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転生者の苦悩 ~呉呉末  作者: 近藤 了
 第三章 再来の襲
88/102

12,再来する災厄たち(2)

      ◇


 ――異常は、突然訪れた。


 けたたましい悲鳴。

 誰のものとも知れない叫び声を聞き、悲鳴の発生源へと急いで向かうと、廊下におびただしい量の血がぶちまけられていた。

 その非日常の異常さを認識して、クラザ・ストーラはすぐさま走り出した。

 幸いなことに、彼が目指した場所はすぐ近くであった。

「何が起こってる!?」

 声を荒げ、クラザは扉を開け放った。

 その場所は、今回、安全委員が定期戦の会場を警備するにあたって用意された、彼らのための作戦室だった。

「さっきの悲鳴は何だ?」

「……えと、その……不明、です」

 クラザの問いに、焦燥の色を表情に刻んだ若い安全委員職員がしどろもどろに返答する。

 その答えに、クラザは自身が苛立つのを感じた。

 しかし瞬時に自分を諫め、素早く室内を見まわす。

 ……非常に間が悪いことに、室内には若い職員たちしかいない。

 彼らはもとより、会場内のあちこちの監視カメラの映像を確認するという仕事なのでこの部屋にいるのは不自然ではないのだが、いかんせん、今は頼りないことこの上ない。

「ルークはどこにいるかわかるか?」

「いえ……す、すみません」

 顔をしかめたクラザに、若い職員は慌てて謝罪の言葉をつけ足す。

「あ、あの、それでですね……」

「……どうした?」

 言いよどむ職員に、クラザは厭な予感を覚えつつも先を促す。

 しかし返ってきた言葉に、彼は一瞬呆然となってしまう。


「回線が、さっきから繋がらないんです。通信もすべて……」


「…………そういうのはもっと早く言え!」

 偏頭痛さえ、起りそうな気がした。

 若い者たちにここを任せきりにしたのは、間違いだったかもしれない。

 この状況、いったいどうしたものか。

 通信回線も繋がらないということは、今会場の各地に散っている仲間たちにも連絡が取れないということだ。

 いや、もしかすればクラザのように、この近くにいる仲間ならば異変に気づき次第ここに駆けつけてくるのではないだろうか――?

「通信が切れたのは、正確にはいつだ?」

「つい、数分前かと――」

「クラザ!」

 その場に、クラザでも、若い職員のものでもない第三者の声。

 その声音は、クラザにとっては聞き親しんだ同僚の声だった。

「ルークか。おまえも、あの悲鳴を聞いたのか?」

「うん。これはいったい……」


 ――その時。


 大きな破壊の音が、立て続けに二回、遠くの方で響くのが聞こえた。

「な、なんだ!?」

 驚くルークの声。

 二人はすぐさま、音の方に向かおうとしたが、できなかった。

 何故ならば、二人の行く手を阻むように、廊下の先に二人の人影が立っていたからだ。

 二人ともが、黒い装束に身を纏った男女であった。

 男の方は、ゆったりとしたローブを纏い、裾から覗く右手には銀の手甲が嵌められている。浅黒い肌と金色の長髪は、その男の出身がシドー国ではなくザーナ系であることを臭わせている。

 対する女の方は、黒いシドー着に、いかにもシドー人な顔立ち。そして……左目を覆う、黒い眼帯。

 男の見た目は、おおよそ二十代ほどか。少年というにはあまりにも大人びた雰囲気は、どちらかと言えば青年という言葉がよく似合う。

 女の方は、あるいは少女と言ってもいいくらい、若々しい外観である。


 ――否、女の方に限れば、二人はその少女の年齢を侮ることはなかった。


 黒衣の少女は、二人のよく知る人物だったからだ。

 忘れもしない、三年前のあの時。

 ルークとクラザが、二人がかりでなお歯が立たなかった強敵の女。

 五百年も昔の人体実験によって誕生した、今なお生きる最優先駆逐対象。


「――片目の……ヨミ」


      ◇


 ――反応自体は速かった。


 硬直していてなお、リュウトは反応してみせた。

 彼の意識は、理論を超越した反射神経で身体に指令を送っていたのだ。


 何をされたのか――?


