7,放火魔事件(4)
「で、その外套について言っとくことがあんだけどね」
工房を出ようとした俺に、イソラは思い出したような口調でそう話してきた。
振り返り、黒の外套を摘みながら、問う。
「これが、何?」
「ま、そんじょそこいらの服とは比べもんにならないくらいには、頑丈だね。今度は焼かれても、少しくらいは耐えられるだろうさ」
焼かれること前提の話を、しないでほしい。
「あ、そうだ。左か右のポケットに入ってるナイフなんだが……」
何?
ナイフだと?
ポケットを探ると、確かに、堅い長方形型の感触があった。取り出してみると、それは、妖しい光を反射させた。しかし、この形状は――、
「バリソンか」
二分割されたグリップと、その中に収納されているであろうブレード。そういえば、ネワギワの世界にバタフライ・ナイフという武器はなかったな。
「ああ。それね、一応、説明すると、それ、生き物が斬れないようになってるからね」
はあ?
「人形は外套含めて、知り合いからの貰い物なんだよ。そのナイフはね、そいつが作った物さ」
滑らかな動きで、バタフライ・ナイフを開刃する。
黒の刀身があらわになる。
俺は、ナイフを逆手に持ち変えて、左手の甲に突き刺した。
――ザクリッ、
見事なほど、黒い刃は俺の左手を貫通する。
出血はなかった。
こんなにも明らかに人の肉を穿ったのに、出るべきはずの血飛沫が上がらない。一般的な人間の構造の常識と、現実の光景が重ならない。
けれど、普通の反応もあった。
痺れるほどに――手が痛い。
左手の指先まで、激痛が迸り抜ける。
激痛は、刃を引き抜いても残留していた。
刺した傷は全くなくなっているのに、刺した痛みは残り続ける。
その矛盾が、少し、可笑しかった。
でも、これならば、刺した方がまだ痛くないんじゃないだろうか。物理的――肉体的には相手を傷つけないが、その分通常以上に激痛を与える凶器、ということだろうか。
「拷問用だな、これは」
「試しで自分の手を突き刺すような奴は初めてだよ」
あんたイカレてるね、とイソラは漏らす。
今更だ。
だって、とうに俺の道は狂っているんだから。
「このナイフ、貰ってもいいか?」
バタフライ・ナイフの形状は、この世界には存在しない。武器として使い物にならなくても、それだけ希少なら、俺の刃物集めの品にはなるわけで。
「いいよ。こっちも、使い道なんて、もともとないしね」
会釈して、バタフライ・ナイフを閉刃しポケットに戻す。
何気なく、視線を人形たちの方に向けた。
「なあ、あの二人……」
視線の先にあるのは、例の少年と少女の人形だ。少年の人形は、外套を取っても下に薄着を着ていた。少女の方は、特に露出も少ない大人しめの服装だ。
それにしても、二人揃って黒系の色の服だな。
「あの二つが、どうかしたのかい?」
「あれ、婆さんの知り合いがモデルなんだろ。どういう、人たちだったんだ?」
少し、気になった。
あの二人に、参考になった人物が存在するのなら、それは一体どういう人間たちなのだろう?
