1,とある病室:ルーク・キミラ
リック・プラムが訪れたのは、とある病院の、とある病室だった。
部屋は個室で、たった一つだけあるベッドには大柄な男が横になっている。
男はリックの入室に気づくと、緩慢な動作で上体を起こし、疲れきった笑みで彼を歓迎する。
「やあ、リックくんか」
「……どうも」
男――ルークの迎えの言葉に、リックは沈んだ声で応じる。
いつもはもっと軽い口調で返せるのだが、今のリックは、もうそんな気分にはなれそうもなかった。
「見舞いに来てくれたの?」
「はい……」
手ぶらで来たにもかかわらず、ルークはリックの訪問の理由を当てる。とはいえ、病室に知人が訪問してきたというのであれば、それは見舞い以外にないだろうが。
リックは沈んだ足取りでベッド脇の椅子に腰かけた。
どこか焦点の合わない目をする彼の表情からは、生気が感じられない。
「そっちは、大変じゃない?」
「はあ、まあ、なんとか……」
「そう。あまり、根を詰めすぎない方がいいよ。リミちゃんとかにも、そう言っておいてくれる?」
「はい……」
「うん」
頷いて、ルークはリックの表情を伺った。
視線を落としているリックの表情は、まるで葬式に出ているかのように重苦しく、一切の緩みがない。胃に穴が開くくらい、思い詰めてしまっているのかもしれない――とルークは思った。
「まあ、リックくんのおかげで、僕も大怪我にはならなかったし、ここを出られるようになり次第、すぐに復帰することになるよ。まったく、人使いが荒すぎる仕事だよね」
「ええ。そっすね……」
軽口を叩いてみせても、今のリックにはあまり通じない。
「……それはそうと、リックくんは軽傷で済んでほんとよかったよね。リックくんに助けられていなかったら、僕も今頃はまだ瓦礫に埋もれてたんじゃないかな」
「はあ……」
リックの反応は、相も変わらずに食いつきが小さい。
やはり、あのことが原因なのだろうか。
そう思うと、ルークは自分の無力感を痛感させられた。
あそこで気を失ったりしなければもしかしたら――そんなもしもの可能性を考えずにはいられない。
ルークが昏睡状態から目覚めたのは、つい先日のことである。
故にルークが今知っているのは、あの一件で多くの死傷者、行方不明者が出てしまったことと、気絶していた自身をリックが危険地から運びだしてくれたことくらいだ。そして、あのことも……。
おそらくは、リックが今こんな状態になっているのも……。
「それはそうと、ここの病院食がまた美味しくてね」
このままリックに考えさせるのはまずい、と考え、ルークはさらに話題を振った。
「そう……ですか」
「うん。昨日出されたのは、もう絶品でね、また出ないかな」
「……出るといいっすね」
「うん、今日も楽しみだよ」
「……あの、ルーク……さんは…………」
突然、リックが会話を遮る。
「ク……クラ…………」
絞り出すように、リックは小さな声を漏らす。しかし、そこから先は乾いた空気が出てくるばかりで、リックの言葉は続かない。
だが、ルークは既にリックが言わんとしている意味を察していた。
リックが今、どのような心境でいるのかも……。
ルークは、今度はあえて話題を遮るのではなく、斬り込んでみることにした。
「クラザ、まだ行方不明なんだって?」
「……………………………………はい」
数秒の沈黙の後、リックは擦れるような声で返答した。
別に、何かの奇跡を願って訊いたわけではなかったが、こうして返事を聞くと、改めてその事実に直面する。
ルークの昔からの馴染みで、リックの上司でもあった男は、もう……。
「そう……か」
ルークもまた、落ち込んだように視線を落とす。
件の事件からは、もう数日が経過している。
だが、たった数日ですべての傷跡が癒えるはずもない。
現場になったシドー国では、今もまだ行方不明となった者たちの捜索でてんやわんやらしい。
ルークは今、ジビロン国の病院に入院している。肉体的には無傷と言っていいのだが、件の事件の後遺症なのか、時折手足の感覚がなくなることがあるため、念のためである。
リックのように軽傷で済んだ安全委員の者たちは今もシドー国で捜索に明け暮れているはずだ。
そんな状況でリックが今この場にいるのは、何か特別な理由があるわけでもない、今現在のように放心状態が続いて仕事に手がつかなかったからだ。
当然、今まで病室で安静にしていたルークにそのような事情を知る由はない。まあその辺はリックの様子を見れば大体の推測は立てることができたが。
「リックくん、あんまり、自分を責めない方が」
「……何の、ことですか」
絞り出されたリックの声音は、傍から聞いてもわかるほどに思い詰めた響きがある。当のリックは、気づいていないのか、それとも気づかないフリをしているのか。
どちらにしても、見ていられない辛さがあった。
放っておけば、リックはどんどん自分を責め、最後には自滅してしまうかもしてない。
「いや、なんでもないよ……」
ルークには、気の利いたセリフが思い浮かばなかった。
会話が途切れると、病室の中は重苦しい沈黙に包まれる。
「おや、先客がいましたか」
その時、低いしわがれた声が病室の入り口の方から聞こえた。かつん、かつん、という、甲高い足音が鳴る。
入り口から現れた顔を見て、ルークは内心で気を引き締める。リックもワンテンポ遅れて振り返って、さしもの彼も、その男の顔にぎょっとした。
