1,日常風景
◆
彼には力があった。
他の人間にはできない、選ばれた者の力が。
しかし、その力を思うように振るうことはできなかった。
赦されなかった。
彼にとって、それは何にも堪えがたい不満だった。
周囲の者が、彼を嘲ったわけでもない。
彼はプライドを傷つけられるには、能力がありすぎていた。
ただ一つ。
己を解放できない歯痒さと、それを強要してくる周囲の理不尽さに、
――今日も彼は、密かに発散させるのだった。
◆
メルーラ暦2315
二月末。
ソージック学園の六時限目の授業は国語だった。
「では、二十一ページの、最初の行から、ええー、カミネさん、音読してください」
「はい」
国語担当の老教師の指名に応え、一人の女子生徒が立ち上がる。
手に教科書を持ち、少女は指定されたページを声を出して読み始めた。
崩壊のカワサキ
昔、ある村に、カワサキと名乗る者がおりました。
カワサキは人の身ではありませんでした。
その姿は、寸分違わず普通の人間のそれ。しかし、その身は、鋼の如き頑強さ、鬼の如き金剛力を備えておりました。
ある日突然現れたカワサキに、村の者は快くは接しませんでした。
そんなカワサキには、一人の友がいました。
周りから疎外されるカワサキにとって、その友だけが気を許せる居場所でした。
カワサキには、自分がどこから来たのか、どうしてここにいるのか、わかりませんでした。
ある日、気がつくと、村の近くの森にいたのです。
カワサキは、最初、言葉が通じませんでした。
どういうわけか、カワサキはネワギワの言葉を知らなかったのです。代わりに、奇妙な発音の言葉を操っていました。
しかし、カワサキはとても賢かったのです。わずか数日でネワギワの言葉を操るようになりました。
けれど、そんなカワサキに、悲しい現実がやってきました。
唯一の友が、突然の死を遂げたのです。
カワサキは悲しみに暮れました。
どうして友を失わなければならないのか、どうして自分の周りはいつもこうなるのか。
悲しみは、いつしか憎悪や怒りに変わりました。
カワサキは、この世に憎しみを撒き散らす怪物へと変貌していったのです。
その手で、数えきれないほどの人間を殺しました。いくつもの村や国を、死で満たしました。
けれど、怪物になったカワサキには、まだ微かに、心が残っていました。
そしてそれは、カワサキにとって堪えがたい苦痛だったのです。
望まぬ殺人、望まぬ破壊。
終わることのない殺戮の果てに、カワサキは、とうとう自分の心を捨てました。
そうしなければ、堪えられなかった。
そうしなければ、永遠に苦しむことになる。そんなことは厭だったから。
だから、カワサキは、自らヒトの心を捨てることにしたのです。これ以上苦しむくらいならば、苦しみを理解するココロなんていらないと。
それ以来、カワサキは姿を消しました。
そして今日までの一万年、カワサキは、未だ現れていません。
……話の流れが急すぎる気がする。
というか、「カワサキの話」とあまりにもストーリーが違っている。
派生版というには、少し苦しいところだ。
大方、どこぞの小説家が「カワサキの話」をもとにして作り出した作品だろう。
しかし、なんというか……この学年で習うには、あまりにもお粗末な展開じゃないだろうか。もっと長い文章でもいいと思う。
「ありがとう、座ってください。はい、では、今日からはこの物語について、皆さんと…………」
無論、そんなことは口に出したりはしない。授業中だし。
成人になったばかりの今年。最近はいろいろと周囲の状況が変化することもあるが、今は平穏な学校生活を送れている。
こうして、その日最後の授業は何事もなく進んでいったのでった。
授業が終わったのは、三時十五分頃。
国語の担当教師が教室から出て行った途端、クラスに大なり小なりの不満の爆発が起きた。
時間にルーズなことで知られる老教師パーフレーの授業としては、五分オーバーは比較的抑えた方だろうが、今まで散々授業を引き延ばしてきた老教師に(酷い時だと二十分ほどオーバーしたことがある)、クラス全員、不満を募らせていたらしい。
……さて、いくら授業の終了時間遅延を嘆いたところで、それによって失われた時間はホームルームでいくらか調節が可能だろう。高年部になれば、朝と帰り前のホームルームは生徒の主導で行える。
だから、その気になれば朝のホームルームはともかくとして、帰りのホームルームはものの数分で終わらせることができるのだ。
俺的に、そこまで怒ることでもないだろうと思うわけである。
だが、ここでクラスメイトたちが懐いている不満の根源にあるのは「授業が長引いた」という結果ではなく、その結果を作りだした人物の行動、すなわち「パーフレー先生がまた授業時間を破った」という過程である。
「あの爺さん、授業時間守ることできるのかねえ」
「国語の先生、変えてほしいよねー」
「ほんっと、サイアク」
クラスメイトたちの不満の声々が、耳に届いてくる。人って、ほんっと残酷だ。陰口を叩くだけで本人に言うわけでもないから、遠慮がない。
まあ、そんな彼らのパーフレーへの鬱憤は置いておくとして、俺的には、やはり不満とかはなかったりする。
現状、放課後に熱中して打ち込むような趣味もないし、それこそ予定があるわけでもない。
講習や部活動の類は、この世界の学校には存在しないし、掃除の係りでも、今年の定期戦の選手に選ばれてるわけでもない。
ホームルームさえ終わってしまえば、後は帰るだけだ。
俺の周囲の荒らぶるクラスメートたちは、一体どうして、パーフレーの授業時間オーバーにそこまで怒っているのだろうか?
