3,入学式と洗礼(2)
ぼんやりと、意識が浮上してくる。
目を開けた俺が見たのは、見知らぬ天井だった。
「……お、れ、は…………?」
「あら、リュウトくん起きた?」
軟らかな、女性の声がした。
声のした方を向くが、一面に広がる白いカーテンが、声の主と俺とを隔てている。
バサッと音を立てて、カーテンが開けられる。白衣を着た女性が入ってきて、俺の額に手を乗せた。
「熱は……当然ないよね。あっ、でも包帯は取っちゃダメよ」
「あの、ここは……?」
「ああ、ここはソージックの医務室、わたしはここの先生。高年に上がれば保健の授業でも会うことがあるかもだけどね」
言って、彼女は俺と目線を合わせ、ずいと自分の顔を俺の方へ近づけてきた。ただし、右手で俺の左目を大きく明け、片目だけ閉じてで覗き込むように、だ。
瞳孔の様子でも診るのだろうか。
「うーん。君の瞳は黒いからよく区別できないな。まぁ意識はあるみたいだしもう大丈夫でしょ。ちなみに君、なんで気をを失ったのか覚えてる?」
「あの、はいなんとなく……」
「まったく、シリウス君も普段はいきなり年下を攻撃するような乱暴者じゃないんだけど」
小さく唸りながら、彼女は顎に手を当て溜息をつく。
「友達も君のこと心配してたわよぉ」
保健の先生が俺の前から身体を退ける。
開けられたカーテンから、テラがひょっこり顔を出した。
「リュウト、大丈夫か?」
心配そうな表情で訊いてきた。
「うん、ダイジョブダイジョブ。それよりテラの方は?」
たしか、あの上級生の魔法が直撃したはずだ。
「大丈夫だ。先生は軽い打ち身だって言ってた」
俺の脇に立つ先生をちらりと見ながら、テラは言う。
あれ?
………………それっておかしくないか?
「リュウト?」
頭に手を当て、俺は記憶を整理する。
魔法が俺に迫る。テラが盾になる。テラがぶっ飛ぶ。それに当たって俺も吹っ飛ぶ。壁に頭ぶつけて俺が気絶する。テラの方は軽い打ち身程度。
……なんか釣り合ってないような。
「どうしたんだ、リュウト?」
「いや、俺と違ってテラは魔法が直撃したのになんでそんなに怪我が軽いんだ?」
「ん? オレ、体は頑丈だし」
――思ってもみない返答だった。頑丈の一言で軽い打ち身で済んだというのか。それはあまりにも理不尽ではなかろうか。俺だって体は結構丈夫なつもりなのに。
「リュウト、どうした?」
「……なんでもない」
これ以上考えてもろくなことになりそうもない。俺は、この件に関しては深く考えないことを決めた。
「それにしても、あの金髪ヤロー。むかつくなぁ」
金髪ヤロー――あの上級生のことで間違いないんだろう。
「テラ、一応あの人上級生だけど……」
「知るか! シリウス・エスパーダだっけ? 何が威張るなだよ! リュウトは全然威張ってなんかいねぇっての!」
かなり頭にきてるらしい。友人のためにここまで怒れる彼は、本当に俺の友にはもったいないと思う。
「だいたいシドーとかカワキの神子とか。あのヤローの方ががよっぽど威張ってんだろぉが!」
ハハハ、と適当に笑い、俺は頭を手で押さえた。視界の上で、黒の前髪がちらちらと揺れる。そういえば「シドーの民」とか言われたっけか。
――シドー国という国がある。
ザーナ大陸から大きく離れた南側に位置する島国であり、シドーの民は文字通りそのシドー国出身の者をいう。シドーという国は、はっきり言って日本に似ている。シドー人の特徴がおおむね日本人のものと一致したり、鎖国の歴史があったり。
その鎖国のせいか、シドー人は基本的に迫害の対象になりやすかった。五百年以上も国交を拒絶した彼らを受け入れるほど、人間という生き物の心は寛容ではない。
