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転生者の苦悩 ~呉呉末  作者: 近藤 了
 第2章 定期戦<上> 代理出場編
22/102

7,嵐前の雨

 ネワギワにおいての教育制度では、五月と十月を夏季休業と冬期休業に割り当てている。

 一か月分が丸々休みになっていると言うわけだ。もっとも、その他に秋休みや春休みは存在しないのだが。

 そんな、だるような五月の暮れ。

 昼近く。俺はラーデの森の奥深く、件の情報検索ソフトのある洞窟へと来ていた。

 夏休みに入ってから、行こう行こうとは思っていたが。夏休みも終わりそうになった今日、ついに決行に移したのだ。

あの広大な空間へと続くトンネルめいた道を歩いて行くと、前方から騒がしい音が聞こえてくる。途端に、俺は周囲を照らしていた光球を消した。

 無言で前方へ右手をかざす。音は次第に大きくなってくる。

 音の正体は羽音・・だった。無数の小さな動物が、バッサバッサと音を立てながらこちらへ殺到してくる。前回来た際は出逢わなかったが、やはり奴らはこの洞窟に生息していたらしい。蝙蝠ヴァプラーだ。

 薄暗い洞窟の中、その一体の姿を認識した途端、かざした掌に魔力が通う。

 頭の中に、魔法の設計図たる呪文式を浮かべる。この距離では詠唱していては間に合わない。唱え終える前に蝙蝠たちは俺の身体に群がり、二本の鋭い牙を突き刺し体液を残さずに吸い上げることだろう。

 ではどうするか。

 答えは単純だ。詠唱で間に合わないなら、間に合う詠唱でやればいい。

 頭に浮かべた呪文式は、通常の魔法のものに比べて節は短いが、あまりにも複雑で奇形的な構造だった。けれど、この魔法でしか、俺は完全な詠唱破棄・・・・・・・ができない。

「『ウィルベルム』」

 静かに唱える。

 六年で多少は上達した俺の短縮魔法は、激しい突風を洞窟内に吹かせた。

 風属性のはずなのだが、普通の風魔法より強いくらいな所に、俺の実力不足さが見て取れる。

 しかし、そんな魔法でも、蝙蝠の群れには劇的な効果があった。風属性によって、魔力は圧縮された空気へと変質する。

 突風が、空にいる吸血鬼たちをまとめて吹き散らしていく。

 前方の敵はこれで始末した。けれど、一応もう一手打っておいた方がいいだろう。

「――――――――『ラート・ソン』」

 超音波の域まで振動数を高めた音を発生させる。これで奴らのエコーロケーションは潰したとみていいだろう。ピット器官については、昨日、レンに相談して既に熱遮断の魔法で対策済みだ。

 しかし改めて思うが、第一工程の苦手はなんとかしないといけない。完全な詠唱破棄はできなくとも、せめてもっと早くに詠唱完了をさせられるようにはなりたいところだ。

 前方に白い光が見えてくる。

 二、三か月前に来た時と変わらない、あの正八面体の光だ。

 歩を進める足が、自然と速くなる。

 たった一度しか来たことはなかったが、記憶の中の空間と視界が捉える空間は見事に一致した。

 湖岸辺りに浮遊する正八面体の検索ソフトは、俺の記憶通りに発光している。

 そっと、その表面に触れる。

『検索者の接触を探知、世界接続検索ソフト“ユグドラシル”起動』

 記憶にある通りの、無機質なアナウンスめいた女性の声が響く。

『検索事項があれば、口述下さい』

 俺はゆっくりと息を吸った。検索事項、もとい訊きたいことは既にいくつか決めてある。

「北欧神話のユグドラシル、とは?」

 いきなりのド直球。果たしてユグドラシルの回答は?

