12,災厄――ヘルヘイム
――キャノンタイプのKr兵器。
銃口から発射されたのは、エネルギーの巨大な塊だった。
大砲の弾めいた一発が、カリン目がけて飛来する。
カリンは迅速に反応した。
命中すればひとたまりもないであろう光の砲丸を身体を逸らすことで避け、リミアンに向かって疾走する。右腕のブレードでリミアンの細い身体を薙げば、それだけでこの掃除を完了することができるのだから。
しかし、カリンが駆けようと踏み込んだ時には、リミアンは既に第二射を撃っていた。
先ほどの大砲とは違い、無数の弾幕がカリンの前に迫る。
「――っち」
舌打ちを漏らし、カリンはあえなく疾走を中断した。
迫るエネルギー弾の雨を、右腕のブレードを使って弾き裁いていく。
大砲のような一発ならば、ここで戸惑いなく回避を選択していた。
一発一発の威力を犠牲に、とにかく対象に命中させることを意識した連射タイプの射撃だからこその選択だったのだろう。
無論、威力を犠牲にしたからといっても、リミアンが手にしているのはKr兵器だ。カリンが無抵抗で立っていれば、たちどころに蜂の巣では済まないような状態になるだろう。
弾幕が止む。
しかし、カリンは無策に攻めなかった。
逆に、後方へのステップバックでリミアンから距離を置いた。
「…………」
油断なく、リミアンは銃口をカリンへ合わせる。
この怪物の意図が知れない。
「……接近は不利だな」
カリンの声が、遠くに聞こえた。実際、三〇メートルと言う物理的な遠さがあるのだが、リミアンの集中力が普段の臨界点を突破したのか、聞き取ることができた。
「近接型の羽骨じゃ、相性が悪いか……」
「羽、骨……?」
聞き慣れない単語に、リミアンが眉間を狭くする。
カリンは、すっと目を細める。
右腕を覆っていたブレードが、錆びた鉄のようにぼろぼろと崩れていく。
「羽骨を見るのは初めてかしら? レオをやった時は、こいつで切り裂いたはずなのだけど……」
首を、傾げる。
「羽骨、知らないの?」
「……羽骨……?」
片目を細め、リミアンは再度疑問の声を出す。
「そう、本当は翼を作るために展開する骨組。まあ、こんな使い方も、あるってこと」
カリンの背後から、黒く細長い触手が八本出現する。
触手の形状が、どんどんと角々として、節くれだっていき、カリンはまるで背中から巨大で鋭利な蜘蛛めいた足を生やしたようなフォルムになった。
「羽骨は、生成器官を有するアドロム細胞によって生成される。使徒が唯一、真祖に勝る才能……」
「使徒? 真祖?」
リミアンには、わからない単語だらけだった。
「使徒も、真祖も知らないか……。この際だから、少し教えてあげる。使徒っていうのはね……」
蜘蛛の足めいた八本の触手の爪先が、リミアンを向く。
「真祖に人間を奪われた、哀れな奴隷のことよ!」
三〇メートルという間合いを無視して、蜘蛛の足の一本がリミアンに伸びる。
反射的に、リミアンは引き金を引いた。
無数の弾幕が復活し、蜘蛛の足を弾く。
同時に、その奥にいるカリンに迫る――が、これは避けられてしまった。弾幕がカリンのいた地点を覆った瞬間には、白い少女は既に十メートルほど横方にいた。
リミアンは、弾幕が弾いた羽骨なるモノを見た。
黒く、そして鋭い鉤爪状になった先端をした、節足動物の足のようなカタチ。あれだけの弾幕を浴びながら、その漆黒のボディには損傷が認められなかった。
――堅い。
「……――――!?」
突然、リミアンは思い出す。
そうだ、今日の警備は安全委員の職員だけじゃない。ヘルヘイム迎撃のための警備に、強力な警備兵を設置したではないか。
「セクトピアンは? セクトピアンはどこに行ったの!?」
カーカスカブトを模したフォルムの、現段階では最強と言われる警備システム。
あれが何機かここにいれば、カリンとて苦戦は免れないはずだ。
