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転生者の苦悩 ~呉呉末  作者: 近藤 了
第二部 第一章 業炎の序
53/102

3,十五回目の誕生日(3)

「アイソレーション」を後にした俺の行先は、自宅ではなかった。

 路地裏に回り、店の裏口からまた「アイソレーション」に入るためだ。

 昼間なのに薄暗い路地裏で、見たことがある「アイソレーション」の看板がかけられた建物の扉。それが、「アイソレーション」の裏口だった。

 看板は喫茶店「アイソレーション」用の物ではない。去年、ジビロン中央地区のテーマパーク「プースランド」にて開店していた占い店「アイソレーション」にかけられていた物だった。

 扉を開けて入ると、途端に線香のむっとする香りが鼻腔に侵入してくる。線香に含まれる何らかの成分が体内を駆け巡り、脳内にまで侵されるようだった。

 一瞬意識が遠くなるが、なんとか踏みとどまる。

 入った先は、占いの館「アイソレーション」の内相によく似ていた。

 薄暗い照明、壁にかかった紫中心の色のカーテン、小洒落たテーブルと椅子が部屋の中央に置かれている以外には、隅の方にいろいろな占い道具が入ったはこが置かれていた。

 ただ一か所、俺の記憶と決定的に違う部分があった。

 テーブルに肘をついて椅子に座っている老齢の女性。

 記憶の中では、彼女はいかにも占い師な恰好をしていた。暗い色のドレスや、ヴェールのついた帽子など、神秘を感じさせる何かがあった。

 しかし、今俺の目の前の彼女の服装は様変わりしていた。緑色のシドー着を身に纏った彼女は、この空間とあまりにも違和感を残している。

 そして、そんな彼女の足元に大きな黒色の布袋が置かれているのが目についた。

 彼女は自分の名をイソラと名乗ったが、おそらくは偽名だろう。はてさて、彼女の本名を、俺は知らない。

 まるで別人な恰好をしていた占い師は、俺の入室に気づくと組んでいた指をほどき、頬杖をついた。

 鋭い双眸が、俺の入室を迎えているようだった。

「ちっす、婆さん、元気か」

 しかし、臆することなく俺は挨拶した。目上に対する挨拶ではなかったが。

 しかし、彼女から咎めるような素振りはなかった。俺とイソラの間は、そんな無礼を無視できる程度には友好的な関係だった。

 イソラは、やはり俺の態度を咎めるでもなく、口から葉巻を離して、紫色の煙を吐き出した。

「ああ、しばらく――というほどしばらくでもないか。まあ、座りなさい」

 と、ちょうどテーブルを挟んで自分と対面になるように置かれていた椅子を指す。

 言われた通りにそこ座り、

「で、俺に話って何?」

 訊ねた。

 イソラは、すぐには答えずに、再びテーブルに肘をつき自分の指を目の前で組みあわせた。

「紅茶、飲むかい?」

 テーブルの上には、彼女のティーカップとまだ手つかずのティーカップとポッドがあった。

 俺の返事を待たず、イソラはカップに紅い液体を注ぎ始めた。

 差し出されたカップに口をつけ、少量を啜る。俺がティーカップをソーサーに戻すのを確認して、ようやく彼女は口を開いた。

「最近、火事が多いだろう」

 しかし、彼女が口に出したのは、焦らすような、遠回しな世間話だった。

 対して、俺は不満を口に出すのではなく、彼女に付き合った。

「先月から連発して、もう十九件目だってな」

「昨日、また一件あったらしいから、二十件目ってところかね。被害にあった家には血縁、知人とかっていう共通点はなく、それどころか公園などの公共施設でも何件か出ている。故に、今のところでは不運な連続した事故ということになってるけど……」

「さすがに多いな」

 イソラの言葉を、引き継ぐ。

「そう。僅か一か月の間に二十件もの火事が起きるなんて、自然現象としては普通は考えられない。去年も一昨年も、この国で火事はなかった。今年の異常気象なんかも、観測されてはいない。状況的にも、放火魔の可能性は高い」