『申し訳ございませんが、その検索事項は凍結単語に抵触いたしますのでお答えできません』

 拒否だった。ならば、

「データ自体はあるということ、ですか?」

 もしデータそのものがないならば、エラーと返されるのではないだろうか。けれど、現実は凍結単語と返された。凍結単語の定義がよくわからないが、少なくとも機密事項の情報をシャットアウトしているだけならば、それはそれでひとつの結論が導かれる。その場合、この検索ソフトユグドラシルは北欧神話のユグドラシルを認識していることになるのだから。

『申し訳ございませんが、その検索事項は凍結単語に抵触いたしますのでお答えできません』

 まあ答えてはくれないだろう。

「凍結単語って、何ですか?」

『……データバンク上開示に相応しくないと判断された検索内容と、情報不足で開示するに至らない内容が該当します』

 つまり、教えることが許されていないか、そもそも情報が足りていないということか。

 仕方なく、俺は用意していたもうひとつの質問をぶつけてみた。

「前に検索したリュウト・カワキについて、更なる情報の開示を、求めます」

『……検索事項の確認を行います。ご質問は、以前の検索履歴において最も新しいリュウト・カワキの事項について、情報開示の再開を求むという解釈でよろしいでしょうか?』

「……はい。それで、合ってます」

『かしこまれました。では、本人確認のための審査を通過ください」

「本人確認って、本人しか開示できないんですか?」

『はい、個人情報流出及び悪用阻止のため、本人確認を行った上での開示を行っております』

「へえ……」

 てっきりほいほいと流出するのかと思ったが、思いのほかそういうセキュリティはしっかりしている。

『それではいくつかの質問に答えてください。あなたはリュウト・カワキですか?』

「……はい」

『誕生日はいつですか?』

「二月の、……十の日です」

『家族構成は?』

「父と、母と、弟と俺で、四人家族です」

『あなたは何を求めますか?』

「…………」

 質問の難易度がいきなり上がった。

『あなたは何を求めますか?』

 無機質なアナウンスが響く。

 けれど、俺の脳内は混乱を呼び寄せていた。求めるって、一体どういう意味だろう? 文字通り、俺の求めるものを言っていいのだろうか?

『あなたは何を求めますか?』

 三度目の質問だった。これ以上沈黙を続けたら本人と認めてはもらえないだろう。例えぶっとんだ内容だったとしても、正直な回答を答えなければなるまい。

「…………俺は何も求めない」

 呟きは、流れるように上唇と下唇の間から漏れ出た。

『最後の質問です。あなたにとって世界とは何ですか?』

 これまた難しい質問だ。けれど、さっきよりはずっと答えやすい。さっきより、ずっと中二っぽいないようになってしまうが……。

「…………螺旋らせん、ですかね」

 検索ソフトはしばらく沈黙した。おおよそ五分ほど、たっぷりの間を取って、

『確認が終了しました。あなたをリュウト・カワキ本人と認証します。どのような情報の開示を求められますか?』

 ほう、と無意識に安堵していた。本人だと認められたことは、意外と俺の中から緊張感を抜き取っている。だから、俺は求められた質問を口にする。

「俺は、一体何なんですか?」

 前置きも何もかも、必要な段階をすっ飛ばした率直な疑問を投げてみた。

『何、の定義は何でしょう?』

 検索ソフトも、さすがに情報不足を訴えてくる。

「俺はなんでネワギワここにいるんですか? ……なんで死んだままじゃなかったんだ!? 俺は、一体なんのために生まれてきた!?」

 口調が荒くなった。

 ユグドラシルが答えてくれる可能性は、限りなく低い。少なくとも、ユグドラシルがこの世界のことで、なおかつ凍結単語なる事項に触れないことしか教えられないというのなら、俺の前世のことなど教えてもらえるわけがない。

 案の定、ユグドラシルから発されたのはある意味俺の期待通りの言葉だった。

『申し訳ございませんが、その検索事項は凍結単語に抵触いたしますのでお答えできません』

 予想していたことだが、その回答を聞いて俺の頭は冷えていった。少し、カッとなりすぎたかもしれない。

「……はあ」

 溜息をついて、上を見上げる。

 ユグドラシルの発光を以ってしても、この広大すぎる空間の天井を照らすには至っていない。その事実は、どこか滑稽だった。

「……はは」

 乾いたわらいが、歯と歯の隙間からこぼれた。

 考えてみれば、何故俺はあんなに感情的になったのだろう? 前の世界のことなど、もうどうでもいいことだろうに。なのに、あんなにむきになったということは、未練でもあったと言うのか。


 ――未練?


 ズキッ、と頭に鈍い痛みが走った。

「っつ……」

 こめかみ辺りを押さえて、小さく舌打ちする。

 前世むかしの記憶など、未だに実感の湧かないものばかりだ。かろうじて自分なのだと認識できるのは、虫喰いだらけの約二十年ほどまでの人生と、あの地獄のような呉呉くりかえしだけだ。考えれば考えるほど、俺の記憶は悲惨だった。あの中に、希望キボウなんてもの、在っただろうか?

