11,再来する災厄たち
◇
――黒く、大きな、細身の男。
それが、三人が抱いたであろう怪物への印象だった。
人型の怪物。
ヒトの形をしていながら、何故それが異形の類であるとわかるのか。
それは、相対した三人でなくとも、おのずと察してしまえるほどに明らかだった。
――黒く、細い、ミイラかと一瞬でも錯覚してしまいそうな、大きな手。
――黒いローブをと被りながらも、あちこちが破れて穴だらけなせいで、その貧相な体躯や、手足の異様な細さが認められた。
――身長は目測でも二メートルを超えるだろう。
――顔をすっぽりと覆うフードの奥からは、ぎらつく牙が二本、前に向かって突き出ていた。
……ヒトではない。
アレが、ヒトであっていいはずがない。
そのヒトならざるナニカが、リュウトたち三人に視線を向けた(ように三人には見えた)。
直後、禍々しい魔力の波動が黒い化物から発せられる。
ジークが、完全に臨戦態勢に入る。
グランバルトが、緊張に顔を引きつらせながらも化物へ掌を向ける。
状況がまったくわかっていないにもかかわらず、それから発散される異常さに、ジークもグランバルトも余計な邪念を挟むような愚行を犯さなかった。
そして――、
化物の視線が、グランバルト、ジーク、そしてリュウトへ、順に移っていき。
唐突に動き出す黒い怪物。
その初速は、予想に反して俊敏である。
怪物の姿が、リュウトの目の前まで一気に距離を詰める。
人の身体なんて容易に貫きそうな手刀が、リュウトめがけて突き入れられる。
首筋を狙われた一撃を、リュウトは首を逸らして回避する。
黒い手刀が、リュウトの頬を掠めていく。
ピッ、とリュウトの右頬に赤い一筋が走った。
「――――」
リュウトの目が、見開かれる。
ほんのわずかに掠った程度で、怪物の手刀はリュウトの頬の肉を裂いた。
その――あまりにも凶暴な鋭利さに、リュウトはこの怪物への疑惑が、己の中で確固たるものとして膨らんでいくのを感じた。
実を言えば、今のリュウトは、掠った程度で皮膚が裂けるほど無防備ではない。
リュウトの身体を包み、竜巻めいた渦を形成している青い色の錬気。
自身の錬気を、さながら鎧のように展開する技法を、装甲術と呼ぶ。
今のリュウトは、防御力だけで言えば軽装のレベルであれ防具を装備した状態と同じである。
並みの……というよりは、安物のナイフ程度であれば弾けるだけの防御力があるのだ。
なのに軽傷とはいえ傷を負ったということは、怪物の手刀がそれだけに鋭利で、斬撃という攻撃に特化しているからだろう。
リュウトの身体から溢れるオーラの光が、一段階強くなる。
身に纏う錬気の密度を高めることで、さらなる防御力を得ているのだ。
リュウトは化物の腹を足裏で蹴り飛ばし、その時の反動でついた勢いも利用しバク天することで化物から間合いを取る。
離れたリュウトへ、化物は戸惑うこともなくまた距離を詰めてくる。
『 ――――――――――――――!! 』
迫りながら、化物が聞くにも悍ましい雄たけびを上げる。
猛獣が上げる唸り声にも、絶望に慟哭する絶叫にも聞こえる、空気を震わせる叫び。
「――うるっせえい!」
そう叫ぶ声は、化物の横から。
リュウトしか見ていなかった化物は、その抉りこむような拳に対処できない。
横合いから無理やりに割り込んできたジークの拳が、化物の脇腹にめり込む。
「おらあぁッ!」
押し込まれた拳の先から、さらに爆発するように衝撃が黒い体躯へ迸り、長身痩躯の化物が吹っ飛ぶ。
壁に盛大に激突し、さらにそこへグランバルトの無慈悲の追撃が襲う。
無数の魔力の塊が、雨のように化物へ降り注ぐ。
しかし、
『 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――!! 』
びりびりと、それだけで衝撃波さえ発生しそうな大音響。
無慈悲の雨に打たれながら、化物の咆哮が轟いた。
目深に被っていたフードがはためき、化物のその全貌が明らかとなる。
「「「――――」」」
ただ、三人とも言葉が出なかった。
リュウトはその形相の歪さに目に好奇の光を示し。
ジークとグランバルトはただそのおぞましさに絶句した。
手足と同様に、黒い皮膚。
大きな鼻面は醜い豚のようであり、しかし口元からびっしりと出ている大小さまざまな牙からはピラニアのような獰猛さを感じさせた。
化物の顔は、まさに“異形”そのものだった。
『 ――――――――――――――――――――――――――――!! 』
再び、轟音。