「可燃性の高い物質は、現場からは出なかったんだろ」

 俺の形だけの反論に、ちっちっち、とイソラは人差し指を振った。

「ガソリンや灯油を撒かなくたって、この世界には火をつける方法があるだろう」

「……やっぱり、魔法か」

 正解、と彼女は頷いた。

「今回の火事には、やや不自然なところがあってね。火が燃えている最中は、被害の中心部の火が消火できないというんだ。それ以外なら、例えば、燃え移るとかの二次的被害の火は簡単に消せるのに、肝心の火種になった建物は、真っ黒焦げになるまで燃え続けている。大量の水をかけても、魔法で水を出しても、それこそ水属性の魔法を使っても、火力がお衰えない。そしてふっと、突然に燃え盛っていた業火は消えてしまう。後に残ったのは、文字通り消し炭になった建物の残骸だけだ。何故、そのような不可思議現象が起きてしまうのか?」

 イソラは、試すように訊いてきた。

 しかし、そんなことを言われても、火事の不振な点など、今聞かされたばかりだ。俺にしてみれば最近は火事が頻発している、くらいの認識しかなかったのだから。

 すぐには答えることができない。

 だが、考えに時間を要すというわけでもなかった。

「火属性魔法」

 端的な俺の解に、イソラがゆっくりと首肯する。

「消火には水属性をつけた魔法が一番の適任だ。実際消火活動の訓練なんかじゃ、水属性の習得を推奨している。けれど、もし燃え盛る炎が火属性魔法によって火炎に変質した魔力だったとしたら? 属性魔法において、属性同士に・・・・・優劣は存在しない・・・・・・・・。火属性をつけた魔力で対象をすっぽり覆ってしまえば、まず消火目的程度の水属性では手出しはできない。燃え移ったりしたものは、火種と違って普通の炎だから、消火することはできる。でも、その火炎の正体が火属性の魔法である被害の中心部分はどうにもできない」

 つらつらと、彼女は説明した。さらに、続ける。

「突然に火が消えるのも、対象が燃え尽きるまで魔力でずっと覆っていて、建物が燃え尽きるのを確認して魔力の維持を切れば、結果、自然に火が消えるのではなく不自然なほど急に消えたように見える。そこには既に燃える物がない以上、二次的に普通の炎が発生していたとしても燃え続けることはできない」

「なるほど。でも、それが俺を呼び出したのとどんな関係があるって言うんだ? それとも、まだ世間話を続けるの?」

「まだ少し、世間話をする必要があるね」

 イソラは、組み合わせた両手を口元にあてた。

「今日、学校が休みだっただろう」

「ああ、まあね」

 それを利用して、成人祝いを開いたわけだが。

「何故だと思う?」

 意味ありげな視線を向けてくる。

「知らない」と言おうとして、俺はその口を止めた。これまでの会話から、イソラの問いにある程度の予測がついたからだ。

「放火魔が原因だって言うのか?」

「まあね。今言ったことは私の憶測でしかないが、どうやら警察方は、私と同じ考えで放火魔を疑っているらしいね。ちなみに、今日が休みになったのはソージックだけじゃない。私が知る限りではジビロン国中の学校が臨時休校になっているはずだよ」

「はあ? 放火魔のために、大袈裟なんじゃないか?」

「このところ、火事の他にも通り魔なんてわかりやすい輩も出てるからね。警備体制を強化するに、越したことはないんだろうさ。案外、明日学校に行ってみたら校内の様子ががらりと変わっているかもしれないよ」