考えてはみるのだが、赤の他人であるクラスメートたちの複雑怪奇で珍妙な感情を、俺が理解できるわけがなかった。
そして、何事もなく、ホームルームが終わった直後のこと。
「ねえ、カワキくん、君、今日の放課後って何か予定あるかな?」
女子生徒が一人、速攻で俺の傍まで来て、話しかけてきた。
ソプラノのよく通る声をした少女だ。
髪の毛は腰に届くかというほど長い金髪で、ツーサイドアップに纏めている。両の瞳は、サファイアを思わせるほどの蒼だ。顔立ちは、誰もが振り向くような美少女である。
他に特筆すべき特徴といえば、俺の赤髪の親友に匹敵するレベルの、非常にけしからん大きさのモノをお持ちであることだろうか。
身長は、女の子としては普通だと思う。長身でも幼児体型でもない。
名前は、リーン・トレム。
今月このクラスに転校してきた、ビショージョテンコーセーである。
はきはきと明るい性格と、御覧の容姿から、既に校内では人気を集めている。
「……特に大きな予定はないけど」
放課後は暇でしかない。
リーンは何故か、俺によく話しかけてくる。
彼女の前の学校では、黒髪黒瞳というシドー系が珍しいのだろうか?
それにしては、俺にだけ話しかけてきてる気がするが。
この学校、シドー系の人種は俺一人だけじゃないのに……。
「そっか! じゃあ、放課後、わたしに付き合ってくれないかな?」
彼女のこの問いにも、もう慣れたものだ。彼女が転校してきて、まだ一か月もたっていないというのに。
それだけ頻繁に、彼女が誘ってくるということ。
そしてその都度、俺はそれを断っているということだ。
「いや、この前の課題、まだ終わってないから」
「……そっか。仕方ないね」
彼女は、喰い下がってはこなかった。これも、いつもの流れである。
名残惜しむこともなく離れていく彼女の背中を見ながら、俺は思った。
――なんでこの娘は、こうも俺に親しげに話しかけてくるのだろう、と。
本当、それさえなければ、俺もそこまで彼女を警戒することもないのだが。
また、男子生徒たちの俺を見る視線が鋭くなるような予感がするな……。
ホームルームは終わってる。
教室内は、既に生徒が半数ほどになっている。帰ったか、他の場所の掃除か、あるいはその他の理由か。
俺も、いつまでも教室に残っているつもりはない。なので、もう下校することにした。
校門を出た時、前方に艶のある長い黒髪をした後ろ姿が目についた。後ろ姿だけでも、彼女が誰なのかがわかる。それほど、見慣れた後ろ姿だった。
「カミネさん」
その後ろ姿に呼びかける。
ソージック学園の制服を着たセイラ・カミネがこちらを振り返る。
相変わらず、見惚れるほどに綺麗な少女である。
私服ではシドー着を着ている彼女だが、学生服姿もまた息を呑むほどの可憐さだった。
「あら、リュウトくん」
セイラは、薄い微笑みを浮かべて応えた。
「君も、もう帰るの?」
「あぁ、そんなとこ」
「そう。じゃあ、一緒に行きましょうか」
くすりと、微笑む。
「……そう、だね」
俺とセイラは、並んで歩き出した。
二月上旬になんだかんだあって、セイラは現在俺の家に居候中である。登下校は、必然共通の道になる。
「学校にはもう慣れた?」
ふと、そんなことを訊く。
セイラがソージック学園に転校してきたのは、時期的にはリーンと同じ、正確にいえばリーンより数日後のことだった。
俺は彼女が転校してくるよりも少し前に彼女と知り合っていたが、その時はレープ校に通っていると聞いていたので、彼女が俺のクラスに転校してくると知った時は驚いたものだ。
彼女曰く、前からソージックへの転校の話はあったらしいが。
「ええ、レープにいた時と、大体同じ感じかな」
「へえ、そう」
「男子から変な目で見られて…………鬱陶しいったらないわ」
「あー……」
まあ、美人だしな。
時には告白されることもあるという。
下駄箱を開けたらラブレターらしき手紙がっ! なんて状況もあったりするのだろうか。
……まあ、全部断ってるらしいが。