「……何なんだよ」

 絞るようにして、呟く。

 本当に、俺は何なのだろう。

 ……考えてみると、ここにいる理由ももうなくなった。

 いろいろと引っ掛かることはあるが、もう帰って自室のベッドの中で寝るとしよう。少し頭が痛い。頭の中を整理するには、睡眠で脳の疲労感を取り除いてからの方がいいだろう。

 ふらり、と踵を返そうとした時だった。

『ただいま情報に更新がありました』

 後ろから、無機質な女性の声が告げてくる。

「……へ?」

 首だけ振り返って、正八面体の発光体を見る。

「更新て、何?」

 俺の問いに、ユグドラシルは淡々と答えた。

『メルーラ暦2312の三校総合対抗定期戦の新人戦「ハイ・サヴァイヴ」への、選手として・・・・・の出場が決まりました』

 言われたことを理解するには、今の俺の脳は疲弊しきっていた。

 一分ほどかけて、ゆっくりとその意味が右脳と左脳に浸透していき、

「はあ!?」

 それを素直に呑み込むには、更新された情報内容はあまりにも現実から離れていた。




 午後の三時ごろ。

 ラーデの森からジビロンに戻った俺は、ふらふらと街の中を歩いていた。

 自分の足がどこに向かっているのか、自分でもわからない。最初は家に帰ろうと思ったのだ。でもその前に新人戦の選手になったとはどういうことなのかを確かめようとソージックに行ってみようと思って、その先からはよく覚えていない。この足は、一体どこを目指しているのだろうか。

 ポツリ、と鼻先に冷たい飛沫が跳ねる。

 どうやら雨が近いようだ。家までは、間に合いそうもない。雨宿りができる場所を探した方がいいだろう。


 ――俺が、新人戦の選手に選ばれた?

 ――テラは一体どうしたのだ?


 ハイ・サヴァイヴの新人戦、Bクラスからの選手はテラだった。なのに、俺が選手に選ばれたというのは、つまり――。

 嫌な思考が、頭をよぎる。

 それを振り払うように、頭を振る。考え事に耽っていた俺の耳に、剣呑な怒声が飛び込んできた。

「おーい、大変だー!」

「みんな避難しろー!」

 なんだかやけに周りが騒がしくなってきたような気がする。何だろう?

 人混みのようなものは、見当たらない。ただ、逆に逃げるように走っていく人は多々いる。

「……何だ?」

その人の波の奥を、俺は注意深く睨み付けた。前方から、剣呑な声音が轟く。

ハサミ・・・に気を付けろー!!」

「慎重に押さえ込、ぐあ!」

 大の大人が吹っ飛んでくる。体を捻ってそれを避けた。そのせいで、逃げ惑う周囲の人々のある種の興奮模様と、前方から聞こえてきた剣呑な怒鳴り声の理由がわかった。わかってしまった。

「ウルスタイガーだあぁ!」

 誰かが叫ぶ。

 ネワギワに生息する生き物の中でも、最も獰猛で残虐な性質と言われる危険種指定の危険な生物。ウルスタイガーが、なぜかこんな街中に出没していたのだ。

「キシャアアアアアアアアアアアア!!」

 ウルスタイガーが、昆虫のように無機質な鳴き声を発した。

 ウルスタイガー、と言う生物の名称を聞いた時、俺が最初に想像したのは虎のような猛獣だった。

 だがしかし、よく考えてみれば、「タイガー」と名が付くからと言って、それが猫科の生き物であるとは限らない。ネワギ話の言語は、俺の前世の言語を基準にしているわけではないのだ。

 だから、タイガーというスペルがあったとしても、それが猫とは全く関係のない甲殻類・・・の名前だったとしても、何ら不思議はないのだ。

 異常に発達して、もはやザリガニと遜色ないほど巨大な鋏、怪しく黒光りする堅固な殻、逞しくも鋭い六本の節足。ロケットのように先端が尖った頭胸部からは、三本の鋭利な刺が生えている。腹節の独特の反りは、逃げる際などに使うという本来の用途の名残だろうか。もっとも、あの凶悪さをか考えれば当に退化していたとしてもおかしくないのだが。

