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転生者の苦悩 ~呉呉末  作者: 近藤 了
 第4章 リンの恋模様編
42/102

4,襲撃

      ◇


 四月下旬。

 ジビロン国東部地区「ミラーツ区」には、歴史的博物館ミラーツ館があった。

 ユハラ・インジケートは、ミラーツ館入場口のすぐ横に備えてある遠距離通信用ボックス(もちろん公共物)内で、ルーク・キミラに通信を入れていた。

 通信技術は、ここ数年でも飛躍的な発達を遂げた技術テクノロジーの一つだ。本来であれば、専用端末を使うなりでもっと効率よく連絡がとれる。その上、ユハラとルークの会話は、たまたま・・・・機密性の高い内容になる。会話が傍受される危険性は、通信用ボックスの方がずっと高かった。

 にもかかわらず、公共の通信ボックス(ちなみに旧世代式)を使うのは、単にユハラの連絡先の人物がこういった文明の利器に対してアナクロ気味なだけだ。

「いい加減、ケータイ持ったらどうです? 通信機だとあんまり便利じゃないでしょう」

 ちなみに、ケータイとは携帯式情報通信端末機の略である。

 ユハラの視線の先で、パネルに写っているスキンヘッドギリギリの茶髪の男は、軽く頭を掻いた。

『無理無理。僕には操作できんって』

 情けないことこの上ない、とユハラは心の内で思った。

『それより、そっちは大丈夫?』

 さりげなく(少なくともユハラはそう感じた)、ルークは話題を変えようとした。

 ユハラは肩を小さくすくめて、ついでに溜め息も一つついて、律儀にもルークのに乗った。

「ええ、まだ何もやってないんですけど、杞憂なんじゃないでしょうか?」

『まあ、そう言わずに。これも立派な業務』

 他人事な、とユハラは心の中で言った。こんな退屈な仕事は、それこそ通信で済ませてしまえばいいと思った。ルークには言わないが。

「そちらはどうなんですか? 」

 ユハラが切り返す。

『どうって?』

「ヘルヘイムの目的について、何かわかったことはあるんですか?」

『……あー』

 パネルに写っているルークは、思い出したように声を伸ばした。

『そのことは、新しいことはまだ何もわかってないな』

「まあ、でしょうね」

 失望してしまうような返答にも、ユハラは動じない。やつら・・・についての新しい情報が、そうそう容易に判明するとは考えていないが故だ。

 しかし、とユハラは思う。

 現時点で、ヘルヘイムについてわかっていることは実に少ない。組織としての存在目的、構成員全員の素性、保有している全戦力と、例を上げればきりがない。

 彼らが一体、何を目的に行動しているのかは、全くの不明だ。構成員についても、名前と容姿しかわかっていない者が多く、彼らの戦闘能力等々は未だに把握できていない。せいぜい、二年前の総合闘技場襲撃で、長年の脅威として安全委員(カワサキ対策委員会)を悩ませてきた「片面のヨミ」が構成員だったことが判明したくらいだ。組織の全体像を見るとなれば、その不透明さは言うまでもない。

 そんな謎多き組織ならば、情報が少ない現状に失望の念はあまりわかない。もちろん、情報は多いに越したことはないのだが。

 ユハラはそこまで考えて、話題を変えることにした。

「そういえば、『プロテクト・アーマー』の新バージョンは実施されるんでしょうか?」

『え、ああ。うん、ガード博士はもう少しだって言ってたね』

「できるだけ、早くしてほしいですね。二年前の惨劇を考えると、少しでも戦力が大きくないと。もう、あんな思いはこりごりですよ」

『そうだね』

 ルークは苦笑いを浮かべていた。ユハラは、二年前のラスパーナ総合闘技場襲撃事件では、正門前に配置されていた。あの襲撃事件では、もっとも残忍な殺戮が行われた場所だ。

 正門前の襲撃者に殺されかけた記憶は、今でも鮮明だ。本来は、軽口で済ませることができるほどのものではないはずなのだ。ユハラがこうして短期間の入院生活だけで(つまり、精神的な障害については自力で)安全委員の仕事に復帰できるまで回復するに至ったのは、ある意味彼の精神が成長したためだと、ルークは考えているわけだが。

