5,定期戦1日目(3)
◇
定期戦の期間中、宿泊先としてソージックが用意した宿は、「黒鯨の湯」という看板を掲げる旅館だった。
――黒鯨。
ザーナ大陸の方面ではメラー・バシトールとも呼ばれる(黒き王という意味らしい)、危険種指定された海洋哺乳動物最強種である。
世界中で確認されている危険種指定動物のうち、ウルスタイガーに次ぐ危険度と目される彼の巨鯨であるが、シドー国では何かと縁起がいいとされる種でもある。
凶作、干害、津波など、多くの災いから守ってくれる神の御使いであると、シドー国では古くから言われているらしい。
さて、そんな大層な生き物の名前を冠した旅館ではあるが、これといって、特に黒鯨に関係した外装や内装であるとか、黒鯨料理を扱っていたりとか(そもそもシドーでは黒鯨料理はタブーらしいが)、ましてや黒鯨を飼育していたりとかいう莫迦げた特徴もない、いたって普通な印象を持つ、シドー風の旅館だった。
ソージック学園の全学年の生徒が宿泊するにあたって、この三、四日の間はほとんど貸し切り状態になるらしい。
従業員たちへかかる苦労は半端ないだろうな……。
高年部の生徒は二人部屋が、低年部の生徒は選手を除き、基本的に四人部屋が割り当てられている。
教師陣に関してはよくはわからないが、さぞ生徒たちよりも厚待遇な部屋を用意しているのだろう。
午後の十時十二分。
俺を含める、Aクラスでお馴染みの五人は私服姿に身を変え、リーンとセイラに割り当てられている部屋に集まっていた。
五月の夏休みにキリウの湯で泊まった部屋ほど広くないが、和風――もといシドー風の作りになっていた。
夕食も大浴場での入浴も済み、低年部はもう就寝時間を過ぎている時間帯だ。
「リン、定期戦、お疲れさま~」
ガラスコップに注いだパンボンをぐびりと煽りながら、リーンがリンへ、労いの言葉をかける。
「…………パンボン」
対する当のリンは、リーンの言葉など気にも留めず、彼女が喉を鳴らして飲んでいる液体を恋しそうに眺めていた。
一応、成人している生徒であれば飲酒は許可されている。
しかし、選手に選ばれた生徒は話が別だ。彼らには試合でのパフォーマンスを下げないため、定期戦二日目の閉会式まで飲酒が禁止されていた。
この部屋に集まってる中で言えば、リンとテラが、まさに「飲酒ダメ」状態である。
リンの試合は今日で終わっているのだが、(本人にとっては)残念なことに、今日で出番が終わった選手でも、明日の開会式と閉会式のために、飲酒できないのは同じだった。
そもそもリンは大した酒豪でもないのだから、むやみやたらと酒を飲まん方がいいと思うのだが。
また、俺とセイラは飲めるには飲めるのだが、どっちも今は飲んではいない。
まあ、そんなに飲むもんじゃないしな、酒って。
「しっかし、女子部屋に集合てのが普通に容認されんのな。びっくりしたわ」
テラが、しみじみとした口調でそんなことを言う。
たしかに、それについては俺も意外感を感じていた。
成人している生徒であれば、同じく成人している異性の部屋に行ってもよし――と説明された時は、それで大丈夫なのかと半ば本気で思ったものだ。
そんな取り決めをしてしまえば、不純異性交遊がそこかしこで発生することは目に見えてるはずなのに。
もっとも、学生時に結婚することも(珍しいとはいえ)あるこの世界。(前世の世界でも前例がないわけではないが……)
不純異性交遊を推奨しそうなこのルールも、ある意味では成人している生徒の自主性に任せようという考えがあるのかもしれない。
……何がどうであれ、間違いが起こらない保証などどこにもないわけだが。
もちろん、異性の部屋に行ってもいいといっても、事前に相手側の了承を取る必要はある。
もしも了承も取らずに押し入るようなことがあれば、実行した生徒は今すぐに帰国させられ、停学か、最悪退学という末路を辿ることだろう。
抜け穴はいくらでも見つけられそうなルールであるが……。
まあ、乱交とかは間違っても絶対するなよ? という学園側の警告とも取れるかもしれない。
どちらにせよ、すべての判断を生徒に一任している時点で、根本的にはなんら牽制になってないと思うが。
しかし、選手に選ばれてる生徒に関しては、この異性の部屋に行ってもいいというルール、適用されていただろうか……?
