4,学園風景(3)
――昼休み。
昼食を済ませた俺とセイラは、図書室で調べ物をしていた。
こうなった経緯は、さして複雑ではない。
ネワギワ史の課題がなかなか進まないので、セイラに手伝ってもらっているというだけである。
課題の内容は、一周期前のメルーラ歴にあった世界大戦についてである。
メルーラ歴とヘルムン歴を順に繰り返し、既に紀元前から何万年もの時間が経過しているネワギワの世界であるが、実は、他の周期の歴史については大雑把な内容でしか知られていない。
より詳しい史実内容となると、かなり高額な歴史書などでしかわからないが、今はその本は図書室にはない。すべて、貸し出されてしまっているのだ。
よって、俺でなくとも、この課題の進行状況がかんばしくない生徒は多い。
俺自身、その詳しい歴史書とやらは以前に一度読んだことがあるのだが、あの時は今とは目的が違ったために内容はほとんど記憶していない。
リンやテラも、まだまだ半分も進んでいないとこの前こぼしていた。
俺の方はまだレポート用紙一枚分しか書けていない。課題は用紙五枚分なので、あと四枚をどうやって埋めたものか。
今の周期の歴史なら、結構細かいところまでわかるんだけどな……。
「本だけはこんなにあるんだけどねぇ」
机の上に本の山を築き上げ、セイラはそんな愚痴をこぼす。
一体、このたくさんの書籍の中に、どれだけ有益な情報が埋まっているというのか。
詰まれた本の表紙を見てみると、「ネワギワ史」「ネワギワの五万年」「科学・魔法・そして戦争」などのタイトルがあった。
一見、レポートに役立ちそうな書物であるが、その実は膨大なネワギワの歴史を大幅に省略して詰め込まれたただの年表に過ぎないだろう。
メルーラ歴何々の年になんちゃらの戦争が開戦、その後何百年間にわたりどこどこの国とどこどこの国が血みどろの戦いを繰り広げ、どこどこの国側が勝利し、終結……大体はこんな大雑把な内容だ。
戦争へと繋がった経緯、その時々の国の情勢、国家問題など戦争中の各国の様子や、戦争で活躍した兵士や軍人などの名前は特に重要なものしか記載されない。
主としてあるのは、戦争をした国と年号、そして戦争の結果や、重要単語ぐらいである。
詳しい歴史の本の内容を覚えていないことが悔やまれる。
こんな状況で、セイラはどうやってレポートを完成させたのだろうか?
真面目な話、俺の知っている限りでは、彼女以外で課題のレポートが終わってる生徒はいない。
椅子に腰を下ろし、本のページをめくり始めたセイラとは別に、俺は他によさそうな本がないか探すことにした。
図書室の歴史関連の本をまとめたエリアに足を運ぶ。
「ネワギワの歴史表」「歴史の裏の真実!」「人類の戦争」などなど……。
それっぽい本のタイトルを流し見ながらも、ぴんと来るものは何一つ見つからない。図書室にあった詳しい歴史書は、俺が思っている以上に数が少なかったのだ。
……そうやって時間がたつこと五分ほど。
未だ、俺は本棚の列をまわっていた。
たった五分であるが、その間視界の中を巡っていく本のタイトルの既視感が半端ない。数十秒おきに同じ本を手に取っているような錯覚を起こす。
図書室にかけられている時計を見てみると、針は十二時の形を作っていた。
昼休みはあと二十分。しかし、教室までの移動時間を考えるとその五分前には戻った方がいい。幸いにして、予令が鳴ったら戻ればいいから、時計をいちいち気にする必要はない。
そして、
本棚に視線を戻した俺の目が、唐突にそれを見つけたのだ。
古い本だった。
本棚の隅というか一番端っこに置かれていて、隣に置かれている「私が見たネワギワの真実! ~バトルロイヤルは実在していた!?」がまた一段と大きいために見落とされがちな印象だった。
背表紙には「私の心」とある。
とても歴史関係の本とは思えなかったが、何か俺の意識を引きつけるモノを感じた。