――なのに、周囲を見回しても、シルバー色の装甲を纏った、巨大なカブトムシはどこにも見られなかった。
「セクトピアンは……?」
「セクトピアン?」
カリンが、声を漏らした。
その声で、リミアンはカリンから意識がそれていたことに気付いた。戦闘中に敵から意識を逸らすのは自滅行為だ。
しかし、
「あの、でっかい虫みたいな機械のこと……?」
カリンが、首を傾げる。どうやら、カリンの意識もリミアンから逸れていたようだ。だが、カリンの方は単純に余裕からの行為だろう。
カリンに意識を集中しながら、リミアンはまさかと思った。
まさか、既に破壊しているというのか――。
「……リリは仕事が早いのね…………。あの警備についていた虫なら、もう動かない」
「くっ」と、悔しそうな声が漏れた。
純粋に撃破したのか、それともハッキングしたのか。どちらにしてもセクトピアンが稼働していないのは痛い。
「……こっちもそろそろ決めないとやばいかな」
カリンが、そんな言をこぼした。
節足めいた羽骨が動く。
八本の内の六本が、リミアン目がけて突き出される。風を切る六本の羽骨は、長さだけが異常に伸びた風だった。
連射では弾ききれない。
ならば、あの羽骨を避けながら、本体に一発を撃つまでだ。――やはり集中力が向上しているのか、リミアンの決断は早かった。
銃身部分に取り付けられてるダイヤルを回す。弾丸の形状を、連射式から、貫通性の弾に変え、リロードを行う。
ここまででかかった時間は、わずか半秒。
リミアンは、横に走った。その後を追うように、羽骨が地面を穿っていく。羽骨に追いつかれないよう足に鞭を打ちながら、リミアンは片手で持って引き金を引いた。
貫通性重視のエネルギー弾は、ひゅっ、と風を唸らせてカリン目がけて一直線に向かっていった。
カリンの表情が、一瞬強張る。
光が弾けた。
エネルギーの弾丸は、カリンの右肩に命中し、肩から先を吹き飛ばした。
「……ぐ」
千切れた肩から、鮮血が湧き出る。水道の蛇口のふたを開け放したかのように。
やった、とリミアンの中に油断が生まれる。
そのせいで、回避が甘くなる。
脇腹を、羽骨がかすった。
熱い感触が生まれた。鋭利すぎる痛みなのか、痛覚が正常に働かない。
嫌な感触を振りきって、リミアンは跳んだ。直後に羽骨がその場を抉る。しかし、以降の追撃はなかった。
そこで、リミアンはカリンを見る。
肩を押さえたカリンは、苦しそうに息を荒げていた。白いローブの生地が、鮮血の紅に濡れていく。
その瞬間、驚くべきことが起こった。
飛ばされた肩から、骨が突き出たのだ。
骨はどんどんと肩から出ていく。いや、欠損した骨格部分が新たに形成されていってるのだ。それに合わせて、肉も盛り上がり、骨を覆っていく。骨を覆った肉が、腕の形を取る。皮膚のついていない、筋肉が剥き出しの右腕が再生される。
カリンの息が、さらに荒くなる。
再生された自身の腕を睨む。
「あっ、はあ、……遅い。やっぱり、もう余裕が……」
羽骨が三本、崩れるように散っていく。さらに続くように二本が。
なんとか形状を維持できた三本の羽骨が、全てリミアンに向けられた。
だが――何故か、リミアンはこの状況を好機と捉えた。
そう直感した。
銃口を、カリンに向ける。
弾丸のタイプは変えず、そのままに引き金を引く。
光が瞬いた。
高速の弾丸が、カリンを貫かんと唸る。
カリンが、弾丸との間に羽骨を滑らせる。
三本の羽骨の防御は、しかし貫通弾の貫通性には及ばなかった。漆黒に煌めくボディを立て続きに貫き、カリンの左胸を穿つ。
「が………………は?」
真っ赤な血が、カリンの口から吐き出される。
貫通弾が穿った左胸からは、さらに真っ赤な血が流れ出ていた。
「あっ、ああ、はあ、……あ」
カリンの呼吸の間隔が狭くなる。
左胸の傷が再生する様子は、ない。
やった、という確かな感触を感じた。こんどこそ、決定的な一撃を見舞うことができた。
だが、一時の興奮はすぐに鎮静した。
