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転生者の苦悩 ~呉呉末  作者: 近藤 了
第二部 第一章 業炎の序
59/102

9,arson(2)

      ◇


 随分と走ってきたが、後ろから男が追ってくるような気配はない。

 俺は、一旦立ち止まる。

 俺たちはまだ路地裏にいる。四方を何とも知れない建物の高い壁に囲まれた、四角形型の狭い空間だった。

 路地裏で焼き殺されそうになってから、一体どれくらいの時間が経過しただろうか。正確な時間はわかるはずもないが、まず間違いなく日付は変わっているだろう。

 思えば、誕生日になった日から今夜を含む三夜、全夜が散々な夜だった。

 不良(放火魔)の強姦未遂現場(殺人未遂現場)に出くわしいきなり魔法で攻撃され、誕生日祝いと称して酒を飲み飽かし、そして今夜が件の放火魔との命がけの鬼ごっこだ。

 十五歳になった途端にこれだけの事件に巻き込まれるとは、これから一年、一体どれだけの厄年になるというのか。

 ここまでぶっ通しで走ってきて、もうズボンは乾いていた。

「とりあえずは……撒いた、かな?」

 周囲は異様に静まりかえっている。

 街の喧騒から隔絶されたこの空間は、不気味なほどの圧迫感を与えてくる。

 くい、と外套の裾が引っぱられていることに気づく。

 振り向いてみれば、今宵の逃避行の同行者は、沈んだ表情でこう報告してきた。

「一人、こっちに向かってきている人間いるんだけど……」

 ――その報告を聞いて、俺は考える。

 接近者の存在。

 彼女が感知できた理由。

 いろいろと思い浮かんだが、まずはっきりさせておきたいことを訊いた。

「それ、放火魔の仲間の一人ってこと?」

「そこまでは、わからなかったわ」

 索敵の魔法でも使ったのだろうか。彼女は、片手で頭を軽く押さえている。

 彼女の間違いという可能性もあるが、ここに一人だけが近づいてくるというのは、どんな可能性にしろ好都合かもしれない。

「俺たちの方に向かってるの?」

「そうね。結果的にいうなら、わたしたちと距離が詰まってきている。でも、時々止まったりして、まるで何かを探しているみたいね」

 それが真であるならば、俺たちを探している放火魔の一味である可能性は非常に高い。

「そいつと俺たち、今どれくらい距離があるか、わかる?」

「……そんなに近くまでは、まだ来てないわ。五〇メートルくらいかな?」

 背後を指しながら、セイラは告げる。

「大したもんだ。それって、索敵魔法、だよね?」

 こくん、とセイラは首肯する。

 彼女が指示した方向に視線を向けると――たしかに、不思議と何か嫌なモノを予感できた。

 何かの気配を感じ取ったわけではない。だが、最終的には、気配で敵を探るよりかは、自分たちに近づくモノを直感する方がかなり信用できた。気配なんてものはいくらでも誤魔化せるが、直感は誤魔化しづらいのだ。

 ――さて、それならばこれからどうしたものか。

 僅かながらに、思案する。

 だが、セイラは考える仕草をする俺を見て、少しだけ首を傾げた。

「――逃げないの?」

 そう問うてくる少女の顔は、不安そうな――といったものではなく、訝しんでいるだけのようであった。

 何故、俺が考えるのかがわからない。ここは、ただ「逃げる」の一択だろうに……そう考えているように思えた。

 だからというわけでもないけれど、俺は思考する理由を述べる。

「逃げ続けても、意味はなさそうだからね、この場合は。だったら、むしろ撃退していった方がいいと思う」

 それに、相手が一人だけなら、あんまり脅威に感じないし。

 別に、彼女を巻き込もうってわけではない。

 ……でも、そうか。

 彼女の中には逃避の選択しかなかったのか。

 怖かったからとかそういう理由ではなく、始めから彼女は逃げることを前提にして行動していたのだ。

 隙あらば反撃――最終的には殲滅を目論んでいた俺とは対称的ともいえる。

 そういう彼女からすれば、俺の行動は肝心なところでそりが合わなかったのではないだろうか。……まあ、それで俺が申し訳なく思うわけでもないんだが。

 セイラは、俺の返答にきょとんとした表情を浮かべる。

「……そう言う考え方も、できたっけかな……」

 そんな言葉を、小さく呟いた。

 意味がよくわからなかったが、彼女の一人言のようだったから、訊いたりはしなかった。

 けれど、そんな彼女の囁きを疑問には思うわけであり、今度はこちらが首を傾げてしまうが、どうやらセイラは何かを自己完結させたらしく「それで、どうするの」と今一度今後の行動に着いて問うてくる。