まあ、俺には関係ない。
今夜、こうして五人――リーンに関しては夏休みの一件と同様にほとんど強引に入ってきたが――が集まったのは、定期戦一日目を終えたことを祝した、小パーティのためだ。
部屋に備えつけである四角形の面のちゃぶ台には、パンボンの瓶の他にもスナック菓子や駄菓子などの菓子類が山のように積まれている。
パンボン酒も含め、すべて、この旅館の中で売られているものだ。
パンボン酒についてはもっぱらリーンが処理している、というかリーンしか飲んでいないが、菓子類については皆遠慮がなかった。
袋詰めのスナックやら、シドー国限定で作られてる飴細工、饅頭やら団子やらは、瞬く間にも減っていく。
「テラくん、明日は頑張ってね~」
だいぶ酔ってきたのか、テラを鼓舞するリーンの呂律は怪しくなっていた。
「お、おう……」
テラの方は、明日の『ハイ・サヴァイヴ』の正選手ということもあって飲酒は一切していない。酔ったリーンのテンションに、やや押され気味なようであった。
「そう言えば、今年はあいつ『ハイ・サヴァイヴ』じゃないのね」
つまらなそうな表情をしながら、リンはそんなことを呟いた。
その言葉に、セイラが首を傾げる。
「あいつって?」
「テラの弟よ」
「ああ……あいつか」
セイラの反応に、リンが目を丸くする。
「あれ? セイラ、テラの弟のこと、知ってるの?」
「…………昔ナンパされた」
セイラの発驚愕の発言に、リンは咽こみ、テラはがくんとずっこける。少なからず、俺もぎょっとした。
唯一事情を深くは知らないリーンは「ふーん」とガラスコップを傾けている。
「げほっ、げほっ、おほっ、そ、それ……本当?」
「……ええ、三年くらい、前だったかしら。定期戦の時に声かけられたの」
淡々と、セイラはスナックを頬張りながら話を続けた。
「だから、二月にドラグランくんを見た時、どっかで会ったような気がしたのよね」
テラの方を見ながら、セイラはくつくつと小さく笑う。
当のテラは、呆気にとられたようだったが。
しかし、ナンパか……。
グランバルト・ドラグランという男は、実はチャラ男だったのだろうか。
知れば知るほど、あの男が莫迦に見えてくるな。
「で、結局あいつなんで『ハイ・サヴァイヴ』じゃなくて『スカイ・ファイラ』に出たんだろう」
改めて、リンが疑問に首を傾げる。
まあ、確実にテラが関係していると思うけどな。
その後も、他愛もない会話は続き、ちゃぶ台の上の菓子類の山はどんどんと小さくなっていった。
そして、深夜も近い十一時頃。
山のように積まれていた菓子類は、今はそのほとんどが俺たちの腹の中に納まっている。
リーンは完全に酔い潰れ、リンとテラはまだ残っているスナックをかじりながら何やら話している。
ちゃぶ台の上には食い散らした菓子の残骸が、床にはリーンが飲み干していったパンボン酒の空瓶が転がっていた。リーン、明日は二日酔い確定だろうな……。
俺とセイラは、窓の近くでリーンが飲みきれなかったパンボン酒をちびちび処理していた。
男子部屋よりも大きな窓からは、青白い月が支配する星空が見える。
なんとも、乙なものだ。
「リュウトくん、お酒あんまり飲まないわよね」
ガラスのコップを煽りながら、セイラがそんなことを言った。
私服姿、つまりシドー着姿のセイラは、畳の上に正座して窓の外を見る。
「カミネさんも、そんなに飲んでないでしょ」
「まあね。あまり飲む機会がないし……」
そりゃ成人になったその日から、ずっと俺の家に居候してるしな……。
あの日から今日まで、五か月は経過したか。
俺と寝食を共にする――つまる話が、生活サイクルが俺とほぼ同じなのであれば、酒を飲むような機会にはまず巡り合えまい。
俺も、成人してもほとんど酒の類は飲まない生活をしてるわけだからな。
そういえば、一応新しい住居が見つけるまでって決まりだったが、セイラはその辺、しっかり探しているのだろうか?