もっとも、今はそういった差別はないはずだ。鎖国が解けてすでに千年は経過している。その長い時間の中で、差別意識もだんだんと薄れていったのだ。
だが、第一問題に――
「俺はシドー人じゃないんだけどな」
黒髪で、黒い目。顔立ちも完全にシドーのそれだが、俺はシドー人じゃない。
「え? そうなん?」
「シドー系ザーナ人ってやつだっけ。シドーの血は入ってるけど、俺はちゃんとザーナ生まれだよ」
「そうだったんか」
納得したようにテラは頷いた。
「ああ、それに――」
もう一つの勘違いも、解いておきたい。
「テラはさ、『カワキの神子』っていう天才をどう思う?」
「どうって、自分で天才って言うか?」
「それは今は置いておくとして、どう思うのさ。カワキの神子の噂というかさ」
なんとなく、答えは想像できた。生まれてから、今日の日までの五年間、ずっと同じような言葉を聞いてきたのだから。
「そりゃ、にわかには信じられないな。はっきり言って同い年じゃないと思う。でも、今はそうでもなさそうだなと思ってるぜ? オレとかみんなと同じ、ふつうの人間なんだなって」
なるほど。派手に吹っ飛ばされたの見てたならそんな答えもあるのか。その答えは、今まででは聞いたことがない。でも――、
「それは前提から間違ってる」
「んん?」
「カワキの神子は天才さ。できないことがないんじゃないかってくらい、才能の塊って言えるぐらいすごい天才だ」
「おいおい、それって調子に乗りすぎじゃ――」
テラの言おうとしてることはわかる。だから俺は「だからさ」とテラの言葉を遮り、
「俺がカワキの神子だったら、はっきり言って今こうして医務室のベッドの上で寝てたりなんかしない。カワキの神子なら、そもそも魔法を喰らったりなんかしないよ。あのさ、俺には一つ下に弟がいるんだけど……」
テラの眉が、ぴくりと動く。察してくれたのだろう。けれど、しかし、念には念をしっかり、はっきり、真実を明らかにしておく必要がある。
「カワキの神子ってのはさ、俺じゃなくて、俺の弟の、レンのことなんだ」
紡いだ言葉は、意外なほど静かに響いた。しばらくの静寂が訪れる。俺も、テラも何も言わない。俺はもう何も説明することはないし、テラは恐らく要らぬ気を遣っているのだろう。
「へぇ、そうだったの」
結局沈黙を破ったのは、今まで黙って俺たちの会話を聞いていた保健の先生だった。
「それは災難だったわね」
「……これまでも何度かありました。こういうのは」
俺の弟のレンは、俺なんかよりずっと才能に恵まれてる。親が同じなのかと思うくらい、レンは優秀な弟だ。
「……そう」
いたたまれなくなったのか、保険の先生はそれだけを呟く。
ここで勘違いされやすいのだが、俺は別に劣等感に溺れたりはしていない。確かに才能はあった方がいいとは思うが、それで弟を僻む気持ちはさらさらない。才能に恵まれたのはレンが望んだことではないのだ。
それに、才能の塊と言いこそしたが、レンだって才能だけで神子と呼ばれるようになったわけではない。俺は兄として、あいつと共に育ってきたからよくわかる。甘えを許さない、絶え間ない努力によって、あいつの能力はあそこまでに昇れたのだ。あいつはまだ四歳。今年で五歳だが、そんな幼児が無邪気に遊ぶ時間も減らして自分を磨いているのだ。練習をろくにしてもいなかった俺が、あいつに適うはずがあろうか。『カワキの神子』という肩書きは、ある意味当然だと俺は思ってる。
「ああ、そうだったわ。リュウトくん、親御さんがもうじき来るから、ちゃんと説明するのよ?」
……盲点だった。そのことに気付かなかった。もうすぐ六歳とはいえ、俺はまだ五歳、子供だ。……六歳でもそんな変わらないけど。
