2,定期戦開幕
◇
メルーラ暦2315 七月中旬。時間は午後の一時頃。
シドー国、ジャミヤ地方。
会場は、歓声と熱気に包まれていた。
ただ今現在、定期戦の真っただ中だ。
行われている競技は、第一競技『プノ・フィース』である。
一対一のタイマン形式の模擬戦闘が四回戦分で一試合の団体戦。
制限時間内に対戦相手を戦闘不能へ追いこめば勝利という、いたってシンプルなルールである。
しかし、他の競技よりも使用魔法の制限が強く、許可されている武器種を使用するか格闘戦主体での戦闘になることが多い。
現在の試合は、ラスパーナ対ソージックの四回戦目である。
ラスパーナ側が二勝、ソージック側が一勝している。この一戦の勝敗によって、ラスパーナ陣営が勝利するか、それとも引き分けに終わるかが決まる。
もし引き分けに持ち込めれば、一人対一人の代表戦が行われ、その結果でどちらの勝利なのかが決められる。それに勝てれば、ソージック側にもまだ希望はあるのだが。
現状、ラスパーナ側があまりにも有利な展開であることはわざわざ言うまでもないことだろう。
まあ、どちらが勝とうと、俺にはさして重要なことではないが。
『さあー盛り上がってまいりました。この一戦、ディパート選手が勝てばラスパーナ側の勝利に終わり、エルド選手が勝てば引き分けとなり、代表戦が行われます!』
実況の声が、会場中に響き渡る。
それに呼応するように、歓声の勢いも盛り上がっていく。
前世で言う、サッカーのワールドカップやオリンピックくらいの盛り上がりようだ。
会場の中心では、まさに、ラスパーナの大将とソージックの大将が激戦を繰り広げている。
「なんか、定期戦て感じがしねえな……」
隣の方から、そんなつぶやきが聞こえた。
誰のつぶやきかは、顔を見るまでもなくわかる。長い付き合いだからな。
「同感」
と俺も同意の言葉を発する。
すると、
「右に同じ」
反対側の隣から、そんな言葉が続いた。
そちらを見やれば、長い黒髪の、とても綺麗な少女が無表情で大将戦を見ていた。
「……この場合は左じゃない?」
少女――セイラに、俺はそう訊ねていた。
セイラは俺の右隣に座っている。セイラが話からしたら、俺は左側なのだが……。
「エヘ」
そんなふざけたような口調と共に、セイラは片目を瞑り、舌をちょこんと出し、顔をわずかに傾けた。
普段の彼女からは想像できない仕草。素直に、可愛いと思ってしまう。
「……これがギャップ萌えってやつか」
「萌えた?」
「……萌えた」
セイラの問いに、静かに頷く。
俺とセイラ。双方、感情のこもらないやり取り。言ってることは、少しカップルっぽいが。
「おまえら一体どんな会話してんの?」
不気味なものを見るような目で、左に座っているテラが言った。
そんなことを言われたって、俺にもわからない。多分、セイラにもわかるまい。
肩をすくめるだけの反応を返し、視線を試合場の方へと戻す。
試合場の上では、屈強そうな肉体をしたラスパーナの選手が、木剣を手にしたソージック選手を下すところだった。
『決まったああああぁぁぁ!! ディパート選手の勝利! 第一競技「プノ・フィース」の第一試合ラスパーナ王国vsソージック学園は、ラスパーナ陣営の勝利ぃぃぃ!!』
実況の声が、とてもうるさい。
割れるように起こった歓声にも負けないほどの大音量は、試合場にほど近い位置から拡大されて発されているものだ。
実況者はシャルル・シゲキ。
ザーナ大陸の国の間では知名度が低いが、シドー国では知らない人の方こそいないという人気ぶりの人物だ。
シドー国で開催される大きなイベントでは、司会役として活躍する有名人……のようだ。
詳しくは知らん。
「実況があるだけで、随分と雰囲気変わるんだな」
ふと、テラがそんな言葉を漏らす。
「……そうだな」
俺は、静かに同意の言を口にする。
……たしかに、これまでの定期戦では、競技中に実況が入ることなどなかったのに。
会場が大陸外の国になったことも、例年にはないことである。
しかも、今年の定期戦は、他にもいくつか例年とは違う点がある。
おわかりの通り、今年の定期戦はシドー国で行われているが、俺たちがザーナ大陸を出発したのは、昨日の朝のことである。
