか。
昼に、このゾンビじみた男と会ったことは鮮明に覚えている。
怪物めいた恐ろしい外見とは裏腹に、男、トカティーラはとても礼儀正しい性格で、立場上は下の者であるリックに対しても敬語を使う。
彼は病院での仕事を片付けた後、またルークの病室を訪れた。その時点では、リックはもう帰ろうとしていたところだった。
リックはドアの前で、トカティーラとばったり出くわすこととなった。
流石にぎょっとしたリックに、トカティーラはニヤリ、と左顔面を引きつらせて不気味な笑みを浮かべて言ったのだ。
「ああ、ちょうどよかった。何分、この後も仕事が詰まっていましてね。よろしければ、手伝っていただけませんでしょうか?」
それほど、強制を感じるような声音ではなかった。
だからなのか、リックは気づけば、こくりと頷いてしまっていたのだ。
それからの展開は速かった。
ベッドに横になっていたルークが、声をかけようとする暇もなく、トカティーラはリックを連れて病院を後にし、そのまま空港へ直行。機内で数時間の後、現在に至る。
――自分はいったい、何をしているのだろうか?
歩きながら、リックは一人思う。
仕事に手がつかないためにシドー国からザーナ大陸に帰ったというのに、こうしてまたシドー国――しかも、昨日までいたジャミヤ地方に戻ってきている。
自分が今いるこの場所からそう遠くないところでは、安全委員の仲間が行方不明者を捜索しているというのに……。
なんだか、自分が酷く情けなくなってくる。
「プラムさん。あなた、どうしてこの仕事をしているんですかな?」
ふいに、トカティーラが世間話でもするような口調で、問いを投げてくる。
自虐的な思考に没頭しかけていたリックは、反応するまでには少々の時間が必要だった。
「……はい?」
「ご家族の誰かも安全委員だったから、とかですかな? 大切な誰かを守るためとか……それとも、単に純粋な正義感があなたを安全委員へさせたのか」
「……いえ、特に大きな理由は、ありません」
答えに、偽りはない。
安全委員になった理由など、それほど気高い内容じゃない。
普通に、幼少の頃からまわりよりも高かった自分のこの身体能力を活かせそうだから、という深くもない単純な理由だ。
思い返せば、自分はいつも、深く真剣に考えず軽い理由で選択してきた。
どんな時も、どんな場面でも、真面目に考えるのが面倒くさくて、楽な選択に逃げていた。これではいけない――と自分でも思う時はあった。けれど、リックには、自分と向き合う度胸も変わろうと努力する勇気もなかった。
――自分がこんなものだから、定期戦で、クラザが……。
思考が、どんどん暗闇の中へ嵌まっていく。
どうして、自分なんかが生き延びたのか。自分のようなろくでなしの人間なんかより、もっと生きるべき人々がいたのではないだろうか。
もう、どうすればいいというのだ……。
自分は、本当に安全委員にいていいのだろうか……。
「ちなみに、私はですね…………」
自虐の無限ループに陥っていたリックの耳に、トカティーラのしわがれていながらも弾むような声が届いた。
「はい?」
「いえね、私がこの仕事をしている理由ですね。ふふふ、まさか、プラムさんにだけ話をさせるわけにもいかんでしょうな」
「はあ……」
不気味に笑うトカティーラの言葉に、リックは曖昧に相槌を打つ。
どうしてこんな展開になったのか、前後の言葉を聞いていなかったためにわからないが、まあ、いい。こちらから話さなくてもいいのは、楽だ。
「…………」
思って、思わず嗤いそうになる。
また、自分は楽な立場に甘んじている。
思考の闇に再び陥りそうになるが、そんなリックに構わず、トカティーラの話は進んでいく。
「私はね、赦せないんですよ、犯罪者を。それも、警察の方々では手に負えないような、それくらいの大罪人をね」
静かに、トカティーラの言葉がリックの耳に響いてくる。
「我々は、奴らを、一匹残らず排除しなければなりません。人類を脅かす悪の根を……そして、いずれそうなるであろう予備軍の者たちも」
その言葉を聞いて、リックは薄ら寒いものを感じた。
トカティーラの犯罪者に対する言葉に、あまりにも、ぞっとしたのだ。
その時ばかりは、トカティーラはその容貌どおり、怪物めいた雰囲気を発していた。
沈黙が訪れる。
足を止めず、しかしリックは何も言うことができなかった。
よって、短い沈黙を破ったのは、トカティーラであった。
「ああそう言えば、プラムさんは『赤月の目計画』なるものをご存知ですか?」
世間話でもするような口調で、トカティーラはそんな問いを投げてきた。
「ええ、まあ」
無論、リックも知っている。
赤月の目計画。
大昔に現れたというカワサキを、再びこの世に複製させようというプロジェクト。Kr因子と言う、一般には伏せられた物質を利用して行われる非人道的な実験。「片目のヨミ」という、人類史上最悪の最優先駆逐対象を生み出した凶悪な計画。
「それは結構なことで。まあ、これから私たちが狩るモノは、『赤月の目』計画ほど残忍な計画の産物ではありませんが……」
ドゴッッッ、と。
その時、二人の前に巨大な質量を持った何かが現れる。
卵のような丸いフォルムに、四つの強靭そうな足が生えた、蜘蛛のような巨大なナニカ。深夜の闇の中で、金属光沢が鈍く反射する。見た目は、どうにも非生物的でメカニックだ。
――コレはいったい、何なのか?