 残念ながらそれを認識できる余裕はなかったが。

 とにかくリュウトはその瞬間、上に跳んだ。

 跳ばなかった場合に彼に訪れていたであろう結末は、地上数メートルもの空中でちらりと下方を見た瞬間、明確なイメージとなってリュウトの脳内に再現された。


 深く穿たれた、クレーターのような陥没。


 訓練室の床を抉った、謎の攻撃。

 それが紡ぐリュウトの結末は――“死”以外にあり得ない。

 理屈はわからない。

 原理も見当がつかない。

 だが、少女の意思によって、今まさに、自分が圧殺されるところであったと、リュウトはまさしく理解した。

 空中で、リュウトと少女の視線が交差する。

 少女の瞳には、死の運命を回避せしめたリュウトに対する好奇の色が浮き出ていた。

「…………へえ」


 ………………………………ドロ――

 ――と。


 厭な予感が、リュウトの背筋に忍び寄る。

 背筋から生まれいづるその感覚は、背骨を這い上がり、彼のうなじの毛を逆立て、後頭部を芯から震わせてくる。

 少女がただ、一声を発しただけ。

 たったそれだけなのに、どうしてこんなにも過敏に反応してしまうのか。

 心臓が、ドクリと跳ねる。

 血流に乗って、厭な感覚が全身に行き渡る。

 少女の一挙手一投足に、視線が釘付けになる。

 全身から厭な汗が噴き出して、体温がどんどん下がっていく。

 まわりの時間が、酷くゆっくり感じられた。

 少女がと、流れるような動きで片手を持ち上げ、リュウトへ向ける。

 色白で細い指が広げられ、掌がリュウトに向けられる。

 それだけで、


 ――――――――ギョッ、とした。


 リュウトの意識が、ズンと重くなる。

 直後に、視界が反転する。

 空中にいたリュウトは、瞬く間に床に叩き付けられていた。

 錬気による強固な鎧に身を纏っているにもかかわらず、その衝撃は芯までリュウトを震わせる。

 頭から火花が散る。

 視界が二重にも三重にもぼやけて見え、身体中から激痛の悲鳴が鳴り喚く。

「――――っあ」

 落とされる直前、かろうじて、装甲術に費やしている錬気の密度を高められたことが幸いしたのかもしれない。

 リュウトが床に叩き付けられた際の衝撃によって、床はクレーターが抉れたかのような有様になっていた。

 先ほどリュウトが回避した謎の攻撃と同じもの。

 まさしく、装甲術の防御力を上げていなければ、衝突に耐えられずにリュウトは潰れ死んでいたに違いない。


「――凄い装甲術だな」


 少女が、面白そうに口角を引き上げて、称賛の言葉を紡ぐ。

 鈴が鳴るような、凛として透き通る声音。

 常人ならば聞き惚れてしまいそうなその音色も、リュウトには何故か、空虚で底なしの響きを感じさせた。

 少女の手が、リュウトに向けられる。

 少女の目が、細められる。


 …………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………死ぬ。


 直感した。

 三度目のアレがくる。

 先の二回よりも、遥かに強大な破壊をもたらすであろう攻撃が、リュウトを蹂躙する。

 しかし、少女の攻撃が決まるよりも先に――、


「『イノヴァ』!」


 早口で紡がれる、グランバルトの詠唱。

 それがいったいなんの魔法なのか、詠唱に聞き覚えこそある気もしたが、リュウトにはわからない。

 事実、その場に魔法らしい派手な変化は起こっていない。グランバルトの魔法は、リュウトの肉眼には見えなかった。


 だが、感じる。


 とりたてて魔法の才などないリュウトにもわかる、その明確な変化。

 グランバルトの不可視の変化は、少女がもたらすはずだった変化を拒絶する。

「――――む?」

 疑問の声音は少女から。

 黒衣の少女は、不思議そうに首を傾げる。

 そして、一秒ほどの時間を空け、はっとしたように目を見開く。

「そうか。対魔障壁か……うん、なるほどな。たしかに、それだと壁の向こうには攻撃できない」

 納得するように、うんうんと頷く。

 その呟きから、リュウトもおおよその状況を察することができた。


 グランバルトが発動したのは対魔障壁である。


 魔法を発動した際に活性化した魔力を打ち消す、拒絶する性質の障壁を展開する魔法。

 発動中は使用者も魔法を使えず、物理的な通過はいたって容易というデメリットこそあるが、それはまさに魔法への対抗のみに特化した防御魔法だった。

 そして対魔障壁によって少女の攻撃を防いだということは、少女がやろうとしていたのは魔法ということ。

 少女は、まるで余裕な雰囲気を崩さずに、破顔してみせた。

 リュウトは、少女のそんな表情の変化にさえ、ぎょっとしてしまう。


 ――何故笑う?

 ――何故攻撃なんてしてくるのか?

 ――そもそもどうして、俺はこんなに、あの女を恐れている?