比較的近い距離にあるとはいえ、ザーナ大陸とシドー国の間を渡るには、最低でも数時間はかかってしまう。
今回俺たちが利用した手段は海で、豪華客船でほぼ一日を使い、ここまで来た。ちなみに、ラスパーナ魔法学院は模転移魔法による大規模転移で、ミカド帝国のレタデミーオルドー校は高速ジェット機で来たらしい。
かかった移動時間的には、俺たちが一番長いわけだ。
そんなわけで、初日はどの学校もほぼ旅行気分で、本日が正式な定期戦開幕日だ。
定期戦自体は今日と明日の二日に分けて行われる。これも、例年にはなかった変化である。
そして、定期戦が終了した夜には盛大なパーティが予定されていて、俺たちが帰国するのはその翌日という予定になっている。
つまり、例年ではたった一日で終わっていた定期戦が、今年は四日にかけて行われるのである。
また、このスケジュールの関係上、俺たちソージック学園はきちんと全学年の生徒が参加しているが、ラスパーナやレタデミーは、移動にかかるコスト削減のために六年生以下の生徒はお留守番ということになっているらしい。非常に気の毒なことではある。
他にも、例年からの変更点はいくらかある。
そんなわけで、今までの定期戦とは一味違った、別のイベントと捉えていた方がいいだろう。
――そして、時は進み、第一競技『プノ・フィース』最後の試合ラスパーナ対レタデミーの大将戦。
『決まったアアアア! ラスパーナvsレタデミー、勝利したのはレタデミーだアア! これはソージックかなり痛い。どう巻き返すんだアアァァ!?』
けたたましい実況の声に続き、割れるような歓声が会場から沸き起こる。
第一競技『プノ・フィース』の戦績は、ラスパーナ魔法学院が一勝一敗、レタデミーオルドー校が二勝、そして我らがソージック学園は全敗という有様だった。
まだまだ最初の競技なので、それほど優勝に直結したりはしないが、全体の士気の面で言えば、たしかに初戦に一勝もできなかったのは美味しくないところだろう。
俺にとっては、あまり関心がないことであるが。
さて、例年通り本戦の後は新人戦になるわけだが……。
「……カミネさん、何読んでるの?」
俺は、隣のセイラへ問いを投げた。
彼女はどこから取り出したのか、いつの間にか本を手にして読んでいた。
一応、応援席で応援以外をしてはダメとかいう決まりはないが、この場で熱い歓声を上げない生徒なんて、そういない。まあ俺も関心はそれほどないから応援はあまりしてないが……。
セイラは無言で、本の表紙を俺の方へ向けてくる。
しかし、黒い革張りの表紙には、線同然に擦れた文字しか認められなかった。よく注意して見てみれば、かろうじて背表紙の部分に「私の心」というタイトルがあるのがわかった。
……非常に見覚えのあるタイトル、そして書籍だった。
狂気に染まった内容しか書かれていなさそうな、そんな予感を覚えた。というか、この本はいつかのネワギワ史の課題で図書室を利用した時のものではないか。
「図書室で借りたの?」
たしか、この本が書かれたのは一周以前のメルーラ暦だったと思う。信憑性があるわけではないが、本屋などではもう売っていないだろう。
仮に最近に書かれた本だったとしても、内容が内容なだけにやっぱり売れるとは考え難い。
一番あり得そうな可能性としては、やっぱりセイラが図書室で借りてくることだが。
……そう言えばあの本って借りれたんだっけ?
「……? リュウトくんが持ってきたものじゃないの?」
セイラの返事の意味を理解するのに、数瞬の間を要した。
「うん?」
「これ、君の鞄の中にあったんだけど……」
座席の下に置いておいた、俺の鞄を指しながら、セイラがさらにつけ加える。
人の私物を勝手にあさらないでほしいんだが……。
というか、ちょっと待て――、
「俺、持ってきてないよそんな本。そもそも俺のじゃないし」
当然ながら、あんな意味不明な内容しか書かれていない本を図書室から借りてくるような真似はしない。仮に書店に置かれていたとしても、買う気なんて起きない。
よって、俺の所有物の中にあんな狂本なんてないのだ。
俺の鞄の中にあったというのなら、軽くホラーものではないか。
いや、それとも俺にこんな愉快な悪戯をしてくるような奴がいるということだろうか?
