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転生者の苦悩 ~呉呉末  作者: 近藤 了
第二部 第一章 業炎の序
58/102

8,arson

 ……夜の街を、少女の手を引き逃げ回る。

 右手はセイラの手首を握り、左手はボロ同然になった服を丸めこんだものを抱えている。

 セイラは俺が思っている以上に身体能力が高いらしく、既に全速力に近い速度を出しているのに、握っている手から反発を受けることはない。

 追っ手は、放火魔の一人。

 彼が放つ灼熱の魔法が、俺たちを焼き殺さんと唸る。

 だが、人通りの多いこの状況、魔法を俺たちに命中させるのは、彼にとっては困難を極めるようだった。

 もとより、遠距離に魔法を行使する場合、魔法の対象指定は視認によって決める場合が多い。つまり、こうやって時折人ごみに隠れるように逃げれば、後はあっちが勝手に狙いを狂わせてしまうというわけだ。

 狙いが狂った魔法が、あちらこちらに飛来して被害が出ている。

 威力も申し分なく、人に当たれば大怪我か、最悪即死してしまうだろう。

 視認で対象を指定するのではなく、空間認識で直接狙いを付ければ、あるいは命中させることも可能かもしれないが。

 だが、それはあくまでも、狙いを付けるほどに規模を絞った魔法を行使する場合だ。

 セイラが言っていたように、規模を広げて一帯を焼き尽くそうとしてきた場合は、人ごみを盾にしたところで無駄なのだ。

 背後から、一際大きな魔力の本流を感じた。

 ちょうど、あちらも同じようなことを思いついたようだ。

 進行方向を真横に転換し、建物と建物の間にできたちょっとした通路に入って、魔法の攻撃範囲から逃れる。

 アレから一直線上に逃げるのは自殺行為に他ならない。

 路地裏の奥へ、走る。

 巨大な魔力が、収縮していくのを感じる。あちらにしても、膨大な魔力の無駄遣いは避けたいのだろう。

 逃げる俺たちの背後から、小さな足音が聞こえてくる。追っ手が、俺たちに続いて路地裏に入ってきたらしい。

 その時――俺は突然、体勢を低くしていた。

 いっそ、倒れ込んだようにさえ思えるほど身を落とした俺の真上を、灼熱の魔力塊が飛び抜けていく。

 それを確認した直後に、俺は体勢を戻していた。

 驚くべきは、こんな無茶苦茶であろう俺の回避の動きに、ほとんどどんぴしゃで着いてこられるセイラの動きだろう。

 一体、彼女は何者だ?

