12,「終」
◆
ジビロン中央区最大の総合病院セラープ院の一病室にて。
「やっほー、ユハラン、元気?」
ルークの訪問に、ユハラ・インジケートは反応に困った。
頼れる上司が見舞いに来てくれたことは正直嬉しいが、ルークは少し、面倒くさいことがある。しかも、何か嫌な予感がする。
本音を顔に出すか、それとも愛想笑いという鉄の仮面を被るか、ユハラの中で少しの葛藤があった。
結局、仮面を被ることにした。
「…………お手数かけます」
うん、とルークは一つ頷き、椅子を出してきてユハラが横になっているベッドの脇に腰かけた。
「その後、調子はどう?」
「最近、ようやくギプスが取れてきました。でも、あと一か月か二か月はここで大人しくしてないといけないらしいです」
「無理のないようにね」
そうだ、とたった今思い出したかのような声を出して、ルークが続ける。
「今日のプースランドの騒動はもう聞いた?」
そのことか、とユハラは思った。
彼が入院している病室は一人部屋だった。危うく同室の患者に聞かれるなんてことはないが、それでも病院でする話ではないと、ユハラは内心で呆れていた。
「ええ、あそこの『グニグル』を狙ったんですってね。連中も命知らずなものです」
「ああ、で、僕らはあのバギーを確保したわけだけどね。やっとって感じがするけど、残念ながらバギーは組織内ではそこまで深いところにはいなかったらしい」
「そうですか」
何故、それを自分に? という疑問を呑みこんで、ユハラは合いの手を入れた。
「ユハラが遭ったっていうシニガミだったら、引き出す情報ももっとあるんだろうけどね」
「自分では無理です。戦った結果がこれですもん」
あちこち包帯だらけの身体を見せるように、ユハラは言う。
「ああ、現状では奴さんの戦闘能力の把握すらできていなかったからね。データはほしいとこだけど、そのための使い捨ては御免だね」
使い捨て。なんだろう、その言葉が、無償に引っかかった。
だが、ルークはそれを察することもなく、話を進めた。
「それでね、バギーを倒した人ってのが、ちょっと問題でね」
「……? 何ですか、それは?」
ユハラの問いに、ルークは言いにくそうに視線を斜め上へ彷徨わせた。しかし、彼のそれが結局のところ、「自分は率先して情報を漏らそうとしているわけではない」というアピールであることはユハラにもわかっていた。この人物は、これでいてこういうふざけた一面もあるのだ。
そしてやはり、ルークは喋ったのだった。
「リュウトくん。わかるっしょ?」
はあ? と言いたくなるのを堪えて、ユハラはルークの発言を考えてみることにした。
リュウトくん。わかるっしょ? リュウトくん。わかるっしょ? リュウトくん。わかるっしょ?
駄目だわからない。この短い言葉の中にどんな意味があるというのだ。待て。たしかルークはバギーを倒した人物云々とか言っていた。
――では、まさか!?
「はあ?」
言葉は、意味がわからなかったからではなく、理解したからこそのものだった。
「あの少年が勝ったんですか? 凶悪犯に?」
「やっぱ信じられないよね~」
ユハラの解釈は、どうやら的中していたらしい。もしかしたら違うかも、という思いがあっただけに、ユハラはあんぐりと口を開けていた。
しかし、すぐに思考が復活する。あの少年が、人外の身になりはてたというバギー・クロツラムに勝利した。もしそれまぎれもない事実ならば、ある危険性を示唆してはいないか。
「ここだけの話ね。リュウトくんがバギーを倒したのって、どーも『グニグル』を使ったかららしいんだよね」
一人部屋にもかかわらず(それでもやはりこういう機密情報の交換場所としては不向きであるはず)声を落としたルークの言葉は、さらにユハラを驚愕させた。
「それって」
「うん、結構大問題。『グニグル』握って正気を失わないなんて普通ないよ? だって神話に出てくるミカドでさえ、『グニグル』の浸食にある程度抗えただけなんだから」
それはつまり、「グニグル」を使っていたということには、ならない。神話上唯一、魔剣に抗えたミカドも、最期は狂人の世界に身を投じてしまったのだから。
なのに、ルークの言い方では、まるでリュウトという少年がノーリスクで「グニグル」を使っていたように捉えられる。