大量の吐血をするカリンの目が、未だギラギラとリミアンを睨んでいる。
おそらくは、心臓の大部分を抉ったであろう位置を撃ち抜かれてなお、カリンの目に死の気配はなかった。
「なんて、しぶとい……」
リミアンが吐き捨てるように言った。
カリンが、血を吐きながら睨んでくる。左胸の穴は、まだ塞がっていない。
何故、傷が再生しないのか――その理由を疑問に思ったが、リミアンは深くは考えないことにした。
ダイヤルを回して、貫通型から大砲型へと切り替える。リロードする。
バズーカめいた筒を構える。
後は、引き金を引くだけ。
――引いた。
わずかなラグをおいて、大砲めいたエネルギーの塊が発射された。弾丸のように回転しながら、カリンに迫る。
エネルギー弾が、カリンを呑みこむ。それで終わる――――
――はずだった。
エネルギーの砲弾が、弾けた。
リミアンは見た。
霧散していくエネルギーを浴びながら、黒髪の男が立っているのを。
黒い外套で、顔立ちはもしかするとまだ少年なと言ってもいいかもしれない。
「あ、あっ……“死、神”?」
カリンが、声を絞る。
黒ずくめの青年は、言った。
「ずらかるぞ、カリン。あっちはもう終わるみたいだからな」
◇
柄にもなく苦戦していたカリンに、告げる。
ちらりと見れば、カリンの状態は予想以上に悪かったらしい。
右腕が筋肉剥き出しの状態なのは、再生の途中と見るべきか。
抉られている左胸の穴は、再生する様子がなく、そこから今もなおどす黒い鮮血が溢れている。
右腕の再生に一杯で、胸の修復にエネルギーを割けないからだと、すぐに思いいたる
その上で、羽骨の生成。カリンに使徒として備わっている生成器官が、もはや限界だということだ。
これだけの数を一掃した直後の連戦ならば、不思議なことでもないが。
「“死神”、……なんで、ここに……? ごふっ」
カリンは深紅の飛沫を吐きだした。
「計画変更は知ってるだろ? 何も、変なことじゃないさ」
簡易にそう告げてやるが、実際青年がここに来るのは、最初から決まっていたことだった。
ただ、それを知る者が青年と、青年に指示した者の二名しかいなかったというだけで。
「俺たちがここにいる理由はもうない。さっさと撤収するぞ」
「っあ、ぐっ、……ああ」
立ち上がろうとするが、今のカリンの状態では無理だ。
受け身も取らず、カリンは倒れ込んだ。
「……やれやれだな。言っておくが俺を吸血しても無駄だからな。かえって使徒の力を失うことになるからな」
青年は、手を貸したりはしない。女性に優しくする騎士道精神など、青年にはなかった。
青年が、視線を前方に戻す。
リミアンが、こちらにKr兵器を向けながら、油断なく睨んでいる。
「キャノンタイプ……量産型か。補佐役がカリンを追い詰めた、という見方でいいのかな? カリン、お前、一体どんな奴に苦戦してるんだ?」
莫迦にしたような青年の声が鳴る。
「うぐっ……」
「まあ、いいさ」
青年は、もともとカリンをからかう気すらなかった。
――もう、逃げるだけなのだから。仲間の不始末など知ったことではない。
「ま、待て!」
リミアンの叫びが響く。
キャノンタイプのKr兵器から、エネルギーの巨塊が発射された。
おそらく、青年たちが逃げてしまうと悟り、とっさに引き金を絞ったのだろう。
当たればひとたまりもないはずの威力を前に、青年の表情に焦りはなかった。
右手を前方へ掲げる。
――素手で、迫りくるエネルギーの砲弾を薙ぎ払った。
圧縮されていたエネルギーが霧散する。
散っていくエネルギーの粒子の向こうで、リミアンの驚愕した顔があった。あれだけの威力を防いでなお、青年の右腕に負傷はなかったのだから。
「そ、んな……」
呆然と、リミアンは青年を見た。信じられないものを見るような目は、恐怖すら覗えた。
青年が動いた。