 ちなみに、正門前を襲ったヘルヘイム構成員は現在、安全委員内では「カリン」という名称で呼ばれている。

「他には、ああそうだ。例の少年の件はどうなったんです?」

『例の少年?』

「はい。たしか、キミラ部長の担当でしたよね?」

 ルークは一瞬眉をひそめ、そして合点がいったとばかりに口をわずかに開いた。

『ああ、彼か。うん……』

 ルークの表情が、若干の曇りを見せる。

『まだこれと言って、進歩はないよ。ただ、近いうちに彼に対する処遇は決まるんじゃないかな。まあ、とりあえずは彼のKr値がどうなってるのかがわからないことにはね……』

 ユハラは、おや、と違和感を感じた。

「Kr測定検査は、二年前に行ってるんじゃないんですか?」

『ああ、うん。そうなんだけど、もう一回、確認のために、ね?』

 釈然としない答えに、ユハラは内心で首を傾げた。何だろうか。ルークの言葉に、引っかかるような違和感を感じたのだが、上手く表現できない。

『あの子のこと、気になるのかい?』

ふと、ルークがそんなことを言った。

「はい?」

『ユハラにとっては、それなりに因縁あるからねえ。彼は』

 はて。例の少年と、面識などあっただろうか?

 ユハラは己のこれまで歩んできた記憶の道をたどって、心当たりを見つけた。

 どうして、今まで気付かなかったのだろう。例の少年とは、もう随分昔、ユハラが安全委員に入ったばかりの頃に監視を命じられた監視対象の少年ではないか。

「そういえば、そうですね……」

 ユハラの中で少年を監視していた記憶は、彼に腹を殴られ気絶させられたところで終わっている。当時は、少年が六歳にして既に身体強化の魔法が使えるとはつゆほどにも思わなかったとはいえ、自分は驕っていたのだと今では・・・思っているし、反省もしている。とはいえ、わずか六歳の少年に昏倒させられた記憶は、それなりの屈辱と感じているが。

 昔の記憶にふけっていたユハラの意識を、ルークの言葉が引き戻す。

『じゃあ、もう切るよ。そっちはよろしくね』

「はい。尽力します」

 通信は、そこで切れた。

 やや間があって、ユハラは突然、頭の中にさっき感じた違和感の解を閃いた。

 例の少年を安全委員(カワサキ対策委員会)がマークしているのは、彼のKr値が以上に高い数値を出したからだった。Kr測定検査自体は、二年前に行われたらしい。とすれば、今、少年は十四歳ほどだろうか。

 ユハラはカワサキ対策委員会として全国の学校にKr測定に出た経験はないので、詳しくは知らないのだが、もし児童の中でKr反応が出れば数値の大小に限らずにもう一度測定をやり直すことになっていたはずだ。まして、少年の数値は危険値には達していないものの、決して無視できないくらいには異常な数値だったと聞く。おそらくは、測定も二回ほどでは済まなかったに違いない。だから、今更もう一度測定をする必要性は、ないはずなのだ。にもかかわらず、再度少年のKr値を測定しようというのは一体どうしてなのだろうか?




 アリツカイという生物は、非常に興味深い昆虫として注目されている。

 彼らが注目される最大の理由は、彼らが生活の一部を、他の虫を使役することで送っていることだろう。

 アリツカイには、働き手という概念がなく、生殖のための雄と、産卵のための女王とで構成されている。

 体長は、雄が約三センチ、女王が五センチほどと、一般のと比べると大柄な体躯であり、雌雄どちらも、生殖行為と攻撃性に特化した体の作りをしている。

 雄には翅がついており、これは交尾時に使用される。

 女王となるべき雌は、生まれた瞬間から巣の奥深くで大切に育てられる。そして、生まれてから一年ほどがたつと翅が生えて、彼女は外の世界に飛び立つこととなる。

 春の真夜中、その時が女王の巣立ちの瞬間だ。彼女が飛び立つと、同時に巣の中にいた雄たちも全匹が飛び立ってくる。女王の独立と結婚は同時なのだ。

 雄は女王に己の全てを注ぎ込むと、干からびるように死んでしまう。

 結婚飛行により複数の雄から生命の種を受け取った女王は、やがて地に降り立つと、異種の蟻のコロニーを襲い、巣を乗っ取る。この時、女王は特殊なフェロモンを分泌してコロニーの蟻たちからの攻撃から身を守る。悠然と巣に侵入し、女王蟻を襲うのだ。