――いったいコレは、どこから現れたのか?
リックがそんな疑問を抱いていると、
プシュッ、と音を立てて、卵型の球体部分が大口を開けるように展開する。
リックが驚いている間に、ソレは機械音を発しながらゆっくりと動き出す。まるでお座りでもするかのように、ソレはトカティーラのすぐ前に展開部分を晒したのだった。
思わず、身構えるリック。
「ほほほほほ。心配しなくて結構ですよ。コレは、私が使っているものですからな」
面白そうに、トカティーラがからからと笑う。
「な、なんなんですか、コレは……」
「ふむ。私が普段、足にして使っている移動用のポッドですな」
恐る恐る、と言った風に疑問を口にしたリックへ、トカティーラは楽しそうな声でそう答えた。
そして、戸惑うリックをよそに、トカティーラは展開されたポッドの中へと乗り込む。
展開されていた球体部分が、先と同じように音を立てて閉まっていく。
『ああ、一応、気をつけておいてくださいね。少々、荒っぽいことをいたしますので』
移動用ポッドの中から、トカティーラの声がする。
それと同時、どこからともなく「ブーン」という音が聞こえてきた。まるで、蚊や蠅の大軍でも発生したかのような大音量の騒音だった。
リックの目には、この騒音を出している元凶たちの姿が見えている。一機一機の大きさは、人一人分ほどには大きく、四つのプロペラによって滞空能力を得ている。夜空を覆い尽さんばかりに、無数のドローンが飛行していた。まるで、空へ飛び立ったイナゴの群れのように。
「……これ、は?」
何から何まで、リックには理解不能だった。この状況を理解するのに、今の情報量では足りない。ただその様子を、見ていることしかできない。
その間にも、ドローンの大軍は、リックたちが向かっていた方向めがけて飛んでいく。
トカティーラを搭乗させた移動用ポッドなるモノも、四つの足の先端部のローラーによる滑らかな動きで行進を開始した。
『そうだ。数機、護衛につけておきますよ』
そんな言葉が、遠ざかっていく移動用ポッドから投げかけられると同時、数機のドローンが、リックの周囲を取り囲んだ。
「……っ、やば」
やや時間を置いて、リックはトカティーラの後を追いかけだした。
何のために、こんな自分に何ができるというのか、明確な答えを持たないままに。
◇
緊張してきたせいか、妙に体が熱い。
荒くなってきた息を整えて、窓の外を伺う。
深夜の時間帯であるが、今宵の月は満月である。雲間から漏れ出てきた青い月光が、辛うじて外の様子を見る助けになっていた。
深呼吸で気を落ち着かせながら、耳を澄ませる。
幸い、今いるこの場所はゴーストタウンと言っていい廃れた場所である。人などいないし、音を立てるものがあればすぐに察知できる。
全感覚を、索敵に集中。
幸運にも、自分の五感は常人のそれを大きく上回る。
たとえ、敵がどれだけ隠密に迫ってこようが、自分ならば絶対に察知することができる。
……その時――――。
「――――っ!?」
かすかな音を、捉えた。
虫の翅音のような、ブーン、という耳障りな音。
何の音かはわからない。
いや、今はわかる必要などない。今一番に優先すべきなのは、この音が、敵に繋がっているものなのかどうかを特定することだ。
そう、冷静になろうとしていると、
――第二の変化が訪れた。
窓から差し込んできていた青白い月光が、突如として途絶え闇に覆われたのだ。
何故なのか――その原因は明白だ。
月夜の空を覆い尽すようにして、大量の何かが、虫の翅音のような音を立てて飛行している。あれは――ドローンの大軍だ。