イソラは、一瞬間を置いて、
「……そいつらかい。そうだね、女の方は、なんも知らない無知な娘だったかね。生まれがかなり特殊な子だったわねえ。男の方は、なんもない、空っぽの男だった。感情ってもんが、一切抜けちまった抜け殻って感じかね。ほんと、どうしてあんなに普通な振りしてられたんだか……。あんた、あの男に似てるよ」
最後の言葉は余計だ。
「そうか……」
「他の三人は、訊かないのかい?」
「ああ、他のはそんなに興味ない」
そうかい、とイソラは小さく言う。
三人の人形は、綺麗だとは思ったが、それ以外にとりたてて惹き付けるような何かを感じるわけでもない。
「他の三人にも、ちゃんとしたモデルがいるってんだけどね」
「ああ、さっき言ってたな」
でも、そんなの興味ない。
俺にとって、五人の人形の内、あの二人が特に気になったという、ただそれだけのことなのだ。
それよりも、他のことが俺には気になった。
「あの人形たちの作り手も、魔術師なのか?」
我ながら、どうでもいいようなことだったが。
「うーん、まあ、そうと言えるかね。物作りが趣味の変人だったかね。正確には、魔法使いなんだが……」
「すごいな。魔法使いと知り合いだったんか、婆さん」
俺の知識が正しければ、たしか魔術を極限まで極めてしまった領域の魔術師の総称だ。
人間が成し得る業全てを体現できる――つまり、人間ができることならばどんなことでも一人で完了させることができる。ぶっちゃけ、超人、狂人、聖人とも呼ばれるくらい、人外レベルな人種である。
……まあ、こんな知識があっても、本来は役に立たない。魔法使いも魔術師も、異世界の産物なのだから。この世界には魔法があるが、別にそれを行使する人間のことを魔法使いと呼んだりはしないし。
しかし、なるほど魔法使い作というのであれば、あの精巧すぎる人形も、あるいは魔法の一種なのではないだろうか。
ふと、視線をナイフに落とす。
「このナイフも、その魔法使いが作ったんだろう。そいつ、何がしたいんだ……?」
「気まぐれだよ。そういう奴だったから。作った意味なんて、特にないんだろうさ」
普通に得物として見るのであれば、人を傷つけることができないなんていう欠陥品は他にない。
たしかに、気まぐれというのも頷けてしまうな。これは。
拷問用としては、やはり最高の代物だけど。
「引き止めて悪かったね。で、この有象無象どもを、具体的にはどうするつもりなんだい?」
羊皮紙を俺に向けながら、訊ねてくる。紙面には複雑な紋様と、面上を動き回る複数の点があった。
この店の周辺の人間の位置関係を示す点だ。
「軽く脅して引くようなら、それに越したことはないんだけどねえ……」
実際、放火にさえ警戒すればそこまでの脅威ではないと思う。
少し突いただけで尻尾を巻くようなら、深追いしてまで追撃する理由は、俺にはない。
――要は、邪魔じゃなければそれでいいのだ。
排除する、なんて物騒なことを言いはしたが(実際は言ってないが)、一番いい形なのは、連中が無条件でこのまま俺から身を退いてくれることだ。連中にとっても、俺にとっても、それが一番穏便で、かつ損害もなくていい。わざわざ排除する必要もないし。
でも、世の中そんなに上手くいくなんて本当に稀だ。
今一度、イソラに火傷の治療と衣類提供への礼をのべ、不思議な雰囲気の工房を去る。
……真夜中近くの訪問への謝罪は、最後までしなかった。
イソラが示した、この店周辺の人間探知について、俺は動き回っていた点全てを把握しているわけではなかった。
あくまでも、店周辺にどれくらいの数の人間がいるのか、そこだけでもわかればよかった。あわよくば、それが件の放火魔の一味なのかどうかわかれば文句なしだったが、さすがにそこまでうまくはいかなかったな。
まあ、あれだけ多ければ、うち何人かは放火魔かもしれない。俺を、探しているのだろうか。反撃して逃げ出したのだから、奴らが俺の生死を確認していないのは明白だ。
奴らの秘密を俺が知っているかもしれないという以上は、俺のことを血眼になって探し出すはずだ。であるならば、メンバー全員で捜索、という可能性も。
イソラの占いによってわかったことは、今夜はやけに周辺に人が彷徨っていることで、わからないことは、それぞれの人が、放火魔と関係あるかどうかということだ。
彷徨っている人間全てが、放火魔の一味かもしれないし、全員が酔っぱらいやホームレスといった無関係の一般人かもしれない。
何はともあれ、あれだけ点が多かったのだから、店を出た瞬間にまた放火される可能性だってある。
気を付けていた方がいいだろうな。
そんなことを考えながら、俺は「アイソレーション」裏口の戸を開けて、外へ出た。
外に出た瞬間、思わぬ人物と鉢合わせてしまった。
艶のある黒髪、大人びた雰囲気と、とても整った顔立ち、知り合ってまだ二、三日ほどしか経過していないが、彼女の姿はもう、俺の頭の中に焼きついてしまっている。
黒のシドー着を纏ったセイラ・カミネが、俺の目の前に立っている。
……というか、なんでここにいるんだ?