――何故か、そのことを考えると、一瞬だけでも虚しくなった。
……何故だ?
今の生活が当たり前になりすぎて、いざ彼女がいなくなると考えると、無性に寂しくなったりしたというのか?
俺は、そんなに未練がましい人格だったのだろうか?
……考えても、やはりわからない。
なら、今はまだ深く考えないことが賢明なのだろうか……。
答えは、まだわからない。
「リュウトくんは、なんでお酒飲まないの?」
ふと、そんな問いの言葉で我に返る。
「……別に、飲まないわけじゃないんだけど」
「家の中どこ探しても、お酒なんてなかったわよ」
なんだか聞き捨てならないことを聞いてしまったような……。
……この女、家の中を探しまわったというのか。
何か盗まれたりしてないだろうか。盗んで得するようなものは置いてないが、彼女が泥棒だった場合ははたしてどうすればいいのか。
「そりゃ、酒なんて基本的に買わないから」
「そうね。初めて会った次の日にいきなりお酒を持ってきた時は、ちょっと驚いたんだけど」
そういえば、誕生日にイソラの婆から酒貰って、セイラと夜通しで飲み明かしたんだったか。
「……今年のカミネさんの誕生日、酷いことになっちゃったかな」
酷い状態にしたのは、他ならない俺だが。
セイラはさりとて気にした様子もなく、
「別に、いいわ。毎年あんな感じだったから」
「…………それは、なんとも……」
毎年、記憶を失うほど酒を飲まされてきたというのか……。
やっぱり彼女って、虐待されてたんじゃ……。
――と、そんな冗談は心の中だけに留めておくこととしよう。
「リュウトたち、随分酒の飲みが遅いんじゃないの?」
そんなリンの声が、割り込んでくる。
彼女はにこりと笑って、
「あたしたちも手伝おっか?」
「おい、よせよ……」
テラの抑止の声も効果は薄く、リンはうずうずしたように俺が持っているパンボンの酒瓶を睨んでいる。
瓶の中身は、まだ一杯分は残っているだろうか。
「手伝う?」
「アルコール中毒になんぞ」
リンの問いを却下して、俺とセイラは部屋から退散した。酒瓶を持ったまま。
部屋を脱出した俺とセイラは、どこへともなく旅館の中を歩き回っていた。
目的地のない放浪は、散歩とそう変わらない。どこを歩いてきたのか、自分が今いる場所もわからない。
辛うじて、今歩いている廊下は縁側があるために、ここが一階であるということだけはわかるが。
このあたりの部屋は、何学年用に割り当てられているのだろうか?
それとも教師用か?
それともどちらでもないのか……。
……そもそも、どうして俺たちは旅館を彷徨っているんだろうか?
「カミネさんまで来ることは、なかったんじゃないか」
「へーきへーき」
と彼女は言うが、いったい何が平気なのか俺にはわからない。
「ドラグランくんを置いてきてよかったのかしら」
「ああ、あいつならへーきへーき」
今まで、間違いが起こったことなんてないもん。
「酒瓶を空にしてから回収しに戻れば大丈夫でしょう」
戻った時間帯によっては、テラもリンも自分の部屋に戻ってるかもしれない。
今は目下のところ、酒瓶に残っているパンボン酒をどう始末するか、である。
先ほどまでガラスコップは、二人とも部屋に置いてきてしまっている。
ラッパ飲みするにしても、生温くなっている液体を飲む気にはなれない。その辺は、セイラも同意見とのことだ。
かといって、残りたった一杯分の酒のために、今さら新しいコップを用意するのも面倒だ。
そうなると、解決の道は誰かを捕まえて無理やりにでも飲ませるか、あるいはトイレにでも流して処分することになるのだが。
とその時、
「おや、リュウトくんか」
前方から男の声がした。
顔を上げると、褐色がかった肌に白い長髪の青年が、いつかの時のような浴衣姿で、こちらに歩いてくるところだった。
「……ラッセルさん」
ラッセル・ホルー。
ラスパーナ王国で有数の貴族であり、石油を(個人的に)掘り当てた金持ち。ぞじて、俺と同じように前世の記憶がある存在。
