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転生者の苦悩 ~呉呉末  作者: 近藤 了
 第三章 再来の襲
91/102

15,再来する災厄たち(5)

      ◇


 人気ひとけのない、薄暗い廊下にて。

「ぐっ」

 踏み出した足が、ふらつく。

 視界の端がぼんやりと輪郭を失い、色が失われ、世界が徐々に灰色に侵されていく。

 装甲術を無理に酷使したツケは、このまま歩き続けるにはあまりにも大きい。しかしあの状況で、四肢がバラバラにならなかったのは、本当に奇跡かもしれない。

 身体のいたる部位の筋肉が強張り、じんじんと熱を発する。

 骨はみしみしと内側からひび割れていく。

 関節という関節が痛み、軋みを上げる。

 身体のあちこちが、焼けるようにいたい。


 一歩を踏み出すのに、全身が悲鳴を上げている。


「――――っあ」

 踏み外した。

 硬い廊下に前のめりに倒れこむ。

 まわりには、誰一人として人はいない。

 満身創痍のリュウトに手を貸してくれる者は、いない。

 意識が飛びそうになる。

 視界が霞み、手足の感覚がだんだん遠くなっていく。

 今にも、視界がブラックアウトしてしまいそうだった。

 だが、気を失うわけにはいかなかった。

 今気を失えば、おそらくは一日以上、意識は戻らないだろう。

 今、首の傷を塞いでいる錬気を固定できるほどの余裕は、リュウトにはない。気絶すれば、傷口はまた開いてしまう。

 あの黒い化物――ゴブリンとの死闘で、ただでさえ少なくない量の血を失っているのだ。今また出血を許してしまえば、もう助かるまい。

 その上あの怪物めいた女を振り切った直後となっては、それだけでも今気を失うわけにはいかなかった。

 思考は既に泥のように濁っていたが、それでも周囲への警戒は怠らない。

 痛む身体を動かして、起き上がろうとする。

 自分がどこに向かおうとしているのかもわからないまま、リュウトは廊下を這いずった。


      ◇


 ――いったい何撃、剣を打ち込んだろうか?


「ちっ」

 舌打ちして、クラザはアレックスから距離を取った。

 間合いが開いたところへ、アレックスの魔法がクラザへ発射される。

 迫る魔力弾を、クラザは大剣を振り回して打ち落していく。

 その一発一発が、砲弾めいた威力を内包した大魔力だ。

 撃ち落された魔力弾は、あらぬ方向へ軌道を逸らされ、結果、床や壁、天井を容赦なく破壊していった。

 都合、六つ。

 それだけの数を打ち放ちながら、アレックスの表情に疲労の色はない。

(こいつ、どれだけの魔力を……!?)

