3,決意:ユメ
自宅に戻った後、あたしは学校の制服から私服に着替えて外に出た。
ソージックは八年生から制服制になっていて、女子の制服は白のブレザーとプリーツスカート。ちなみに、男子のものは同色のブレザーにスラックスだ。
外に出たあたしの目的地は、リュウトとデートで周るテーマパークの下見だ。こういうのは男の子側がやることだとは思うが、あたしの方から告白する立場な以上(つまり、あたしがアプローチをかける側な以上)、お嬢様気取りなんてできない。
テーマパークの名前は「プースランド」といい、ほんの数か月前に開園したばかりの今注目のスポットだ。今注目である故に、騒々しい人混みが予想される。
おまけに、テーマパークはジビロン国の中央区付近にある。遠いわけではないが、決して身近なわけでもない。当日はバスを使って向かうことになるかもしれない。
そう思って、あたしのとりあえずの向かう先は、自宅から一番近いバス停だった。
その途中、ポテン通りの近くを通った時、あたしは知っている声を二人分聞いた。
そちらを向けば、声の主たちはある意味あたしが今会いたくない人物たちだった。
リュウトと、その弟のレンくんだ。
二人とも、白のブレザーとスラックスを着用して、鞄を提げていた。下校中のようだ。あたしは二人に気付かれないように気をつけながら、二人に背後から近づいた。
二人が会話する声が、はっきりと聞こえてくる。
「ドンマイだって、レン。そんな落ち込むなよ。人間、いつでも上手くいくとは限らないだろう?」
どうやら、リュウトがレンくんを励ましている状況らしい。そういえば、最近またレンくんが新魔法の開発を始めたとリュウトが言っていた。会話から想像するに、結果はあまり芳しくないようだ。ちらりと見えたレンくんの横顔は、自分を追い詰めているかのように固かった。
まあ、昔からレンくんは驚くような新魔法を考えてきたが、リュウトも言うようにいつも上手くはいかないだろう。そう考えればこそ、特許を出してもいいくらいの魔法を既にいくつか創っているレンくんの成果は素晴らしいと思う。
しかし、失敗を知らない分あの追い込みようも納得な気がする。そこは、リュウトのフォローの腕にかかっている。レンくんと違って、リュウトは失敗続きなのだから、大丈夫だとは思うが。
「そういえば、兄さん、リンさんからデートに誘われたって僕のクラスで噂になってるけど、本当なの?」
二人の話題が、あたしがリュウトをデートに誘ったことに移った。……ていうか話が広まるのが早すぎじゃないか!?
今日の昼休みの出来事だったのに、もう一学年下のクラスに知られているというのか。
そもそも、あたしはそんな有名だったのか。
なんで学年も違う女子生徒のことが噂に出回ったりするんだ。
落ち着かないあたしを他所に、リュウトの答える声が聞こえてきた。
「あ? うん、たしかにデートっていえばデートだな」
簡単に言ってるんじゃないバカ。もう少し照れてくれたっていいじゃない。なんでいつもの落ち着いた口調で、そんなことが堂々と言えるの。
あたしはなんだか急に恥ずかしくなって、二人に背を向けて小走りでその場を去ってしまった。
バス経由でも、それなりの時間を要することがわかった。当日はもっとスムーズにプースランドまで来たい。それまでに他の移動手段を考えておかないと。
プースランド前のバス停で降りながら、あたしはそう心に決めた。……まあ、最悪お姉ちゃんか親に車で送ってもらえばいいか。
適当にそんなことを考えながら、あたしはプースランドの入場口の前までやってきた。
さて、最大の問題はここからだ。このまま入場るか、それとも外から見るだけにしておくか。
ここに来るまでのあたしの意見は、実は後者だった。今、このテーマパーク内まで見て周ってしまったら、当日の気分が半減されてしまう。
だが、プースランドの予想以上の規模を見て考えが変わった。こんな巨大施設、初見で本番をぶつけるにはレベルが高すぎる。
ジビロン国のユグシルナ研究開発機関、ラスパーナ王国の総合闘技場。あたしが行ったことのある中でも特に広大な面積を持っている施設に匹敵しているくらい、巨大な遊園地だった。ソージックの敷地が、一体何個分入るんだろう?