学校の校門といい、今日は思わぬところでセイラと会うようだ。
「カミネさん?」
「こんばんは、カワキくん」
セイラは、微笑む。
こんな状況でなかったら、素直に見惚れていただろう可憐さだ。
「それ、どうしたの?」
外套を指して、セイラは首を傾げた。家を出た時は羽織っていなかったから、疑問に思っても当然だ。
「着ていた服が駄目になったから、知り合いから貰ったんだ」
丸めていた衣類を見せながら、説明する。
「う、わー」
服の惨状を見たセイラが、そんな声を漏らした。
さらに言えば、取り替えていないズボンの方もかなり水を吸ってしまった状態のままなのだが、そこは言わないでおこう。外套の丈は俺の膝ほどまであるので、ちょっとやそっとでは気付かれもしまい。
「何をやったら、こんなことに……?」
「いろいろと、トラブルに巻き込まれて」
本当を言えば、全部彼女のせいなのだが。
「ところでカミネさん、どうして外にいるの?」
いろいろと疑問はあったが、まずはそこからだ。俺と同様、彼女にも夜間の散歩癖があったのだろうか。
セイラはええ、と頷いて、
「わたし、ついさっき気付いたのよ。シドー着はこうして繕えたけど――下着の方は、新しいのを買ってなかったの」
なるほど。
――というか下着くらい気付けよ。
「二日も変えないのはさすがに気持ち悪いから、もう夜遅いけど、買いに来たの」
「それで、買えたのかい?」
「ええ、まあ……」
小さく両手を広げる。手ぶらだったが、まあ気にしなくてもいいだろう。セイラのシドー着は、さっそく新しいものに変わっていた。黒色だから、よく見なければ変化などわからない。
その時、突然セイラが周囲に視線を回した。
俺としては、彼女がどうしてこんな路地裏を歩いていたのかが気になったのだが、そうも呑気にはできないらしい。
「……カワキくん、トラブルって言ってたけど、何があったの?」
何者かの存在に気付いたらしいセイラが、声を落として問うてくる。
「例の放火犯たち。少し絡まれてね」
焼き殺されそうになった、とは言わないでおく。
「しつこい連中。……ついにカワキくんまで狙いだしたのか」
最後の言葉はぼそりと小さな声量だったが、俺には聞き取れた。
――ついに?
なんだか、俺が巻き込まれるのは想定していたみたいに聞こえるんだが。
そんなことを考えている暇も、そうないのだが。
「こっち」
セイラの手を引いて、俺は小走りでその場を立ち去る。
何故か……この場に留まるのはまずいと直感したのだ。
――でも考えてみれば、セイラをここに置いていった方が、俺としては有利になるんだよな。
あの連中にとってセイラは俺と同じくらいか、もしくはそれ以上に始末したい存在だろうし。
彼女を囮にできれば、連中を撒くにしても、撃退するにしても、楽に事を運べる。
なのに、何故かそれは躊躇われた。
やはり、今の俺はどうかしている。
彼女と別行動を取った方がいいのに、そうしない。
何故か、そうしない方がいいと直感するのだ。
ならば、彼女を囮にしない方がいいのだろう。
路地裏から大通りに出るまで、誰にも遭遇しなかった。イソラの占いではあれだけの点があったのに、一人とも出会わないなんて、逆に怪しくなってしまう。
「カワキくん、どうするつもり?」
大通りは人でごった返している。がやがやと人でうるさい中、セイラの問いは驚くほどしっかりと聞き取れた。
「人通りが多いところにいれば、無理に襲ってこないだろうさ」
人の群れが盾になって、奴らから放火という手段を奪うことができる。
セイラは、少しだけ苦く笑った。
「一般人を、盾にするってこと?」
「…………」
俺は聖人君子じゃない。
自分を犠牲にしてまで他人を気遣うなんて心情、俺にはないんだ。
だから、はっきり言ってしまえば、彼女の言う通りだ。
「軽蔑するかい?」
別に、会って数日しかたっていない彼女にそんな風に見られても、どうということはない。
むしろ、ここで彼女が俺を軽蔑すれば、その瞬間に彼女を囮にすることへの躊躇いがなくなるような気がした。
しかし、彼女は微苦笑して、肩をすくめるだけだった。
「やっぱり、君、あの人にそっくり」
その回答に、少し苛立ちが生まれた気がした。