 そしてここから先が、アリツカイがアリツカイと呼ばれる所以であり、注目を集める理由だ。

 女王は、その巨大な大顎でコロニーの女王蟻の頭部を噛み砕き、特殊な毒液を注入して、女王蟻の生殖能力を生かしたままコロニーの支配権を掌握する。

 そこからは、コロニーの先住蟻を使役して巣を開拓したり、自分の世話をさせたりする。

 この段階になると、アリツカイの女王の仕事はもっぱら産卵のみになってくる。腹部が巨大化していき、卵嚢らんのうになった後はほとんど移動しなくなり、次期女王となる雌と、女王の贄となる雄たちの卵を死ぬまで産み続けることとなる。

 先住の女王蟻は、先述のように生殖能力は生かされるが思考能力は皆無であり、アリツカイ側にとっては生きた奴隷生産工場として半永久的に奴隷を提供させている形になる。

 やがて、アリツカイの雌は卵から孵化すると次期女王として巣の奥で大切に世話され、雄は蛹から羽化すると同時に巣立ち、他のアリツカイが支配するコロニーに移住する。そして、また新しい女王の巣立ちからの循環サイクルから始まるのだ。

 ……ガラスのショーケース内では、アリツカイが飼育されている。彼らの特性上、コロニーのもともとの先住蟻も一緒だ。

 アリツカイが奴隷に選ぶ蟻の種類に制限はないが、あえて彼らとの対比が用意になるようにアリツカイとは体格に差があるチノヒアリという蟻と一緒にされている。チノヒアリは体長約一センチほどの蟻で、女王蟻は三センチほどになる。シドー国の東部に分布しており、赤色の体色に所々黒模様のあるアリツカイとは違い、全身が隈なく黒色をしているので、両者の判別はさらに容易だった。

 昆虫展示会場には、標本とは別に生きている状態で展示(飼育)されてい虫も数多く存在する。

 その中で、何故アリツカイ(チノヒアリ?)のショーケースを眺めているのか、ユハラは自分の行動に首を傾げていた。

「虫が、お好きなんですか?」

 横から、声をかけられる。

 黒渕の眼鏡が知的な、黒の背広を着た青年だった。この博物館の館長で、名をグレーン・サナトンという。今日はユハラと面談をすることになっているのだ。

「ああ、いえ」

 ユハラはグレーンに向き直ると、軽く頭を下げた。

「本日は、我々のために話し合いの場を設けていただき、誠にありがとうございます」

「いえ、いえ。かの安全委員の方々が、私どもに用があるというのであれば、応じるのが、当然の義務でしょう」

 グレーン館長は、頷きながら言った。独特の口調が、ユハラは気になった。

「それで、その、お話というのは、一体、どのような内容なのでしょうか?」

 グレーンの声には、不安がにじんでいた。

「まあ、それほど混みいった話では、ないんですけどね……」

 ユハラは一瞬、躊躇した。これから言うことは、とても重要なことであり、済ませるなら一刻も早い方が望ましい。しかし、この場で言うのは、あまりにも不用心ではないだろうか。

