12,解放への願望(5)
「カンパーイ!」
夜の八時。
部屋の中に、リンの大きな声が生まれた。
二度目の入浴の後、ついにテラの成人祝い(+セイラとリーンの歓迎会的な祝い)が開始されたのだ。
部屋の中央に卓袱台めいたテーブルを置き、それを俺たち五人が囲っている。
正方形であるテーブルの四方の一辺ずつに、リン、テラ、リーン、俺とセイラの二人、で座っている。
ちなみに、この並び順はリンが決めたものだ。
テーブルの上には、刺身、天ぷら、白いご飯、ソバ、とおおよそ日本料理というイメージのものが並んでいる。
そしてテーブル中央には、この旅館名物のウルスタイガーを使った料理が数皿、置かれている。
本場の日本料理にも言えると思うが、派手さや豪華さにどことなく欠け、質素な印象がある。
むしろ、デザイン的な意味では皿やテーブルに施された装飾の方が煌びやかであろう。
そんな中で一つだけ違和感があるとすれば、グラスになみなみと注がれているパンボン酒だろう。
料理以外で言うなら、俺とセイラ以外の全員もまた、出されている料理とはかけ離れた雰囲気である。浴衣姿であるが故に、いっそうその違和感は際立っている。
イメージとしては、日本文化に触れる外国の子供たち、といったところだろうか。
そこまで物珍しそうにしているわけではないが、この違和感に納得のいく答えを求めると、そんなところだろう。
「えー、それでは……。本日をもって成人になるテラと、新しく転入してきたセイラとリーンに!」
「かんぱーい」
ご機嫌な声で(酒のためと思われる。まだ飲んですらいないんだけど……)この祝いの音頭をとるリン。
それに続くようにして、俺も静かな声で乾杯を口にする。
「「「かんぱーい」」」
他のみんなも、続くように声を上げる。
カチャン、カチャン、とグラスが触れ合う音がする。
場は、完全に宴会ムードである。
出されている料理を口に運び、継がれている酒をぐびりと飲む。
食に関してはテラが、酒に関してはリンが一番進んでいる。
違和感を上げるとすれば、この場にいる誰もがまだ十代であるということか。
生前の世界に置き換えれば、大学では二十歳になっていなくても飲酒の機会があると聞いたことはあるが、あいにくと俺たちはまだ中学三年生ほどの年齢だ。
どこの不良どもだ、と白い目で見られることは間違いない。
まあ、昔の話をあれこれ引っ張ってきても、意味のないことだ。
この世界に、前世の一般常識など利かないのだから。
「賑やかね」
ぼそり、と。
隣のセイラがそんなことを言う。
賑やか――たしかに、この状況は賑やか、という言葉がしっくりくる。
騒々しい――というほどうるさくはないし、静か――と表すにはあまりにも音が大きい。
リン、テラ、リーンの三人が主に喋り、俺とセイラは時折相槌を打つ、そんな光景。
「……そうだね」
「リュウトくんは……」
何かを言おうとしたセイラの言葉が、そこで途切れる。
不思議に思い、彼女を見やると、
「ううん。何でもない」
微笑と共に首を横に振り、そう返された。
「…………」
彼女が何を言おうとしていたのか気になるが、俺は変に突っ込んだりはしなかった。
俺とセイラのそんなやり取りに、にやりとする人物が複数――というか、三人いた。
「お? なんだいなんだいなんですかい。お二人さん、何を話していたんだい」
俺たちの正面に座っていたテラがテーブルに肘をつき、ずいと身を乗り出すようにして言ってくる。
正直ウザい。
酒の勢いもあるのだとわかっていても、面倒くさいと思ってしまう。
俺とセイラは、揃ってのけ反るような反応を示した。
だが、当然テラたちが気にするわけもない。
すると、リンもにやにやした表情を浮かべながら、こちらに身を乗り出してくる。
右手にパンボン酒が入ったグラスが、左手にパンボンの酒瓶がしっかり握られている。
「何を話していたーのよ」
「そうだそうだ。何を話してたんだ?」
……テンションがついていかないな。