 先の六発だけではない。

 クラザとの戦いで、アレックスは常に魔法で攻撃を行っていたのだ。

 その分の消費魔力を考えても、アレックスの魔力量は常軌を逸している。

「さすがは、安全委員の最高戦力が一角。私ではどうにも、抑えきれる自信がございません」

 慇懃な口調で、アレックスはどこまでも自嘲的な言葉を口にする。

 しかしてその言葉を紡ぐ表情には余裕が見え、彼の本心を悟らせない。

「ぬかせ!」

 吼え、クラザはアレックスへ距離を詰める。

 重厚な大剣を軽々振り上げ、アレックスを真っ二つに両断せんと振り下ろされる。

 しかし、その凶暴な一撃の前に、手甲をはめたアレックスの右手が割り込む。


 ガキン、という甲高い金属音が鳴る。


 クラザの必殺の剣撃は、アレックスを傷つけることなく、難なく受け止められてしまう。

 先ほどから、クラザとアレックスの戦闘はこの一本調子だった。

 クラザが剣撃を打ち込めばアレックスが手甲で防ぎ、アレックスが魔法で迎撃してくればクラザがそれを打ち払う。

 アレックスの背後で、魔力の塊が複数展開していく。

 危険度は大きくはない――とクラザは勘で察して、その場で横に一回転してアレックスを強引に弾き、遠心力を加えた薙ぎ払いで射出された魔法を払う。

 返す刀で、体勢を崩したアレックスへ、横薙ぎの一撃を加えようとするが、

 その瞬間、クラザはアレックスの口元に勝ち誇ったような笑みを見て取った。


 ――ぞわ、

 と。


 クラザの本能が、身に迫る脅威を感じ取る。

 咄嗟に身体を捻り、体勢を低くする。

 アレックスへの必殺を逃したが、おそらくはそのまま打ち込んでいたとしてもアレックスへは届かなかっただろう。

 何故ならば、身を低くしたクラザの頭上を、強風と共に黒い剛腕が薙ぎ払っていったからだ。

 背後からの奇襲を、クラザは勘だけで捉え、見事、回避したのだ。


 ――だが、それはあくまで初撃を避けきっただけのこと。


 無理な体勢になったクラザへ、今度は鉄槌のごとき黒い拳が真上から振り下ろされる。

「ぐ――――あっ」

 大剣の腹でガードしようとしたクラザへ、無慈悲の鉄槌が叩き付けられる。

 その圧倒的な破壊力は、たったの一撃でクラザを戦闘不能寸前にまで追い込む。

 大剣の柄を掴んでいる右手に、力が入らない。

 剣の腹を押さえていた左手も、肘から下の感覚がない。

 身体の中で、何本の肋骨がやられたのだろうか。

 そう考えた瞬間、ごぼっ、とクラザは血の塊を吐き出した。

 天井を見上げるクラザの視界に、この暴力を発揮してきた怪物の姿が映りこむ。


 ――黒い肌。

 ――身体中が逞しい筋肉で覆われた、筋骨隆々の巨体。

 ――クラザを見下ろすその顔は、見るも悍ましい異形の貌だった。


 怪物が、わずかに口を開く。

 鮫じみた鋭い牙が並ぶ口内が見える。

 クラザは、この黒い化物が何なのか、瞬時に悟った。

(……オーク)