 放火魔の連中を撒くだけの能力はあるはずだが、ここまでの能力は素直に驚きだ。

 こと逃亡に置いていうならば、俺はかなり優秀な方だと思う。

 背後からの攻撃を、直感という本能が掴んだ予感に従い回避する俺の動きは、予測しづらく唐突な変化が多いはずだ。

 その変化に、着いてこられるだけの、反射神経と判断能力。逆にいうならば、たしかにこれだけの能力なら、放火魔を撒くなんて朝飯前だろう。

 だが、今はそれどころではない。

 路地裏は、一直線に続く通路だった。

 途中で曲り角があったり、道が分かれていたりなんてことはない。

 つまり、俺たちと追っ手は一直線上にあり、かつその線上で、俺たちを遮るような遮蔽物は何もない。

 魔法で狙いをつけるのは、極簡単な仕事だろう。

 ちりり、とうなじのあたりが痒くなる。

 俺は、セイラの腰に素早く手をまわして、真横に跳び退る。

 火炎の魔力弾が二つ、瞬時に飛び抜けていく。

 避けるついでに、放火してきた本人を振り返る。俺たちとの距離は、目測で二十も三十メートルも開いていた。

 この分ならば、振り切れるかもしれない。

 再び、セイラの手を取って走り出す。

 ああして魔法を放ってくるだけでろくに動きもしないなら、じきに魔法の射程範囲からも逃れられる。

 だが、背後から再び魔力の揺れを感じて、俺ははっとした。

 横目に振り返ると、淡い青光が見えた。

 それが、身体強化の魔法によるものであると悟った時には、俺は左手に持っていたぼろくずを放り投げていた。

 薄暗い路地裏で、一瞬で男の姿が現れる。

 男と俺たちの間に、黒いぼろ布が舞う。空中で、それは立ちふさがるように広がっていく。

 あちこち穴だらけに焼け焦げた、黒地の衣服の形が露わになる。

 率直に言って、俺の投げつけた服は目隠し程度の牽制にしかなっていなかった。

 男が片腕を振るう。

 自分目がけて飛んできたぼろくずを、鬱陶しそうに払おうとする仕草。


 それは――

 ――一瞬でも、男の視界から俺たちを消すという効果をもたらした。


 男がぼろくず同然の服を払い除ける間に、俺はセイラをお姫様だっこよろしく抱きかかえて、上に跳んだ。

 建物の壁と、反対側の建物の壁を交互に蹴りながら、上へと逃れる。

 隣り合っている二件の建物のうち、片方は四階建てで、最終的に屋上に降りるつもりだった俺としては、好都合であった。

「お見事」

 屋上に着地すると、セイラが面白そうに、そう口にした。小さく拍手するような余裕さえ見せてくる。

 この急展開でさえ、彼女の動揺、パニックは起きなかった。静かにしてくれていた方が都合がいいので、不満は特にないが。

 俺自身、今の動きにはハラハラした。

 身体強化魔法を使わずに、あんなにアクロバティックな動きができるようになっていたとは。

 一人暮らしを始めてから、朝の日課になっていたジョギングは時折やるくらいになっていた。ただでさえ健康目的程度だった運動が減ったのに、ここまでの身体能力の向上が見られるのは、少しおかしい気もする。我ながら、不気味にさえ思う。

 セイラを地面に下ろすと、俺は下を見下ろした。

 おおよそ、十五メートルほど下に、男の姿が認められた。

 果たして、彼は俺たちを見失ったらしい。

 上手くいった――自分の運の強さが、逆に怖い。

 俺は右手を男に向ける。

 ここで、あの男の隙をつかない手はない。俺たちを探し回るハンターは、出会う都度処理していく方針だ。

 多を一気に相手取るのは、不安要素が多いが時間をかけずに済む。一方で、個を確実に潰していくのは、不安要素が少ない分確実性があるが手間暇がかかってしまう。

 手間を惜しんで一か八かで多相手を制圧するか、博打は避けて堅実に個を摘んでいくか……俺としては、どちらでもいい。その時その時にできる方を選択するのみだ。

「――――」

 魔法の呪文を詠唱する。

 こんな時、詠唱破棄がほとんどできない己の魔法センスが疎ましい。

 ――まあいい。

 ありったけの魔力の塊で押し潰してやる。

 死ぬことはないだろうが、大怪我は間違いない。

 ――あと少しで魔法の詠唱が完了しようという時だった――。

 びりりっ、と本能が警告を鳴らしてくるのを感じた。

 男が、はっとしたようにこちらを見上げる。

 夜中の闇、俺と男の視線が、約十五メートルの高低差を経て交り合う。


 気付かれた。


 なるだけ魔力の活性化を覚られないよう注意して詠唱していたのに、ものの見事に察知されてしまった。

 くそっ!

 男が、片手をもたげる。

 魔力の本流が荒れ狂いだすのを肌で感じた。

「――『レイ・ベルム』!」

 俺の魔法詠唱と、男の魔法と、ちょうど同時の完了だった。

 男の手から灼熱の火炎が放射される。

 おそらく、一気に勝負を決めるため、渾身の魔力注ぎ込んだのだ。

 大通りで放とうとしていたものより規模こそ小さいが、男が放ってきた火属性魔法の中ではかなりの威力が見込まれるだろう。

 さながら火炎放射の如き魔法攻撃と、膨大な魔力を込められた塊が衝突する。

 拮抗したのは、一瞬だけ。

 俺の「レイ・ベルム」は、男の魔法にあっけなく弾かれた。

 だが、一瞬のラグは、俺に寸でのところで身を退かせるだけの時間を稼いでいた。

 そのまま、セイラと共に屋上の反対側の端まで走る。

 見つかった以上、あの男が身体強化魔法を発動している以上、応戦の選択肢はない。追いつかれる前に、逃げるしかない。

 でも、どうやって逃げよう?