入場料を払って、入場口の大きなアーチを潜る。高年部から渡される学生証が役に立った。本番でも、リュウトに持ってくるように言っておくとしよう。
テーマパークは、外から見ていても十分圧巻だったけど、中から見るとやはりふざけたような広さだった。
何これ、気絶しそう。あたしが来たのはテーマパークであって、国ではなかったはずなんだけど。
視界に入る建物全部が、異国の建築物に見えてならない。特に飾りもないクリーム色の壁をした建物に、茶色と緑色で彩られたタワー。果ては、何故かレンガ造りの一軒家(?)まである。
多民族国家という単語がよく似合う。今に外国人まで出てきそうで怖い。幸い、そんなことは起こらなかったが。
視界に入る人々は皆ザーナ系だとわかる人たちばかりで、外国風の顔立ちも、よくてシドー系の顔を見かけるくらいだ。そういえば、リュウトもシドー系だったかな。
黒髪で黒瞳で、身長は今のところ中肉中背で、顔立ちはそれなりにいいと思う。弟と比べたりしなければ、そこそこいけると思う。うん。
……ここまで来たのはいいのだが、あたしはこの広大なプースランドのどこを周るか全く当たりをつけていないことに、今更ながらに気づいた。
どうしようこれ。本番の時もそうなっちゃうだろうけど、これどこ行けばいいんだろう?
まずは無難にアトラクション?
それともいきなりお土産ショップ?
フードコーナーかな?
頭の中に候補が浮かんでは消えていく。アトラクションは、さすがに当日だけで結構だ。下見の段階でやっても本番で気分が萎えるだけだ。
お土産ショップは、今行く意味ってあるだろうか。そもそも当日お土産買うかどうかも定かじゃないのに。デートでお土産は普通買わないと思うし。
フードコーナーも、見ておく必要性を感じない。
「………………」
本当にどうすればいいんだろう?
下見に来ておいてよかったと安堵すべきか、絶望的だと嘆くべきか。
本当の話、十分以上も悩んで、あたしは「とりあえず、その辺をぶらぶら歩いてみよう」という決断をやっと下したのだった。
アトラクションは、やはり多様な種類があった。
同じ絶叫系、同じジェットコースター系といっても、屋内を走るのか普通に屋外を走るのか、子供向けのそれほど速度を出さない物か、もはや死人が出ることを前提にしているレベルの高速を叩き出す物か、様々だ。頭が痛くなりそう。
……まあ、あたしってジェットコースターは苦手なのだけど。でも、デートでは必須のアトラクションだとお姉ちゃんが言っていた。これって、乗らなきゃダメなんだろうか。あたしとしては、メリーゴーランドとかがいいんだけど。
……リュウト次第かな。
このテーマパークに入場するために払った料金とは別に負担がかかるアトラクションもあった。もちろん、当日は却下にした方がいいだろう。
しかし、こうしてパーク内を歩き、本番でどこを行こうか下見していると、やはり自分が何をやっているのかわからなくなってくる。
あたしは一体、なんで下見なんてしてるんだろう?