前傾の姿勢で、リミアンとの距離を〇にする。三〇メートルという間合いは、青年の身体能力を持ってすればないも同然である。
右腕が上げられる。振り下ろされる速度は、まさに音速の域に達していた。
拳が捕えたのは、リミアンが抱えているKr兵器だ。
拳骨が、バズーカの銃身を一瞬でねじ曲げる。リミアンの手から叩き落とすでもなく、もともと青年とリミアンとで腕力には大きな差があったにもかかわらず、リミアンの手の中で、Kr兵器の形を歪曲する。
あまりの重圧に、リミアンはKr兵器から手を離した。青年の蹴りが、その直後に腹を襲った。
一瞬で、リミアンは後方へと飛ばされていく。
バズーカ砲じみた筒は、地面に打ちつけられ、大きくバウンドして青年の手がそれをキャッチする。
「なるほど、量産型でも性能は高いんだな。曲がるだけで済むか。意外と、堅いんだな」
拉げた筒を掴んで、青年は言う。その手に力が込められる。Kr兵器が、あっさりと握りつぶされた。
「さて、行くぞ、カリン。血ならそこら辺に転がってる死体からでも吸えばいいだろう」
吐き捨て、青年はカリンの方を見た。
カリンは頷くと、近くにあった安全委員職員の身体に、左手で作った手刀を突き入れた。
「行くぞ」
カリンの所まで歩いていき、青年は再度言った。
「……ええ」
カリンが立ち上がる。そこに、先ほどまでの苦痛はなかった。死後間もない死体から新鮮な血液を吸い、充分なエネルギーを補給した故だ。
筋肉が剥き出しだった右腕に、皮膚が生成されていく。左胸の穴も、同時に塞がっていったようだ。
「ヨミの方は……?」
「言ったろう。もうすぐ終わりそうだと。ま、あっちはベルスが行くらしいから問題はないだろ」
「ボスが……」
「そうだ。とっとと行くぞ」
そう言って、死神と呼ばれた青年と白い生地を真っ赤に染めたカリンは去っていった。
◇
黒装束の少女が、ゆっくりとした動作で左目を覆う眼帯をずらした。
ルークとクラザが、ぎょっと身を強張らせる。
露わになった左目は、かたく閉じられていた。
「さーて、赤眼はあまり使うなって言われているのだけど……」
左目の瞼が、持ち上がっていく。
開眼した左の瞳は、濁りのない赤色の赤だった。
その赤を見た瞬間、ルークとクラザは本能的な恐怖を感じた。
「これ、は……」
「や……ば、い」
右の黒瞳と、左の赤眼。左右で違うヨミの双眸が、ルークとクラザを容赦なく睨み見る。
ヨミの顔が歪んだ。
狂喜の笑みに、恍惚とした色が現われる。
二人はその光景を見て…………ぞっと、した。
――ヨミの姿が消えた。
予備動作も何もない、ただの消失と思ってしまうほどあっさりと、二人の強化された視力から消え失せた。
その時、ルークは本能的に予感して、巨槍を前に掲げていた。
ヨミの姿が現れる。ルークの前方一メートルの間合い。
両手を大きく上方に振り上げた姿勢。まるで、何かを掴んでいるかのような――。
振り下ろされた。
音速に匹敵する速度で振り下ろされたヨミの両手に握られているモノと、掲げたニグルの槍身が甲高い音を立てて激突する。
ヨミが握っていたのは、無骨な形をした棒だった。いや、反りのある造りと片刃の形状から察するに無骨な刀といったところだろうか。
拮抗は一瞬。制したのは、ヨミの方。
ニグルの巨大な槍身が、柄の根元部分から断ち切られる。
刀の刃はそのままルークの左肩を通過し、ルークから左腕の感覚が消失する。
「ぐ、あ――――!」
ルークの体が吹き飛ばされる。
一刀の威力によるものではなく、一刀が生み出した衝撃波によるものだ。
地面を転がったルークは、ニグルを杖代わりにして体勢を立て直した。
ヨミを視界に収める。
無骨な刀を垂らしながら、ヨミは笑っていた。
「ルーク!」
クラザが駆け寄ってくる。
「クラザ、……ヨミの動き、速くなってる」
左腕が飛ばされたのをものともせず、ルークは戦慄したような響きで言った。
「ああ……」
クラザもヨミを凝視する。