ユハラの中で、疑惑はさらに強まっていく。
「やはり、Krですか?」
ユハラが気にしていたのは、そこであった。
もしかすると、それらの異常性はすべて、リュウト少年の中にあるKr因子が原因なのではないのか、と。
「いや、わからないな。でも、そのことで一つ、決定したことがある。来年から、彼を監視することになってね、まあ、これは前から決まってたことでもあるんだけど」
「誰が監視するんですか?」
こんな前振りをしてくるのは、もしかして自分なのか? と半ば身構えながら、ユハラは訊ねた。
ルークはさらに声を落として、耳打ちした。
「ああ? 大丈夫なんですか、それ」
リュウト少年監視の任を受けるという人物の名を聞いて、ユハラは驚く。
「実力もあるし、何より真面目だし。一番の理由は、……まあわかるでしょ?」
「でもそれ、やっぱり心配ですね」
「うん、そうなんだよね。僕らは彼に対して中立でなければならない。彼がネワギワの未来に破滅をもたらすなんてことになったら、僕らは彼と戦わなくちゃならない。もし変な友情ができちゃったら少し厄介だよね。あの子はまだそういうのは未熟だからなあ」
まあ、万に一つも彼が危険だなんてあり得ないけど、とルークは最後にそうしめた。
◇
シドー国ジャミヤ地方、ヘルヘイムの拠点にて。
「どういうこと?」
白いローブを着た、白い髪の毛に深紅の瞳をもつ少女は、青年の胸倉を掴んでそのまま壁に叩きつけた。
「っ、乱暴ですね。僕はあなたやバギーさんたちとは違って、身体は普通の一般人なんですから、もう少し加減して下さい」
癖になった茶髪が印象的な青年だった。演技を解いた今は、その目は糸のように細くなっている。
「何故、バギーを見捨てた。トレント!」
彼、トレントは、宥めるようにカリンの前に両手を出してみせた。
「誤解ですよ。僕はあの場所で状況確認しか命令されてませんでした。バギーさんのピンチなんて、わかるわけないじゃないですか」
ばりばりばり、という布を引き裂くような音が鳴る。
ミミズめいた触手が五本、カリンの背から出現して、鉤爪の様に鋭い先をトレントへ向けていた。
ごくり、とトレントが喉を鳴らす音が聞こえる。
「死んでしまえ」
カリンの双眸が、鮮血を映したかのように紅く煌めく。
カリンの燃えたぎる怒りを沈めたのは、横からかけられた第三者の一声だった。
「よせ、カリン」
「…………“死神”」
季節はまだ夏場だというのに、黒の外套を纏った青年。黒髪と、奈落のように底無しの黒瞳を持った“死神”は、静かに言った。
「トレントに非はないさ。あいつは、バギーは、この仕事を頼まれた時泣いて喜んでいたぞ。安全委員だかに捕まったとしても、本望だろうさ」
「でも」
たしかにバギーは組織への貢献に貪欲だった。その意気込みは、熱血といってもいいくらいに。
だから、今回の仕事も、バギーは喜んで承諾したに違いない。
しかし、とカリンは思う。
「グニグル」強奪に、何故バギーが選ばれた。それこそ、「クルニール」が盗まれて一か月後なのに。
「カリンつって、そんなにバギーのこと気にかけてたのか?」
「馬鹿な。わたしの知らないところで、わたしの部下が勝手に使われて。これでは扱いがぞんざいすぎる」
「といってもな、結局、バギーを行かせたのはベルスの命令なんだよな」
「それでも……だいたい、なんであなたの時はセクトピアンが出されたのに、バギーにはアンデッドしか出されなかったの? バギーの時もセクトピアンが出されていれば……」
「無理言わないでください」
三人の会話に、さらなる第三者の声が割って入ってくる。シドー系か、それともシドー人なのか。黒髪を持った女だった。
「……リリ」
「“死神”さんの襲撃の時に大多数が撃破されちゃったんですよ? そんな状態で、また出撃させられるわけないじゃないですか。セクトピアンには、各拠点の警備もさせてるんです。ヘルヘイムはユグシルナじゃないんですから、そんなすぐに壊れた分を補充することなんてできません」
反論を許さない断言だった。
そしてその女性、リリ・ジョーンに続くように“死神”が、
「まあ、納得できないだろうけど、何も変な気は起こすなよ」
そう言って、会話をしめたのだった。