 上る時と違って、落ちる時はほとんどテクニックを要さない。少女が時を駆けるように、この屋上から飛び出せばいいのだから。

 でも、落ちた先はどうするか。十メートル以上の高度から落下して、果たして身体強化もせずに着地の衝撃をやり過ごせるだろうか。

 セイラもいるし、どう逃げるべきか。

 屋上端まで走り、そこで止まった俺の手を、セイラが両手でぎゅっと握ってきた。

「跳んで」

 端的な、その言葉。

 背後で、ひゅごっ、という音がする。

 振り向く暇はない。

 あの男が、一跳びでこの高さまで詰めてきたのだ。

 それだけを判断して、俺はセイラの手を握り返し、彼女が言うように屋上から一足で屋上の縁から跳び出した。

 一瞬の浮遊感――そして落下する感覚。

 瞬く間に、黒い地面が下に迫る。

 激突する――その直前に、再び身体が浮遊感に包まれる。

 その浮遊感もまた、一瞬の出来事。トン、と俺たちはまた路地裏の通路に降り立つ。

 抜群のタイミングで、浮遊魔法が発動していた。魔法を使ったのが誰なのか、考えるまでもない。

 詠唱は聞こえなかった。感覚だけでこれだけの精度を発動させたのか。

 だが、セイラの方を向くより先、情報から風を切る音が聞こえる。

 見上げる、そしてセイラの腰を抱きかかえて後ろに跳んだ。

 落下してきた者は、もちろん追っ手の男だった。

 浮遊魔法で着地の際に生じる衝撃を消した俺たちとは違い、なんの魔法も使わずにそのまま着地する。

 二本の足で着地したそいつは、ゆっくりと俺たちを睨んできた。その口元を、勝ち誇ったように歪ませて。


 その瞬間、俺とセイラは対極の行動に出た。


 セイラはさらに後ろに、俺は前に出たのだ。

 男との短い間合いを詰めながら、俺は外套のポケットからバタフライ・ナイフを取り出した。

 取り出した瞬間に刃を出し、さらに逆手に持ち変える。

 男が放ってきた魔法を前傾姿勢に身体を倒すだけでかわし、男の左足の太腿に黒い刃を突き立てる。

「――――――――っ!!」

 声にならない苦悶が、男の口から漏れる。傷を抉るようにナイフを引き抜くと、男が姿勢を崩す。

 さらにもう一撃、今度は男の頭の横に突き刺そうと振り被り、直後に空いている左手で顔を庇った。

 男の火属性魔法が、俺の身体を弾き飛ばす。

 その勢いに逆らわずに転がるようにして距離を取ると、ちょうどセイラの近くだった。

 男を見据え、再度一刺しを入れようとしたが、そこで邪魔が入る。

「おい!」

 瞬時に振り向くと、一般人と思わしき男性が、大通りからこちらに駆けつけようとしていた。

 もし放火魔の仲間ではなく、本物の一般人だったら、面倒なことになる。

 別に、一般人が何人この事件に巻き込まれようが知ったことではないが、今この場では、いろいろと俺の立場がまずくなる。第一に、得物としてはからっきしだが、俺は今ナイフを持っているのだ。

 舌打ちして、ひとまずはセイラと共に路地裏の奥へと撤退することにした。


      ◇


 追っていた子供二人が、闇の中へと逃れていく。

(――くそっ!)

 逃げられた。

 あと一歩まで追い詰めて、逃げられてしまった。

 癇癪を起こし、その男――グレイ・フィルヘインはまだ激痛が残る己の左足を殴りつけた。

 ナイフで刺し穿たれたというのに、腿からは血は一滴すら出なかった。それどころか、どうやら刺し傷もなくなっているらしい。なのに、こうして刺された痛みだけは左足を蝕んでいる。

 しばらくはまともに動かせそうにない。

 ジェイルから件の目撃者の関係者発見の報をもらい、メンバー全員で探し回っている今夜、グレイが一番最初に見つけ、そして逃げられた。

(――――くそっ!)