 それは、ゴブリンと同じく戦争時代に開発された人型の魔獣だった。


『 ■■■■■■■■■■■■■■!! 』


 黒い怪物の咆哮が、空気を振動させる。

 上から押し潰されるかのような圧力が、クラザを襲う。


「ほーう。まーだ生きておられるか」


 感心するような、陽気な老人の声がクラザの耳に届いた。

 首だけを動かして、クラザは声の主を探す。

 すると、オークの足元に、背広に身を包んだ小柄な老人がいるのが見えた。白い髭に、いかにも温和そうな、老人の表情。身長は、オークの膝ほどまでしかない。

「遅いですよ、へーラック殿」

 すました風な、言葉とは裏腹に余裕の見えるアレックスの声音が、老声にそう応じる。

「すみませんな。どうも此度の遠征、この老体には堪えますわい。アレックスさん方と違い、わたくしには戦う体力などございませんのでな」

「その分、へーラック殿の魔獣部隊が、今回はかなりの働きをしていただけると思いますが」

「ふむ、そうですな」

 まるで、世間話でもするかのような、老人と若者の会話。

 しかし、交わされる内容は日常から著しく解離している。

「おうそうでした。アレックスさん、急ぎ試合場の方へ終結せよと、ベルスさんからの指示ですぞ」

「そうでしたか。何か、あったのでしょうか……」

「さあ、どうなんでしょうな。まあ、行ってみればわかりましょうて」

「ですね」

 老人、へーラックの言葉に首肯して、アレックスは視線をクラザへ移す。

 その意を汲み取るかのように、オークがクラザへとどめを刺すべく手刀を振り上げ、


「捨て置きなさい。そんなボロクズは」


 老人の冷徹な声が、それを切り捨てる。

 オークは、まるで意思があるかのように一瞬動きを止め、次いでへ―ラックの方を向く。

 小さな老人は豊に蓄えた白鬚を撫でて、首を横に振る。

 さらに数刻の間。オークは手刀の構えを解くと、大人しくへーラックへ自らの掌を差し出す。

 老人は満足げに頷き、黒く巨大な掌に腰を落ち着ける。

 ヘーラックを抱え上げたオーガは、踵を返すが――、

 その時、老人が「ふむ」と興味深げな声音を発した。


「なかなかどうして、とてもとても堅くて重そうな武器をお持ちですな」


 へーラックの視線は、クラザが盾にした大剣へと向けられている。

「ふーむ」

 顎の髭を撫でつけながら、ヘーラックは悩ましげな声音で唸っている。

 と、その思惑を察したかのように、黒い巨人はかがみ、クラザの大剣を掴み取る。

 奇怪な形をした剣である。

 巨大な鱗を連ねたような刀身は、斬ることにあまり向いてはいないように見られる。〝斬る”というよりは、むしろ〝ぶった切る”というような、豪快な戦い方になるだろう。

 ヘーラックは、「持ち主の性格が表れている」という印象を受けた。

 だが、すぐに興味を失ってしまう。

 オークも、その場に長居はしなかった。

 抱えている主の様子を伺ってから、その巨体からは想像もできないような敏捷さでその場から駆け去っていった。

 後に残されたアレックスは、今一度クラザを見やるが、やがて先行したヘーラックたちを追って去っていった。

「ま、っ――」

 待て、と叫びにもならないクラザの声を置き去りにして。


      ◇


 突如として爆発した謎の閃光に、一時はパニック状態にまでなった観客席は静まり返った。

 暴虐を働いたゴブリンたちでさえ、想定を超えた事態に戸惑っているようだった。真実は、状況が変化したことにより、機能停止してしまったのだが。ここでベルスがもう一度指示を出せば、ゴブリンたちはすぐにでも活動を再開させるであろうが……。