試しに、それを取ってみる。
隣の「私が見たネワギワの真実! バトルロイヤルは実在していた!?」からぎゅうぎゅうと圧力をかけられていたらしく、背表紙にかけた指先に非常に力が入った。
他の本も一緒にぶちまけてしまわないように注意しながら、どうにか「私の心」だけを取り出せた。
黒い革張りでかなり古いものらしく、ところどころ擦り切れたりしていた。表紙のタイトル文字にいたっては、既に線同然だ。
開いてみれば、紙の方もかなり酸化が進んでいた。
著者の名前は、リウジ・サカイとある。表紙のタイトルと違い、くっきりはっきりとした字だった。
変な点に感心していた俺だったが、著者名の下にある文字を見て、首を傾げてしまった。
著者:リウジ・サカイ(メルーラ暦2281~K$#%)
※本著はメルーラ暦4790に初出版されています。
著者の死亡時期の記載部分だけが読めないほどに擦れているが、俺が注目したところはもちろんそこではなかった。
――メルーラ暦4790に初出版
今はメルーラ2315だ。
メルーラ暦4790までは、単純計算では今から2475年かかる。遠い未来の年号だ。
このメルーラ暦4790は、今の周期のメルーラ暦ではないということだろうか。一周期前か、二周期前のメルーラ暦である可能性が高い。
過去。それも、遠い過去に出された本。
そう考えれば、酸化したページも、擦り切れた表紙も納得できる気がする。
4790ということは、その周期のメルーラ暦では末期だろう。そうなるとこの本は、最低でも五千年ほどは前の代物ということになる。
……いや。
俺の目が、またこの本の不可思議な点を発見した。
著者の年齢だ。メルーラ暦2281に誕生……。これが今の周期だったら、大体三十四年前になるが……。
著者の誕生時期が、本が出版された時期と大きな時間を開けている。
メルーラ暦2281に生まれて、4790にこの本を出したというなら、この著者の年齢は二千歳を超えていることになる。
そして偶然にしては出来過ぎのように、著者の死亡時期がぼかされている。
それらをふまえてみると、少し――というかかなり、嘘っぱち臭がしてくる。誰かが書いたジョーク本だったりするのだろうか?
何分怪しかったが、とりあえず、中身を読んでみることにした。
出だしを読んだ限りでは、小説なのか何かのエッセイなのかもよくわからない文体だった。
一応一人称視点で、語り手は何か重大な過ちを過去に犯しているらしい。
手記形式の小説だろうか、とも思ったが、どうもそれとは違うらしい。しかし、語り手はどうも著者とは違うようなので、やはり小説なのだろうか。
時代設定的には、ちょうどメルーラ暦2300の出来事という設定のようだ。
語り手の回想する形で、過去に犯した過ちというものが語られていく。
語り手は、過去にその手で望まぬ殺人を何度も重ねたのだという。
小さな背中が、どんどん遠ざかっていく。
赤一色の世界の中で、それはとても腹立たしく、そして愛おしいような光景だった。
私から逃げようとするその小さな命は、懸命に走ろうと足を動かしていた。
――あの子供は、どこまで、逃げられるんだろう?
そんな疑問を、ふと抱く。
逃げてほしいと思った。どこまでも、私という怪物から逃げてほしいと。
私に追いつかれたが最後、あの少年の命は私自身の手によって散ってしまう。
それは、堪えがたい思いだった。
だから、そんなことにならないために、少年には私から逃げおおせてほしい。
ドクリッ、と心臓の鼓動のような音が、私の耳に小さく聞こえた。
――ああ、だめ……。
身体が、勝手に熱くなる。
束の間、私の中を熱い衝動が駆け巡る。
焼け死にそうなほどの熱の本流が、私の頭をぐちゃぐちゃに掻き混ぜているかのようだった。
――だめ。
――駄目。
――――逃げて!
