7,閑話 ヘルヘイムの企て
◇
ラスパーナ王国首都「スパナ」のとある路地裏にて。
数人分の慌ただしい足音が響く。
そして――、
「おい、やばくねえか?」
その足音に、不安を抱く者たちがいた。
服装はフードつきのワイン色のマント。ただし、一人だけ茶色のマントを着ている。身長と体格面から、おそらくは全員男と思われる。
人数は六人。
一番小柄だった者が、不安そうに一番体格の良い男に告げる。
「……むん」
男はそう答えると、固い表情で頷く。
とその時、
「いたぞ!」
声が轟く。
その声の主が、先ほどの足音の主たちの内の一人であることは、彼らにとってはどうでもよかった。そんなことは、確かめるまでもないことなのだから。
見つかった――彼らの意識を占めているのは、この状況そのものである。
「くそ!」
「おい、どうしてくれんだよ! 安全委員がいるなんて聞いてなかったぞ!」
男の一人が、茶色のマントの男に喰ってかかる。
彼だけは、もともと男たちの仲間ではなかった。
今回、男たちに割がいい仕事がある、と取引を持ちだしてきた部外者である。
たしかに、報酬の割に仕事は至極簡単であった。男たちも、任務遂行と多額の報酬に喜びの感情を隠せない。安全委員が絡んでさえいなければ。
「あれー? おかしいですねえ。わたしの調査では彼らはもう引き上げてるはずだったんですが」
茶マントの男は、わざとらしくそうおどける。
その口調が、態度が、男たちの神経に触る。
その間にも、安全委員の者たちは男たちのもとへ駆けつけてくる。
逃げようにも、男たちの背後は袋小路となっており、行き止まりであった。
「さあ、観念しろ」
安全委員の一人が、そう言って一歩、踏み出してくる。
「……くっ」
男たちは、このどうしようもない状況に舌打ちした。
その時だった。
「ここら辺が潮時ですかね」
茶マントの男が、ふとそんな呟きを漏らす。途端――、
黄色い色をした、半円状の障壁が周囲に展開された。
それは男たちも安全委員たちも取り込むほどに巨大なバリアで、障壁の一部は狭い路地裏では壁の奥にはみ出してしまっている。
「動くな!」
安全委員の者たちが、次々に武器を展開させ始める。
どれ一つとして同じデザインのものはない。それぞれが特注で製造された専用の武装。
部長クラスか、少なくとも補佐される立場にあるくらいには腕が立つということだ。
男たちが、目に見えてたじろいだ。
彼らも、安全委員がどれほどの戦力を擁しているかは把握していない。
しかし、警察組織が手に負えない事件を取り扱う仕事柄、安全委員には常軌を逸した戦闘能力が求められていることくらい、想像に難くない。
勝てるか勝てないか、まず間違いなく、勝てない。安全委員が一人だけだったならもしかしたらと思わなくもなかっただろうが、こんな複数人で陣形を固められれば勝率が絶望的であることは男たちでもわかった。
これもすべて、茶マントの男のせいだ。
男たちの悔しそうな感情が、憎悪の視線となって茶マントの男に殺到する。
しかし、当の本人はどこ吹く風、といった具合で。
「妙な真似はするなよ。おい、そこの茶色マント! この障壁を展開したのはおまえだな? すぐに解除しろ」
「えーっとですね……無理です」
茶マントの男は、あっさりと安全委員からの命令を拒否した。
その返事が、命を見逃されるか消されるかを分けるのだ、と知らないわけではあるまいに。
安全委員たちが、警戒の色も露わに、っこちらに詰め寄ってくる。
「もう一度だけ、チャンスをやる。この妙な魔法を解け。そして大人しく投降しろ。そうすれば我々も手荒な手段はとらん」
安全委員の要求に、しかし茶マントは首を横に振る。
「いえいえ、やっぱりその要求に応じるわけにはいきません。断らせてもらいます」
直後だった。