「あの赤い目と関係あるのかな……?」
「……魔眼ってやつか」
「いや、どうだろう。単に両目で見れるようになったからってだけかもしれないし……」
ルークの声に、力はなかった。
「どっちにしても、さっきまでのようにはいかないね。ありゃあホンモノのバケモンだよ」
改めて、ルークは引きつった笑みを浮かべる。
目の前の黒装束の少女と自分たちとで、次元そのものが違うと改めて自覚させられた。あんな怪物は、倒しようがない。
ヨミが、こちらを睨んだ。濁りのない赤色の螺旋が向けられる。本能的な恐怖は、何倍もの緊張感となって表れた。
「来る!」
まさに、その瞬間。
ヨミの姿が、また音速の世界に消えた。
ルークとクラザが、同時に飛び退く。極限の集中状態によるものか、反応速度は桁違いに早くなっていた。ヨミの速度が視認できるほどにまで落ちてきた時には、既に二人はヨミの間合いの外にいた。
にもかかわらず、ヨミは横凪ぎに一閃した。石造りのような無骨な刀は、あえなく空を斬る……はずだった。
二人がその光景を認めることができたのは、やはり極限まで引き上げられた集中力故に他ならない。
ヨミが握る刀が、風を斬りながら伸長した。間合いから外れたはずの二人を、再び間合いに捉えるほどに。
「っ!?」
「っあ!」
ルークとクラザの反応もまた、迅速だった。身体を後方へ反らして回避を試みる。ヨミによる音速並みの一振りと、ルークたちの海老反りの回避と、結果を掴んだのはルークたちの方だった。
ルークの鼻先を、黒の刃がかすめる。
クラザの胸元を、黒の切先がかする。
ルークとクラザの反撃の番だ。
既に絶望に近い無力感を刻まれていたが、それで戦意喪失できるほど、ルークもクラザも脆弱な精神は持っていなかったのだ。
二人とも、後ろに反らした態勢を戻しながら、クラザは縦に、ルークは横に、大剣と巨槍を振るった。ヨミは、刀を振り抜いた姿勢。胴ががら空きだ。二つの巨大なKr兵器がヨミを引き裂かんと唸りを上げる。
ヨミの持つ刀が、再び動いた。
二メートルほどまで伸びた刀身が、さらに細長く伸長し、堅かった形状が、突然鞭のようにしなった。果たして、ルークとクラザの攻撃は、寸でのところで鞭と化したモノに阻まれた。
ヨミの持っていた刀は普通ではなかった。元素ではなく錬気のエネルギーを構成成分とした疑似的な物質は、ヨミの想像次第でいかほどにも形状を変えることができる。
ヨミが手にした鞭がしなる。
ルークとクラザの胴を、的確に打ち払った。
「がっ!?」
「うぐっ!」
五メートルほど後方へ、ルークたちは宙を舞った。
体勢を立て直そうとして、力が入らずに二人とも膝を突いてしまう。
――いけない。
思った時には、既にヨミの姿はクラザの目前にあった。
「――!」
重い拳が、クラザの腹に地面すれすれの真下から突き刺さった。
クラザの巨躯が浮き上り、沈む。
「クラザ!」
ルークが叫ぶ。
眼前に、ヨミが現れる。
濁りのない赤眼の左目が、ルークの動きを射殺す。
ヨミの口元が、大きく歪む。獰猛な笑みは、まさに極悪の殺人鬼を連想させた。
右の拳が振り上げられる。ハンマーのような一撃を頭部に喰らえば、ルークは間違いなく死ぬだろう。
しかし、音の速度でハンマーが振り降ろされる直前で。
「っ!?」
ヨミの表情が激変する。
獰猛だった笑みが消え、表情が蒼白に固まる。
「――――あ」
左手で頭を押さえ、ヨミは一歩後ろに下がる。
「あ――――ああ、あ」
苦しそうな音が漏れてくる。そして――、
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
断末魔のような絶叫へ変わった。
何故ヨミが突然苦しみだしたのか、ルークにはわからない。だが、この状況は、最大のチャンスではなかろうか。
「らあ!」
残った力を振り絞って、ニグルを振る。
ヨミの胴を捉える。ヨミが、絶叫しながら後方へ弾き飛ばされる。