一度は納得して飲み下した疑問が、再び胸の奥から浮かび上がってきた。なんだか急に、自分のしていることが虚しく思えてくる。
「…………ああぁ」
何が悲しくて、こんな所に一人で来てしまったんだろう。どんどん気分が落ちていく。周囲を行き交うの人々がうるさいはずなのに、何故か、あたしの世界から音が消えていく。あたしは一人なんだと、強く認識させられる。
あたしは、なんて孤独なんだろう。
視界の中を行き来する人々は様々だ。カップルと思わしき若い男女。高齢の老婆と、彼女と手を結んではしゃいでいる幼い少年。
いいなあ、どっちも、あたしが持ってないもモノだ。好きな人と二人だけで楽しめる時間と、大切な家族。……そりゃあ、後者の「大切な家族」についてはお祖母ちゃん限定だけど。
あたしの家庭環境は、普通に両親は生きている。お姉ちゃんについては、さっきまで一緒に下校していた。お祖母ちゃん以外の祖父母との思い出は、あまり覚えていない。あたしが物心つく前に、お祖母ちゃん以外の三人は既に亡くなっていたことが原因だろう。
だから、お祖母ちゃんが死んでしまうまでは、あたしと、お姉ちゃんと、パパとママと、そしてお祖母ちゃんの五人家族だった。
お祖母ちゃんが生きていた時のことは今でも忘れないし、楽しかったと思ってる。まあ、今でも十分楽しいんだけど。あの時と比べてどっちがいいかなんて考えたことはない。
お祖母ちゃんが死んでしまう前も、死んでしまった後も、大事な、あたしの思い出だ。
……て、なんであたしはこんなに感傷的になってるんだっけ?
「あれ、リン?」
声をかけられたのは、その時だった。
あたしに声をかけてきたのは、あたしのよく知る少年だった。学校では、あたしと、リュウトと、そして彼と三人でつるんでいることが多い。
ブラウン色の髪と、顔立ちはやや彫りが深い作り。実家は、ラスパーナ王国の方にあって、あちらでは有名な名家なんだとか。彼の名は、テラヴァルト・ドラグラン。あたしたちは、「テラ」の愛称で呼んでいる。
「なんでここにいんの?」
何その言い方。あたしがここにいちゃおかしいって言うの?
反論しようと口を開きかけたが、すぐにその勢いは消えてしまう。正直に答えることにした。
「あたしが、リュウトに……」
「ああ、おまえがデートに誘ったってやつか」
思わぬ不意打ちに、あたしは言葉を詰まらせてしまう。
「な、なな……?」
「オレ、リュウトとクラス同じだし、リュウトには直接でその話聞かされたし、それでなかったとしてもおまえの話題って結構蔓延すんの早いし」
うそーん。それってアリなの?
絶句したあたしを他所に、テラはなるほどと頷いた。勝手に納得された。
「ははーん、それで下見に来たわけだな」
ドヤ顔が本当に苛立たしい。
「まあ、そんなとこ」
「ふむ、てことは、リンの方から告白するわけ?」
「ぶ!?」
なんで、それを……?
まだ告白すると決めたわけじゃないけど……なんでそう思う?
「なんで……」
「逆にそれ以外ないかなーと思っただけなんだが。もしかして違った?」
あっさりと、テラはそう言ってのけた。
……ちょっと待って。告白するってことは、つまりそれは、「あたしはリュウトのことが好き」ってことが前提条件にならないか。そうでなければ「告白」という行為というか、発想には繋がらないわけで、ということは……。
「まだするとは決まってない……」
「あちゃー、すればいいじゃねえか。リンってさ、リュウトのこと好きだろ。異性として」
ああ、やっぱり、テラは知ってたんだ。あたしの、リュウトに対しての気持ちを。
――て、なんであたしはこんなに冷静でいられるんだろう? 普通はもっと取り乱しちゃいそうなのに。
「なんで、そう思うの?」
もうわかってはいたけど、あたしは確証を探ってみた。なんとなく、恥ずかしくなってきた。
「? 逆に訊くが、リンは俺が知らないと思ってたのか?」