 ベルスの意識は、そこには向いていなかった。


 黒衣の少女が睨む視線の先には、たった今白の閃光と共に出現した謎の男がいる。

 観客席の一角に立ち、黒いマントを羽織るその男はまっすぐにベルスを見下ろしていた。

 交わされる視線には友好的な色はなく、双方とも、敵意の滲んだ睨み合いがあった。

 そしてそんな睨み合いは、そう長くは続かない。


 最初の動きは、ベルスの方だった。


 ――つう、と。

 細長い色白の腕が中空に持ち上げられ、男の方へ掌を向ける。

 そして、


 男が立っていた場所が次の瞬間、周囲の一般人たちごと、見えない力に押し潰された。


 魔法による不可視の先制攻撃だ。

 その一撃は、席をいくつも押し潰し、男の近くにいた観客さえ巻き添えにして、大きなクレーターを抉るほどの破壊をもたらした。

 一瞬にして勝負を決めたのは、ベルスにそれだけの結果を出すだけの能力があり、そしてベルスが男に好奇心を刺激されなかったからだ。

 だが、勝負を制したはずのベルスの表情は険しい。

 黒衣の少女は、敵を排除したことによろこびも安堵も覚えていない。


 ベルスが持ち上げていた片手を下ろした時――反撃があった。


 ベルスの背後から、赤い槍が襲いかかる。

 一瞬で繰り出された鋭い刺突は、しかしベルスが振り返るまでもなく装甲術の前にあっけなく弾かれる。

 だが、赤い襲撃はそれだけに留まらなかった。

 赤い槍は一瞬で引っ込められ、再び第二突目が繰り出される。三突、四突、弾かれればまた引っ込められ、その繰り返しだ。

 一刺一刺の威力は、ベルスの装甲術の防御力を突破するほどのものではない。

 だがその一つ一つに、濃密な殺意が纏わりついているのだ。この試合場にかけられている魔法の存在を、一瞬でも忘れてしまうほどに。


 だが、だからと言ってベルスが防戦一方になっているわけではない。


 攻撃のタイミングに合わせて振り返りざま、その赤い槍身を掴む。

 相手が槍を引き戻そうとする前に、ベルスの方から槍を引き寄せ、相手を叩き潰す――そのつもりだった。

 しかし、敵の判断能力はベルスの予測を上回っていた。

 ベルスがその瞬間に感じたのは、ぶにゅりとしたやや弾力のある堅さと、張っていた何かかだらんと弛緩する手応えだった。

 突如、赤い槍身がぐにゃりと歪み、その直後、ベルスは地上十数メートル上空にあった。

 身動きの取れない空中で、ベルスは冷静に状況を分析する。

 直前まで、ベルスに跳躍の意思などなかった。

 ベルスの視線が、未だ握っている赤い何かへと向く。

 赤い槍だと思っていたそれは、もはや槍というにはあまりにも曲がりくねっていた。

 刺突の際には真っすぐだった身は、蛇の胴体やタコの足のようにしなり、ベルスを空中へと持ち上げていたのだ。

 なるほど、とベルスは納得した。

 赤い刺突を無暗に掴んでしまったのは早計だった。

 あわやこちらから引っ張ろうと、しっかりと握っていたことが逆に仇となってしまった。


 あれは、槍などではない。


 状況によっては鋭く一直線の刺突も、柔軟な可動も思いのまま。

 攻撃する際は槍のように固く真っすぐな軌道で獲物を穿ち、引き戻す際はその柔軟さが活きる。

 そして、もし刺突を掴まれるなどされたならば、それを逆に利用し、相手を振り回す。

 そして、ベルスの手が感じる、この感触は……。


「――羽骨か」


 掴んでいるそれの正体を、口にする。

 ぶにょぶにょと肉めいた触感、暗い赤色は、どことなくミミズのようだった。

 使徒という、吸血鬼に変質させられた異形の者が操る生体器官。それが、赤い刺突を繰り出し、ベルスをここまで振り上げたモノの正体だ。

 くいっ、と。

 ベルスが掴んでいる羽骨が、ベルスの手を引き、ベルスを地面へと叩き付けんとする。

 この高度から高速で地面へと衝突すれば、その衝撃はベルスでも無傷とはいかないほどのものになるだろう。

 ベルスは掴んでいた羽骨を離した。

 果たしてそれは、ベルスの窮地を救ったかもしれなかった。

 羽骨が地面へと吸い寄せられるように引き戻されていく。

 そしてベルスが落とされる先には、先端が尖った岩があった。

 あれに貫かれるとは思わないが、高速での落下のエネルギーを一点で受ければ、あるいはベルスの装甲術も破られてしまうかもしれない――という気もする。

 落下しながら、ベルスは羽骨が引っこめられていった地点を睨む。


 思った通りだった。

 そこには、マントの裾から赤黒い触手――羽骨を突き出させた男の姿があった。


(あの男、使徒だったか)

 使徒の男の手が、ベルスへと向けられた。

 魔力の波動がかすかに感じられ、直後、ベルスの落下スピードは尋常ならざる加速を遂げた。

「――――っ」

 超高速で、ベルスの身体が地面と衝突する。

 砂塵が舞い上がり、地面にはクモの巣上に亀裂が走った。

 衝撃がベルスの身体を駆け巡り、蹂躙する。

 装甲術の防御力をもってしても、ベルスは衝撃を殺しきれなかった。

「ぐ――はっ」

 立ち上がり、肺の空気をすべて吐き出す。

 受けたダメージで言えば、今のが今日一番の衝撃である。

 わずかに息が乱れていることを意識しながらも、ベルスは正面を睨む。

 砂煙の向こう、使徒の黒い影がわかる。


 その影が、不意に動いた。


「――――」

 直後に男から発散される、強烈な殺気。

 真正面から突き込まれた正拳を受け止めるのは、ベルスにとっては苦もないことだ。

 だが、その後の状況はある意味彼女の想定を違えていた。

「――――へえ」

 ベルスの声音に、好奇の色が宿る。

 当然ながら、今のベルスは装甲術によって禍々しい黒い錬気で覆われている。

 この状態の彼女に触れたりすれば、錬気を持つ人間であればほとんどが発狂するほどの精神汚染を受けるはずなのだ。

 それなのに、今ベルスに拳を掴まれているはずの男は――、


(……いや)