踏ん張る力を残さなかったルークは、前のめりに倒れ込んだ。
ヨミの身体は、ルークの懇親の一撃を無防備に受けたにもかかわらず、大した怪我も負っていないようだった。
「バケモノ、め」
首だけを動かしてヨミを捉え、吐き捨てるようにルークは言う。
ルークの視線の先で、地面を転がりながら、ヨミは叫んでいた。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
悲痛そうな叫びは、どこか哀愁さえ感じてしまう響きだった。
今、ヨミはルークの一撃ではなく、別の要因で苦しみにもがいている。
――瞬間、
のたうち回るヨミを睨んでいたルークの視界に、絶望の塊が飛びこんできた。
◇
のたうち回るヨミを睨んでいたルークの視界に絶望の塊が飛びこんできた。
真っ白な、巨大な生命体。
白い体表は硬質そうな印象で、鎧のような甲殻だった。身の丈は二メートルから三メートルはあるだろうか。見るからに巨大な太い体躯の、とても人間とは思えない、文字通りただヒトガタのカタチの生物が上空から突如として舞い降りてきた。
地上に二本の足を付けると同時、片翼だけでも体躯の約三倍はあろうかという巨大な翼が背面に収納される。
ルークは戦慄した。
突然現れたヒトガタの生物は、顔と思わしき部位をルークの方に向け、そしてヨミの方を向いた。
「戻るぞ。もう目的は達してる」
醜い怪物顔は、驚くほどの有機質な声で、ただそれだけを口述する。
「が、あああああああああああああああ」
ヨミは、変わらず叫んでいる。
それをまるで鬱陶しげに聞きながら、ヒトガタはのたうっていたヨミの体へ剛腕を伸ばした。
ルークは直感する。
――逃げられる。
逃げられてしまう。
これは、せっかくのチャンスなのだ。今苦しみ悶えているヨミならば、応援が来さえすれば、ヨミを駆逐するまたとないチャンスなのだ。
それを逃してしまう。
ルークにとってそれは、安全委員としても、カワサキ対策委員会としても、ルーク個人としても、容認できることではない。
「待……て」
無駄だと思っても、引き止める。もしルークが身体を動かすことができたたなら、間違いなく彼はヨミに向けて手を伸ばしていただろう。
それほどの……執念。
圧倒的な実力差に絶望しようが、絶体絶命の危機に敗北を自覚しようが、ルークはヨミに対して諦めを示さない。
ルークにとって、それは生きる意味を壊すのと同義だから。彼女が戦いがわからないとぼやいた際、ルークが糾弾したのは怒りによって我を忘れたからではなかった。
自分の道をねじ曲げた以上に、家族を、友人を、思い出を奪ったヨミを許せない。
だが、ルークの気持ちとは裏腹に、ヒトガタはヨミをむんずと掴んだ。
巨大な翼が展開される。
「逃っがすかああああああ!」
クラザの声が響き渡った。
首を動かして、ルークはクラザの声のした方を見る。
血を吐きながら、キャノンタイプのKr兵器を構えたクラザが、胡坐をかいた体勢でヒトガタを狙っていた。
一瞬、何故キャノンタイプのKr兵器があるのかと疑問に思い、すぐに解が浮かぶ。ヨミが一撃でリックを下した際、リックが武器を召喚することなく取り落としたゲートで召喚したのだ。
銃口から光が溢れてくる。
巨大な大砲の弾が、発射された。
エネルギーの巨塊は空を滑って、ヒトガタ目がけて唸った。
すぐに首を回せなかったため、ルークは直撃の瞬間を見ることはできなかったが、直後の光の爆発は確かに見た。エネルギーの砲弾が直撃したのは間違いなかった。
光が晴れた時、そこにあったのは「無」だった。あのバケモノの巨体は跡形もなく消えており、ルークの視界には遠くにあった廃墟のビル群しか映っていない。
消し飛ばした、とルークの表情が緩みかける。
――しかし、現実は非情だった。
「――危ないな、あれは」
上空から、声が降ってくる。すぐさま、声の発生源を向く。
