2,とある病室:リュウト・カワキ
扉の前に現れのは、大柄な男だった。
面識はない。
物凄く、恐ろしい形相をした男だった。こんなのが知り合いにいたら、どんな奴でも記憶に残るだろう。
火傷か何かなのか、男の左側の顔はピンク色に変色していた。皮膚は干乾びてしわしわになり、よく見れば左の眼窩には眼球が収まっていない。頭髪も左側だけが毛根まで死滅してしまっているかのように、禿げあがっている。
「失礼」
隻眼の怪男は入室するなり鋭い視線を俺に浴びせてくる。
とても、見舞いに来た人間のする目つきではない。
というか、この男は訪れるべき病室を間違ってるんじゃないだろうか……?
「リュウト・カワキだな?」
男は、遠慮のない調子でそう言ってきた。声帯が枯れてしまったかのように、絞り出される声はしゃがれている。
「……はい」
「安全委員の者だ。事情聴取を受けてもらう。拒否すれば…………。協力して、もらえるな?」
「…………はい」
有無を言わさぬ男の言葉に、俺は抵抗せずに了承した。
もし拒否すれば……きっと愉快な事態になったに違いないが。
「結構……」
骨ばった左手で自らの禿げあがった左側頭部を撫でつけ、男は吐き捨てるように言った。
その右目が、ベッド脇の椅子に腰かけている人物をじろりと睥睨する。
悪鬼の如き睨みを受けて、セイラは無表情ながら、冷めた視線を男に返した。男の視線に、彼女も苛立ちを覚えたのだろう。
だからと言って、得体の知れない男相手に睨み返すのは随分な喧嘩腰だとは思うが……。
「――――席を、外していただきたい」
数秒の睨み合いの末に、男の口からは、枯れた声ながらもはっきりとした言葉が紡がれ、セイラへの退室を要求した。
セイラは何も、返事をしない。
男を睨んだまま静かに立ち上がり、しかし視線からはとても激しく火花を散らして、そのまま病室を出て行った。
あわや、一欲即発な雰囲気だったので、もしかして俺はホッとするべきなのだろうか……。
「さて」
男が、俺へと向き直る。
左側面が酷く痛々しい様子の顔。だが、無事な方の右もまた、素でおぞましい表情だ。どう見ても、ゾンビにしか見えないな、これは。
男は俺の正面にわざわざ立つと、ずいと身を乗り出してくる。
おかげですぐ近くでバケモノじみた凶顔を拝む羽目になったが、無表情でやり過ごす。この男は、一切の冗談抜きでヤバいと無意識が警告していた。
こちらが対応を過てば、即座に男は俺を殺しに来る――。
半ば確信に近い予感が、この時既に俺の中で確立していた。
安全委員の人間だと言っていたが、こんな危険人物が所属していて大丈夫なのだろうかと思う。
「これから、二、三質問をする。正直に答えてくれれば、私としても非常に嬉しいし、君にとっても、それが一番賢明な選択肢だ」
質問じゃなくて拷問じゃなかろうか……。
俺はこれから、鬼の拷問官に絶え間ない苦痛を与えられるのだろうか……?
「……はい」
「よし、では早速尋問に移るとしよう……」
狂気の愉悦を右目に宿して、男は凄惨な笑みを口に刻んだ。
安全委員の者だという男は、勝手に病室内を歩き回り、窓という窓のカーテンを閉めきっていった。静寂が満ちた病室内に、男が動きまわる足音だけがかつかつと響いている。
まだ昼間の時間帯。
電気は点灯していなかったために、カーテンを閉めてしまうと病室は薄暗い空間へと変わる。
カーテンの隙間から漏れ差してくるわずかな日の光は、男が右手を軽く薙ぐように振ると同時に遮断されてしまった。
ただでさえ薄暗かった病室が、さらに闇を落として暗くなる。
……はたして、もしかしたら俺は、本当に拷問されるのではあるまいか。
「先日の定期戦でのことは、覚えているな?」
怪物めいた顔の男は、脅すような口調で問いを投げてくる。
反発したところで俺には何の利もないことは、既にわかっている。
「……はい」
「よし。では、お前があそこで何をしたのか、はっきりと覚えているな?」
「…………はい。一応は」
「ふむ。話が早くて助かる。では……」
男は、次々と俺に質問をぶつけていった。
質問は二、三個と言っていたのは、どうにも嘘であったらしい。まあ、だからなんだという話なのだが。
どうにも、男の言い方から(それと態度からも)察するに、安全委員は俺のことを得体の知れない輩として扱っているようだ。
件の定期戦において、安全委員が俺に目をつける理由……正直、心当たりがないわけではないので、どうにも誤魔化しづらい。