黒い異形の化物は、瞬時に攻勢に出た。
未だやまないグランバルトの魔力弾の雨。
そのただ中を、なんの防策も巡らせずにただ突っ込んでくる。
――化物の肉体は、思いのほかに、堅い。
グランバルトの魔法は、決して手心を加えたものではなかった。
一撃一撃に込められた魔力の量は、尋常ならざるほどだ。
さながらマシンガンめいた連射攻撃を鑑みれば、どれほどグランバルトが本気であるのかわかろうというものだ。
しかし、そんな圧倒的な飽和攻撃を前にしても、黒い化物の速度は微塵も揺るがなかった。
辛うじて、化物の肉体を覆っていた黒いローブが粉々に弾け散ったくらいだ。
魔力弾の雨にさらされながら、それを真正面から打ち破っていく肉体の強度と、押し寄せてくる魔力弾の雨に押し負けぬ脚力。
化物の目標は、依然としてリュウトであった。
彼我の距離が詰まるのに、化物のスピードをもってすれば一秒とかからない。
――スピードでは勝てない。
リュウトの中では、自身と化物の能力差が冷静に算出されていた。
あの化物の速度は、リュウトの限界速度を超えている。それは、身体強化魔法が働いている今の状態でも同じだ。
その理不尽な現実を、リュウトは当然のこととして受け入れる。
化物の鋭利な右手が、手刀の形をとる。
その切っ先から、黒い魔力が渦を巻いて溢れ出す。
攻撃の速度、手に纏う魔力の質、どれをとっても先の一撃以上の貫手がくる。
――最大速度をもってしても、黒い化物の攻撃は避けきれまい。
化物の手刀が、リュウトを貫かんと、既に眼前にまで迫っている。
化物の突きは、未だ加速し続けている。
――ならば、限界以上の速度を引き出すしかない。
まことに気が乗らないが、装甲術によって錬気の鎧を全身に纏っている今のリュウトであれば、それができてしまう。
リュウトの顔面めがけて繰り出された一刀。
その速度、その凶暴さに、もはやリュウトに“死”以外の末路はないはずだった。
だが――、
不可避と思われた必死の貫手は、リュウトの右を通過していった。
今度は掠めもしなかったのに、その風圧だけでリュウトの右頬はまたしても裂け、鮮血を散らす。
それだけで、先の一撃を避けきれなかった場合の結末が目に浮かぶ。
装甲術で防御性能が上がっているはずなのに、風圧だけでこれほどの影響なのだ。
たとえ掠っただけだったとしても、その瞬間、リュウトの頬はごっそりと削られていただろう。
しかし、リュウトにそんな「もしもの話」を考えて戦慄するような余裕はない。
「――――――――――――ぐっ」
首に、尋常ならざる負荷がかかる。
本来なら避けきれない速度の攻撃を、無理やりに避けたのだ。
なんの代償も払わずに、リュウトは限界を超えたスピードを出すことなどできない。それが、チート技の類ではなく、力技であるならなおさらのこと。
限界以上のスピードで首を動かした代償は、しかしこの状況ではさほど大きくはない対価だろう。
首の痛みを無視して、リュウトは右手を手刀の形にする。
そこへ、錬気を集中させる。手刀を覆う錬気が、ブレード状に伸長していき、化物の胸に、突き刺さる。
虚構の刃とはいえ、その切れ味は本物だ。
装甲術は錬気量次第でいかようにも堅くできるし、その形状もある程度変形できる。
リュウトの手刀を起点に創られた光の刃は、並みの刃物に勝る凶器であった。
グランバルトの魔力弾をものともしなかった頑強な肉体を穿っていることからも、その攻撃性の高さがうかがえる。
『 ――――――――!! 』
化物の絶叫。
それは、黒い化物の断末魔だったのか。
化物の身体が、ゆっくりと後ろへ倒れていく。
手首まで埋まっていたリュウトの手刀が、ズポッ、という音を立てて抜ける。
化物の黒い体躯は、背中から床に倒れこんだ。
「……なんだよ、こいつは?」
戦いが終わったと判断したジークが、そんな疑問を漏らす。
戦闘のただ中でこそ、その疑問を持ち上げたりはしなかったが、いざ緊張から解き放たれると、俄然気になりだしていた。
「こいつは――」
リュウトが、何か言いかける。
この黒い化物について、リュウトが何か知っていたというわけでもない。
リュウトだって今日初めて、この怪物と遭遇したのだ。
だがリュウトは、その先の言葉を紡ぐことができなかった。
何故ならば――。
『 ――――――――――――――――――!! 』
倒したはずの化物が動き出し、リュウトの首筋に手刀を薙いだからだ。
首の左側に硬い感触を感じた直後、熱い温もりが首筋から湧き出てくる。視界の端で、赤い鮮血が噴水めいた勢いで噴き出すのが見える。