思いは、届かない。
私は、熱い鮮血にまみれた右手を、少年の背中から引き抜いた。
名も知らぬ、小さき少年。私が、何の理由もなしに殺してしまった、幼き命。
この少年以外にも、私が殺した命は数知れない……。
ああ――あああ。
また、身体の中が熱くなってゆく。
熱に、頭が呆としてゆく。
私は、罪深い生き物だ。せめて、誰か、私を、止めてください。
望まぬ殺人・殺戮という単語を最近よく見かけるような気がするが、俺の気のせいではないはずだ。
どこかで読んだことあるようなストーリーだったが、とりあえずはまだ何も言うまい。
話はまだ、続きがあるのだ。
ざっと読み進めていった限りでは、結局、この語り手を止める者は現れず、語り手は少しずつ精神に異常をきたしていったようだった。
母親と思わしき女性と、その娘らしい小さな少女が、私に背を向けて逃げて行く。
女性は少女の手を引いているが、少女の走る歩幅は女性よりも小さいため、女性は引き摺るように少女の手を引っ張っていた。
私は、一跳びで二人との距離を詰めた。
手にした刀を抜刀し、そして少女めがけて斬りかかった。狙うは、女性が引っ張る少女の手。
赤い飛沫が、撒き散らされる。
女性は、勢い余って前のめりに躓いた。その手は、少女の手だけを握っている。彼女は、少女の手を引いているが故に、もっと速く走れたはずなのに、手こずってしまった。
だから、私が解放した。
少女が、切断された手からぴゅうぴゅう血を吹きながら、倒れこんだ。
女性が、そんな少女を泣きそうな顔で呼びかけながら、手を伸ばした。
しかし、少女がその手を掴むようなことはなかった。
痛みにのたうちまわる少女に、私は刀を突き刺した。少女は、それきり動かなくなった。
途端に、女性が悲痛そうな声を上げた。
――どうして、そんな表情をするんだろう?
――どうして、邪魔な足枷を解いてやったというのに、喜んでくれないのだろう?
女性が私を睨み見る。
恐怖。絶望。そして――――たしかな怒り……。
女性の目からは、それらの光が見て取れた。
本当に、どうしてそうなるんだろう?
どうして女性の中には、安堵や感謝の感情がないのだろう?
この時点では、まだ精神が狂い始めた段階だろうか。
少女を殺した理由は(それが一般的な感性で理解できるかどうかは別として)一応は筋が通っている気がする。
しかし、語り手は女性が少女に向ける愛情を、少女を失えばどんなに絶望するのかを、どうして逃げ損ねるかもしれないというのに少女を見捨てず手を引いたのかを、まるで理解できていない。
単純に、逃亡の邪魔になっている少女を排除すれば、女性は泣いて喜ぶと認識してしまっている。
そのあたりは、やはり精神がイカレてきているということか。
これが、本当に本心から「どうして笑ってくれないの?」と思っているのなら、語り手の心は間違いなく、異常だ。
さらにページを進めていくと、語り手の精神は、もう修復不可能ではと思ってしまうほどめちゃくちゃになっていった……。
月が出ていた。
赤い空に黒い満月。
たくさんの人が、私から逃げてゆく。鬼ごっこ。
白い建物が多いここは、どこかの街だ。
待ってよ。
待ってよ。
鬼は私一人なのか?
あんまりだ。
あんな大勢、どうして私一人で捕まえきれるというのだろう。
……でも、逆に考えてみよう。
あんな大勢を、私一人が独り占め。
うん。
とても、楽しそうに思えてくる。
私は、逃げ惑う人々のうちの一人に狙いを定めた。
艶やかな黒髪。細長い肢体。遠目にもわかる瑞々しい色白の肌。とても……美味しそう。
女の、その綺麗な肌を切り刻むは、ほとんど一瞬だった。
――ああ。
また壊れちゃった……。
私は、赤い女を見下ろした。
真っ黒い血が女の身体から染み出している。
黒い月は、夜の闇の中で、静かに私を見下している。
殺した。
殺した斬った。
殺した。殺した殺。殺し殺した。殺殺した。殺した殺し。殺た。殺した。殺した。たし殺殺した。殺殺たしたた。殺しした。殺し殺したした。殺した。
――――
――――
――――――
殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺――――――
――俺は、一旦ページから目を離して天井を仰いだ。
何これ?
ゲシュタルト崩壊ってやつか?
頭がイタくなってきた。
美味しそう? 語り手は人を喰うつもりなのか!? 気色悪いな。カニバリズム信仰はちとわからない。
……著者は一体、何を書きたかったんだろう? これじゃまるっきり、人格破綻者の日記だな。著者の方こそ、精神異常者なんじゃないだろうか?