あの黒いバケモノを倒したことか、それともその直後に現れたあの不気味な女と対峙したことか。あるいは、その両方か。
あの時は死なないために随分と無茶をしたが、結果的にその無茶が、安全委員に俺を警戒させる原因を作ってしまったようだった。
――なんとも悩ましい。
――いや、確かにあの時に無茶をしなければ死んでいた可能性は高いから別に悔やんだりはしないのだが。
「本当に、身体の調子に異常は感じられないのだな?」
質問もとい尋問は、どういう因果かその後の健康状態にまで触れてきた。
ずい、と男は身を乗り出して睨み付けてくる。
今更だけど、この男、自己紹介をしていないから名前がわからない。同じ安全委員の人間だとしても、ルークとはまた偉い違いようだろう。
「嘘をついてないだろうな。もう一度訊くぞ。先日以降、体調に変化はないのだな?」
……どうして、名も知らない赤の他人にそこまで体調を心配されなければいけないのか。
いやもちろん、この男が本心で俺のことを心配しているわけではないことは、既にわかっているが。
強いて言えば、気色悪い顔がすぐそばにあるせいで吐きそうだと言ってやりたい。実際に言ったりは、もちろんしないが。
男の吐いた生暖かい息が、頬に当たる。
鼻孔をくすぐったわけでもないのに、それが放つ異臭を感じられるようだった。
「……はい」
先ほどから、この返事しかしてない気がする。生返事でいいのは、別に楽でいいのだが……。
「そうか。次の質問だ。あの時、お前はいったい、何をした?」
「………………逃げていただけです」
淡々と、それだけを答える。
男の言う「あの時」「何をした」というのが何を言っているのか、わからないではなかったが、それを事細かに説明するのは面倒だ。
何よりも、非友好的なこの男の前で言ったところで、男の態度が軟化するとも思えない。
俺の淡泊な回答が気に入らなかったのか、男は牙を剥き、威嚇するように唸った。口内に並んでいる黄色い歯は、肉食獣の牙のように尖っている。
「正直に話せ。貴様はいったい、何をした。どうしてお前のような餓鬼が、最優先駆逐対象から逃げおおせられる? おい、正直に言わないと、お前の人生、後悔することになるぞ……」
しわがれた、しかしドスの利いた太い声で、男は低くそう言った。
人生を後悔……俺の人生なんて、前世の記憶が残ってる時点で既に後悔しかないようなものだが。
――ていうか、これは完全に脅迫だ。
天下の安全委員の人間が、こんなことをやってもいいのか。警察とは違い、どこの国家にも属さない独立機関というのが安全委員だが、だからと言ってこんな取り調べが赦されるのだろうか。
「おい、何か言ったらどうなんだ、あぁ?」
もはや男は、俺に対する嫌悪の感情を隠そうともしていない。
右しか残っていない目は見開かれ、瞳の奥では視線だけで俺を呪い殺そうとしているかのように毒々しい炎が燃えている。
溜め息をつきたくなるが、この怪男の手前、下手に生意気な態度はしない方が賢明だろう。この男をこれ以上刺激しても、俺に益はないわけだし。
「……よく、覚えていません」
「覚えていない? 先ほど、貴様ははっきりと覚えていると言っていたように記憶しているが」
……細かいことをいちいち覚えていやがるな。
「一応は覚えていたつもりなんですが、思い出せない部分もありまして……」
果たして、俺の苦い言い訳に、男が納得したとは思えない。
ただ、右目を細めるだけで、特に噛みついてきたりはしなかった。まあ、それだけでも結構な迫力のある睨みではあるのだが……。
「ふん。まあ、そういうことにしておこうか。だが、まだ訊くことは残っている」
……ひええ~。
まだこんなのが続くのかよ。
内心で溜め息をついた俺に、男は容赦のない口調で質問を浴びせていったのだった。
「では、五分後にまた来るとしよう。逃げるなよ。逃げれば、私は容赦しない」
そう言って、男は退室していった。
男が踵を返すと同時、部屋に満ちていた闇は瞬く間に退いていき、部屋の中にわずかな光が戻ってくる。やはり、あの男の魔法か何かだったのだろう。
まったく、おっかない奴だった。顔面が。
いったいどういう人生を送れば、あんな怪人顔が出来上がるというのだろう。
男と入れ替わりに、セイラが再び入ってくる。
ずっと廊下で待っていたらしい。
男とすれ違ったはずたが、どうやら一悶着したりはしなかったようで安心。