ふと隣を見やると、セイラも困ったように苦笑していた。
「あっ、今リュウトくんがセイラに目配せを!」
俺たちをじっと見ていたリーンが、目ざとく見つけてくる。
……ウザい。
酒って恐ろしいな。
宴会はその後も賑やかに進み、出された料理はどんどんとなくなっていき、そしてそれと反比例するように酒瓶の数が増えていった。
約一時間半後、ようやっと宴会が終わる。
俺とセイラを除く三人は結構飲んでいて、足下がふらふらする者もいた。
よって、俺がテラを、セイラがリンとリーンを先導して、就寝の準備をすることになった。
男子勢が十畳の部屋、女子勢が十六畳の部屋である。
俺たちが床についたのは、午後の十時のことだった。
そして深夜、ソレが、やってきたのだった。
◆
……もう限界だ。
……どうして、どうして、どうして。
……もう、我慢するのも限界なんだ。
……たくさんだ。
……自由を縛る手枷足枷など、消えてしまえばいいのだ。
◆
はっと目を覚ます。
覚醒に、具体的な理由があったわけではない。
直前に見ていた変な夢がきっかけになっているかもしれないし、そうでないかもしれない。
ただ何故起きたかと問われれば、何かを感じたから、と言うほかあるまい。
ばっと上体を起こして、周囲を見回す。
十畳の、明かりを落とした部屋。時刻はわからない。しかし、真夜中であることは間違いない。
目は既に闇に慣れている。
俺の隣に敷かれた布団で、テラがすやすやと寝息をたてていた。
すーすーという音と共に、彼の身体が上下している。
――否、
上下しているのは、テラの身体だけではなかった。
上へ、下へ、視界全体が、上下に揺れている。それが、俺の布団が浮遊しているが故の現象であると気づくのに、数瞬の間を要した。
「――――」
さらに続けて、変化が起きる。
男子陣と女子陣を隔てていた襖が、バタンと音を立てて開いたのだ。
開け放たれた襖の向こうに、それぞれに布団を被った盛り上がりが三つ分。リンたちが、三人並んで寝ているのが見える。
三人とも、目を覚ましたような様子はない。
部屋に置かれていた壷や調度品が勝手に浮かびあがり、部屋の中を激しく乱舞する。
誰のものかもわからない鞄が、俺の顔のすぐ横を掠めていく。
浮遊していた布団が、糸を切られたように突然床に落ちた。
真横に転げるようにしてすぐに布団から出ると、その瞬間、俺がいた場所へ壷が急落下してきた。
柔らかい布団がクッションとなって壷が割れるようなことはなかったが、俺が動かなかったなら、脳天に直撃していただろう。
その壷が、突如として真上に向かって吹き飛ぶ。
――ガシャン、という音が鳴り響き、割れ砕けた壷の破片が落ちてくる。
「げ……」
降り注ぐ破片は、狙い澄ましたように俺に殺到してきていた。
敷布団を引っ掴み、盾にするように上方にかざす。
柔らかな布団に、破片が当たる感触が伝わってくる。
未だ眠りの中にいるテラの様子が一瞬気になったが、すぐに頭の隅に消え去る。考える余裕は、今はない。
ドン、とそこそこ質量のある衝撃が布団越しに伝わってくる。
ドン、ドン、ドン、と連続して衝撃が重なる。
おそらくは、俺たちが持参した鞄が俺目がけて襲ってきているのだろうが……。
とんだ超常現象である。
リンが言っていた、奇妙な霊現象というやつだ。
突如として発生した怪奇現象は、終わりもまた突如として訪れた。
突然、部屋の中から喧騒が消え、それまで部屋の中を荒れ狂っていたものたちが、どすんと床に落ちる音がする。
しーんと静まりかえる深夜の旅館。しかし、それは別に変なことではない。変なのは、先刻までこの部屋の中で起こっていたポルターガイストだ。
盾代わりにしていた布団を下ろすと、部屋の惨状がありありとわかった。
砕け散った壷の破片。
俺たちが持ってきた荷物やら、始めからこの部屋に置かれていたものやらが、見境なく部屋に散乱している。
しかし思うのは――、
こんな惨劇が起きたというのに、俺以外の誰一人として、眠りから目覚めないということである。