 悔しさで胸が一杯になりそうだった。

(どいつもこいつも、俺たちをバカにしやがって……!)

 右足だけで、壁にもたれるようにして立ち上がる。

 攻撃されたのはたった一回だけだった。

 だが、なんだあれは――!

 あの少年は、まるで躊躇いもなく左足を刺してきた。

 ただの子供にしては、やることがえげつなさすぎる。

 いや、そもそもあんなに複雑に逃げ回れること自体が可笑しい。ただの子供が、逃げられるか殺されるかの綱渡り状態で、あれだけのサバイバル技術を発揮できるだろうか。

 そこまで思考を巡らせて、グレイは中断した。

 今はそれを考える時ではない。

「君、大丈夫か?」

 そこに、一人の男性が声をかけてくる。

 先ほどグレイたちとの交戦中、怒鳴り声を出してきた男だ。

 グレイの傍までやってくると、正義感の強そうな、意志の宿った眼差しをしていることがわかった。先ほどの戦いを、グレイが一方的に攻撃されていると勘違いしたのだろう。

 事実、グレイの火属性の攻撃は、あの少年にはまるで効いていないようだった。

「あいつらは、一体……? 君、足は動くかい?」

 親切に、男が問うてくる。

 けれど、グレイは苛立ちを募らせた。

「うるせえ!」

 近づく男性に、肘鉄を喰らわせた。見事に顔面にヒットして、男性は力なくその場に崩れ落ちる。

 倒れた男を、グレイは知らない。

 結果的に言えば男性はグレイを助けたのだが、グレイにとってそんなことはどうでもいいことだった。むしろ、余計な真似をされたとすら思っている。

 グレイは、ポケットからグレー色の端末を取り出した。

 携帯式情報通信端末機――通称ケータイである。

 慣れた手つきで操作して、自分の仲間の一人に連絡を入れる。

 電子音が数秒鳴り、相手は通信に出た。

『グレイ、どうした? ガキを見つけたのか?』

 相手の名前はガイル。

 グレイたちのリーダー格の青年で、大男と形容できるほどの屈強で大柄な体格が特徴だった。

 その武闘派な外見とは裏腹に、メンバー内でも随一の魔法センスと頭脳を持ち合わせている。そして見た目通りに、喧嘩も強い。

「ああ、女も一緒だった。ジェイルが言ってた通り、もう俺たちが火事やってることは知ってるだろうな」

『そうか。それで、始末はつけたのか?』

「いや逃げられた。あと、一歩のところだったのに!」

 思い出して、また苛立ってくる。

『落ちつけ。今皆でそっちへ行く』

「あいつらを見つけても、すぐには殺すなって伝えろ! あいつらは俺がこの手でぶっ殺してやる! そう伝えてくれ!」

 自分が言ってることが我儘であることは、充分承知している。

 それでもし二人を取り逃すようなことにでもなったら、その時は仲間全員と共に警察の厄介になることだろう。いや、もっと酷ければ安全委員が出てくる。

 けれど、さんざん他者からバカにされてきたグレイにとって、これはどうしても譲れないことだった。

 確かな才能を持ちながら、周囲から認められなかった自分たちが、これ以上バカにされるのは許せない。

『……あまり突っ走るなよ』

 やや間を置いて、静かな声で、ガイルは了承の言葉を口にする。

 通話を切った後、グレイはふと、思った。


 もしかしたら、こんなバカなことをするよりも、周囲からの圧力にも折れずに頑張っていれば――そうすれば、こんなふざけたような人間にならずに済んだのではないだろうか、と。


 ――しかし、無駄なことだ。

 現に、自分たちはここまでドロップアウトしてしまった。逆恨みに近い私情で、放火魔なんて犯罪に手を染めてしまった。優秀だった能力を、こんなことに使っている。


 もう引き返すことは叶わない。

 ならば――突き進むしかないのだ。


 未だ感覚が麻痺している左足に鞭打って、グレイは逃した名前も知らない二人の子供を追いはじめる。

 二人を探し出して――――殺すために。

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