銀に輝く大刀を構えていた安全委員の男が、音もなく茶マントに肉薄し、その首を横に薙いだ。
が、
「――――!?」
茶マントの首が跳ねることはなかった。
大刀が振るわれた際の剣圧でフードはほろりと落ちたが、茶マントの頭は未だ首とくっついたままだった。
マントよりは明るい茶色の、パーマがかった癖っ毛。そして、糸目と言われれば納得してしまいそうなほどに細い双眸。まだ若い若者の顔には、余裕の笑みが浮かんでいる。
茶マントの青年を大刀のギロチンから守ったのは、他でもない、青年自身だった。
手甲も何もつけていないはずの右手の前腕部で、横薙ぎに振るわれた刀身を受け止めたのだ。
「さすがに、Kr兵器は素晴らしいですね。普通の武器なら、力めば大抵弾くことができるのに……」
茶マントの青年が、そう漏らす。
大刀は、青年の腕に喰い込んでいた。深くはないが、決して浅くない。傷口から血が滴って、青年の肘のあたりから地面にぽたぽた落ちている。
「――っが?」
直後、安全委員の男の姿が勢いよく後方に吹っ飛ぶ。
それが、青年が男の胸を左の掌底で突っ張ったからだとわかったのは、青年の左手が突っ張った姿勢のままだからだろう。
そこで、誰もが青年に対して警戒心を引き上げた。少し前まで一緒に行動していたワイン色のマントの男たちですら、茶マントの青年に異形の者に対する恐怖を抱いていた。
そんな周囲の面々へ、青年はふっと笑みを浮かべ、
「ここに要る者全員、死んでいただきます」
直後、青年は安全委員もワイン色マントも関係なく、攻撃を開始した。
「こんなもんですかね」
自らが血祭りに上げた者たちの無残な姿を見下ろしながら、トレント・マクガフィアはようやっと展開していたバリアを解除した。
すると頭上から、彼に向けて声がかけられる。
「物はあったのか?」
トレントは笑みながら上を向いた。
建物の屋根の上に、その人物は腰を下ろし、そちらを俯瞰していた。
黒髪、黒瞳、黒い外套、顔立ちは青年と少年の間ほどと言った風か。トレントもよく知る人物である。
おそらくは、最初から見ていたのだろう。
「ええ。実を言えば、彼らの手柄です」
ワイン色のマントを纏った死体の一つを指差しながら、トレントは朗らかに答えた。
懐から紫色の布にくるまれたものをとりだす。
青年の両目が、細められる。
「これは、お前が一人でやったのか?」
「ええ」
「そうか……身体に何か不具合はあるか?」
「いえ、何も。素晴らしいですね、これは」
自分の両手を見ながら、トレントは笑みを浮かべな語る。
「生まれ変わった気分です。基礎身体能力の向上はもちろん、五感の鋭さも格段に上がっている」
「……そうか」
青年は、静かに頷く。
「一体、どんな手術をしたらこんな身体にできるというんですかね? まさか、Kr因子でこんな改造手術ができるなんて」
しみじみと、トレントは言う。
「カワサキ化のリスクも、まったくないなんて。いやはや信じられませんよ」
「お気に召したのなら、何よりだろうさ」
やや皮肉めいた口調で、青年はそう返した。
「どうしてボスは、Kr因子にこんな秘密があると知っていたんですかね、“死神”さん?」
本当に不思議でならない、と言うようにトレントは青年に訊ねた。
“死神”と呼ばれた青年は、溜め息を一つしてから、自分の考えている答えを口にした。
「あいつが、カワサキと言う怪物が何だったのかを知ってるからだろうな」
「カワサキを、知っている……?」
「そうだ。少し長くなるが、いいか?」
言って、“死神”はトレントのすぐそばに着地する。
底無しの暗い瞳が、トレントへ問いかける。
「いいですよ。そんなに切羽詰まってるわけでもないので」
「……」
“死神”は、語りだす。
「俺が元いた世界では、過去に二度、世界大戦が起こっている」