「――っ!?」
ドローンの姿を認めた途端、銃弾の嵐が起きる。
銃声が轟くのとほぼ同時に、慌てて窓から校庭の方へ飛び降りる。
地面から十メートル以上離れた空中。
イヤな浮遊感はほんの一瞬。
すぐさま、重力に捕まり落下を開始する。
落ちていく中で、上から大音量の破壊音が鳴る。あと一秒でも飛び降りるのが遅かったならば、自分もその破壊の中に呑まれていただろう。
だが今は、そんなもしもの未来に肝を冷やしている余裕はない。
地面との距離はもう詰まっている。
激突するまで、一秒もない。
魔法は間に合わない。受け身を取る時間もない。
今するべきことは……着地の衝撃への覚悟を決めることだ。
背筋を目いっぱい伸ばし、着地の瞬間、全身のバネを総動員してショックを軽減させる。そうすれば、すぐに行動することができる。まだ、逃げ続けることが、できる。
――思い返せば、不幸な人生だった。
両親は幼少の頃、交通事故なんてつまらないものでこの世を去った。
自分を引き取ってくれる身寄りもなく、孤児院に預けられたのが地獄の始まりだった。
毎晩毎晩、とても神聖で大事な儀式なのだと言われ、身体を弄くりまわされた。今ならば、アレが非人道的な人体実験だったと断言できる。
十五の誕生日を迎え、成人すると同時に孤児院から逃げた。
孤児院に見つかれば、連れ戻され、今まで以上に過酷な状況になるのは明白だった。シドー国に逃げてきたのは、自分がシドー系の顔立ちだったという、それだけの理由である。
だが、こうして十数年。
孤児院にも見つからず、たった一人で、逃亡生活は続いてきた。
それが破られたのは、もう、十日は前のことだ。
ある日、いきなり現れた、バケモノみたいな男。
理不尽にも、殺されかけた。
名乗りもせず、いきなり。
仮屋の玄関扉を開けた途端、突然だった。
自分を見る男の目には、尋常ならざる狂気を感じた。
怪物めいたその形相は、地獄からやってきた死神のようだった。
だから、命からがら、逃げたのだ。
いつだって、自分の選択は逃げだった。けれど、それしか選ぶことができなかった。逃げるために、なんだって利用した。
そうやって、自分は――マイク・ムルメルトという人間は生き延びてきたのだ。
だから、今回も逃げ延びることができる。
……随分と、頭が回るものだ。
自分のことなのに、どうにも他人事のように、そんなことを思う。
まるで、死を目前にして、今までの人生の記憶すべてが走馬灯が駆け抜けていくような――――、
「――――っぶ!?」
突如として、横から大質量の一撃が見舞われる。
今まさに着地を決めようとしていた身体が、真横へと吹っ飛ばされ、廃校の壁に激突した。
数秒遅れて、割れた窓ガラスやら瓦礫やらが上から降ってくる。だが、そんなことに構っている余裕などなかった。
息が苦しい。
下半身の感覚がまるでない。
全身が、ねっとりと熱い。
肋骨が折れている。
左腕が折れている。
身体中に痺れが回っていく。
自分の状態異常を、把握することができない。自分が今、どんなに深刻な状態であるのか、わからない。
ただ、一つ。
倒壊して降ってくる瓦礫やガラスの破片をものともせず、こちらにやってくるモノがある。
人ではない。
もっと大きく、もっと頑丈で、もっと重い。
たったの一撃で、自分をこんな状態にまで追い込んだ大質量の何か。それは、四つの足を持った、蜘蛛のような機械だった。