「そうだな……」

 その事を再び思考しながら、俺は接近者が来ているという方向を睨んだ。

 すべては、接近してきている人物が放火犯の一味かどうかだ。ただの酔っ払いやホームレスだったりしたら、話にならない。

 どうするか。

 ――どこかに隠れて待ち伏せるか。

 現状では、それが一番最適な手段と思われた。




 やがて、青年が現れた。

 先ほどまで俺たちを追いかけていたのとは別の、柄の悪い青年だった。

 痩せ形の体型で、ぎょろっとした両目で周囲を睨みながら歩いてくる。

 背丈は、俺より頭一つ分ほど高いくらいだろうか。

 セイラが自身と俺にかけた魔法は抜群に効いているようで、青年は俺たちの存在には気付かずに正方形の形をした閉鎖的な空間内に入ってきた。

 俺は、青年の背後に静かに回った。

 もともと出入りできる通路の付近に潜んでいたこともあり、青年の背後を取るのは簡単なことだった。けれど、行動は慎重にしなければいけない。

 セイラがかけた魔法は対象を視認できなくさせるだけで、音を立てればばれてしまうからだ。

 だが、それにしたってこれは難易度の高い魔法だ。

 詠唱なし――つまり感覚だけで浮遊魔法や索敵魔法、透過魔法を即発動させられるあたり、彼女の魔法技量の高さが窺える。

 ひょっとしたら、「カワキの神子」と呼ばれた今現在のレンにも迫る実力かもしれない。


 ――名前も知らない青年の後頭部に、逆手に柄を持ったナイフの刃を突き刺す。


 たったそれだけで、あまりにもあっけなく、青年は崩れた。

 黒い刀身が、青年の硬い頭骨を切り開き、脳髄まで達した感覚が手に残っている。でも、現実はやはり、その感覚とは正反対の結果をもたらしていた。

 青年は気絶していた。

 頭部には、もちろん刺し傷なんてない。

 とはいえ、気絶するにまで至ったのは、やはり脳に直接激痛ダメージが入ったからだろう。

「……容赦ないね」

 セイラが、そんなことを言ってきた。

「そこまで躊躇がないと、いっそ殺人鬼かなんかだと疑っちゃうな」

 ……それは、心外だ。

 この世界に生まれてから、人殺しは一回もやってない。

 俺はナイフをセイラの前に出して、見せつけるように少し振ってみせる。

「この通り、人を傷つけることはできないんだ。なら、イきすぎることもないと思うんだけど」

「それにしたって…………普通の人間は、簡単に人を攻撃できないようになってるのよ?」

 肩をすくめながら、セイラはそう言ってくる。

 それは――普通の人間の話・・・・・・・だろうに。

 人を攻撃するのに躊躇しないということは、人を簡単に殺せるということだ。たしかに、それは普通の人間の性質じゃない。

 そういう面で言えば、やはり俺は異常者だろう。

 こうして、放火魔に関係あるかどうか、確証も取れてない青年をいきなり攻撃するあたり、否定することは難しい。

 殺人という反社会的な行為への抵抗がないのは、サイコパスの可能性だってある。

 ……そういえば、生まれ変わる以前は、サイコパスだなんて言われたこともあっただろうか。


 まったくもって、わかってない。

 俺は元は普通の人間だったのだ。

 普通に他人に共感できて、他人を思いやることができて……


 精神病質者サイコパスというよりは、社会病質者ソシオパスの方がしっくりとくるってものだ。

 まあ、それは今は関係のない話だ。

 青年の傍にしゃがみこむ。

 粘っこい髪の毛が覆っている頭部を、片手で掴む。

 ……やはり、脳を直接刺したのはまずかっただろうか。記憶の中に欠損や混乱が見られた。でも、それでも大まかな状況は把握できた。

 まず、この青年が放火魔の一味かどうか、について言えば、あたり・・・だった、である。

 連中の人数、実力のほど、そして、どうしてこんな真似をするようになったのかも――全部わかった。

「それ、錬気を使ったの?」

 首を傾げて、セイラは意外そうな声音で訊ねてくる。

 ……錬気、とは、人類が魔力以外に体内に宿しているエネルギーのことで、俺はどういうわけか常人と比べてかなりの量があるが、一般的には魔力と比べて微量しか流れていない傾向にある。

 魔法を行使する上でなくてはならない魔力と違い、特に何かに活用できるわけでもなく、また個人が持つ錬気量は微量でしかないためにこれといった使い道もないため、普通、錬気という力は使ったとしても(見た目が派手でない限り)気づかれることはない。――というか、使える人間自体がいないと思う。