……とても、恥ずかしくなった。じゃあ何? テラの口ぶりからすると、バレバレだったって聞こえるんだけど。
「……いつから気付いてたの?」
恐る恐るで、訊ねた。
「んー、いつからだろ? 覚えてねえな。気付いたらもう知ってた、て感じかな」
ひゃー。顔から火を噴きそうだった。
「それ、テラしか知らないとか?」
学校のみんなが知ってたりしたら、それこそもうこれから先、学校に登校できない。
あたしの希望を、しかし、テラは無情にも切り捨てた。
「いや、少なくともオレらの学年では知ってる奴多いと思うぜ」
今度こそ、絶対に顔から火が出たと思う。どうしよう。もう、学校に行けない。クラスのみんなと顔を合わせられない。
「いちいち反応が面白いよなー、リンって」
他人事だと思って。一体あたしがどれだけ悩んでいるのか、テラは知っているんだろうか。多分、知らないんだろうなあ。所詮は他人事なんだし。
「で、告白する? しない? どっちなんだ?」
本当に楽しそうに笑って、テラは訊いてきた。少しデリカシーに欠けてると思う。思い出してみればリュウトだって時々デリカシーに欠けていた。
そうか、男ってのはみんなデリカシーって言葉がないんだ。
だからいつも、女の子の方が苦労するんだ。
あたしの沈黙をどう受け取ったのか、テラの表情がきょとんとする。あたしたち三人の中でも、テラは特に表情豊かな方だ。時々、疲れないのかと思うくらいの喜怒哀楽さだ。リュウトは反転、そんなに表情に波がある方ではないが。
溜め息をついて、あたしはテラの質問に答えることにした。
「まだ決まってないって言ってるでしょ。それを決めるために、とりあえず見に来たんだから」
でも、多分……。この下見が終わっても、あたしは告白するか否か、結論を出せないだろうなあ。だってこれ、ものすごく難しいんだもの。
「なんで?」
その考えをちらりとテラに話した反応が、これだ。なんで? じゃない! 告白するには、相応の勇気が要る。気軽に「好きだ」なんて言を言うナンパ男とかには、決して理解できない心理だろう。テラの場合は……恋愛的に、人を本気で好きになったことがないからわからないんだろう。さすがに、彼が尻軽な軽い性格のチャラ男でないことは、長い長い付き合いの中で、十二分に理解している。というか、テラがそんなナンパ男だったりしたら笑えてしまう。
「自信がないとかか?」
しばらく黙秘権を使ったあたしに、テラは質問を微妙に変えてきた。
……まあ、遠からず当たっては、いるかな。あたしは、渋々といった風に頷いた。
「ふーん。何事もやってみなきゃわかんないと思うぜ」
驚くほど正論だとは思うが、あたしにはなんだか投げやりで無責任な解決法に聞こえた。何を解決するのかは、イマイチわからなかったけど。
「でも……」
「めんどくさいなー」
めんどくさいって、別にあたしはテラに相談してるわけじゃない。そっちが勝手に介入してきたのに、あたしの悩みをめんどくさいの一言って、なんて勝手な言い種なんだ。面倒くさいのは、一体どっちだ。
あたしは、テラに向けている視線がキツくなるのが、自分でもわかった。
気圧されたのか、テラは降参するように両手を軽く上げた。ただし、口元は薄い笑みを浮かべている。
「わかった。からかって悪かったよ」
素直に謝られたので、あたしは視線を逸らす。こういう他人に対して踏み込んでいることを自分から謝れるところは、やはりテラの長所だと思う。リュウトは、指摘しない限り謝らないし、場合によっては謝らない時だってある。その点で言えば、テラはリュウトと違うだろう。もっとも、そもそもの話において、どちらももっとデリカシーを持てばいいだけの話なのだが。
「そうだな、ちょうどいい。リン、ちょっと付き合え」
テラは、自分の後ろを親指で示す。
付き合え、というのが交際云々の意味ではなく、単について来いという意味だというのは、説明を入れなくても明瞭だろう。
「どこ行くの?」