――しかし、リュウトはそんなことを意識しているどころではなかった。
この上ないほど速く、右手を振り上げる。
剣状の錬気は、化物の身体を股下から頭のてっぺんまで一閃する。
今度こそ、化物の活動は停止した。
だが、そこでリュウトは改めて自分の傷の具合を確認して、冷汗が滲み出るのを感じた。
ほとんど半ばまで抉られている。
首筋に当てた手に、ぬるぬるした熱い液体が絡みつく。
押さえている指と指の間から、ドクドクと赤色の液体が出てくる。
頸動脈がやられてる。
そう判断を下すのに、そう時間はかからなかった。
「おい!!」
リュウトの重傷を見て、ジークとグランバルトが血相を変えて寄ってくる。
だが、リュウトの方も二人に構ってるようなやわな傷ではない。
切り裂かれた傷口から溢れ出る鮮血は、無視できない量だ。
既に手足の先に、不自然な悪寒が生まれ始めていた。
「――――――――――――っ」
自分の中から、命の水が抜け落ちていく。徐々に、体温が下がっていく。足から力が抜け、その場に膝をつく。
しかし、リュウトは冷静に自分の状態に対処した。
黒い化け物に切り裂かれた傷口に、錬気を当てる。
皮膚、筋肉、血管、神経、その他すべての、黒い化物に切り裂かれた器官を、錬気を使って元の状態に繋いでいく。
もう、出血はない。
半ばほどまでぱっくりと開いていた傷口は、今や綺麗に塞がっている。
しかしこれは、治療しているわけではない。
あくまでも応急的な、延命措置に過ぎない。
ちぎれた筋肉や血管は、錬気で繋がりはしても癒着したわけではない。これは、接着剤で無理やりにくっつけているようなものだ。
リュウトがほんの少しでも気を緩めれば、途端に接着に綻びが生じ、その瞬間、リュウトの死へのカウントダウンは再開されるだろう。
その前に、なんとかして傷口を本当に塞ぐ必要がある。
しかし、回復系統の魔法の中で最も難易度が低いとされる回復魔法では、おそらく効果はない。
できれば最高何度の再生魔法……でないとしても高レベルの治癒魔法が必要である。
だが、ひとまずの安堵は得られた。
化物は倒し、致命傷は一応塞がっている。
首をさすっていると、ジークたちが懐疑的な眼差しでリュウトを見ていることに気づいた。
開いた口が塞がらない、とはこういうことを言うのだろう。
「おまえ、それ、人間かよ……」
ジークは、恐る恐るといった風な口調でそう呟いた。
「……さあな」
ほとんど死ぬしかない状態だったのを、自力で治してしまったのだ。
畏怖の念を抱かれても仕方がない、とリュウトは他人事のように思った。もっとも、たとえジークが物怖じしない反応を見せたとしても、リュウトが戸惑うようなことはなかっただろうが。
その時、化物の身体からじゅるりという音が鳴った。
ぎょっとして三人がそちらに視線を転じると、黒い化物の肉体が、どろどろに溶けていくところであった。
見る見るうちに化物は原型を失っていき、やがてすべてがドロドロの液体に変わり、その液体もまた急速に気化して消滅していく。
そして――、
黒い化物の体躯があった場所には、拳大ほどの大きさの塊が残った。
……なんと表現すればいいか……。
それは、まるで心臓のようにドクドクと脈打っていた。
しかし視界に入ってくるそれの見た目は、どうにも機械めいた感じであり、表面にはうっすらと「GD:05」という、何かの暗号めいた記号と数字が刻まれている。
充分に警戒しながらも、リュウトはしゃがんでそれを手に取った。
――別段、油断はしていない。
それが何か良くないモノである可能性は、指摘されるまでもなく思い至る常識だ。
故に、リュウトは何かがあればすぐさま腕を切り捨てるつもりであったし、たとえ失っても今後に支障が出ないよう、リュウトは利手ではない左手でその塊を掴んだ。
だが、リュウトのそんな懸念は、どうやら杞憂で終わるらしい。
左手に乗る黒い塊は、なんらリュウトに害を与えるようなことはなかった。
「……魔力がある」
ぽつりと、リュウトが小さく呟く。
黒い塊は、それ単体に尋常ならざる魔力を宿していた。
どういうことだろうか、とリュウトは試案を巡らせてみた。
これほどの魔力を内包しているということは、魔導兵器の類である可能性が高い。
あの化物が所持していた魔導兵器、ということだろうか。
では、いったいこれはどんな魔導兵器なのだろう。
見る限りでは、爆弾のようにも見えるが。
もし、大規模に渡る破壊が可能な爆弾、だとしたら……?