 放火魔云々の話はともかくとして、今通り魔がどうとか言わなかっただろうか。通り魔の話なんて、聞いたこともなかったぞ。

 内心でそんなことを考えていると、

「とにかく、私が言いたいのはね、気い付けなっていうことさ」

 それと、と彼女は続ける。

「十五歳の誕生日おめでとう。ほら、祝いの酒だよ」

 足下に置いていた大きな袋をよこしてきた。中にはパンボンのラベルの貼られた瓶が一瓶。

「どうも」

 と言い、ティーカップに口をつける。

「うん、これで、あたしがあんたに言いたいことはもうないんだけどね。逆に、あんたがあたしに訊きたいこととかは、あるかね?」

 葉巻をくわえながら、イソラ。

 訊きたいことと言われても、イソラにしてみればこの問いはつまり、何か占ってほしいことはあるか、という意味に変換されているのだ。

 今のところはない、と思ったのだが、

「婆さんは、夢占いってできる?」

 記憶の端で、今朝見た夢のことが思い出されていた。

「うーん、まあ、専門じゃないがねえ。変な夢でも見たのかい?」

「うん、そんなとこ」

 俺は、今朝の夢を彼女に話した。

 マンションについても、説明を挟む必要はなかった。俺は、イソラのことをある程度知っていた。同時に、彼女もまた俺のことをある程度知っていた。

 彼女がネワギワとは別の異世界からやってきた人間であることを、俺が前世の記憶を覚えていることを、俺たちはこの一年にも満たない交流の中で、互いに知っていた。

 まあ、こういうのは前々からお互いに感づいていたことでもあるわけだが。

 だから、この世界にない単語についても、会話の中で不具合が生じることもなかった。

 まあ、俺の前世の記憶の世界と彼女の郷の世界は、おそらくは別々の世界なのだが。似た世界だった、ということだろう。よくあることだ。

「夜に出歩く夢と火事、ねえ」

 イソラは考え深げに、両の指を組んだ。

「そのマンション、満室だったかい?」

「空きはなかったと思うけど……」

 夢で見たマンションのことなど、いちいち覚えているわけがない。

「まあ、いいか。夜に出歩く夢を見るってのは、先の見えない難題や災難が振りかかってくるってことを暗示している。または自分の能力を疑問視しているとか……。火事については、その火は激しく燃え盛っていたんだね? なら、幸運や、大きな喜びの到来を暗示しているのか。うん、やっぱり夢で占うのはなんともね……」

「占い師じゃないのか」

「だから、専門じゃないと言っただろう。素直にその人の手相視たり、水晶玉に映す方が得意なんだよ」

「そう」

 ティーカップの中身を飲み干して、俺は椅子を立った。彼女と話すことは、もうなかった。

「じゃあ、帰るよ。通り魔と放火魔、気を付ける」

「ああ、またいらっしゃいな」

 扉を開けて、外に出た。

 数歩ほど歩いてから振り替えると、「アイソレーション」の看板が目についた。


「アイソレーション」


 アルファベットのスペルにすれば「ISOLATIONアイソレーション

 英語で「孤独・孤立・隔離」という意味だった。

「…………悪趣味」

 ぼそりと、呟いた。




 成人祝いが終了したのが午後二時ごろ。

「アイソレーション」の裏口から出たのがその約三十分後。

 そして今、俺の足が向かっている先は自宅ではなく、ジビロン国一番の研究機関だった。

 ユグシルナという名前のそこは、技術の研究と同時に技術開発と実験なども行っており、科学技術や魔法技術を始めとする様々な分野を扱っているから、施設の規模はとんでもないデカさになっている。

 ユグシルナに到着するまでに、二時間ほどの時間がかかった。

 思い返してみれば、来るのは実に九年ぶりだった。

 あの頃は、貸しきりのバスで三十分強ほどかかっただろうか。バスではなく徒歩で来れば、必然、より時間がかかってしまう。

 やはりバスやチカテツを利用すればよかったかもしれない。半ば後悔じみた念を、今更に思う。

 目の前に、巨大な研究機関の光景が広がる。

 ジビロンの技術開発研究の中枢であり、最大規模の研究所。正式名称はたしか「ユグシルナ研究開発機関」だったか。

 やっぱり広い。

 その規模に、今一度圧倒される。

 ここに来た理由は、見学ではない。呼ばれた・・・・から来たのだ。

 事細かに研究所まで指示されている。人類科学研究所部とかいうところだ。研究所の詳しい位置も知らされていたので、特に迷子になることもなかった。

 そこは、ドーム状の形をした研究所だった。

 自動ドアが開き、中に入ると、すぐに声をかけられた。

「やあ、リュウトくん、学校休みの日だってのに、ごめんね」

 巨大な体躯。そしてスキンヘッドのレベルまで刈り込んだ髪の毛。極短の髪はかろうじて茶の毛色なのだとわかった。

 スーツ姿のルーク・キミラが、俺の訪問を迎えた。

 安全委員という、警察組織とは別の治安維持機関の人間が何故、ここにいるのか。疑問には思わなかった。他ならない、俺をユグシルナへ来いと呼び出したのは安全委員なのだから。

「どうも」

 失礼なほど、無愛想な挨拶を返す。もともと喋る性格ではないというのもあるが、たしかに休日にこんな遠くまで歩かされたことに不満があった。徒歩を選んだ俺の自業自得ともいえるのだが。