というあたしの訝しみに満ちた問いに、テラは踵を返しながら答えた。
「『アイソレーション』ていう店」
知らない名前だ。だが、できれば見るだけに留めておきたい、というのがあたしの気持ちだった。例え本番で訪れる機会がなかろうと、下見段階のこの瞬間に利用するのは、表現できない無意識的な敗北感に繋がる気がした。
しかし同時に、何をする店なのだろう、という疑問も生まれた。「店」というからには、アトラクションの類いではないと思うけど……。
首を傾げたかったあたしより先に、テラは補足する。
「占いの店だよ」
占いの館「アイソレーション」は、思っていたよりずっと小さな店だった。人気アトラクションが集結しているエリアに、こじんまりと小さく構えられていて、近寄りがたい雰囲気を放つ装飾だった。中に入ってみても、その雰囲気は変わらない。いや、むしろ明確に、来店者を拒絶しているようにも感じられた。
「ばあさん、客連れてきたぜ」
テラはこの店の店員と知り合いなのか、入った途端の第一声がこれだった。「アイソレーション」には、従業員は一人としていない。あたしはこの店に入ってすぐに、そんな簡単な事実を知った。
店の内部は薄暗い照明のみで、壁も、紫色中心のカーテンがかけられていて気味が悪い。
その空間のお奥に一人、いかにも占い師なイメージの女性が、すぐ前に置いたテーブルに肘をつき、手を組んで椅子に座っていた。
「ここで占いやってる、イソラってばあさん」
テラが、簡単に彼女を紹介する。
「こ、こんにちは……」
あたしは、軽く頭を下げた。
イソラなる占い師は、手を組んだままで、頭を少しだけ下げた。黒いヴェールがついたこれまた真っ黒な帽子を被っているため、表情まではわからない。彼女自身、俯き気味だったせいもある。
「恋人かい?」
年を重ねたような低い声音が、あたしたちの前から聞こえてきた。
占い師が顔を上げた。黒のヴェール越しに、口紅を塗られた唇がニヤリと曲がった。イソラさんは、とても優しそうな顔つきの女性だった。
「ちげーよ。友達」
そう言って、テラはずかずかと店内を歩いていった。洒落た紫のテーブルを挟んで、イソラさんと向き合う。あたしも一瞬遅れて、テラの後を追った。
「占ってほしいんだけど」
「そうかい。えっと……その子をかい?」
イソラさんは、組んでいた手をほどき、あたしを指差した。
「そうだよ。オレを占ってどうすんのさ。今悩んでんだとよ。これ以上ないくらいの、占いの出番じゃねえか」
あっけらかんと、テラは言う。
「わかったわよ。あなた、前に来て」
イソラさんが、手招きしてくる。あたしは、恐る恐るとイソラさんの前に出た。テラが横に退いて、一対一でイソラさんと対峙する。
途端に、濃厚な線香の臭いがあたしの鼻孔をくすぐった。表情をしかめたあたしに、イソラさんは何気なく横方を指差している。視線を転じてみると、並んだ棚の上に置かれているいくつもの壺から、紫やら茶色の煙が立ち上っていた。
ぼんやりと、頭の中がとろけるような感覚がしてきた。あの煙には、催眠効果があるのだろうか。
「手を出して」
あたしは、言われたとおり静かに右手を出した。
思ったよりシワの多いイソラさんの両手が、あたしの右手を包み込んだ。
「うん、うん、いい相じゃないか。あんた、恵まれてるね」
掌を撫でたり、軽く押してみたりしながら、イソラさんは静かな口調で言う。ヴェール越しでも、彼女が目を細めているのがわかった。
「で、何に悩んでいるんだい?」
いきなり核心を突かれて、あたしの心はどきりと唸った。多分、現実的にも半歩ほど足を引いていると思う。
「えっと、その…………」
あたしは、寸でのところで戸惑ってしまった。ただ一言、「恋愛のことについて……」と言えばいいことなのに。
なんと、助け船はテラが出してくれた。
「好きな奴がいるけど、自信がなくて告白できないんだとさ」
あまりにも大雑把な説明だったが。イソラさんは、「おや」と一言呟いた。