酒でぐっすりのテラ、リン、リーンはともかく、セイラも寝ているようだった。
結構騒がしかったから、目覚めると思うのだが……。
まあ、目覚めなかったというのなら、目覚めなかったまでのことだ。
とその時だった。
また、何か来る、と予知めいた直感が働いた。
ほぼその直後に、部屋全体がガタガタと揺れだす。
静かになっていた部屋に、再び喧騒の渦が起ころうとしていた。
「――――」
しかし、その喧騒は未然に終わった。
部屋の揺れは本格的に強くなる前に静まっていき、再び静寂が訪れる。
さすがに不気味さを感じた。
俺はクローゼットから外套を取り、一旦部屋を出ることにした。
部屋に起こった惨状とは対照的に、部屋の外は特に被害がない様子だった。
しかし、あのポルターガイストは、俺たちの部屋限定ではなかったようだ。
廊下には、俺以外にも人の姿があった。
誰あろう、ラッセルである。
表情はやや動揺しているように崩れていた。
彼もこの階に泊まっていたから、あのポルターガイスト現象が部屋で起こったってところか。
「リュウトくん、君の部屋でも……?」
「……はい」
俺を見つけての第一声から察するに、予想通りらしい。
「あれが今噂になってる……。今回はやけに激しいらしい」
ふと、彼の発言に気になる言い回しがあった。
「……前にも経験があるんですか?」
「ああ、常連だからね。前に二回ほど。けど、今日のは度を越して酷かった」
「具体的に、前回と前々回はどんなだったんで?」
「部屋がガタガタ揺れたり、物が倒れたり、変な音がしたり……。とにかく、悪戯程度の被害だったんだ。けど、今回は……」
危うく大惨事になるとこだったな。主に俺が。
でも、そうか。
たしかに、あんなのが毎回起きているのだったら、営業自体が不可能になってしまうか。
「旅館側はこのことは?」
「もちろん知っている。だから宿泊費を安くしたりしてるんだし。……でも、いよいよ運営が危ないかな……」
常連客として、潰れてほしくはないのだろうな。
……さて。
逃げるように部屋を出てしまったがどうしよう。
ポルターガイストが俺不在時に起きない保証なんてどこにもないんだし、もし今起きていて、さっきみたいに誰かを標的とした、攻撃的な現象だったとしたら。
まあテラは体は頑丈な方だからあまり懸念することでもないが、女子の方は……。
さすがに旅行先で怪我人――酷ければ死人――が出るのは勘弁願いたい。
「……はぁ」
そんな思考を展開していると、ラッセルが憂鬱そうに溜め息をこぼす。
どんな感情からくる溜め息かは知らないが、俺も溜め息を吐きだしたいところだった。
「とにかく、報告にいった方がいいな。女将さん、まだ起きてるといいんだけど……。ああ、リュウトくんも来るかい?」
今後について思案していたらしいラッセルが、ふとそんな問いを投げてくる。
……まあ、今やることとかないし。
「はい」
とりあえず、俺はこくりと首を縦にした。
旅館の女将は、すぐに見つかった。
場所は、一階の大浴場への入り口付近。
「……そう、ですか」
ラッセルの話を聞いた女将は、萎れた花のように肩を落とす仕草をした。
頭痛でもするのか、額に手を当てて軽く揉んでいる。
瞑目している目の下には、薄く隈ができていた。
長く蓄積してきた疲労を排出するように、悲痛そうな溜め息を吐く。
「ここも、もう駄目でしょうね……」
静かに、消え入りそうな声音で、そう呟く。
やはり、今後の旅館の経営は厳しいようだ。
「ここの温泉、好きだったんですけど…………」
無念そうに、ラッセルが言う。
俺はまだ一回しか来たことがないし、のぼせた経験があるだけに、そこまで残念には思わないが。
「ええ。ラッセルさんのような常連さんには、本当に申し訳ございません……」
「一体、この旅館に何が起こってるというんでしょうか? 本当に何か悪い霊に取り憑かれていたりとか。除霊師を呼んだりしてみては……」
除霊師なんて大抵インチキだろうに……。