◇
「カリンが相当おかんむりだったぞ」
「そうか」
“死神”は、目の前の少年を軽く睨んだ。
やや豪華そうな作りの椅子に座って、両手を合わせたりして弄んでいる。黒髪に、黒瞳。座った体勢と立った体勢で比較は難しいが、背丈も“死神”と同じ程度。顔立ちも、“死神”とどこか似通っている彼は、ヘルヘイムという組織の頂点に君臨する絶対的存在である。音を、ベルスという。
ベルスの反応は、あまりにも薄い。“死神”は僅かに肩を落とす仕草を見せた。
「お前、バギーを捨て駒にしただろ」
きょとん、とした反応が返ってくる。
「先月言わなかったか? バギーにはここで抜けてもらうって」
「いや、あん時は賭けと言ってただろ。ギャンブルだ。始めから使い捨てにするなんて言い方じゃなかった。少なくとも、バギーを選んだのは失敗した時のヘルヘイムの損失を考慮したものだと思っていたんだが」
「あいつは要らない。熱心だが、空回りだ。結果が出ないのなら、うちに入れておく理由もない。“処分”されて当然だ」
「お前、支離滅裂なんじゃないのか? 言ってることが先月と少し違うぞ」
「どう、違うのかな?」
本当にわからない、というようにベルスは問う。
「お前、『グニグル』が要らないのか? 手に入るんなら入手しておきたいから最低限の戦力を向かわせてみたはずじゃなかったのか?」
“死神”の問いには、熱がない。もとより、彼もベルスと同様、バギーの脱落に心を痛めているはずもなかった。
「必要? あるわけないだろ、あんな呪いの魔剣。手に入れたとして、一体どうやって解析できるというんだ。お前の方こそ、やけに絡んでくるな。お前、バギーのこと気にいってたのか? 先月はそんなこと言わなかっただろ」
どことなく、拗ねたような響きさえ、ベルスの声にはあった。
“死神”はしばしの間、言葉を失った。
やはり、ベルスの言い分は微妙に変化している。先月の通信した会話内でも、ベルスはバギーをもう要らないと言っていた。だがあくまでも、今回の襲撃は「グニグル」の奪取が目的であるとも言っていたはずだ。そのためのリスクが高すぎるため、使い捨て上等、成功すれば上出来と、バギーを選んだと。
それなのに。
今の彼の言い分は、やはり違う。これは、バギーを処分するための計画ではなかったはずだ。
「……カリンが怒っていたと言っただろう。反旗でも翻されたらどうするんだ?」
「殺せばいいだろう。お前、カリン相手に苦戦するとか思ってるのか?」
“死神”は押し黙った。
やはり、ベルスはベルスだった。
仲間意識なんて不自然すぎる感情を持っている一面があったとしても、この少年の本質が揺らいだりなどしない。
カリンが本当にヘルヘイムを裏切ったとしても、ベルスは眉一つ動かしたりはしないだろう。それが、彼とカリンとの、実力の差なのだから。
カリンに限らず、ヘルヘイムの中でベルスを上回る者などいはしない。そのうちの誰が裏切ったとしても、ベルスはとんと興味を示さない。ただ平然と、障害になった者を消すだけなのだ。
かろうじて、“死神”やヨミが動けば、警戒する程度。
“死神”やヨミは、ベルスが楽観して勝てるほど実力差が開いてるわけでもない。しかし、それだけ。結局のところ、ヘルヘイムの頂点はベルスなのだ。
「そういうわけじゃない。そういえば、『グニグル』のことについてなんだが……」
“死神”は、話題の方向性を無理やり変えようとする。
「リリが安全委員の情報管理をハッキングした。面白いものがあったぞ」
「面白い情報?」
「今回の襲撃も絡んでる。なあベルス、『グニグル』を持っても正気を失わないって話、信じるか?」
ベルスは、首を傾げた。
「それは、不可能なんじゃないか。『グニグル』の精神汚染は防御不可能だ。どんなに屈強な精神を持っていたとしても、必ず魔剣は精神を喰い潰してくる」
「ああ、だけど、もし本当に『グニグル』の影響を受けないとしたら? お前はどう考える?」
ベルスは、珍しく眉間にしわを作った。疑問からそのような表情を作るのは、ベルスにはあまりないことだった。
やがて、ベルスは静かに言葉を紡ぎ出した。
