2,回想:ユメ
今回の章は、リンの一人称視点が中心になります。
◇
――あたしには、好きな人がいる。
彼は、あたしの気持ちに気付いているだろうか。
最初に彼を好きになったのは、一体いつの時だっただろうか。
最初は、むしろ嫌いだった。
仕方ないことだとは思うけど、当時のあたしは彼に対して憎しみを燃やしていたから。あたしの姉は、彼のせいで祖母が死んでしまったと言っていた。当時ろくなこともわからず、またお祖母ちゃんを失った悲しみもあり、あたしはお姉ちゃんの話を鵜呑みにしてしまった。
結局、あたしが憎悪を向けたのは、とんだお門違いな相手だった。彼にはなんの非も責任もなかった。全て、あたしたちの一方的な逆恨みなのだ。
そんな彼は、あたしやお姉ちゃんに嫌な思いをさせられたにもかかわらず、あたしたちに何も文句を言ってこなかった。
お姉ちゃんの憎しみが、単なる八つ当たり以下に過ぎなかったというのを知った時は、心底生きた心地がしなかったものだ。彼や、あたしたちが本当の意味で恨んでいた彼の弟に、とても申し訳なく思った。それなのに、彼はあたしたちを責めなかった。むしろ、友人になってくれた時には、夢でも見ているような気になったものだ。
思えば、あの時が彼を意識し始めた瞬間じゃないだろうか。
我ながら、よくもまあこの想いを八年間も維持してこれたと思う。それだけこの感情は強いということだろう。
しかし、最近思うのだ。
あの時彼があたしたちを許したのは、もしかすると彼が優しいからではなく、彼があたしたちに欠片の興味も抱かなかったからではないのか、と。そう考えるほどの強い孤独を、時々あたしは彼から感じるのだ。そう思うと、とても寂しい。
話を戻そう。
彼には弟が一人いる。とても優秀で、あたしたちが住んでいるこのジビロン国内だけでもかなりの有名人だ。「カワキの神子」と問えば、万人が頭の中に思い浮かべるくらいの有名度なのだ。その有名度に釣られて、兄である彼もある意味有名になっている。
弟に比べて、一歩も二歩以上も劣る「怠け者」と。彼は嘲笑の的にされていた。
別に、彼が弟に劣っていることは紛れもない事実であり、彼自身もそのことはよくわきまえて、いや、もしかすれば他人であるあたしや周囲の人間よりよっぽど理解しているだろう。
けれど、故に彼が落ちこぼれであるというのはいささか間違いだ。
たしかに魔法の才能は優秀とは言い難いが、決して劣等生なわけではない。学校の成績も、標準か、もしくはそれ以上である科目が多い。そりゃあ、苦手な科目もあるようだが、普通の学生ならあったって特に変なわけじゃないのは当たり前だ。
なのに、みんな彼を「怠け者」と罵る。無性に腹立たしい。
彼の弟は、すさまじい天才だ。ある意味、その恨み僻みが全て彼の方に集まっているのだ。弟のせいで本来は不要な嘲りを受け、にもかかわらず彼は弟と仲がいい。
普通なら弟をいじめてもおかしくないのに。一般の兄弟仲よりずっと強い絆が、二人の間にあるのだ。
しかし、この兄弟仲の良さにも最近疑問に思うことができてきた。もしかすると、彼はそもそも罵られること自体に反発を覚えていないから、あんなにも弟に好意的に接することができるのではないか、と。
「怠け者」
――だからなんだ?
「優秀な弟とは違うな」
――そんなの当り前だろう?
人々の罵りの声に、彼がそう言い返す情景が容易に思い浮かんでしまう。
これは、異常だ。
誰だって自分を他人に認めて貰いたい。これが自分なんだと胸を張りたい。嘲られたり罵られたりというのは、そういった願望を確実に踏みにじられてしまう行為のはずなのに、彼は、これまで不満を漏らしたことなど一度もなかった。
彼には、自分への誇りがないのだろうか。
あたしは時折、彼が怖いと思うことがある。
彼は、あたしたちとは全く異質な、別の生物に思えてしまうことさえあった。もちろん、普段から彼のことを怖がっているわけじゃない。もしも常に彼に対して畏怖を感じていたら、あたしは彼に対する異性の意識から冷めてしまっているだろう。
さて、あたしは彼のことを異性として意識しているが、そうなれば当然、彼があたしのことをどう思っているのか知りたくなってくる。
彼には一度、あたしのあられもない姿を見られている。
あれは、二年前の定期戦での出来事だった。
新人戦で活躍した彼が選手控室に戻ってきて、ちょうどその時、あたしは訳あってユニフォームに着替えている最中だったのだ。更衣室ではなく控え室で着替えたのは、姉からの指示だった。どうせ彼は控え室に戻るだろうから、着替えるのならそっちでやった方が効率がいい、とのことだった。
我ながら、なんとも間抜けな罠に引っ掛かってしまったと思う。おかげで、彼にあたしの下着姿を見られてしまったのだから。もっとも、それを含めて姉は計算していたようなそぶりを見せていた。誠に腹立たしい限りだ。
あたしの痴態を見た彼の反応は、とてもあっさりしていた。あたしが大声で悲鳴を上げる中で、彼は素っ気なくあたしに謝って控え室のドアを閉めた。動揺や焦燥などは、彼は微塵も見せなかった。
同年代の異性の裸を見て、ほとんど無反応に等しい対応だった。正直ショックだった。彼の中では、あたしは異性に見られていないんじゃないかと思ってしまった。
彼は一体、あたしのことをどう思っているのだろう?