 幸い、グレーンの提案で、その戸惑いは無意味になる。

「あの、場所、変えましょうか?」

 そこで、二人は面談の場をその階の応接室に移した。

 一般的なマナーであれば、最初から応接室で行うのをユハラがアリツカイのショーケースに見入っていたため、館長であるグレーン自らが赴き、このような事態になったのだ。

 ユハラは、少しだけ気まずさを感じた。

 応接室には、ガラス造りのテーブルと、それを挟む形で黒いソファが二つ、置かれていた。

「どうぞ、おかけください」

 入口からは遠い方のソファに座りながら、グレーンが向かいのソファをすすめる。ユハラは、軽く頭を下げてから腰かけた。

「改めて、今回は我々のために話し合いの場をもうけていただき、誠にありがとうございます」

 ソファの上で、再度頭を下げる。対するグレーンは、先刻と同様の対応を返した。

「それで、お話とは、どのような、話なのでしょうか?」

 まわりくどい話等は抜きに、グレーンは率直に訊いてきた。故に、ユハラもストレートで質問に答える――わけにはどうしてもいかないので、まず胸の内で十分に言葉を選んだ。

「この博物館には、『神魔の武具』の一つが展示されていますよね」

「ええ、公の場に出して、普段客に見せているのは、レプリカですが、本物の『魔杖』も、たしかに、ここで、保存しています」

 グレーンは、頷く。

「早急に、もっと安全で強固な守りの、別の保管場所に移すことをお勧めします」

 言ってから、ユハラは「しまった」と思った。今の言い方では、この博物館のセキュリティを軽んじたと取られてしまう。

 しかしグレーンは、すぐに機嫌を悪くするほどの短気でもなかった。

「それは、どういった、理由からでしょうか?」

 やや身を乗り出すようにして、グレーンは訊いた。組まれた指は、彼の無意識の防衛的な心理の現れだろうか。

「実は、我々安全委員は、こちらの『魔杖クルニール』が盗難の被害にあう可能性が高いと判断しています」

 ユハラは、思いきって告白した。無論、全てを話したわけではない。今言ったことは、最低限の情報でしかない。グレーンも、頷きながらも納得していないのは明らかだった。

「一応、クルニールの、警備レベルは、Sなんですが……」

 レベルS、つまり、既存の警戒態勢においては最高レベルのもとに管理されているということ。ユハラは、ますます気まずくなった。

「それでも、です」

「クルニールを、盗もうとしている者に、ご見当は、ついているんですか?」

「それは、……すいません。機密事項なので深くは言えないのです」

「そう、ですか……」

 グレーンは、渋々と頷いた。納得はしていないだろう。

 その時、唐突に、けたたましい警報のベルの音が鳴り響いた。甲高い騒音は、応接室だけではなく、おそらくはこの館全域で鳴っている。

「これは……?」

 一体、何の警報か。いや、口では疑問を呟きつつも、ユハラは冷静に判断していた。警報を鳴らすということは緊急事態が起こったということ。緊急事態、例えば、

「侵入者です」

 グレーンの返答は、予想通りのことだ。そして、ユハラはし侵入者が何なのか、確信を持っていた。

 ヘルヘイムが、この館に保管されている魔杖を強奪しに来たのだ。

 およそ二年前、ヘルヘイムが安全委員ミカド帝国支部襲撃と同時に、当時管理していた魔刀を強奪したのと同様に。

「くっ」

 ユハラは僅かに顔を歪めた。奴らとの衝突は避けられない。二年前の惨劇の記憶が脳裏を掠める。今でこそ立ち直っているが、精神的なショックがなかったわけではないのだ。今攻めてきているヘルヘイムが、「カリン」だったら。足がすくむとは言わないが、動きは鈍るだろう。

 そんな状態でヘルヘイムと相対すれば、それこそ命の危険が高い。

 今、奴らを相手にして大丈夫なのか。自分は、奴らと戦った後生きているのか。

 不明瞭な恐怖感が、ユハラを揺らしていた。全ては「曖昧」に怖いからだった。明確な恐怖だったら、それはそれで臆病者として吹っ切れることもできたかもしれない。中途半端に怖れている現状では、それもできない。

 ふと、ルークならこんな時どうするだろうと思った。

 どんな時でも冷静で、戦闘の腕もたち、何よりも下らない選民意識を持たない頼れる上司は、どうするのだろう。


『僕は、安全委員だからね……』


 昔、ルークがそんなことを言っていたような記憶がある。件の定期戦襲撃事件からしばらくたった頃、ユハラの病室にルークたちが訪ねてきたことがあった。その時の会話の流れの中でルークが言ったことだった。

 ルークは、二年前の襲撃事件で「片目のヨミ」と対峙している。ルークが幼少の頃、ヨミの手によって故郷と家族を失ったという話を、ユハラは既に知っていた。

 因縁の相手との対決は、果たしてどのような心情だったのだろう。そこには、多分に恐怖もあったことだろうに。ルーク・キミラという上司を、改めて尊敬した瞬間だった……。

「…………」

 ユハラはソファから立ち上がった。グレーンは、いつの間にか応接室からいなくなっていた。緊急事態なのだから、自分だけ応接室にいるわけにもいかないのだろう。

 ……何はともあれ。

 ユハラも応接室から出ることにした。悶々とした恐怖心は、既に、風化していた。


 ――今は、安全委員としての責務をまっとうしなければ。

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