「例えばの話をしよう。トランプカードで建てられた城を思い浮かべてみろ。スペード、ハート、クラブ、ダイヤ、全てのスートと、AからKまでの全ての数字、そして二枚のジョーカー。五十四枚すべてのカードで城を建てたところを想像してみろ」
真意はわからなかったが、“死神”は言われたとおりにカード城を思い浮かべてみた。五十四枚全て、というと、かなりの大きさになるだろう。
「想像したら、そこに強風が吹くと仮定しろ。どうなる?」
どうなるか。そんな予測の結果はわかりきっている。
「カードが崩れる」
「そうだ。これが、『グニグル』の精神崩壊のメカニズムであると仮定する。では、ウバー神話のミカドはどうやって『グニグル』という強風を堪えた?」
言われることは、普通であればすぐに飲み込むことは難しいだろう。だが“死神”は素直に従う。言われたとおり、カード城崩壊を「グニグル」による精神破壊に例えて考えてみるが、その解は思いつかなかった。
答えは、ベルスの方からもたらされた。
「チートだったんだ」
「チート?」
「ああ、あるいは接着剤で城を固めていたのか、あるいは防護壁を築いていたのか。まあ、どっちにしろただの時間稼ぎさ。接着剤で固めようが、強風に晒され続ければそのうち城は倒れるし、防護壁を築いても、いずれは壁ごと崩される。では、強風の影響を全く受けなくするには、どうすればいい?」
言われて、また思考する。
今度はヒントがあったために、考えやすくはあった。
「……接着剤で、地面とも固定する、とかか?」
「いいや、違う。まあ、それだったらさらに強い強風にも耐えられるかもしれないが、それでも風の強さによっては崩されてしまう。逆なんだよ」
言って、ベルスは自分の足元を指差した。
そこに、どこからともなく、カードで築き上げられた城が現れる。ベルスが錬気で作りだした物だ。
「強風を受けても、カードに影響が少ない配置とは、一体何か」
城を指差していたベルスの人差し指が、ぴん、と上に向く。
カードの城が、なめらかに崩れる。
「こうしてしまえばいい。始めからカードの城なんてなければ、風が吹いても崩れない」
“死神”はまるで、大人が忙しい時に子供の悪戯にまんまと嵌ってしまった時のような、非難するような表情を作った。
しかし、すぐにカードの城の意味を思い直す。
強風は「グニグル」を表し、カードで作られた城は、それならば「グニグル」を掴んだ者の精神を表すのだろう。
始めからカードの城が崩れていれば? それを「グニグル」の精神破壊の例えに変換した場合、どういう意味になる?
「もちろん、一気に崩れれば発狂物だ。だけど、長い年月をかけて地道にすり減らしていけば、あるいはこんな状態になることもあるかもな」
すり減らしていく。精神をすり減らして、いずれ壊しきるところまで壊しきる。
……待て。そうだとすると、「グニグル」を手にしても全く影響がない者がいた場合、その人物の心は――。
「けど、なんでそんなことを訊くんだ?」
ベルスの問いかけ。戸惑いは一瞬。隠す理由はない。
「バギーを倒した奴は、『グニグル』を握って応戦したそうだ。それと、そいつはまだ子供だってさ」
「子供? それはおかしいな。それじゃあ精神をすり減らす時間が、圧倒的に足りない」
ベルスは可笑しなところに着目して、ぶつぶつ呟き出す。
“死神”は小さくぼそりと言ったのだった。
「この、サイコパスが」
◆
人生が悲惨だった者は、一体何を求めるだろう
幸福な生だろうか?
それとも単に、やり直しの機会だろうか?
彼の者が歩いた道は悲惨に満ち溢れ、きっと心は殻を固めるのみで、真に中身を視てはいない
おそらくは……
求める心さえ、既にそこには無いのだから。
人格が破綻した者にとって、一体世界とはどう映るのだろう
そこにあるのは、何の奇妙さもないありふれた平穏か?
それとも、狂人にしか理解しえない歪んだ視界か?
彼の者の認識はあまりに粗く、きっと日常か異常か、光か闇かの区別しか存在しない
さながら――
果てなく捻巻き続ける螺旋のごとく。
悪と正、
死と生、
破壊と再生、
どちらか一端しか、彼にはあり得ない。
それだけしか、胸にもつことができないのだから。
彼の者の精神は磨耗しきり、形は既に残っていない。
故に、彼の者の心は何にも侵されない。
第4章/了 第1部 完