女将は、ふるふると頭を横に振った。
「もう既に、何人か呼びましたが……。どこも悪いところはない、とどの除霊師様も仰られて。本当にどうしてしまったのかしら……?」
頬に手を当て、また溜め息をつく。
「主人は死んでしまうし、ナオトはこの旅館を継ぐのを厭がっていますし、もうたくさんだわ」
そう愚痴をこぼす女将の表情からは、すっかり生気が抜け出てしっまているようだった。
言いぶりからするに、キリウの血筋は彼女からで、夫は婿養子のような感じなのだろうか。
いや、イトコ筋での結婚という線もあるか。
……そんなどうでもいいことを考えていると、
「何代も続けてきたのに、私の代で終わらせてしまうなんて」
女将は女将で、酷く思い詰めていた。
「ええと。ところで、ナオトくんはどこでしょう? たしか、ここの担当でしたよね?」
ラッセルが、話題を変える。
その視線は、大浴場への入り口付近に置かれている椅子に向けられていた。
思い返してみれば、俺たちが昼間入浴しに来た時、彼はここにいたっけな。というか、ここ以外では射的場でしか見てないか。
女将は、思い出したようにはっと目を見開き、頬に手を当てた。
「そうだわ、いけない。私、あの子を捜しに来たんです。あの子の姿が見当たらなくて、もしかしたらここにいるんじゃないかと思ったんですが……」
女湯でも覗いてんじゃないだろうか?
でも、客足が少ない今は空振りする率が高いんじゃないだろうか。
いや、ここの担当だからこそ、女湯に人がいるかどうかがわかろうというものではないだろうか。
いや、しかし旅館の従業員がそんな犯罪行為に手を染めるだろう……か?
俺がそんな下らない推理をしている間にも、ラッセルと女将の会話は続いていく。
蚊帳の外な感は否めないが、別に女将と話すためについてきたわけじゃないから構わない。
「家出してしまったんじゃないかしら。あの子、この旅館を継ぐのは厭だって頑としていたし。一人っ子なんだからしっかりしなさいって言っても、私の言うこと聞きやしなかった。ああ、もうどうすればいいの」
「まあまあ、女将さん。落ちついてください。ナオトくんも、家出なんてしてないですよ」
こっちはこっちで結構深刻そうに話してるな……。
そしてこんな場面だというのに、ラッセルが熟女キラーに見えてしまう俺は、やはり他人に共感する能力にイマイチ欠けている。
――その時だった。
ぴくり、と眉が動く。
部屋でポルターガイストが起きる直前に感じたあれを、また感じたからだった。
一拍おいて、一階全体がガタガタと音をたてはじめる。
「なっ――」
「――!?」
ラッセルと女将が、仰天した表情を顔に張り付ける。
揺れはすぐに治まった。
しかし、女将は顔を両手で覆い泣き崩れてしまった。
そのそばに膝をつき、背中をさすってやって宥めるラッセル。
……やっぱ熟女キラーなんじゃ…………。
余計なことを考えるのはやめておこう。
熟女……もとい女将の嘆きは続く。
「これからどうしていけばいいの。もう……」
「女将さん、希望を捨てちゃダメだって」
金持ちには言われたくないんじゃないかな?
しかし、これは……。
部屋で起こったポルターガイスト。
異常はないという霊媒師たち(虚偽の可能性あり)。
……なんか、喉まで出かかっているのだが、わからない。
「ずっと続けてきたんでしょう、この『キリウの湯』を。めげちゃダメですって」
そんなラッセルの励ましがふと耳に聞こえた。
相も変わらず、取って付けたような励ましの言葉である。もっと芯の通った言葉でないと、相手も気を持ち治せないだろうに。
……その時、
すんなりと、一つの仮説が思い浮かぶ。
我ながら、少々強引すぎる仮説だったが……。
しかし、もし仮にそうなっていたとしたら、充分可能性としてはあり得る。
そもそもポルターガイストというのは……。
――だとすれば、この騒ぎの原因は――。
「ラッセルさん、ちょっといいですか?」
俺は、女将の背中をさするラッセルに、話しかけた。