 ルークは、苦笑いを浮かべた。

「それ、なんだい?」

 俺が持っていた黒の布袋を見て、訊ねてきた。

「今日、俺の誕生日だったんです。だから、知り合いから貰って」

「へえ、今日が誕生日だったんだ。それは、なおさら悪いことしちゃったね」

 まったくである。

「ちなみに、いくつになったんだい?」

「十五です」

「そうか、十五。それじゃ、もう成人だね」

 時間がたつのは早いな、とルークは頷いた。

「さ、早いところ終わらせちゃった方がいいね」

「何をするんですか?」

 正直なところ、来いとしか言われていなかったので、何をするのかは知らなかった。人類科学研究部というヒントはあるが、それだけの情報では予想も難しかった。

「僕も、詳しくは知らなくてね。シードって博士が、教えてくれるはずだよ」

 ルークの言うところのシード博士は、メガネをかけた若い研究者だった。

「君がリュウト・カワキくんだね。はじめまして、シードといいます。今日はわざわざ来てくれて、どうもありがとう」

 くい、とメガネを薬指でずり上げて、シードは挨拶する。

「どうも」

 俺も、挨拶を返しておく。

 俺は、緑色の医療服のような服装に着替えさせられ、真っ白い空間に一人、通された。部屋の中には、医療機器のような装置があった。MRI装置をやや斜めに立たせたような感じだった。

 部屋の壁の一面には、小さな窓が設けられ、そこからシードがこちらを窺っているのが見えた。

 曰く、俺をここに呼んだのは、俺の身体を検査するためだったとのこと。検査を要求される心当たりは一つだけあった。

 去年、プースランドに襲撃された際、たまたまパークを訪れていた俺は「魔剣グニグル」を手に取って襲撃者と対決した。

「グニグル」とは、ウバー神話にも登場する伝説の魔剣であり、手にした者に絶大な力を与える代わり、その者の心を破壊しつくすおぞましい大剣だった。

 手にした者の精神を破壊する――にもかかわらず、柄を握った俺の精神には何ら以上が訪れず、また「グニグル」には握ったが最後、死ぬまで手離せなくなるという“呪い”があるのに、俺は躊躇いもなく手放すことができた。

 しかも、「グニグル」を握った瞬間、俺は自分の中に力が流れ込むのを感じた。「グニフル」がもたらす絶大な力は、問題なく俺に発揮されたのだ。

「グニグル」を手にするデメリットが一切利かず、メリットだけを引き出す、といった感じだろうか。

 見かたによっては、これはかなりの脅威と見なされても仕方がない。これが理由ならば、安全委員が俺の身体を検査したいと要求してくるのも、一応は納得できるものだ。

 斜めのベッドの上に寝て、手首、腹、足首部分に固定具が取り付けられる。

 MRI装置のドーナツのような部分が、ゆっくりとスライドして、俺の身体をスキャンする。

 欠伸が出るほど、退屈な時間が訪れた。

 かかった時間は、おおよそ三十分くらいだろうか。ドーナツ部分が上下にスライドし、俺の身体の頭部と足下とを何度も往復する。たったそれだけの単調な動きが、延々と繰り返された。

 その後は別の部屋に移され、今度は珍妙なヘルメットを被せられ、部屋の隅にあったベッドの上で一時間ほど睡眠を取らされた。

 ヘルメットは黒色で、電飾やコードが取り付けられていて、脳波測定機という言葉を連想した。

 寝覚めは悪くなかった。ヘルメットから、睡眠欲を誘発する電磁波でも出ていたのだろうか。

「これで、検査は終わりです。いや、本当に、今日はどうもありがとう」

 俺を起こしに来たシードが、にこやかに言う。

「結局、なんで検査の目的って何だったんですか?」

 それとなく、質問をぶつける。本当のところ、呼び出された理由はまだ知らなかった。

 さあ、どんな回答が返ってくるのか。

 俺があちら側だったら、新種のウイルスに感染しているかもしれないから、とかの出任せを即席ででっち上げるだろうが、この場合、俺一人しか呼ばれていない点を怪しまれてしまうか。ウイルス性であるならば感染源があるはずだし、俺以外にも拡散していると見た方が自然だ。