見事なほどに卵の形状をした球体部に、四つの太いアームが接続され、球体部分を支えている。四つのアームそれぞれの先端部分には車輪が取り付けられており、奇怪な機械は踏み出すような動作もなく、地面を滑ってくる。その様子は蜘蛛と言うより、水面を滑って動きまわるアメンボだ。
『――マイク・ムルメルトだな』
声がした。
それは、どこからと言うわけでもなく、響いた声だった。こちらにやってくるアメンボや蜘蛛みたいな機械から、空を飛行している無数のドローンから、スピーカー越しに聞こえてくる声である。
何とか上体を起こし、機械を睨みつける。
わずか、数メートル先に、大質量の金属の塊がそびえている。
上空では、周囲を取り囲むようにドローンが包囲を固めている。
絶体絶命、この状況から逃げるのは、もはや不可能だ。
だがそれでも、最期まで敵を睨みつける。
自分の人生、こうも幸がなければ、逆にこういう状況でも肝が据わる。最期までその目に闘志を宿そうとするのは、決して諦めないという無意識の反抗だろうか。
呼吸さえ忘れて、敵を凝視する。
視界の半分が赤くなり、輪郭がぐらぐらと揺れる。
頭が鉛のように重く、全身をイヤな心地良さが回っている。
前方、アメンボじみた機械の、卵型の球体部が「プシュッ」と音を立てて開いた。展開される球体部分の内側はコクピットのようになっていて、そこには一人の男が鎮座している。
忘れようもないほどに、記憶に残っている。十日ほど前に現れた、恐ろしい顔の男。
「……ふむ。やはり、マイク・ムルメルトで間違いない、か」
しわがれた、枯れたような声である。
しかし、そこに含まれる冷徹な声音が、その場を圧倒的に支配していた。
「……おまえ、は…………」
やはり、こいつだ。
この男とは初対面のはずなのに、いきなり殺されかけた。
孤児院の手の者か、それとも孤児院に雇われるなりした暗殺者なのか。
この男について、自分は――マイクは何の情報も持ってやしないのだ。
――だが、この先マイクがこの男について知るような機会などあるまい。
目の前に、死が待っている。
おそらくは数秒後。
周囲を取り囲んでいる無数のドローンの一成掃射によって、自分の命の灯は吹き消されてしまうだろう。
不思議と、その事実をすんなり受け入れることができる。
もともとそれだけの度胸が備わっていたのか、それとも頭を打って脳が致命的にイカレてしまったのか。
どちらでも、構わない。
どちらでも、変わらない。
頭の中が、茹で上がるように熱くなってくる。
「――ウェルト・クルーガー」
しわがれた、静かな声。
それが、怪物のような男が発したものだと理解するまでにいくらか時間を要した。
「……は?」
「ボルト・チャン、マリー・オズワークス、ケイン・ホワイトマン。孤児院で、お前と同年代だった者たちだ」
ドスン、という、何かが落ちる音。男が、コクピットから飛び降りてきたのだ。
男の言葉が、よく理解できない。
孤児院。孤児院。孤児院。
ウェルト。ボルト。マリー。ケイン。
……幼き日、彼らの記憶が、遅れて再生される。
そうだ、あいつら。
マイクと同じように孤児院で生活し、実験を受けていた、かつての友人たち。
けれど、どうして彼らの名前が出てくるのか……?
「同時に、お前に続いて孤児院を抜け出した奴らだ」
……そう、か。
あいつらも逃げたのか。
それはいい。実にいい。
また、みんなで無邪気に遊びたい。
「孤児院から逃げ出した鼠どもは、すべて始末した。貴様以外はな」
なん、だって?
この怪物は今、なんて――――。
あいつらを……始末した――!?