テロ用、自爆用、いろいろな目的は思いつくが、それが一番可能性が高いかもしれない。
だが、根本的に何かが違っているような違和感が拭えない。
どういう、ことだろうか?
「あ、ほんとだ」
まるで、リュウトを盾にするかのようにして黒い塊を覗いていたジークが、はっとしたようにそう言う。
ちなみに、グランバルトは少し離れたところから警戒心も露わに様子を伺っていた。
「ていうか、それ触っちまっても大丈夫なんか?」
「……問題はないっぽいけど」
もしこれが爆弾だというなら、たしかにいつまでも触っているべきではない。
明らかに生物のようにドクドクと脈打っている、機会めいた塊を、リュウトはそっと元の場所に置いた。
立ち上がって、二人の方を見る。
ジークもグランバルトも、程度はあれ、その目の中に畏怖の色が見て取れた。
「……で、状況的にはどうするべきだと思う?」
淡々とした口調で、リュウトは二人の意見を促した。
リュウトは、自分一人で何もかもを決めていくような性格ではない。
リーダーシップがない、と言えばそれまでだが、その実それは責任を負いたくない、という無責任極まる思考からくる性質だった。
だが、仮にリュウトがリーダーシップに篤い人格だったとしても、いや、リュウトではない誰かであったとしても、二人の意見を仰いだことだろう。
それだけ、今の状況は理解しがたい状態であり、個人で取り仕切れる領域を超えていた。
しかし、それは二人とて同じである。
「どうって……」
「…………」
ジークもグランバルトも、返答は茶を濁したように曖昧だ。
二人とも、まだこの状況をまさしく認識できていないのだ。まあ、リュウトも同じだが。
こういう時、最適な答えをポンと出してくれるような、そんな都合のいいリーダーがいないだろうか、と思わなくもないリュウトだった。
しかし、結局リュウトたちが明確な意見を共有することはなかった。
何故ならば――、
「――おろ?」
凛と通るような、高い声。鈴のように響く声音だが、何故か、リュウトは不吉なモノを感じた。
その声が、意外そうな言葉を紡ぎ、リュウトたちの耳に届く。
三人が、声の方を向く。
訓練室の出入り口の扉の方だった。
深夜の闇のように漆黒のシドー着に身を包み、細身で背の高い、黒髪黒瞳の少女であった。
「ドーラ級のゴブリンを機能停止させたのか。最近の若いのはハンパないな。アレ、一応は戦争時代の兵器なんだけどな」
感心するような口調であったが、少女の瞳は何も映してはいない。
空っぽで、ガランドウな目が、リュウトたちを射抜いていた。
面白可笑しそうに、少女は首をわずかに傾げる。
彼女の絹糸のような長い黒髪が、重力に従って下に流れる。
シドー人めいた顔立ちは、柔和に、微笑んでいる。
その美貌に当てられたのか、ジークもグランバルトも声を出せなかった。
けれど、やはり、リュウトには少女の笑みが不気味な嘲笑に思えてならなかった。
根源的な嫌悪感が、リュウトの中に芽吹いていた。
それが目の前の少女に対する、リュウトの感情。
名も知らぬ少女に対して、リュウトだけはジークやグランバルトと違う見解を抱いていた。リュウトだけが、二人とは違う理由で動けなかった。
どうして、そんな悪印象を、初対面であるはずの少女に対して抱くのか――?
リュウト自身にも、それは把握できない。
「――――――――――――さて、」
微笑みを映したまま、少女が思い出したような調子で、きっぱりと宣言した。
「悪いけど、君たちには死んでもらう」