「うん。まあ、リュウトくんも一応当事者なわけだからね、理由くらいは教えても問題ないな。君、去年の五月、『グニグル』を持ったでしょ?」

 どうやら、素直に来るらしい。実は、他にも大きな理由があって、こっちがむしろ建前だった、という可能性もあるが。

「でも君は、こういう言い方はちょっとショックかもしれないけど、狂わなかった。精神崩壊どころか、汚染されてすらいない。こんな言い方で、ごめんね。でも、これは一般的に、異常なことだからね、君の体質が特殊なんじゃないかと推測して検査を勧めたんだ」

 こんな言い方しちゃって、本当にごめん、とシードは再度謝った。まったくだ、と心の中で思う。

 筋は、一応通っているだろうか。それでも、核心は言っていない気がするが。

 それにしても、シードは初対面だというのに、随分とフレンドリーな態度だ。見た目は、委員長タイプなのに。

「そうだったんですか」

 形だけでも、納得の声を出しておく。

 部屋の扉が開けられる。入ってきたのは、ルークだった。

「やあ、リュウトくん。ここにいたか」

 ルークはビニールの袋を持っていた。爽やかな笑顔で、俺に差し出してくる。

 俺は、しばしきょとんとしてビニール袋を見た。

「はい。知り合いとして、誕生日プレゼント」

 答えに、一瞬詰まった。

「……ありがとうございます」

 受け取ると、ビニール袋の中身は太めの瓶らしかった。取り出すと、インスタントコーヒーの瓶だった。

「なんといっても、成人だからね。お酒はもう貰ってるみたいだけど、健康に気を付けてね」

「どうも」

 貰える物なら、貰っておいて損はないだろう。なんといっても、成人なのだから。

 ちらりと見ると、何故かシードは苦笑していた。

 ともあれ、検査は終わった。

 これで、もう辟易してきていたこの建物の空間から、解放されるのだ。

「そういえば、バギーもここにいるんですか?」

 ふと思い出したのは、研究所を出てからだった。

 見送りということで(実際、ユグシルナの土地鑑は俺にはない)着いて来たルークとシードに訊ねる。

 バギーが刑務所施設ではなく、ユグシルナにて厳重に隔離されるという話は、去年のプースランドでの騒ぎで、バギーの身柄を引き取りに来た安全委員職員らの会話から漏れ聞いていた。

 二人は、一瞬顔を見合わせた。

 歩きながら、ルークが喋り出す。

「うん、まあね。リュウトくんも見たと思うんだけど、あの男、普通とちょっと違っていたでしょ」

 いろいろな意味で、普通ではなかったな。

 頭がイっちゃってたみたいだし、極悪人だし、何よりも、人間ではなかった・・・・・・・・し。ここに収容された理由は、もしかしたらそれかもしれない。

 さしずめ、標本か何かにでもされるんじゃないだろうか。人間をやめ、未知の亜人種になったならば、まず研究材料にされるのは見えている。

 やだな、人間やめるのって。

 告白すれば、前世の俺も、半分は人間としてやめたようなものだった。今度の人生では、きちんと人間として生きていこうと思う。……よほどのことがない限り、人外の道に足を踏み入れるなんてことにはならないが。

「たしかに、ミミズみたいな触手が背中から出てきたりして、気色悪かったですね」

 一応、話を合わせる。

「うん、そう。それでね、ここで、しばらく調べることになったんだ」

 バギーの生態を調べているのか。

 バギーの正体は、真祖によって吸血鬼化した元人間、使徒である。

 そのことは、やはり教えなくてもいいだろう。そのうち、シードたちだけでも辿り着くだろうし、何より俺には関係ないことだ。

「そうだったんですか。じゃあ、ありがとうございました」

 話すうちに、ユグシルナの出入り口まで来ていた。

 二人に頭を下げてから、俺はユグシルナを後にした。


      ◇


 少年の背中が、遠ざかっていく。

「彼にプレゼントなんて渡して、情でも湧いたんですか?」

 リュウトがいなくなったためか、シードの声には明らかな非難の色があった。

 安全委員にとって、リュウトという少年は最優先にマークしている対象であり、いざという時は、危険因子として処分・・しなければならない、そんな存在だ。余計な感情は一切介入させてはならないのだ。