学校での彼女は、近寄り難いクールな美少女、といった印象だ。明るい性格で誰にでも親しみやすいリーンとは、正反対だと言える。
「ねえ、リュウトくん。どこかに、寄ってかない?」
話題を変えるためか、セイラはそんな問いを投げてきた。
喫茶店「アイソレーション」にて。
本日の午後の店内は、思っていたよりも人が少ない。
俺とセイラは店の奥の方のテーブルに着いて、ミルクティーを二つ注文した。
時刻はまだ午後の四時を回ろうかという頃あいだ。寄り道の一つや二つ、なんら問題はない。
とは言え、学校の授業は既に終わっている時間帯なので、学生服姿でも学校をさぼっている不良には思われないだろう。学校帰りのカップルくらいには思われるかもだが。
「で、何か話す?」
寄り道にこの喫茶店を提案したのはセイラだ。
寄り道にここを指定するからには、彼女は俺に、何か話したいことでもあるのではないだろうか。
「ええ、まあ、そうね」
曖昧に首肯して、彼女は瞑目する。話す内容を、頭の中で整理するように。
その時、この店のウェイトレスのサラが、ミルクティーを運んできた。
氷できんきんに冷えたティーを入れたガラスコップには、既にうっすらと水滴が付いている。
「今日の国語の授業……」
水色のストローでミルクティーを撹拌しながら、セイラが呟く。
「あの話、リュウトくんはどう思う?」
「話って、授業でカミネさんが音読した話?」
ええ、と肯定するセイラ。
俺は、ストローに口を付けてミルクティーを飲んでから、少し考えてみた。
「短かすぎた、かな」
「ええ、短かすぎたわね。あんなに短かい内容だったのに、授業時間がオーバーさせてしてしまうのは、まったくの謎だと思うわ」
学校での態度が嘘のように、彼女はよく喋った。軽いジョークさえ飛ばしている。というか、わりと毒舌だ。
俺の前だから余計な気を遣っていないのか、それともキャラを壊してしまうくらいさっきの国語の授業が気に喰わないのか、あるいはその両方が理由か。
「それで、その短かったお話……内容はまだ覚えてる?」
「ああ、うん。覚えてる」
たしか、友人の死と代償に主人公が怪物になってしまう話だった。怪物になるっていうよりは、自分の心を捨てる話だったけど。
「殺人の罪悪感に堪えきれずに、人の心を捨ててしまったって話だったよね」
――ちょうど、セイラも似たようなことを話しだすところだったようだ。
「たしかにそんな内容だったな」
「わたし思うんだけど、人の心を捨てるって――それって要は、廃人になるってことなんじゃないかな」
「ああ……うん。そう、言えるかも」
……まあ、心のない人間なんて、精神喪失者とかしか思いつかないしな。
「なんであの話の主人公は、そんな選択をしちゃったんだろう? 人殺しに堪えきれなかったからって、廃人になるくらいなら、自殺するとか、他にもましなやり方があったと思うんだけど。むしろ、自殺の方がよっぽど思いつきそうなものじゃない? リュウトくんはそのあたり、どう思う?」
俺は、答えるのにわずかに間をおいた。それは、答える内容が果たして大丈夫だろうか、と考える間だった。
「廃人になるほど、楽な道はないんじゃないかな」
訊かれた時、一番に思い浮かんだ考えだった。
自分で死ぬくらいならば、廃人になった方がよほど幸せに思えたから。
でも、普通は自殺を選んでしまうんだろう。
廃人状態って、死より惨い状態だって言う人とか多いだろうし。
……それでも、俺は死ぬよりはましだと思ってしまう。
セイラは、驚くでもなく、まして表情一つ変えなかった。
ただふっと笑みを浮かべ、
「リュウトくんって、悲観的だよね」
そう言うのだった。
……たしかに。
でも、事実そう思ってしまうのだから仕方ない。
前世の俺の生き様も……
…………発狂できれば、どんなによかったことか――――
その話は、そこで終わりになった。
その後、三十分ほど雑談を交わして、俺たちは「アイソレーション」を後にした。