 俺が使うことができるのは、単に常人より量があるのと、使い方を知っているからだ。

 現に、五、六歳児の頃は使い方を知ってはいても、あの頃は微量しかなかったから、思うようにはできなかったのだし。

 まあ、つまり、この世界の人間が錬気について知っていることなんてたかが知れているわけで、そういう理由で、セイラが、俺が錬気を使ったと気付いたことには、少し意外感を感じた。

「まあね」

 特に、隠すようなことでもない。

 別に、人より錬気が使えるからって、自慢にはならない。

 錬気が使えるより、魔法が使えた方がよっぽど便利だ。

 そっけなく返した俺に、セイラは意外だと言わんばかりに両目をぱちくりと瞬かせた。


「――それで、何かわかった・・・・・・の?」


 ……その訊きようからして、俺が錬気で何をしたのかもちゃんとわかっているようだった。

 錬気の行使に気づけたとしても、それだけでは何をやったかまではわからないはずなのだ。ネワギワの人々は、錬気の性質をほとんど知らないのだから。

 俺がやったことは、そう難しいことではない。

 微量であっても錬気が流れているのなら、自分が持っている錬気と繋げて、その人の記憶、思考、意識を複写トレースして追体験できる。

 錬気が持つ性質の一つだ。

 これを使えば、自白剤も拷問もなしに秘密を暴くことができる――のだが、やはり複写する側は相応の錬気を使う必要がある。一般的な錬気量では、他人の持つ情報を複写しきれないのだ。