ただの友人としてしか見ていないのだろうか? それとも……。
かれこれ八年ほどの付き合いになるが、あたしは未だに、彼のことを深くは知らない。
……そういえば、これはあたしの一方的な憶測ではないのだが、彼は年上の女(女の子も含む)と仲良くなるのがとても上手いと思う。
あたしのお姉ちゃんもそうだった。
お姉ちゃんと彼は八年前、あたしたちがまだ一年生の時に決闘している。結果は、お姉ちゃんの勝ち。だが、あれはほとんど彼の勝利に近かったように思える。ちなみに、当時の彼は六歳、お姉ちゃんは十一歳だった。その後、いろいろあってお姉ちゃんの彼に対する誤解は解けて、お姉ちゃんは彼に対して非常に気まずいことになってしまったのだが、たしか、和解して一週間後には既に今と変わらない関係(年齢差を超えた友人と、彼は表現していた)が成り立っていた。なんてやり手……もとい社交性なのだろう。
普段は全く、人と関わろうとしないくせに。妙なところで、彼は積極的なのだ。
……年上の女といえば、あたしの知る限りではもう一人いた。
あれは、定期戦の新人戦メンバー決めがあった日の帰り道のことだ。彼が、あたしと、もう一人の友人を誘って新人戦選手に決まったあたしたちを祝おうと提案してきたのだった。
三人で話している最中、彼が目の前を横切った女性に声をかけたのだ。
とても綺麗な人だった。
見た目は完全に大人の女性。けれど、若い。多分二十代だったと思う。
聞けば、彼の自宅の隣に住んでいる人らしい。それを聞いて、なんとなくあたしは落ち着かなかった。
……定期戦のことで少し思うことがある。
彼の戦いについてだ。
一年生の時の彼とお姉ちゃんとの決闘は、低年部同士がやるような戦いじゃなかった。あれだけでも十分に、彼が一般より劣っているわけじゃないのはわかった。
二年前の定期戦で、さらにその気持ちが強くなった。
ソージック学園とレタデミーオルドー校との試合。彼は三人の獣族と林ステージにて高度な空中戦を繰り広げた。獣族は一般に常人より身体能力が高い。森の中での狩猟を始めとした生活環境が、彼らを遺伝子のレベルでそうなるように育てたが故だ。
自分より能力の高い相手が三人同時に相手。勝機があるとは、思えなかった。なのに、彼は勝った。足りない身体能力は身体強化の魔法で補って、そして勝ったのだ。
続くラスパーナ学院との試合でも驚かされた。
ラスパーナ選手の一人の魔法により、彼は魔法が使えない状況での戦闘を強いられた。彼の相手をするのは、武術流派を体得した選手だった。その実力は、彼が身体能力をかけて勝った獣族三人相手に、生身で圧倒するほどだ。しかも、三人を下すのにかかった時間も、彼の時より短かった。
そんな相手に、身体強化なしで挑むなど無茶だとあたしは思った。そして、彼と武術流派の相手との対決の結果は、彼の敗北に終わった。
しかし、一方的な試合運びでもなかった。彼は、何やら不思議な尻尾のようなモノを背中あたりから出現させると、それを駆使して武術流派と互角の攻防をしたのだ。後で聞いたところ、尻尾のようなモノは錬気で作りだしたエネルギー体らしい。脱線したが、要は彼は身体強化なしで達人クラスの武術流派と高レベルな戦闘を披露したということだ。
何故そんなにも強いのか。何故錬気なんてものの使い方を知っているのか。錬気は役に立たないエネルギーというのが一般的な見解だ。錬気を使った戦闘術など聞いたことがないのも、そのためだ。
さらに、彼の弟曰く、彼が自主的に鍛錬したことは一度もないらしい。戦闘の訓練なんて受けたこともないはずなのに、あそこまでの戦闘能力は、一体どこから来ているのか。
あたしは今でも、疑問に首を傾げている。
彼があたしのことをどう思っているのか、これはあたしの中で一番に知りたいことだが、他にも知りたいことはある。
例えば、彼は一体どんな女の子が好きなのか、とかだ。
これは、彼のあたしに対する感情と同じくらい重要なことだと思う。
彼の理想とする女性像は一体どんな人なのだろう?