ふと、引っかかった。
ラスパーナの貴族である彼が、何故海を渡ってシドー国を訪れているのか。
「いやあ、久しぶりだね」
「ええ。……部屋、取れたんですか?」
この旅館の部屋のほとんどは、ソージック学園が取っている。ほとんど貸し切り状態だ。
そんな中で、部屋を取ったりする図太い精神の持ち主がいようとは……。
まあ、一応貴族だしな、彼。
「うん、まあね。ソージック学園がほとんど取ってる中で、わずかに残ってるとこに入れてもらったんだ」
こともなげに、ラッセルは言った。
「――で、今夜はまた、そっちの子と夜の散歩かな?」
セイラの方をちらりと見て、そんなことを訊いてくる。
俺は、パンボン酒の酒瓶を彼に見せて、
「この酒を飲んでくれる人を探してるんです」
「……ふむ?」
暗に、飲めと言ったのが伝わったのか、ラッセルは瓶の中身を目を細くして見つめた。
「もうそんなに残ってないように見えるけど」
「はい。俺たち、どうも飲む気になれないので。ラッセルさんが飲まないのなら、トイレにでも捨てようかと思うんですけど」
「ふむ……」
俺の言葉に、ラッセルは考え込むように唸った。
どっちかと言えば、もう捨てた方が早いような気がしてきたが。
ラッセルは片目で瓶の中身を睨んでいたが、やがて、
「オッケー、僕でよければ飲むよ」
と酒瓶を受け取り、ラッパ飲みで飲み干した。
「……う~ん、温いね」
「仕方ないですね。冷蔵庫から出しっ放しでしたので」
もっとも、魔法で冷やすことはできたのだが。
「うーん。パンボンって、あんまり好きな味じゃないんだよね」
……じゃあなんで引き受けたりしたのかと、言いたくなった。
ラッセルは、手の甲で口元を拭う。
彼の口から出たのは、唐突な話題転換だった。
「それにしても、今日はどこの学校もどっこいどっこいの試合だったね」
「……やっぱり定期戦の観戦に来てたんですか」
それ以外でシドー国に来るような理由なんて、そうないだろう。時期的に偶然というには、いささか出来すぎな感もあるし。
「特等席でね」
と、ラッセルは得意げに答える。
ブルジョワめ。定期戦を見るためだけに海を渡るとか。まあ、本当にそれだけのためであると決まったわけではないんだけど……。
「明日で、いよいよ決着がつくね」
「そうですね」
「リュウトくんたちは、やっぱりソージック学園優勝が願いかな?」
知るかそんなもん。
どの学校が優勝しようが、そこまで興味はない。まあ、自分の学校が優勝すれば何分気分はいいだろうが。
「……まあ、一応、応援はしますから」
当然、素直な答えなど口にできない。当たり触りがない答えを、口にする。
ラッセルは「そっかそっか」と相槌を打つ。
「まあ、いい試合になるように祈ってるよ」
「……はい」
まあもっとも、俺とセイラは選手ではないんだけどな……。
◇
黒鯨の湯の二階の一室にて。
「……なん、で」
「……」
サムとハヤテの二人は、硬直していた。
無事旅館に戻り、私服に着替え、夕食、入浴を済ませた後、部屋でくつろいでいたのだが。
サムもハヤテも、今年で最終学年を迎える。
二人に割り当てられた部屋は、学生用の部屋の中でも優遇された部屋であることが分かった。
――明日のために、鞄の中を整理しようと思ってのことだった。
サムもハヤテも、定期戦では毎年観戦する側だった。
一学年から最終学年となる今年まで、ずっとだ。
故に、そこまで準備を徹底する必要などない。
だが、長年の学生生活の賜物か、事前に準備するという習慣が働いたのだった。
そして、鞄の中を覗いたサムの目が、あるものを捉える。一瞬怪訝に思ったサムがそれを取り出した。
二人の目に飛び込んできたもの――それは、黒い革張りの装丁の、とても古そうな本だった。
「これ、観客席にあった……」
「…………」
表紙のタイトルは、既に線同然に擦り切れている。
紙部分は、見えているところだけでも酸化が進行していることがわかる。
その本の背表紙には、「私の心」という字があった。