顔の左側全体に広がっている、痛々しい火傷の痕。
左目には本来あるはずの眼球が収まっておらず、空っぽの視線は骸骨のソレのような闇を浮かべている。
頭髪も、禿げあがったというより、毟り取られたとでもいうように左側だけない。
だが、その男の恐ろしさは顔の左側に受けた傷だけではない。左と対照的に無事な方、右側の顔は、無傷であっても恐ろしいと断言できる形相だった。
唯一あるその瞳には、常に憎悪の炎がぎらぎら燃えているようだ。
「キミラ部長、お目覚めになりましたか」
「……ええ。つい先日、目が覚めました」
男の枯れたような挨拶の声に、ルークは慎重に答えを返す。
「それはよかったですな。ここに運ばれた時は昏睡状態だった、とか。回復をお祝い申し上げます」
「いえ、大袈裟ですよ」
普段であれば「寝てただけですよ」と軽口をつけ足していたかもしれないが、さすがにこの男に対して言う気は起きない。
「トカティーラさんは、ここに来て大丈夫なのですか?」
「……私はこのとおりなので、シドーでの捜索には向いてないんですよ」
男――トカティーラは、骸骨のように骨ばった細い左手で、自らの左顔を軽く撫でる。
なんとも言えず、ルークは愛想笑いを浮かべようとしたが、出てくるのは苦笑にしかならなかった。乾いた笑い声を落とすルークを、トカティーラは右目だけの視線で見下ろしていた。
「……ここに来たのは、まあ仕事の一環でしてね。キミラさんも入院されているという話だったので訪問した次第ですよ」
「そ、そうなんですか。ちなみに、その仕事というのは……」
なんとなく厭な雰囲気を感じながら、ルークはトカティーラに問う。
そもそもルークが知る限り、安全委員でトカティーラが担当している仕事内容は、世間に公にできるような内容ではないモノが中心なのだ。
トカティーラは、(本人にすればにこやかなつもりの)笑みを浮かべて言う。
「ああ、何、それほど難しいことではありません。先日の一件で、警戒対象のうちの一人が妙に目立ったそうじゃないですか」
――警戒対象、と聞いて、ルークの脳裏には一人の少年の姿が浮かび上がる。
「今回この病院に来たのは、その警戒対象の事情聴取と言うわけなんですな」
やはりそうだ、とルークは確信を強める。
「それで、その少年は……」
「いえ、まだです。これからですな」
トカティーラの返事に、ルークは心のどこかで安堵するように胸を撫で下ろしていた。
だが、すぐにまた、顔をしかめそうになる。
トカティーラという人物について多少知っていれば……。
「いや、まったく。どんなモノなのか、気が高まりますな」
右目の瞳に、うっすらと愉悦の色を滲ませながら、トカティーラはそう言った。
内心だけで、苦い顔をするルーク。
対してリックは、トカティーラに感じた感情を隠そうともせず、表情筋を引きつらせた。
だが幸いにも、トカティーラはそんなリックの反応を見咎めるようなことはしなかった。
「……では、私はこれで失礼しますよ」
恐ろしげな(やはり、本人にとってはにこやかなつもりなのかもしれない)笑みを浮かべて一礼して、トカティーラは病室から出て行ったのだった。
「……あの人、誰ですか?」
バケモノじみた形相の男が退室して、リックはルークの方を振り向きながら、質問した。
気を抜いたように吐息して、ルークは病室の出入り口を見やる。
「ピーター・トカティーラ。安全委員……というよりはカワサキ対策委員会の暗部の人間だよ」
「俺、今日まで会ったこともありませんけど」
「うん。まあ、あの人は暗部だから。普通にやってたら、まず顔を合わせることもないだろうね」
「じゃあ、ルークさんは顔を合わせたことがあるってことですか?」
「ああ、まあね」
目線を落としながら、ルークはほっと一息をつく。
「Kr因子による汚染者、ならびに変質者予備軍が見つかった場合に対処するのがあの人なんだよ。まあ、やってることはただの掃除だけど……」
“掃除”という言葉を皮肉気に強調して言うルークであったが、今のリックには残念なことに気づかなかったようだった。
「あの人、陰で『安全委員の死神』って呼ばれてるんだ」
「……死神?」
「死神」という単語に、顔をしかめた様子のリック。
「……俺、あの人苦手かもしれません」
「うん、僕もだよ」
眉を潜めて扉を睨むリックに、ルークも同意の言を口にする。
「……僕があの人に初めて会ったのは、もう二十年は昔のことかな。当時からあんな風貌で、それで……」
昔を思い出すルークは、そこではたと言葉を止める。
「……とにかく、仕事に熱心な人だったよ。容赦がないっていうか……まあ、なんていうかな」
難しそうに片眉を歪めるルークは、トカティーラについて話すことをやめる。彼についてこれ以上語っても仕方がないし、そもそもリックが興味を示しているわけでもないのだから。
「それで、リックくん。そろそろ、君の口からもシドー国で何があったのか聞いてもいいかな? あの時、僕が気を失ってしまってからのその後、いったいどうなっていたのか」
「ああ、はい」
ルークの問いに、リックは気の抜けたような口調で返事する。
とりあえず、リックが今抱えている心労については、そっとしておいてあげようと判断したルークであった。
非常に間をあけてしまいました。申し訳ありません。