 やはり、錬気がなければ知り得ることはできない技量であり、それを知っているセイラは一体、何者なのだろうか。

 一瞬だけ、疑問に思う俺であった。

 だが、今はそれを呑気に考えているい場合でもない。

「まあね。相手方の事情は大体わかった。連中、どうやら俺たちの逃げ道を絞り込んでるらしい。やっぱり一人に見つかったのはまずかったみたいだな……」

「じゃあ、これからどうするのかしら?」

 自分は被害者であるはずなのに、実に面白そうに、セイラは問うてくる。

「……そうだな……」

 ……本当に、どうしようか。

 連中の情報は手に入れた。正直に言ってしまえば、やれないこともないと思う。あとは、どういう風に持っていくかだ。

 四角形型の閉鎖的な空間を見てみる。

 ここに放火魔全員を集めることができれば、あとは――。

 再び、俺は青年の頭に手を添える。ちなみに、彼はフエン・シールグという名前だった。

「何をするの?」

 さすがに、俺のこの行動の意味はわからなかったのだろう。セイラが訪ねてくる。既にフエンから情報は引き出したわけだし、もうフエンの脳内を覗く意味はない。

 だが、俺がやったのは所謂サイコメトリーではなかった。

 錬気というモノは、その性質上、実は洗脳の類もできるのだ。


      ◇


 ケータイから電子音が鳴る。

 ガイル・フォールンは、足を止めてケータイを取り出した。

 相手は、仲間の一人、フエンからだった。

「どうした、フエン?」

 ケータイの奥から、やけに息せききったようなフエンの声が告げてくる。

『あいつらを……見つ、けた』

「本当か?」

『ああ……、今は、二人、はあ、とも、止まってる。殺るなら、はあ、今が……チャンスなんじゃ、ねえか』

「……どうしたんだ? 息が荒いようだが?」

『気に……すんなよ……はあ、少し……走ったから、なあ……』

「そうか……? それより、そこは一体どこなんだ?」

『ああ、……ここは――』

 ガイルはフエンから細かい位置情報を訊き出すと、労いの言葉をかけた。

「でかしたぞ。それで、さっきも言ったが、極力手は出さないでおけ。グレイが怒るからな」

『は、は……いっつも、自分勝手な、奴だな……』

「そう言ってやるな。あれで、実力はたしかだからな」

 ちげえねえや、とフエンが言って、そこで通話は切れた。

「さて」

 ガイルは、今度は別の相手に通話をかける。

 相手は、すぐに出た。

『なんだ、見つかったのか?』

 グレイである。

「ああ、見つかった。奴らがいるのは――」

 フエンから教えられた通りの場所を告げる。

『そうか、そんなとこに……』

「ああ、一応、集まってから行った方がいい。先走るなよ」

『ッチ、めんどくせえ。じゃあ早く招集かけやがれ!』

「ああ、とりあえず、一旦全員集合だ。フエンは奴らを監視するために集まれないだろうが……」

『じゃあな!』

 一方的に、通話は切れた。

 その軽率さに、苛立ってしまうガイルだった。

 しかし、すぐに思考を切り変えて、残りの仲間たちを招集するべく、また次の相手に通話をかけ始めるのだった。


      ◇


 まあ、こんなものでいいか。

 傀儡と化したフエンの頭から、手を離す。膝立ちしていた青年の身体が、ゆっくりと倒れていく。

「さて、仕込みは上々……かな」

 そんなことを呟く。

 錬気で他人の脳や脊髄に干渉すれば、そのままその人物を操ることもできる。フエンを使って、放火魔の一味をここに集める謀らいは完了した。

 あとはここに連中が集まってくるのを待つだけだ。

 傍らで見ていたセイラを振り向く。

「あの人たちと喧嘩するつもり?」

 そう訊かれた。

「まあ、もう後には引けなくなったからね」

「わたしは、逃げるだけでもいいと思うのよ?」

 面倒でしょう? と彼女はそう言ってくる。

 やっぱり、彼女は最初から「逃げる」を至上としていた。

 別に怖がっていたわけじゃないのは、なんとなくでわかっていた。じゃあ一体、どうして逃げるのか。そこも、なんとなくわかる。

 多分……彼女の言う通り、ただ単にめんどくさかったからだろう。

 奴らにあまり興味がない――だからいちいち反応しているのも面倒――故に、彼女は逃避を選択した。

 別に、逃げるのが悪いことだなんて思わない。むしろ、彼女のケースは極めて稀だろう。面倒くさいっていう、恐怖も葛藤もない単純な理由で逃げる道を選ぶなんて、普通はそうないと思う。

 どんな問題からでも、向き合おうとしないまでも立ち止まるくらいの根性は見せる普通の人々とは違い、彼女は自分の問題そのものを回避している。時に試練とも形容される壁を、正面から乗り越えるのではなく回り込んで抜ける。

 自分の問題に正面から向き合うことはせず、面倒だからと逃げる。


 彼女の道は、そんな卑怯な生き方で舗装されている――何故か、そう強く確信できた。

 ……結構酷いこと考えているなあ、俺って。


 でも、その生き方自体は俺も非難はしない。むしろ、俺の生き方だってそうだった。

 生まれ変わる以前の記憶も含めて、これまでの俺の人生、一体どれだけの苦悩や葛藤に悩まされたというのか。

 壁にぶち当たらなかったわけじゃない。

 停滞することもままあった。

 だも、そんな壁はことごとくを回り道してきた。理由は、彼女のように面倒くさかったからだ。

 立ちはだかる問題の解決ではなく、最終的な目的への到達を優先して、必要ならば逃避することもあった。

 そこに、逃げることへの後ろめたさとか後悔とか、罪悪感はなかったけど、結果として、人間としてかなり危うい生き方だと思う。

 だって、そこには成長がない。問題をそのままにするということは、できないことはずっとできないままということなのだ。

 解決を先延ばしにするのでなく、放置して逃げるということは、そういう結果しか生まない。

 無論、俺も逃げてばかりではなかった。必要であれば、正面から問題と向き合う時だってあったのだ。でも、わざわざそんなことをするよりも、大方は楽をする道の方を選択してきた。


 ――俺は、自分にできることしかやろうと思わなかったから。

 ――できないことをできるようにしようとは、露ほども思わない。


 そういう風に、俺は進んできたんだ。

 ……もしかしたら、俺とセイラが歩んできた道は、案外似ているのかもしれない。


 でも、今回ばかりは違う。

 これは、単なる捉え方の相違による結果だ。

 ……できるか、できないか。


「これは、もう俺の問題になったことだ。君が無理に俺に付き合う必要は、ないよ?」

 一応、確認を取っておく。

 反撃云々は俺の考えであって、そこに彼女の意思は微塵もない。

 けれど、セイラは肩をすくめる。

「ううん。なんだか面白そうだから、もうちょっと付き合うわ」

 彼女も、そうそう薄情である。

 俺は皮肉げに、口端を少しだけつり上げた。

 まあ、散々自分の意見を並べ立ててはみたけれど、結局のところ、答えはもう一つしかないのだ。

「――ところで、カワキくん」

 セイラが、声音を少し変えて、言ってくる。

「さっきとかさ、君、結構逃げてなかったかしら?」

 ……それ言われるときついんだよなー。

 俺自身としては放火魔の排除を最終目標にしてはいるけど、結局のところは逃げた方が楽なわけで、不確定要素が多かった先刻は、逃げを選ぶしかなかったわけだ。……言い訳にしかなってないけど。

 でも、このまま逃げ続けるのと、今殲滅するのとでどっちが面倒くさいかを考えれば、俺の判断もそうそう悪くはないだろう。

 だから、


「……戦略的撤退です」


 そう言って誤魔化すことにした。

 締まらねえ。

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