この際、好みの年齢は置いておくとして、せめて彼が魅力を感じる女性の容姿だけでも知りたいところだ。
髪の毛の色や長さ、身長、体型、性格、云々は出来るだけたくさん知りたい。
あたしについての紹介がまだだった。
あたしの名前は、リン。フルネームで、リン・ホルミナという。
身長は、十四歳の今の時点で一五四センチほど。体重は……NGとさせていただく。メルーラ暦2300の一月の二十八の日に生まれた。
学校での成績はいい方だと思う。
とりわけ得意なのは魔法だ。理論も実技も、学年上位に入っている。姉には及ばないのだけれど……。
その他の教科で特に言うことはないが、しいて言えば体育と戦闘実技の授業がやや苦手だろうか。ここでいう苦手とは、勉強ができないとかの苦手ではない。体育も戦闘実技も、必要なだけの成績は取っている。単に、胸が邪魔になることがあるというだけである。あたしは昔から胸の発育がいい方だった。あたしがお姉ちゃんに勝っている数少ない要素のひとつだ。
そういえば彼は、女性の胸に興味はあるのだろうか。
お姉ちゃん曰く「男の子は胸の大きな女の子が好き」らしいが、彼があたしの胸に関心を示したことなど、今まであっただろうか。からかわれたことは何度かあったが、あたしを傷つけるほど悪意があったわけではないし。そう感じるとやはり、あたしは彼を怖く感じることができないわけだ。
あたしは彼のことを知りたい。彼の全てを知ってみたい。
それほど、あたしは彼――リュウト・カワキのことが好きなのだから。
◇
メルーラ暦2314の四月中旬。
昼休み、ソージック学園九年Aクラスの教室にて。
「テーマパーク?」
あたしの前で、椅子に座っていたリュウトは間の抜けた声を出した。
あたしは、ただ頷いた。
「来月に、一緒に、行かない?」
あたしは、勇気を振り絞ってそう言った。テーマパークに行こうと誘った時点からかなりの勇気を絞っていたのだけど。
リュウトは探るような目でしばらくあたしの顔を注意深く見た(あたしは立っていた)。そんなに見つめないでほしい。恥ずかしい上に、これ以上の勇気はさすがに捻りだせない。
「えっと……」
あたしはその場を凌ぐため、曖昧に口を開いた。でも、その先は思い浮かんでこない。
「その、えっと……」
「オッケー」
唐突に、リュウトは言った。あたしは、すぐには反応できなかった。
「……え?」
「だから、オッケーって言ったんだよ。五月のいつに行くのさ?」
……了承してくれたらしい。よかった、と心から安堵の波が押し寄せてきた。
「えっと、五月の初めごろには、行きたいと思ってるけど……」
「わかった。具体的な日付が決まったら教えて」
ちょうどそこで、四時限目開始を告げるチャイムが鳴った。
あたしは慌てて、Aクラスの教室を出た。今年のあたしのクラスはBクラスで、リュウトとはクラスが別なのだ。少し残念だ。
数学の授業が始まって、数学担当の先生の話を聞いて、数式をノートに取って。授業開始から何分くらいが経過しただろうか。ようやく、あたしは自分の体温が上がっていることに気がついた。今更、リュウトがデートを承諾してくれたことに舞い上がっているのだ。
リュウトとのやり取りを実感するのにこんなに時間がかかるとは、デートを申し込んだ時はあんなに緊張したのに。リュウトがあんなにもあっさりした風で答えるから、言葉の意味を呑みこむのに時間がかかってしまったじゃないか。
しかし、あんなにもあっさりした様子、デートを誘った時も特に動揺したりもしなかったし、やはり彼はあたしのことを異性ではなく友達として見ているのだろうか?