「三十分も、何訊かれてたの?」
入ってくるなり、セイラはそんな問いを投げてくる。
……三十分。
厭な記憶が凝縮された三十分だった。もしテレビが存在したら、アニメを一つ見られる時間である。しかも尋問はまだ続くと来ている。
思わず、頭を抱えたくなってしまう。加えて、あと五分であの怪人が戻ってくるのを考えると、頭痛までしてきそうだった。
「……あのゾンビ、わたしの荷物に何もしてないわよね?」
わずかに眉根を寄せて、セイラがそんな問いを発する。
まあ、年頃の女の子にとってオヤジというのは嫌悪の対象でしかないのだろう。ゾンビ男は年齢不詳だったけど。
ならば、退室する時に一緒に持っていけばよかったのにと思う。荷物と言っても、それほど大きくもない鞄が一つだけなのだし。
「ああ、始終俺ばっかり睨んできてた」
「随分、君に首ったけなのね」
「……嬉しくないな」
くすり、とセイラは笑う。
今の会話の中で、果たして笑う要素があったのか、それは俺の知るところではない。
セイラは笑みを浮かべたまま、椅子の上に置いていた鞄を手に取った。和風のシドー着姿にトートバッグというのにはやはり、違和感を禁じえない。
「まあ、触られていないなら、いいかな」
「……もう少しで戻ってくるって言ってたよ、あの男」
途端、セイラの表情が、いっそ面白いと思えてしまうくらいの早さで消え去った。
「…………そう」
「今度はバッグごと出ていった方がいいんじゃない?」
「……そう、ね」
ほほほ、と上品そうな笑い声を漏らすセイラ。取って付けたような、わざとらしさがどうにも拭えない笑い声だ。
何故ここで笑うのか甚だ理解できないが、別に気になって仕方ないわけでもないから追及したりはしないでおく。どうでもいいし。
「バッグの中に何か入れてるの?」
ふとした疑問だった。
年頃の女の子が、不必要にむさ苦しい男に私物を触らせたがらないのは、それほど不自然ではないのかもしれない。
けれど、不意に思ったのだ。もしかしたら、バッグに触られるのではなく、バッグの中身を見られるのを嫌ったのではないのか、と。
もちろんこんなものはただの俺の勘ぐりに過ぎない。
けれど、ふとした疑問から、そんな問いを投げていたのだった。
果たして、セイラから返ってきた反応は、とても興味深いものであった。
「……うぇ、うぇ~~~~い…………?」
おい、なんだその声は……。
普段の彼女からは想像できない、情けないような声音と反応だった。
いつも涼しげで落ち着きのあるセイラが、こんな反応を示すとは誰が予想し得ようか。
まさか図星だったのか?
あのバッグの中に、何か「とんでもねえモノ」を隠し持っているというのだろうか……?
「いや~……そんなことは…………ない、わ、よ?」
「語尾が疑問形になってるけど」
「お、ほほほほほほほ」
おお、目が泳いでる目が泳いでる。
いつもは見ることのない、セイラの裏の一面。
果たして、バッグの中に忍ばせているモノとはいったい……?
俄然、興味が湧いてくるが、俺の知的好奇心あるいは探求心が満たされることは、なかった。
「五分経過だ。再び、尋問を開始する」
かつん、という高い音が響く。
病室の扉の前に姿を現した、恐ろしいゾンビ――もとい、ゾンビみたいなおぞましい形相の男。
男は隻眼の視線をセイラに向けて、
「退室、願いたい」
と静かに言ったのだった。
セイラと男はまたしても睨み合い、二人の視線の間で数瞬、火花が散る。どうにも、既視感が……。
ふいに、セイラはこちらに視線を転じる。
「まだかかりそうだから、わたしはもう帰ってるわね」
「ああ、うん」
まあ、今度は三十分以上かかるかもしれないしな。ずっと待ってるくらいならば、帰った方がいいだろう。立場が逆だったら、俺も帰ってるだろうし。
でもなんだろう。ちょっと寂しいような気もする。
「恋人に言っておきたいことは、もうないな」
セイラが病室から出ていって、男はしゃがれた声でそう言った。相も変わらず、人を見下したような口調と態度である。
恋人じゃねーよ。
それと、遺言みたいに言うな。
たかだか尋問ぐらいでは死なん。でも少なくとも、この男と共有する時間は楽しくないから、一刻も早く終わらせてほしい……。
結果として、尋問はほんの十分ほどで終わった。
内容は俺の私生活に関するものが中心だった。
早く終わったのはいいのだが、なんだろう、この肩透かしな感は……。