「世界大戦、ですか?」
「ああ。第一次世界大戦と、第二次世界大戦。戦争のために大量の国民が犠牲になった、血みどろの時代だ。どこの国でも戦力を求めたと聞いている。そして、限られた国の中では、改造兵士の開発研究が進んでいた。常人を遥かに超えた身体能力、感覚、肉体の免疫、耐久力。まさに、戦うことを前提に設計された改造人間だ。人道的にアウトだから、実用化まではこぎつけなかったらしいがな。それでも何人かの被検体・実験体は存在した」
“死神”は、滔々と語っていく。しかし、トレントは話の先が見えてこなかった。
この話が自分に施された改造手術の結果と、どう関連していくのかがわからない。
「まあ、俺がいた時代は戦後から何十年もたった時代だったんだがな」
「……つまり、それがどうカワサキと繋がっているんでしょうか?」
不気味に笑って見せる“死神”に、トレントはとうとう訊いてみた。
「簡単な話だ。カワサキは、その改造人間だったんだよ」
“死神”のその発言に、トレントは少なからず驚いたように目を見開く。
「さっき言っていた、戦争中の被検体やら実験体の内の一体、ということですか?」
「いや、違う。俺の想像通りなら、奴はたまたま改造されてしまった哀れな被害者と言える」
「たまたま改造されるって……あるんですか?」
状況的に、少し変だとトレントは思った。
しかし、“死神”は言い淀むこともなく、あっさり解を提示する。
「改造とは名ばかりだ。実際は特殊な薬品を注射するだけでいい。これ以上ないくらいの、簡単な改造と言える。後は薬が身体に適合するかどうかだけだ」
「適合しなかった場合は……?」
「遺伝子の強引な組み換えに身体が持たず、死ぬ」
淡々と、“死神”は答えた。
「大戦中の被検体には、個々の肉体に最適で合った薬を生成されたらしいが、戦後に運悪く改造人間になった奴には既存の薬しかない。適合できる確率は限りなく低かっただろうな」
嘲笑うかのように、“死神”ははっと笑う。
「改造強化された人間は『混血者』と呼ばれた。名称の由来など知らないが、カワサキは混血者だったはずだ。そいつの遺伝情報を持っているKr因子には、人間を混血者に変質させるためのプロセスも含まれているはずだ」
「それを元にして、僕の肉体を改造した、というわけですか?」
「そうだ。言わば、混血者もどきと言ったところだろうな。この世界には混血者製造のための詳細なデータはないから、完璧な混血者は創れないだろうがな……」
話は終わりだ、とでも言うように“死神”は溜め息を吐きだした。
しかし、トレントはそこまできて新たな疑問を生みだしていた。
「では、Kr因子の過剰吸収によって獲得できるというカワサキ態への変身能力とは……?」
「詰まる話、混血者への変身能力ということだな。ヨミの様子から判断するに、元の姿にも少なからず影響は及ぶだろう」
言われて、トレントは静かに黙考した。
Kr因子の過剰投与は、被験者の遺伝子を徐々に変質させていく。基礎能力が限界を超えて強化され、あらゆる状態異常に対して強い耐性を持つようになる。
それは、約一万年も昔に突如出現した(某説では異世界より現れた)カワサキという怪物への変異と言われている。
そのカワサキとは、戦争のために開発された改造人間の一種であり、カワサキの遺伝子データが刻まれたKr因子には当の改造人間――混血者を造り出すためのデータも含まれているという。
今回、トレントはある改造手術を受けた。それによって、驚異的な能力を手に入れるにいたったが……。
その改造手術とやらは、どうやらKr因子を元にしたものだったらしい。
そして、話では他にも数名、トレントと同じ施術を受けた者たちがいるらしい。
彼らは今、どうなっているだろうか。
死んだのだろうか?