そんな子供が、上級生にいきなり攻撃された。親に連絡するのは当然だ。
「あ、……はい」
あんまり言いたくないな。変な心配されると面倒だし。
入学初日でいきなり医務室に世話になるとか、学園が始まって俺が初めてなんじゃないだろうか。
「リュウト、頭大丈夫?」
帰り道、母さんが心配そうに訊いてきた。
「もう大丈夫。なんともないよ」
母さんがほっとしたように胸を撫で下ろした。でも、また訊いてくるだろう。さっきから四回も訊かれている。
俺たちの家は、ソージック学園から歩いて十五分ほどのところにある。
ジビロンの西部側のポテン通りの住宅街にある、いたって普通の一軒家だ。
「あ、おかえりなさーい。パパ、ママ、おにいさーん」
家の前で、弟は待っていた。愛らしい天使のような笑顔が、俺たち三人を迎える。
「レン、ただいま」
「うん、あれ? その頭の包帯どうしたの?」
レンが、さっそく俺の頭を訝しげに見つめて問うてくる。まあ当然の反応だな。答えは用意してある。
「転んじゃったんだ。それで頭を打っちゃって」
正直に答えたら――カワキの神子と間違われて攻撃されたと言えば、それは言い換えればレンのせいで怪我をしたということだ。レンはまだ幼いが、絶対にこの結果に至るだろう。この答えのことについては、父さんと母さんにも既に話してある。
「そう、なの?」
「うん」
「ほんとに?」
「本当さ」
「嘘じゃない?」
うちの弟は結構鋭い。このままでは、嘘だとばれてしまうんじゃないだろうか。
「コラコラ。レン、お兄さんを困らせるものじゃないよ。じゃないと、『カワサキ』が出てきてレンを攫っていっちゃうぞ?」
助け船を出したのは、父さんだった。カワサキという名を聞いた途端、レンがぶるりと身震いした。
カワサキとは、ネワギワに古くから伝わるバケモノのことだ。
ネワギワの人間は、子供のころからこのカワサキの話を聞いて育つ。
カワサキの話
昔々、ネワギワのとある国に一人の少年がいた。
少年はいつも友達と元気に遊んでいた。
少年の友達には、シドーの国からはるばるやってきた男の子もいた。
その友人はとてもおとなしい読書家だった。黒い髪と、真っ黒な目という珍しい姿もそうだが、彼は名前も奇妙だった。だからよくいじめられ、友人には少年以外に友と呼べる存在はいなかった。
少年と友人は、よく時計塔で遊んだ。時計塔にこっそり忍び込み、そこで待ち合わせるのだ。少年が壁をとんとん叩き、友人がそのあとに足踏みを数回するというのが彼らの合言葉の代わりだった。
ある日、少年は些細なことで友人と喧嘩をした。なんのことはない。友人が初めて買ってもらったと喜んでいた玩具を、少年が壊してしまったのだ。
酷いじゃないかと、友人は少年を責めた。
少年も自分が悪いことはわかっていた。自分に全面的に非があると自覚していながら、少年は反論してしまった。それが軟弱なのが悪いのだ。そんなものを大切にしているお前は、なんて女々しいのだ。
行った時にはすでに遅い。少年は後悔した。友人は何も言ってこなかった。ただ信じられないという顔をして、去って行ってしまった。
次の日、少年は謝ろうと友人の家に向かった。けれど、友人には会えなかった。喧嘩をしたその晩、友人は首を吊って死んでいた。友人に、少年以外に友はいない。唯一の友に裏切られた彼にとって、この世界に生きることは辛すぎたのだ。
その日から、少年の心は止まってしまった。他の友達とどんなに遊ぼうと楽しい時は訪れない。
ずっと後悔していた。あの日、素直に謝っていれば友人は死なずに済んだのだ。
心を虚ろにしながら、少年は時計塔を訪れた。そこが友人との思い出が一番多い場所だった。