心当たりならそれなりにあるが……。モヒカンとか?
「……そう、なの」
セイラが、ややひきつったような表情で言う。
こくり、と首肯する。
「じゃあ、これって――」
開いたままの古本に視線を落としながら、セイラは慎重そうな口調で言葉を紡いでいく。さすがに不気味さを覚えたようだ。
俺も、つられて古本へ視線をやる。
黒い革張りの表紙に、擦り切れた文字。かなり酸化が進んでいるらしい紙のページに、やや擦れた文字が並んでいる。
どうしてこれがここにある?
誰が、こんなものを俺の鞄の中に入れた?
疑問はある。
少なからず、無視できないとも思っている。
「誰かの悪戯って可能性はある?」
「否定できない。もしそうだったらそいつはイカレてるね」
俺が言えたような台詞じゃないけどな。
と、そこで――、
『おおっとー、ここでヘムート選手が攻める! ラッシュ! ラッシュ! ラッシュ! 猛烈なラッシュだああぁぁ! これを受けるシャルク選手、どうも押され気味だぞぉー!』
試合が白熱の展開を迎えたのか、周囲の歓声が大きくなる。
俺たちの間に流れていた空気なんてお構いなしに、会場の熱と音量は激化していく。その大盛況ぶりに、俺たちの沈黙が払拭されていく。
毒気を抜かれたというか、なんというか……。
「……応援でもする?」
「……そうね。もう読む気もなくなったし。書かれてる内容もつまんなかったし」
そう言って、彼女は本を俺の方へポイして、試合場へ視線を向けてしまった。
狂ったような文章をつまらないと評するあたり、彼女も結構常識の感覚が酷いと思う。口に出したりはもちろんしないが。
一日目の競技は、『プノ・フィース』の本戦と新人戦、『スカイ・ファイラ』という魔法主体になりがちな競技と、『コドー・ファイナ』の本戦と新人戦、そして『ハイ・サヴァイヴ』の新人戦である。
ちなみに二日目は『ド・レース』という競争競技(魔法ありの超長距離走という感じだろうか)、『ジャルダン』という簡単に言ってしまえば水中での模擬戦競技、『フィースフィール』というざっくり言えば『コドー・ファイナ』によく似たルールの競技(魔法の使用自由、各校選手三名の一斉出場etc、共通点はわりと多い)、そして『ハイ・サヴァイヴ』の本戦がある。
今はまだ『プノ・フィース』の新人戦。
一日目の全種目が終了するのは、大体六時頃を予定している。
その後は各校で確保してあるホテル(シドー国では旅館のほうが多いが)で夜を明ける。
ソージックは他の二校に比べても人数が多いので、その分大きなホテルでの宿泊だ。
ふと、手にしたままになっていた本へ視線を落とす。
結局、これはどうすればいいというのだろう?
俺が持っているべきなのか?
俺の所有物でないのは確かだが、彼女が俺の鞄から取り出したという以上、無関係というわけにもいかないような気がしてくる。
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まあ、いいか。
そっとまわりを見回してみると、ちょうど俺の真後ろの座席が空だった。
俺は、席の上にそっと擦り切れた「私の心」を置くと、何事もなかったように試合観戦に戻る。
そのうち、誰かが気づいて拾ってくれることを願おう。
その後、俺が振り向くようなことはなかった。
――試合は、滞りなく順調に進んでいく。
何事もなく、なんの障害もなく。
ラスパーナ王国のラスパーナ魔法学院、ミカド帝国のレタデミーオルドー校、そしてジビロン国のソージック学園。一年に一度、三校が集まり各校の生徒たちが己の実力をもってして競い合う競技大会――三校総合定期戦。
今年も、定期戦が始まった。
――けれど、これからあんな大惨事が起ころうとは、この時はまだ、俺も含めて誰も想像してすらいなかったのだ。