「たしかに、これじゃそこの少年の魔力が持つ限り、俺は君たちに魔法で攻撃できないな」

 対魔障壁を展開しているグランバルトにちらりと一瞥を投げて、少女はにこやかに笑う。

 無駄なことなのに、少女の片手は、未だ中空に持ち上げられたままだ。

 リュウトがそのことに、ふと疑惑の念を覚えた時――、


「…………魔法では(・・・・)、な」


 直感が、悪寒が、背中の筋肉を伸縮させる。

 ――ドロリ、と。

 少女の手から、黒い靄のようなナニカが湧き出る。

 それを見た瞬間、リュウトの中に二回、同様の波が押し寄せた。


 ――一度目は、「あり得ない」という、目の前の光景を否定する己の内の常識。

 少女の手に纏わりつくそれを、リュウトは知っていた。

 それが何であるのかを知っているが故に、一番先にあり得ないと、その光景を拒絶しようとした。

 しかし、リュウトはそんな動揺とは無縁の人間だ。

 動揺が生まれた次の瞬間には、「あり得ない」はずの目の前の光景を、しかして「あり得る」事実なのだと肯定していた。

 それは、己の持つ常識に固執しないリュウトの思考によるものだが。

 二度目の動揺は、容易にその光景を認めてしまったが故に起こったことだった。


 ――――ヤバい。


 アレは冗談抜きで、本気でヤバい。

 そしてそれを操る少女もまた、絶対に関わってはいけない存在だ。

 なまじ、少女の手が纏うそれを熟知していたリュウトだ。

 その禍々しさもまた、忘れようもなく鮮明に知っていた。

 黒い靄めいたソレは瘴気でも放っているかのように、まわりの空間を暗く、重く浸食していく。

 リュウトの他にその場にいた二人にも、ソレが放つ絶対に良くないモノを感じ取っていた。


「――はあ」


 吸った息を、吐きだす音。

 少女がついた小さな吐息は、ただそれだけでその場の空気を蹂躙し、支配する。

 少女が腕に纏っている黒い靄が、少女の全身から溢れ出し、少女の身体を覆いつくした。

 それは……負の感情より生まれいづる、ドス黒い色をした錬気だった。

 錬気を操る技法があったリュウトの前世においては、禁術として葬られるほどの、危険な技法である。

 それが今、リュウトの目の前で再現されていた。

「――――――」

 あまりの光景に、開いた口が閉まらない。

 あの(・・)ドス黒い錬気を、生み出し操るのみに留まらず――、


(――装甲術(・・・)まで)