「わたしも、他人をいちいち気にはしないから、反対ではないけれど……」
以外にも、セイラは俺の考えに賛成派らしい。もしこれがリンやテラだったら、間違いなく反対派だっただろう。
「でも、連中がもし、この人たちごと焼き払ってしまおうと思ったりしたら、わたしたちも危ないんじゃないかしら」
「ここで騒ぎを起こせば、警察沙汰か、下手すれば安全委員に目を付けられることになると思うけど……」
でも、ないとは言い切れない。
もし奴らが、形振り構わずに俺たちを殺そうとしてきたりしたら。後先を考えずに突っ込んできたら、この人ごみは逆に足枷にしかならないだろう。
――決め手は奴らがどれくらい焦っているかだ。
もし奴らにまだ冷静さが残っているのなら、襲ってはこないはずだ。もしも俺たちがさらに第三者に情報を漏らしたとしても、最悪しらを切ってしまえばいい。こちらの証言の根拠はセイラの目撃だけだし、物的証拠は何も掴んでいないのだから。
ならば、俺が言ったように周囲の一般人を盾にしながら、帰路に着けばいい。奴らを排除するかどうかは、その後だ。それだけの冷静さがあれば、もしかすれば、話し合いで手を打てるかもしれないし。
逆に、冷静な判断すらできないほど追い込まれているのであれば、セイラの言うように危険度が高くなる。そうだった場合の対処法は、発見されないようにするしかないだろう。そこまで危険になっているのであれば話し合いの余地もないし、場合によってはそのまま交戦することになるかもしれない。
奴らに勝てるかどうか――一昨日対峙した限りでは、脅威はあまり感じなかったが、世の中に絶対はないのだ。思わぬ一手で、敗北してしまったら……。その場合は逃避しか選択肢はないが、そうなるとまた面倒なことになってくる。単純な争いで打つ手なしでは、それから先排除しにくくなるのだ。逃げ続ければ、当然連中との縁も続くわけだし。
要約すれば、放火魔の連中が冷静な状態なら解決の余地は充分にあり、そうでないなら逃避、ないしは戦闘になり、戦闘になった場合は相手の戦力次第で詰みだ。
これは、奴らが冷静であることを願うしかない。
「とにかく、一旦家に戻ろう」
提案して、俺は自宅に向けて歩き出す。
奴らを排除云々の話は、この際後回しだ。
こうしてセイラと会ってしまった以上は、単独行動も取りづらい。仮に二手に分かれて行動したとしても、奴らがセイラの方に気付けば、俺の方に誘き寄せる意味がない。
俺の言う排除が、文字通りの殲滅だとしても、ただ脅すだけだったとしても、どちらにせよ、敵全員が揃っていてこそ意味があるのだ。
……俺も、できるだけ手っ取り早く事を済ませたいし。
ならば、彼女と一緒に一度家に戻るという選択は、やはり正解だろう。
しかし、不安材料はまだ残っている。
こうして路地裏を出て、大通り沿いを歩いているのはいいが、果たして、道中で放火魔の連中とエンカウントしてしまいはしないか、ということだ。
イソラの占いでは、結構な点が動き回っていた。だが、それ全部が放火魔の一味であるという保証はない。もしかすると、もっといるかもしれないし、実は少数なのかもしれない。一昨日、セイラを追い詰めていたメンツ、放火魔たちは、あれで全員というわけでもあるまい。
俺を探しているのなら、途中で遭遇してしまえば厄介な状況になる。
セイラという、最優先で連中が消したいであろう少女もいるのだから、そうなるのは確定だろう。
――その時だった。
――ふいに、前方から視線を感じた。
――一目には、普通の若者だと思うかもしれない。
だが、その男の瞳は、真っすぐに俺とセイラを見ていた。
ぞわり、と厭な気配が生まれるのを感じる。彼は誰なのか、どうして俺たちを見ているのか、そんな疑問が浮かぶより先に、俺は直感した。
見つかってしまった。
俺がセイラの手を握るのと、男が慌てたように右手を突き出してくるのは、ほとんど同時のことだった。
敵の排除とか、遭遇しないようにとか、いろいろと考えてはいたが、実際にその場面になった今、俺が取った行動は――逃避だった。
くるりと方向転換して、セイラを引っ張って走り出す。
そんな俺たちの背後から、ぴりっと焦げ付くような火炎の魔の手が発生した。