なんとなく、少年は壁を叩いた。すると階段の方から足音が一つ、ゆっくりと下りてきた。
少年は少しの希望を胸にそちらを向いた。もしかしたら、また友人に会えると思ったのだ。
合言葉の習慣から、少年は友人が死んでいるという現実を忘れていた。
階段から現れたのは友人ではなかった。生き物ですらなかった。
子山のように巨大で、黒い負を体中から滲みだすそれは、ゆっくりと少年に近付いてきた。少年は動けなかった。恐怖に足がすくみ、逃げ出すこともできなかった。
それが少年の目の前まで来た。その闇から、突然真っ赤な双眸が開かれた。目だけが赤くギラつくそれは、少年の心に更なる恐怖を刻みつけた。少年は思った。自分は殺されるのだ。このナニかに、喰われてしまうのだ。
そう思うと、少年の中から恐怖はたちどころに消えていった。これは仕返しなのだと思った。玩具を壊され、罵倒された友人が自分に仕返ししているのだ。突然。少年は謝った。ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい。玩具を壊してごめんなさい。謝らずにバカにしてごめんなさい。
涙に顔を濡らして、少年は死んでしまった友人に謝った。それで許してもらえるわけもないのに、少年はただ謝った。最後に裏切ってしまった友人に。目の前にある、ナニかに。
――ごめんなさい。カワサキくん……
少年はかすれそうな声で友人の奇妙な名前を口にした。
その日以来、少年の姿を見た人は誰もいない。
確認できる限り、おとぎ話や昔話に出てくるカワサキの話の起源を探っていくと、皆この話へ行き着くという。少年がどうなったのかはわからないが、おそらくは死んでしまったのだろう。最後に出てきたナニかとは、その友人の怨霊か何かだと言われており、この怪物こそがカワサキであるとされる。この、恐怖をかきたてる内容に、子供はみんな震え上がり、カワサキに対する恐怖を確かなものにするのだ。この話には、人を恐怖のどん底に落としてしまう、特別な魔の力があるのだろうか。
大人の中にも、カワサキを恐れるものは多い。父さんのように何気なく話に出す人もいるが、大多数は大人になってもカワサキの恐怖から脱せないのだ。
現に、母さんもレンと一緒に身を振るわせていた。
「あなた、いきなりカワサキなんて言わないで。心臓に悪いわ」
息を落ち着かせながら、母さんは父さんに抗議する。
カワサキの恐怖は、シドー系ザーナ人ほど強く刻みつけられる傾向がある。
先にもあったが、最後のナニかの正体は、死んでしまった友人、つまりカワサキという名の少年と言われている。このことから派生して、カワサキはシドー人に化けるという話が出来上がったとか。
同時にこれが、シドー人が迫害を受けた最大の理由といわれている。
シドー人の中には逆にカワサキを神と崇める宗教があったりするが、シドー系ザーナ人は本質的にはザーナ大陸の人間だ。カワサキを恐怖の対象としてしか捉えない。いじめの対象になったり、仲間外れにされやすいので、個人的にもカワサキにトラウマを持つことが多いのだ。
今はそう酷くないものの、それでも差別意識は根強く残っている。当時のことは、考えたくなくなるほど酷かったに違いない。
……助けてくれてなんだが、なにもカワサキまで持ち出さなくてもよかったと思う。俺や父さんと違って、レンと母さんは完全にカワサキを怖がってるし……。
でも、そうでもしなけえばレンは自分のせいで俺が怪我をしたと落ち込んだだろう。
レンは俺よりずっとすごいのに、俺を兄と慕ってくれているのだ。
俺がレンを毛嫌いしない最大の理由は、レンが俺を兄として接してくれるからだ。だから俺も、レンを僻んだりはしない。
それが、俺たち兄弟だ。