 冷汗が、背中から噴き出していくのがわかった。

 少女が何故に黒い錬気を扱えるのか、その疑問よりも先にくる、目の前の脅威に対する警告。

 この女は、マズイ。

 少女の姿が、音と共に消える。

 その驚くべき移動速度に、リュウトの肉体は反応まで至ることができない。

 目には見えている。

 少女の移動速度は、音速に迫るほどの高速でなお、リュウトの視力を振り切ることはできなかった。

 だが、それだけ。

 その時点で、少女の肉薄する速さはリュウトの最速を軽く凌駕していた。

 本来であれば、リュウトがどう頑張っても指先をピクリと動かす程度の、極短時間。

 少女の拳が、リュウトの胸に打ち込まれる。

 超高速での出来事でありながら、その威力は明らかに、手心を加えた一発だった。

 リュウトの胸の真ん中へ吸い込まれていく右拳は、リュウトを吹き飛ばしこそすれ、粉々に粉砕するものではない。

 その手加減に生まれる、一瞬の減速。


 そのスピードに、リュウトは限界を超えて(・・・・・・)追いついた。


 リュウトの右手が、黒いオーラに包まれた少女の右腕の、側面を打ち据える。

 少女の速度に肉薄したのは、右腕のみ。

 故に、多大な負担は右腕のみが負う代償だ。

 少女の拳の、軌道が逸れる。

 身体の左側を通過していく、黒い拳。

 果たして、少女の表情が、その時、間近に見ることができた。

 驚いたように、ポカンとした表情だった。

 リュウトが必至であるにもかかわらず、その少女の顔に、緊張や焦燥の歪みはなかった。

 だが、そのことに、リュウトは何も感じない。

 彼は既に、次なる行動に移っていた。

 ――空いていた左手を、迫ってくる少女の胸にあてがう。

 少女が突っ込む速度を考えれば、わざわざこの掌底を突き込みにいくような必要はない。

 相手の方から、突っ込んできてくれる。

 相手が女だという躊躇は、リュウトの中にはなかった。

 リュウトの掌が、少女の黒いシドー着に包まれた胸をしたたかにに打つ。

 大したダメージを期待していたわけではない――故に、リュウトの狙いは別にある。

 少女の胸を打った際に生じた運動エネルギーは、リュウトにも働いていた。

 リュウトの身体が、背後に吹き飛ぶ。

 空中で体勢を整えたリュウトは、そのまま飛ばされた先の壁に着地・・する。

 重力が元に戻る前に、リュウトは組み合わせた両手の拳を、ハンマーのように壁に叩きつけた。


 粉砕される、壁。人一人くらいは余裕で通り抜けられそうな、大きな穴が開く。


 リュウトでは、少女に有効打を与えることができない。

 だが、この現状、逃げ道(・・・)を作りだすことは容易だった。

 少女の背後に逃げることはできない。

 装甲術の他に身体強化魔法も使っているリュウトでは、すぐに対魔障壁で止まってしまう。

 だから、こっちへと逃げたのだ。

 壁に抉れた穴から、リュウトはその場を脱出したのだった。

 訓練室の隣接している部屋は、そこもまた訓練室のようだった。リュウトがいた訓練室と同程度の広さに、何人か、運動着姿の学生がいた。

 いきなり壁に穴が開いて、血まみれの運動着を着た生徒が出てきた光景に、誰もが閉口できず、呆然としていた。

「リュウト!?」

 その中には、ソージック校の運動着を着たテラの姿もあった。

 リュウトには、不意の遭遇を驚く暇も、警告を発すような余裕もなかった。

 何故ならば――、


 低く響く大きな破砕の音。

 今しがたリュウトが突破してきた壁から、少女がさらなる破壊と共に現れたからだ。


 闇のオーラに包まれた少女の視線は、リュウトにのみ注がれていた。

 その姿を目にした途端、リュウトの意識は逃避のみに集中する。

 声をかけようとするテラに脇目も振らず、ジークやグランバルトたちのことを考える余裕もなく、リュウトの思考はすべて、それのみに没した。

 訓練室の出入り口の方へと、まっしぐらに駆ける。

 その後を、少女は視線のみで追って、リュウトが訓練室の扉から出ていくのを見届けると、やっと、少年の後を追いだした。

 それは、まるで遊びだった。

 リュウトが逃げ、少女が追う。

 そしてそこには、現状ではどうあっても埋めることのできない差がある。

 少女オニの気分次第ですぐにでも終わってしまう鬼ごっこ。

 少女にとってそれは、まるで遊びに過ぎなかった。


      ◇


 午後の四時頃。

『フィースフィール』第二回戦の真っただ中にあったステージに、二人の人影が乱入した。

 一人は、血まみれの運動着に身を包んだ少年。

 もう一人は、そんな少年を追いかける黒いシドー着姿の女だった。

 どこからともなく現れた二人は、まさに、チャン選手とドゥ選手が睨み合っている白熱の展開にも構わずにステージの中央に向かって走っていく。


『お? おおっとー? これは、いったい……?』


 実況を務めるシャルル・シゲキも、困惑した声を発している。

 あまりの急展開に、対峙していたドゥもチャンも、立ち上がろうとしていたリックマンも、呆然自失となって二人の闖入者を見つめていた。

 先行するのは少年――リュウトである。

 その後を、漆黒の装束を纏った女が追走している。

 二人が地を蹴るたび、浅瀬の水が飛沫を上げるように飛び跳ねる。

 跳ねる飛沫の感覚は、一メートル以上はある。それだけでも、彼らがたった一歩でどれだけの距離を前進しているのかわかろうというものだ。

 しかし、実際に見た者の中でそれを理解できた者が、何人いたろうか。

 例えば、ソージックの観客席でその急展開を観ていたサムとハヤテには、リュウトたちの闖入に気づくのにすら、一秒以上の時間が必要だった。

 彼らの目には、二つの影が猛スピードでステージ内を疾走し、その後を追うように水飛沫が跳ねているように見えていた。

「なんだよ、アレ……」

 はっと我に返ったハヤテが、未だ忘我の余韻を残した口調で、呟く。

 誰に対しての問いというわけでもなかったろうが、サムは何も、言えなかった。

 突然の出来事に、まるで理解が追いつかない。

 これはいったい何だというのか。

 今年の定期戦には、こんな破天荒なイベントまで計画されていたというのだろうか。


 彼の視線の先で展開される猛スピードの競争(?)は、その時、終わりを迎えた。


 少年、リュウトの疾走が止まったのだ。

 そして、黒装束の少女の姿もまた、リュウトの前方に立っていた。

 互いに睨みあう両者。

 突然に起こった展開は、今なお困惑の渦に包まれる周囲を置き去りにして、次の急展開を迎えようとしている――。

 何故か、そう予感する。

 サムの中で、得体の知れない感覚が芽生えていく。

 それが、何による目覚めなのか、サムにはわからない。


 ただ、何かが起こる――という根拠のない確信と、何かをしなければならない――という正体不明の使命感が、この時サムの胸の中に渦巻いていた。

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