 ルークは、静かに一つ頷いた。

「成人祝いだから、ね」

 静かに、言葉を吐く。

 シードは溜息を漏らした。

「……リュウトくん、バギーのこと、あんま訊いてこなかったですね」

 ふと、ルークがそんなことを言う。

「普通は、もっと喰いついてくると思うんだけどなあ」

「そうですね」

 たしかにそうだ。

 バギーが異常なのは、精神面以上に肉体的な面でも明らかなのだ。

 彼も先ほど、バギーと対峙した際に「ミミズのような触手が背中から生えていた」と言っている。そんなバギーが一体何なのか、彼は訊いてこなかった。シードが話題を微妙にずらしたというのもあるが、彼は引きがよすぎたのだ。

 その潔さは、もう既に知ってることは知っているから、訊くことなんてない、とでもいうかのような……。

 いや、それはいくらなんでも考え過ぎだ。

 シードは、小さく首を振った。

 バギーの身に起こった変化は、バギー本人をサンプルとして研究するまでシードたちにさっぱりもわからなかったのだ。バギーの変化を、まだ少年であるリュウトが知っているわけがない。

「喰いついてこられても、こっちもまだほとんど判明していることはないんですけどね。どこまで教えていいのかも判断しかねますし」

 シードが、溜め息をつく。

「そうですね。ところで、その肝心のバギーって、最近どうなってます?」

 ルークは安全委員の人間であり、ユグシルナの研究者ではない。

 ユグシルナは事実上、安全委員ジビロン支部のラボの側面も持っているが、バギーはあくまでユグシルナのサンプルとして管理されている。

 そして、ルークがユグシルナを訪れるのは、実は一年ぶりであった。

「戦闘力数値レベルが15に上がりました。驚異的です。再生能力に、強靭な肉体と身体能力、人智を超えた力、とはこういうことなんでしょうね」

「へえ……、15……。ここに拘束した時で、14だったんだっけかな」

 戦闘力数値レベル――通称レベルとは、測定対象の筋力、瞬発力、俊敏性などの能力面から肉体的な戦闘力を数値化したものである。

 ネワギワの長い歴史上でも、古代に開かれたバトルロイヤルという戦闘祭では、参加者十名の戦闘力をこのレベル判定システムによって計測していたという。

 レベルの判定基準としては、高レベルになればなるほど、レベル差が戦闘力の差に直結するようになってくる。個人の能力からレベルを判定するため、例外は一部あるが「レベル=戦闘力」という式が成り立つ。

 さらに、レベルが高ければ高いほど判定水準の値の幅は大きくなっていき、高レベル同士であればあるほど、戦闘においてレベル1の差が重要になってくる。逆に、低レベルであれば戦闘力の差は微々たるものだ。

 一般的に、常人の戦闘力数値レベルは成人で3~4程度だ。

「バギーの肉体は既に人間を超えています。が、おそらくはまだまだ伸びていくと思われます」

 淡々と、シードは告げた。

「それだけに、彼がバギーに打ち勝ったという話は、とても信じがたいことですよ」

 もう見えなくなった黒髪黒瞳の少年の背中を思い出しながら、シード。

「リュウトくんのレベルは、測ってんですか?」

「……6でした」

 静かに、シードは答えた。

「6……。あの年の割には、高い方かな」

「ええ。やはり、Kr因子のせいだと思われます」

 シードの声には、深刻さがあった。

 ルークの表情に、陰が生まれる。

 ルークは、あまりいい気分ではなかった。

 こうしている間も、あの少年の肉体はだんだんと人間とは離れた構造に造り変えられている、ということなのだから。


      ◇


 家に帰った時は、夜の八時を超えていた。

 昼「アイソレーション」での成人祝いで飲んだパンボンのほろ酔いは、もう残ってはいない。イソラとの面会やユグシルナでの身体検査のせいで、身体の中のアルコールは完全に抜けきっていた。こんなことなら、もうちょっと飲んでもよかったかもしれない。

 なんともなしにリビングに行くと、そこにはセイラが正座して待っていた。

 外に出てくるとは言っていたが、帰る時刻までは言っていなかった。これは、ちょっと良くない状況かもしれない。こんなに長引くとは思っていなかったというのは言い訳臭いが、事実、俺はユグシルナとの往復時間を考えていなかった。出かける時の俺の言い方だと、多分数時間くらいで帰ってくるみたいに解釈されたんじゃないだろうか。

 だとすれば、彼女は怒っている……?