「なるほど、恋愛運かい。ふむふむ……」
そうして、イソラさんとあたしの手相の睨めっこが再開した。イソラさんは、今度は手のシワを指でなぞったりしてきた。とてもくすぐったい。
正確な時間はわからないが、しばらくの間はソレが続き、やがて、イソラさんは顔を上げてあたしと視線を合わせた。
「ようし、わかった……。えっと、恋愛運だったね。うん」
イソラさんは、あたしの右手を解放した。手を組み直し、瞑想するように目を瞑る。
あたしは、自分の心臓が次第に鼓動を速めていくのを感じた。
「そうさね、近いうちに、あんたには恋仲になる人が、できる」
静かに、イソラさんは告げた。あたしは最初、言われた意味がわからなかった。徐々に、占い師の言ったことが意識の奥に浸透していき、あたしは全身に痺れるような感覚を覚えた。
「それって……」
「うーんと、黒髪で、シドー系かね。背丈は、あんたよりは高いな。同じ学校、か……?」
あたしの胸は、本格的に弾み始めていた。黒髪、同じ学校、でもシドー系…………。それは、リュウトの特徴と多々一致する。
テラの方を振り返る。腕を組み、薄い笑いを浮かべていた。「ほらな」と言っているように見えるその表情は、普段であれば軽い苛立ちを覚える笑いだった。
あたしは、イソラさんへ視線を戻すが、しばらくは焦点が合わなかった。
予言でもなんでもない、単なる占いでも、リュウトと恋人になれるかもしれないと思うと、落ち着かなかった。
どうやって帰ったのかさえ、あまり覚えてはいなかった。どうも記憶がまばらだ。ある意味、あたしの精神は相当なダメージを受けているのだから、それも致し方ないか。
気が付くと、あたしは自宅の通りにいた。道路の真ん中にポツンと立っていて、あたしは慌てて道の脇に退いた。
幸い、車の類いは通っていない。もし正気に戻るのがもっと遅かったら、そして運悪く車が走ってきていたら……。確率的には低い「もしも話」だが、ぞっとする。
家のドアの前まで来て、あたしは急に、何かに怖じ気づいてしまった。
なんで、自分の家なのに入るのに躊躇わなくっちゃだめなの?
あたしは、答えを探してみた。思い当たったのは、やはりお姉ちゃんが言ったことだった。
……最終的に決めるのはあたし……
あたしは、まだ決めていない。決意がついていない。だから、お姉ちゃんと顔を会わせることに戸惑いを覚えているんだ。あたしがプースランドに下見に行ったことは、お姉ちゃんはもう知っているだろうし。
……ああもう!
なんだってこんな、なんであたしがお姉ちゃんに気後れしないといけないの。
これは、あたしの問題なんじゃないの?
だったら、なんだって…………ええい!
バンッ、と大きな音をたてて、あたしはドアを開けた。さすがに音は大きすぎたと、後になって後悔の念が生まれてくる。でも、今のあたしには、そんなことに止まっている暇はなかった。こうきうのは、勢いが大切なのだ。
「リン、どうしたのよ?」
慌てた様子で、お姉ちゃんがリビングから顔だけを出した。
「お姉ちゃん、あたし、決めた」
あたしは、そこで一旦大きく息を吸い込んだ。これから言おうとしていることに、最後の戸惑いが現れていた。でも、あたしはもう止まらない。
「あたし、リュウトに好きだって言う」
……言った。言ってしまった。もう後には戻れない。でも……、言ったからには妥協したりせずに実行する。
そんな決意を固めたあたしだったが、お姉ちゃんはぽかんとした表情だった。
「お、……おお…………おおぉ………………!」
時間の経過と共に、意味を理解してきたらしい。
反応、薄くない?
あたしは若干の呆れを滲ませてお姉ちゃんを睨んだ。こんな反応なら、決意しなくてもよかったんじゃ…………いや、ない。なんでお姉ちゃんのために決意したみたいになってるの。これは、あたしのためなんだから。
あたしは、また大きく息を吸い込んだ。
固めた決意を撤回するつもりは、もうなかった。