 直後に、ベルスはそのからくりを看破した。

「お前、錬気が――」

「……ええ。僕には錬気が、ない」

 ベルスの言葉に続くように、男がそう口にした。

 白髪が混じった黒い髪。赤い瞳。やや童顔気味の顔立ちは、シドー人のそれだ。

「君の錬気の影響は、受けない」

 にっ、とその口が笑みを刻む。

 使徒とはいえ、錬気を持たない人間がいるという事実よりも……、


 少年のようなその笑みは、ベルスの記憶を酷く搔き乱す。


(――似てる)

 至近距離で睨み合っているこの男の姿が、記憶の中の“奴”に重なる。

 そっくりと言うわけではない。似ているかどうかで言えば、“死神”の方が“奴”に瓜二つである……。

 だが、目の前の男は何故かあの忌まわしい敵を連想させた。

「お前は――」

「君が今連想しているのは、生まれ変わる前の君か? それとも、カワサキ先生か(・・・・・・・)?」

「――――」

 男の口から出たその言葉に、ベルスの中で小さくない動揺が生まれる。

 カワサキ先生。たしかに男はそう言った。ベルスにとって最も忌まわしい人物の名を。つまりは……。

 男の口元が、ニヤリと笑みを刻む。

 ベルスは空いている方の手で手刀を叩き込もうとするが、受け止められてしまう。

 両者ともに、両手が塞がった状態。


 しかし、男には背面から生え出る羽骨がある。


 二本の赤黒い触手が、瞬時にベルスを貫かんと迸った。

 対するベルスの対応は、装甲術による防御――ではなかった。

 むくり、とベルスの背中が盛り上がる。

 黒い布地を破り、ベルスの背面から出てきたのは二本の腕だ。

 ベルス本人と比較してみても明らかに大きく、やせ細ったその腕は、迫る二刺を受け止める。

 片方は掌からずぶりと貫かれ、もう片方の腕は見事羽骨を掴み取った。

 その強引な対処の手法に、眉をひそめたのは男だった。

「……ベルセルク、“血族”竜仙寺家の能力」

「ああ。そして使徒(お前)と違って、腕の数に限りはない」

 ひきつるような笑みを浮かべ、直後にはベルスの背後から千手観音のごとき無数の腕が生え出てくる。

「かなり、使いこなしてるみたいだな」

 絶望的とすら思える状況で、男は他人事のような声音で、そんなことをつぶやいた。

 直後、無数の腕が男を押し潰さんと押し寄せてくる。

 後ろへ退こうとするが、片手をベルスに掴まれているために退避は叶わない。

 そこへ――、


 無数の歪な腕が、真上から男を押し潰した。


      ◇


 無数の腕が、地面を叩き割らんと殺到する。

 地面には亀裂が走り、土煙が舞い上がる。

 その大破壊に、男の死は免れぬとさえ思われた。

 しかし……。


「…………」


 ベルスは無言で、正面を睨み見る。

 土煙が晴れた時、ベルスの前方には、押し潰されたはずの男の姿があった。

 男が生存しているからくりは、至極単純だ。

 男の右腕は、肘から先がすっぱり切り落とされていた。

 数の暴力に潰される直前、男は自らの右腕を切り捨て、回避に成功したのだ。

 同じく掴まれていた二本の羽骨は、その気になれば捨てることに厭いはない。

 男はわずかに息を乱し、ベルスを睨んでいる。

 その右腕が、見る見るうちに再生していく。

「今の僕ではきついな、これは」

 ぼそりと、自嘲するように男はつぶやく。

 そんな彼を、ベルスは無言で睥睨する。


「ベルス」


 その背後から、声がかかる。

 声をかけたのは、ベルスとまったく同じ容姿をした少女――ヨミである。