「お帰りなさい」

 やはり怒っているのか、彼女の声はそっけない。いや、彼女がそっけないのは一昨日からずっとだ。

 どう返そうかと少し考えるが、セイラは続けて言った。

「お風呂、一回使わせてもらったから」

 たったそれだけ。

 もっと、何か言ってくるかと思ったが。

 帰りが遅いとか、何故言わなかったのかとか、退屈だったとか。いや、最後のは俺の知ったことではないが。

 俺の予想に反して、彼女はそれ以上俺に言うことはないようだった。それはそれでいいのだが、年頃の少女にしてはセイラはやはり無口すぎると思う。

 やけにさっぱりしてるというか、周囲にまるで興味がないかのような……。俺も人のことは言えないんだけど。

「それ、何?」

 俺が持っている袋を指して、セイラが訊ねてくる。

「誕生日祝いにもらった。酒と、コーヒー。俺、今日が誕生日だったから」

 俺の回答に、彼女はそう、とだけ返す。

「……カミネさんの誕生日て、いつなの?」

 少しだけ、気になった。まだ十四とのことだから、まだこれからなはずだが。

「……今日」

 彼女はさらりと、そう答えた。

 というか、今日?

 昨夜訊いた時は十四と言っていたはず。あの時、既に日付をまたいでいたかどうかはわからないが、何故彼女はまだ十四歳と言ったのだろう。細かいことかもしれないが、明日で十五歳とか、多分まだ十四歳、とかになるんじゃないだろうか。

 俺の中に生まれた疑問は、彼女の言葉によって氷解する。

「わたし、お昼頃に生まれたの。だから、昨日の夜は、まだ十四歳だったから」

 ああ、そういうことか。なんとなくわかった。

 俺は、二月の十の日になってすぐに生まれた。だから、同じ誕生日でも、俺とセイラとでは十五歳になったと実感できる時間帯が少し違うと、そういうわけなのだろう。

 俺の方が少し早く生まれたのか。

 なんか、どっかで同じような話を聞いたことがあるような……。

「じゃあ、成人祝いとかは?」

 俺は、気になったことを訊く。

 十五歳の誕生日は、ネワギワの世界では大切な日だ。

「やってない」

 彼女は淡々としていた。

 まあ、そうだろうな。

 ほとんど一日中この家の中にいたんだろうし、これでは祝ってもらう家族や友人たちとも会えない。

「ああ、ごめんね?」

 遠慮がちに謝罪の言葉を口にすると、彼女は首を傾げてしまった。

「俺が家を空けちゃったせいで、カミネさん、祝ってもらえなかったんじゃない?」

「いえ……学校に友達なんていなかったし、……父さんと母さんだって、もう……」

 ぼそりと、囁くような言だった。

 なんだか、悲しい子だな。最後の言葉は、家庭環境が劣悪なのだと解釈してしまっていいのだろうか。

 考えてみれば、成人になる日だというのに自宅を空けて俺の家なんかにいるのはおかしい。両親が虐待してきて、もう帰りたくないと思っているのならば、自宅に帰りもせず俺の家に泊まった理由も納得できるのだが。

 いや、待て。

 仮に虐待を受けているのなら、彼女の無表情な性格にも合点はいく。だが、対称的に彼女の可憐さには矛盾している気がする。

 虐待を受けているのなら、彼女の来ているシドー着はこうも綺麗なのだろうか?

 黒い生地から覗く細い手や端整な顔は、こうも白い肌でいられるのだろうか?

 もう少し別の境遇も考えられる。

 例えば、彼女の両親は既に死んでいる、とか。

 いや、詮索はやめておこう。具体的に詮索したわけではないが、彼女の境遇についてあれこれ思案しても、俺には関係のないことだ。今は興も乗らないから、暇潰しにもならない。

 というか、この空気どうしよう?

 俺にしては珍しく気を遣って謝ればこれだよ。

 なんとなく、放っておく気にもなれないし、どうしたものか。

「あの、じゃあ……」

 なんで俺が、こんなことをしなくちゃならないのだろうか。こうなったのは、俺が悪いっていうのか?

 とりあえず、このままだと俺の気分が沈んでしまう。いつもなら気にも留めないはずなのに、なんでだ?

 どうしてこんな面倒なこと……。


「ここで、カミネさんの成人祝い、やる?」

 ちょうど、酒ならいいのが一瓶あるぜ。

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