いや、それだったとしてももう少しリアクションがあってもいいと思う。こう、「お前のことは友達としてしか見てなかったから驚いた」みたいな。上手く表現できないが……。
肝が据わっているというか、どんなことに対しても動揺が少ないのはリュウトのいいところだとは思うが、こういう時には、もっとわかりやすくしてほしいものだ。
あたしは、先生の話も聞かずに一人自分の世界に入っていった。
当然、それ以降の授業内容の記憶は、一切覚えていなかった。
放課後。
あたしはお姉ちゃんと一緒に帰路についていた。
お姉ちゃんは今年で十四年生。年齢にすると十九歳だ。
あたしより約十センチほどは高い身長と、あたしと同じ赤い長髪。胸のサイズは既にあたしの方が勝ってはいるのだが、それがどうしたと言わんばかりに、お姉ちゃんはあたしより魅力的な女性なのだ。
お姉ちゃんが言うところによれば、あたしの胸が羨ましいとのことだったが、総合的に勝っているんだから慰めにしか聞こえなかった。身長も、成績も姉の方が上。これ以上、あたしのアイデンティティを奪わないでほしい。
「やったじゃない、リン。やっとリュウトくんとデートね」
あたしの報告に、お姉ちゃんはまず労いの言葉をかけてくれた。
が、しかし、少し引っかかる。「やっと」って何? あたしが一体どれだけの勇気を振り絞ったと思ってるんだ。お姉ちゃんは、今まで本気で人を好きになったことがないじゃないか。
あたしが知る限りでは、少なくともお姉ちゃんは学校の男子どもから人気を集めているが、恋愛関係なんて全く耳にしたことはない。恋愛経験なんてないくせに、上から目線で余計な一言を言わないでほしい。
だいたい、初めて会った時にあたしがリュウトを嫌っていたのだって、お姉ちゃんのせいじゃないか。
と、一瞬であたしはそこまで考えたが、素直に言ってしまうと今後の姉妹関係に亀裂が入ってしまうこと間違いなしなので、心の中だけに留めた。
「……うん」
返事を返すまでに不自然に間が入ってしまったが、疑問に思われないことを祈ろう。
「ね、リュウトくん、どんな顔してた? 慌ててたかしら?」
嬉々とした表情で、あたしの姉は喰いついてきた。
他人のコイバナほど面白い話はない、と以前にリュウトが言っていた気がするが、あれは本当らしい。鬱陶しいくらいだ。今後、お姉ちゃんが恋に悩むような機会があったら、あたしも無神経に質問攻めにしてやろうか。
……こんなことを考えてる時じゃなかった。
「別に、ただオッケーって言っただけだったよ」
「それだけ? 反応薄くないかしら? こんなに可愛い女の子からデートに誘ってもらったのに」
そのことはあたしも少し気になってるんだから、あまり蒸し返さないでほしい。
それと、こんなに可愛いって、お姉ちゃんが言ってもあたしには嫌味にしか聞こえない。
あたしは、整った姉の顔を軽く睨んだ。
「何?」
「……なんでもない」
ぷい、とそっぽを向いた。
理不尽だ、と本気で思った。
「まあいいけど、どんな感じにしようと思ってるの?」
「へ?」
頓狂な調子で言ってしまったのは、お姉ちゃんの声音が予想外に真剣だったからだ。
「どんな、って?」
「そのままの意味。もしかして、ただ遊びに行って、てきとうに遊んで、そして帰るってつもりじゃないでしょうね?」
お姉ちゃんは立ち止まった。あたしも立ち止まる。
――てきとうに遊ぶって、てきとうにやるつもりじゃないんだけど。
「……わかってるの?」
「何が?」
お姉ちゃんの言うことがわからずに、あたしは首を傾げた。
「何がって……リン、あなた何のためにリュウトくんをデートに誘ったの?」
何のため?
そんなの決まってる。あたしがリュウトのことが好きだからだ。それでリュウトとの距離が縮んだりしないかと思って、思い切って誘ってみたのだ。
……あっ、もしかして。
「告白――しないの?」
…………やっぱり。
お姉ちゃんは眉根を寄せながら、恐る恐るといった調子で訊ねてきた。
今更そんなことに気付いて、あたしは何も言えなくなった。多分、顔は真っ赤だろう。
お姉ちゃんの溜め息の音が聞こえる。
「リン、前にも言ったことがあるけど」
お姉ちゃんはこめかみを指で押さえる仕草をした。あたしにとっては非常に苛立つ仕草だ。普段のあたしであれば、だが。
「今はまだ友達って関係が続いてるけど、場合によってはずっとこのままってこともあるのよ? わかってる? リンがリュウトくんと友達のまま、リュウトくんに恋人ができちゃったりしたら、リンはそれでいいの?」
追撃があたしの心を沈めにかかってきた。
「それは……」
「リン、告白するの?」
お姉ちゃんはたたみかけるように訊ねてくる。
あたしは答えに詰まってしまった。
「それ、は……」
「リン、どうするの? 最終的に決めるのはあなただけど」
お姉ちゃんは、特に強制したりはしてこない。それが余計に、あたしを追い詰める。
黙り込んだあたしに、お姉ちゃんは大きく息を吐いて、手をひらひらと振った。口撃はもうしてこないという意思表示だろう。
「うむむ……」
あたしは、やはり何も言えずに口ごもってしまう。なんだか、情けない気分になってしまう。
なんとなく釈然としないまま、あたしたちは帰路についた。
その最中、当然あたしとお姉ちゃんの間に、会話はなかった。