胡坐をかいたクラザが見上げるのは楽だったろうが、倒れているルークは一苦労だった。
背中から巨大な蝙蝠のような翼を生やし、片腕でヨミを抱えた少年が、上空十メートルの高度から見下ろしている。黒髪に黒瞳。黒のズボンと、何故か上の方の服装は無しだった。
少年が音を立てずに着地する。ちょうど、さっきまで怪物の巨躯があった場所だ。
ルークは直感した。この少年が先刻のヒトガタのバケモノの正体だと。体格も、大きさも全く違う。にもかかわらず、そう思ってしまったのは、ルーク自身謎だった。しかし、確固たる自信が告げている。あの怪物の中にはこの少年がいたのだと。
「随分と、やられたみたいだな。ヨミ」
脇に抱えたシドー着姿の少女に、半裸の少年は言う。
「あ、……ベル、ス?」
「ああ、もう帰るぞ。こっちの計画も上々だし、あっちも、『ヘルボス』は奪取した」
床に這うルークと、どっかりと座りこむクラザを見ながら、ベルスと呼ばれた少年は淡々と告げる。
ルークとクラザは、少年を睨んだ。
「だ、れだ……」
ルークが、絶え絶えの口調で少年を問うた。
少年は、一瞬考えるように間をおいてから、名乗った。
「ヘルヘイムのリーダー、ベルスだ」
空いている方の腕を上げる。
なんの前触れもなく、腕が巨大化する。
身長一七〇センチほどの肉体からは不釣り合いなほど巨大化した剛腕が、振るわれた。
豪、という、風を弾く音。
その音を最後に、ルークの意識は暗転した。
◇
裏門での戦闘終了を遠目に見て。
「あれが、……ボスの真の姿」
巨人のような腕を振るったベルスを見て、カリンはそれだけ呟いた。
「そうだ。あれがベルスの素顔だ。知らなかったのか?」
「知らなかった。……ボスも、使徒だったの……?」
ベルスの背中の翼を見ながら、圧倒されたように声を絞る。
しかし、“死神”はそれを否定した。
「あいつは違う。お前ら使徒とベルスとじゃ、やってる事がまるきり違うよ。使徒の羽骨は生成する物だろう。あいつの翼は生成の他に形状変化も使ってる。あいつの能力と言うか、あの体質は、どちらかと言えばヨミや俺のものに近い」
“死神”が言ったことを、カリンが理解できたかどうかはわからない。
ただもう一度、ヨミを抱えた少年を一瞥し、
「あなたと、よく似てる……」
呟いた。
黒髪、黒瞳、体格や身長と、確かにベルスと“死神”はよく似ていた。
その事に、“死神”は特に疑問を感じない。
「あいつと俺の根源は同一だからな。あいつは生まれ変わりらしいが、それでも似ていて驚いたりはしないさ……」
静かに、言う。
「さあ、行くぞ。俺たちの目的はもう終わりだ。ミカド支部で保管管理されていた魔刀『ヘルボス』の奪取には成功してる。ここでのヨミの『実力測定』も、ベルスが出てきたってことはもう十分ってことだ。俺たちがやることは、もう帰還しかない」
言って、“死神”は踵を返そうとした。
けれど、カリンはベルスを見つめたままだった。
「ボスは、……何がしたいの?」
自分たちの頭領への疑問。ベルスの目的。
ヘルヘイムにいた期間は自分の方が長いのに訊いたのは、単に“死神”がカリン以上にベルスに近しいからだった。
“死神”は、一瞬足を止めたが、すぐに踵を返して言った。
「最終的には『ニブルヘイム』を造るとか、言ってたな」
「ニブル……?」
カリンには、聞き慣れない単語だった。
「ああ、俺が昔いた世界じゃ…………、冥界とか、そういう世界のことだったらしいけど……」
カリンには、“死神”の言ってることがわからない。
「さっさと戻るって言ってるだろ。ベルスももう飛び立ったぞ」
はっ、としする。
見れば、ベルスの姿はもうどこにもなかった。
瞬きを数回して、カリンも“死神”の後に続いた。
ラスパーナ総合闘技場にて、安全委員対ヘルヘイムの死闘が、一般人の誰にも認知されることなく終結した。
少々文章を変えました。