「っぁ」
「ふむ?」
呆としていた意識が覚醒する。
薄れかけていた闘志が、再び眼に宿る。
目の前の悪魔を見据えて――、
「さて、やっと、お前で最後だ」
ぺちょ、と。
そこで、マイク・ムルメルトの意識は消え去った。
◇
トカティーラに追い付いた、そう思った時には、どうやら既に終わっていたようだった。
リックの視界が捉えた光景は、地面に倒れ、状態だけを起こす青年と、青年の首を左手で掴んでいるトカティーラの姿。
次の瞬間、トカティーラの左手が不気味に膨れ上がり、青年の頭部を身体から引き抜いた。
首無しになった青年の死体から、スプリンクラーのような血飛沫が噴き出し、トカティーラを返り血で汚す。
一瞬呆気に取られたが、リックは改めて、その場の異様さを再認識した。
空を飛び交う、ドローンの群れ。
先ほど、トカティーラ本人が乗り込んだ移動用ポッドなる機械。
そして、たった今、人一人をあっさり殺した怪物めいた男。
「――ぁ」
一番に驚愕するべきは、青年の頭部をもぎ取ったトカティーラの左腕であろう。
昼間会った時、そして先ほどまで一緒に行動していた時点で、トカティーラの左手は異様な細さだった。
袖から覗く左手、その細長い指は、まさに白骨化したかのようで、簡単に折れそうなほどだった。それが今、リックの眼前にあるのは、怪物じみた異形の腕だ。
もともと白かった色はそのままにブヨブヨと体積だけが膨れ上がり、黒く鋭い鉤爪を起用に用いて青年の首を掴んでいる。
「必要なのは、脳だけだ」
静かに、トカティーラがつぶやく。
驚くほどに冷たく、人の心を芯まで凍らせるような、冷酷な響きがリックを侵食する。
「あ、あの――」
かけようとした声が、小さく消える。
今声をかければ、殺されるかもしれないと感じて……。
「――おや、プラムさん」
しかし、その恐怖は杞憂に終わった。
リックの方を振り返ったトカティーラの声は、しわがれ、感情に薄くはあるものの、そこに敵意や殺意はない。
「いやはや、もう少しゆっくりやってもよかったですかね。私一人で全部やってしまって、どうにも、不完全燃焼でしょう」
「あの、いえ……あの」
意を決して、リックは質問をぶつけた。
「彼、は……」
リックの視線、その先には、トカティーラに首を引っこ抜かれて死んだ青年の首無し死体がある。
異形とかしたトカティーラの左腕にも疑問はあったが、まずはこちらからだ。
「ああ、コレですか。……昔、とある孤児院で孤児を使った実験が行われていましてね」
唐突に、トカティーラは語りだす。
リックが放った質問にどう関係があるというのか、どうにもわからないが、リックは話を遮らないことにした。
「孤児院自体は、もう何年も前に片付けたのですがね。コレは、その孤児院から逃げ出した孤児の一人なんですよ」
「あの、殺す必要が、あったんですか?」
「? いえね、その孤児院で行われていた実験というのが、Kr因子を使ったものだったんですよ」
「………………え?」
まるで、話は終わりだ、と言わんばかりに黙ったトカティーラに、リックは戸惑いしかない。
「いや、ですからね、コレは、Kr因子の実験台だったんですよ」
「それは……こ、殺さなければならないのでしょうか?」
「だって、コレはもう、人ではありませんから」
さも当然、と言うような言葉に、リックは絶句してしまう。
Kr因子を使った実験。
つまり、青年はKr因子汚染者だった。だが、たったそれだけで殺していい理由たり得るのか。
青年は、カワサキ化したわけではない。
Kr数値は、おそらくではあるが危険域に達していない。安全委員――カワサキ対策委員会から制限は受けるだろうが、充分に日常生活を送れるレベルであるはずだ。
それなのに……。
「こいつらは世界を破滅させる毒です。故、『片目のヨミ』のようにならずとも、発生した時点で抹消すべきです」
リックの中の葛藤を見透かしたように、トカティーラがしわがれた声で吐き捨てる。
――冗談じゃない。
Kr因子が体内に定着しただけで、それだけで死ななければいけない理由など……。
だがその時、リックの脳内に、昼間ルークとの会話が再生された。ルークが茶を濁した、トカティーラがやっていることについての言葉。あれは、そういうことだったのか。
だが、果たしてこれが、安全委員がやることなのか?
「おや、顔色が優れませんね? ふむ、後は私がやっておきますので、今夜はゆっくりお休みくださいな」
黙り込むリックへ、トカティーラは気遣うようにそう言った。異形の左腕は、先の会話の中で元の大きさにまで戻っている。
一瞬、トカティーラが掴んでいる生首の方へ視線を向ける。
苦悶の表情――いや、青年が最期に浮かべていた表情は、無念の嘆きのように見える。
それ以上見てられなくなり、リックは顔を逸らした。
……ひとりでに、足が動き出す。
挨拶もなしに、リックはその場を去ろうとしていた。
どこに向かおうとしているとも知れず、リックの足はのろのろと歩行を続ける。
今日一日だけでも、かなりの衝撃的だった。
今は、考えたくない。
本格的に、自分が何をやっているのかわからなくなってきた。
「では、おやすみなさい」
歩き去るリックの背中へ、トカティーラの枯れた声が投げられたのだった。
予定通り、今回の話の後はまた期間を開けてからの投稿になります。