混血者とか言う改造人間の例と同様、何らかの基準を満たさず適合できなかったために、死んだのだろうか。
「他に何か、混血者になった場合に起こる変化とかはありませんか?」
ふとそんな質問をしたのは、変化した自身の肉体について、もっとよく知っておこうと思ったからだ。
“死神”はそんなトレントの顔を見てから、そっけなく答えた。
「寿命が大きく延びる。ヨミが五百年は生きてるから、納得できるだろう? 俺だってこれで百ね二条生きてる。個人差はあるが、大体千年前後は生きる」
「…………」
千年、というあまりにも永い時間に、トレントは唖然としかけた。
「もっとも、お前は完全な混血者ではないから、わからないがな。後はそうだな……生殖能力がなくなるな」
「ほう……それはどうして?」
「さあな。詳しい仕組みは知らん。とりあえず言えることは、混血者は混血者同士でしか生殖できなくなるということだ。そしてその生殖自体、かなり確率が低くなる」
要は、混血者になれば普通の人間との間に子供はできない。混血者同士であったとしても、妊娠する可能性はかなり低い、ということである。
「混血者たちは全員、不妊治療を受けることになるでしょうね」
トレントの皮肉に、“死神”はにっと不気味に笑う。
「違いないな」
ザーナ大陸より南の方角にある島国。シドー国のジャミヤ地方に存在するヘルヘイムの拠点にて。
“死神”はヘルヘイムのリーダー・ベルスと向き合っていた。
黒髪、黒瞳、顔立ち、ともろもろの特徴を抽出するなら“死神”と共通するものが多い少年は、石造りの椅子に腰かけて、“死神”を見上げていた。
それはまるで、風化した王座に着いて家臣の報告を聞く帝王のようでもあった。
「――――で?」
「トレントの身体能力は混血者並みに向上している。実験は成功だ。あれ以外に成功例がないと言うのは考えものだがな」
「構わない。これから調整していけばいい」
「……問題がないのなら、俺が言うことは何もない」
あくまでも無関心に、“死神”がそう告げた。
「トレントは?」
「お前の指示通り、安全委員に保護された。何のために、こんなことをする? ベルス」
トレントは、あの赤マントたちが人質として同行させた、という設定で安全委員に保護されている。
それはつまり、安全委員のもとにトレントを送り込んだ、ということでもある。
疑問を隠せない“死神”に、ベルスは淡々と答える。
「すべては次の行動への前準備だ。俺は、こういうのはきちんと準備するのが好きなんだよ」
「準備……ねえ」
わざわざ安全委員に襲撃を予告したり、その襲撃の際にも当日に作戦を変更したりするのを、前準備と言うのなら、そうなのだろう。
「何のために前準備なんだ?」
「うん。そろそろバギーの奴を、助け出そうと思ってな」
「…………」
さすがの“死神”も、一瞬言葉を失った。
そもそもの話として、
一年前、バギーを切り捨てたのはベルス本人だ。
その本人が、一体どういう風の吹きまわしというのか。
いや、と“死神”は思考を切りかえる。
ベルスと言う男は最初からこうだった、と。
最初から筋道だった思考などない。あるのはその場その場で考えついたことだけだ。
理解不能な思考回路。破綻した人格。
いつだったか、魔剣グニグルを手にして狂気に落ちなかったという少年のことを思い出す。
あの時、ベルスがした少年の説明は、もしかしたらベルス本人にも当てはまるのではないだろうか。
心を持たない怪物。
良心どころか、惨忍な感情さえ持ち合わせない、文字通り何も形のない精神状態。
「……」
首をふるふると小さく振り、“死神”は思考を中断した。
今考えても仕方のないことだ。
「何はともあれ……」
ベルスはそんな“死神”の疑念など露知らず、こう言ったのだった。
「今年の定期戦も、予定道りに、な」
「……ああ」
前回のように、当日で作戦変更がない限りな、と“死神”は内心でそう愚痴たのだった。