 ベルスと同じ顔立ち、身長、装束……。

 唯一二人を見分けるのは、ヨミの左目を覆う眼帯の存在と、ベルスの背面から生え出る無数の細腕の存在だ。

「ヨミ、全員ここに呼び出せ」

 端的に、ベルスはヨミにそう告げる。

 その言葉の意味を察したヨミは、ぎょっとしたように目を見開く。

「それは……」

「計画の変更はやむを得ない」

 怪訝な声音を発するヨミを、ベルスは有無を言わさぬ口調で遮る。

「集めて、どうするつもり?」

「アレを殺すには骨が折れるだろうからな。全員で一気に潰す」

 男を睨み、ベルスは答える。

 そのつぶやきを、男は聞き逃さなかった。ふっと鼻で嗤うように笑み、男は嘲るような感情を瞳に宿してベルスを見る。

「面倒なことは超火力で解決、か。君と先生とで、実はそんなに違いはないのかもしれないな」

 つぶやくその言葉を、ベルスは聞きこぼすこともない。

 男が言った言葉、その一語一句を、彼女の鼓膜は逃さず聞き取り理解する。


 ……酷く、不愉快だった。


 男が言わんとする意味、その意図を、ベルスは隅々まで理解できたことだろう。

 だからこそ、自覚させらるのだ。

 “お前は、カワサキにそっくりだ”と。

「お前に、何がわかる……」

 絞り出された声には、怒りの怨がこもっていた。

「わかるさ。僕は錬気を持たないが、読心術なんてこの世界に元々ある魔法でもできることだ」

 さも当然だ、というような男の言葉に、ベルスは目を見開く。

 読心は魔法でもできる――わかりやすく言い換えれば、彼は魔法でベルスの思考を読んだということ。

 だが、長き時を生きているベルスの知識に、他者の心を読む魔法などない。

 隠しこまれた本心を吐き出させる魔法はあるが、対象の心の内のみを対象に気取らせることもせずに見通す魔法はなかった。


 ではこの男の言う魔法とは、いったい……?


 ベルスの抱く疑問を嘲笑うかのように、男はにっと笑む。

「あまり考え込む必要はないさ。君は随分長く生きてるみたいだが……生憎、僕は君たちよりも昔の人間(・・・・・・・・・・)なんでね」

 その言葉に、ベルスの双眸が細められる。

 ベルスたちよりも、昔の人間……。この使徒は、五百年さえも超える大昔から生きている人物である、ということなのだろうか。

 千年か、二千年か。

 たしかに使徒であっても、吸血によって得られるエネルギーを上手くコントロールできれば、真祖のように半永久的な活動が可能だろうが……。

「旧時代の人間には、錬気がなかったってことか」

「ああ。そうだな。せいぜい一万年……少なくともそれくらい昔の人類には、欠片ほども錬気がなかったな」

 男の口から出た数字に、ベルスの中で一瞬、動揺が走る。


 一万年。一周期前のネワギワの世界を、この男は知っているというのか――?


「君だってな、考えたことくらいあるんじゃないか? この世界の人間の錬気は、あまりにも小さすぎる。進化の過程で人類が手に入れるはずのなかった機能を、後づけで足したからだよ。人類が手に入れるはずがなかったってことは、発達させる必要がなかったってことだ。そりゃ、微量しか持ってないわけだ」

 男は淡々と自説を述べる。

「――で、ここにきてお仲間のご登場ってわけか?」

「ああ」

 静かな確認が交わされる。

 男の表情には笑みが、ベルスの表情には冷徹な視線があった。


 直後のこと。

 男の頭上に、黒い巨人が襲いかかった。

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