この先陰鬱そうな内容が続きそうだったので、ページを少し飛ばして読んだ。
…………さすがに、少し驚いた。
さっきの破滅ぶりがまるで嘘であったかのように、しっかりとした文章だったからだ。
子供三十四人。
男二十一人。
女三十一人。
今日一日だけで、目に着いた人間すべてを、殺した。
この殺戮の果てにあるものとは、一体何なのだろうか?
私には、何もわからない。
今日で何日目になるのだろう?
私には……もう何もわからない。
こうして、ウロボロスの環は回っていくのだろうか。
わからないのはこっちだ。
疑問が後から後から涌き出てきてしょうがない。
なんで語り手はウロボロスなんて単語を知ってるんだ?
ウロボロスの環――中二病みたいな単語を使って誤魔化そうとしてないか?
そして、誰か語り手に何があったのか教えてくれ。
どうしたらあんな会話すら成立させられないような精神状態から、こんなになるというんだ?
殺戮の果てに何があるのか――哲学か何かか?
なんで人格が元に戻ってるんだ。
――いや、考えてみれば元通りってわけでもないか。
序盤こそ、自分の殺した被害者たちに悔恨の念を懐いているようだが……こっちの方では、子供を何人殺した、女を何人殺した、男を何人殺した、とか、明らかに淡々と考えている。
ストーリー全体を見てみれば、この語り手は大量に殺したようだし、生命への価値観が薄れても仕方ないようには思えるが。
しかし、やはりこの精神状態の変化がよくわからない。
何故だろう、どういうわけか、凄く気になる。
というか、この話の流れは…………。
さらにページをめくっていた指が、止まった。
既にストーリーは終わり、著者の他の作品リストのようなページだった。
どれも見覚えのないタイトルだったが、一つだけ、俺も知っているものがあった。
『――崩壊のカワサキ』
昨日の国語でやった小説だ。
同じ著者――。
もしかしてこの本の語り手は、件の話のカワサキ視点をモデルにしているのか?
だとすれば、この著者は、よっぽどカワサキというものを精神異常者にしたいらしい。
て言うかなんでそんなもんが歴史関連の書物の中に紛れているんだろうか? 誰かの悪戯か?
何はともあれ、だ。
歴史とは何も関係なかったな。
それに、結局これがどこまで信用できるかどうかもわからなかった。
「リュウトくん?」
俺の名を呼ぶ声に、振り返る。
セイラと目があった。
俺が戻らないから、捜しに来たのだろう。
「それ、何?」
開いていた「私の心」を見て、そう訊ねてくる。
さて――少し困ったことになった。
この本を見せた場合、セイラは怒るだろうか? 普通の人間だったら、まず間違いなく怒るだろう。課題を手伝ってやってるのに、こんな歴史とは関係ない本を立ち読みされていれば。
セイラも怒るのだろうか? ――怒ると考えておこうか。
俺は、黙ってセイラに「私の心」を手渡した。
セイラは本のページを流し読むようにめくっていき、一分もかからずに閉じた。
「どこで見つけたの?」
本を閉じて、第一声がそれ。
その声音に、怒りの感情は感じられない。
とりあえず、黙って本を取り出した棚を指差して――顔の筋肉が少し強張った。
「私の心」を取った棚には、本を戻すスペースなど残っていなかった。
取りだす時、隣から圧迫を受けていたために、ある意味当然といえるかもしれない。
「まーずいかも」
「私が見たネワギワの真実! バトルロイヤルは実在していた!?」と棚の壁の間を見ながら、俺はそう呟いた。
セイラも、俺の指先を辿り――俺が何を思ったのか察したかのように、半分同情するような目をしたのだった。
その後待ち受けていた不幸は、地味にも絶大な労力だった。
取りだした時と同様、慎重に本を棚の中に戻し(無理矢理押し込み)、しかし昼休み終了前の予令がそこで鳴ったのだ。
結局、レポートは大して進まなかった。
よくわからない本のせいで、貴重な時間を無駄にしてしまった。