 ウルスタイガーは猫科の哺乳類ではない。ウルスタイガーは、巨大な海老だった。

 吹き飛ばされた男を振り替える。

 どこかの店の店員だったのか、紺のエプロンをかけていた。けれど、その紺の生地の上からでもわかるほど、胸には赤黒い染みが広がっていた。

 たらり、と冷や汗が背中に滲んだ。

 視線をウルスタイガーへ戻す。

 体長は、目測で四、五メートルといったところだろうか。海老としてみれば巨大なことこの上ないが、ウルスタイガーとしてみれば小さいにもほどがある。

 ――あのウルスタイガーは幼生だ。

 俺の視線の先で、ウルスタイガーがまた巨大な鋏を振るった。悲鳴が鳴る。

「……笑えないな。これは」

 幼生とはいえ、ウルスタイガーは危険種指定の超危険生物。発見もしくは遭遇した場合、即退避が望ましいと言われている。

雨宿りを探す前にまずここを離れようと、俺が踵を返そうとした、その時だ。

 果たして、そんな超危険生物が、何を思ったのか俺の方へと突進してきた。

「う、わ!」

 昆虫めいた双眸は、心なしか俺を標的と捉えているように感じる。

 肉迫の速度は速かった。巨大な鋏が、俺の頭上に掲げられる。

「!!」

 後ろに飛んで、ギロチンのような一振りを回避する。

 けれどその時には、ウルスタイガーは俺に第二撃目を振り被ってきていた。

 振り下ろされる一撃は、まさに処刑人の首を撥ね落とす斬首刀ギロチンだ。俺はまた後ろに跳ぶが、今度の跳躍はやや遅かった。地を蹴った右足を、ギロチンがかすめる。

 空中で体勢を崩した俺は、転びこむように背中から着地した。

「痛!」

 わずかな時間をおいて、右足に熱い痛みが走る。目をやると、穿いていたズボンが綺麗に切り裂かれ、その下の生肌には俺でもぞっとするほどの傷が刻まれていた。ドクッ、ドクッ、と一定のリズムで鮮血が溢れてくる。

 かすっただけで、この切れ味。じわり、と背中を悪寒が撫でさする。

 ウルスタイガーはゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。コンクリートで舗装された地面を、節足が無機質な音を立てて叩く。

 俺の眼前で、ギロチンの刃がぎらりとわらった。周囲から息を呑む音が聞こえてくる。しかし、俺だって黙って処刑されるやられるつもりはない。

 右手を前へ突き出す。冷静に、呪文式を頭の中に思い描き、

「『ウィルベルム』!!」

 短縮魔法を詠唱した。

 発言した突風は、しかし巨大海老の巨体を覆すほどの風力ではない。せいぜい上体をのけ反らせるくらいだ。けれど、俺の身体を後方へ吹き飛ばすには十分な風力だった。

 バク転するように宙を舞い、左足と両の手で四つん這いの体勢で着地する。

 ウルスタイガーは、大きな音を響かせて両の鋏を地面に叩きつけた。ぐらっ、と大地がわずかに揺れた気がした。――危険種指定は伊達ではない。

「…………」

 無意識に、左手が首筋の後ろへと回る。

 呼吸の間隔が、だんだんに長くなっていく。

 視線が狭く、視界が広くなっていく。だだっ広い無色の世界の真ん中に、唯1つ、漆黒の節足動物の巨躯が納まる。

 このバケモノから逃げるには、一体どうすればいいのだろうか。

 腰が、ゆっくりと下がっていく。体勢を低くし、背筋も前のめりになっていく。

 意識の外の無意識で、肉体は勝手に臨戦態勢を整えていた。

 そのことに気付くのは、長く深い息をゆっくりと吐いた直後だった。けれど、気付いたところでなんだというのだ。

 戦う覚悟でやらなければ、恐らくあの海老からは逃げられまい。

 問題はいつ離脱するかということと、この右足でギロチンをかわし続けられるかということで。

「……ふう」

 ここまでを組み立てた思考力を、一旦落ち着ける。

 俺の“変化”を敏感に察知したのか、ウルスタイガーの動きが急に遅くなった。それはまるで、獲物を追い詰める蛇のような慎重さだった。

 俺と海老の睨み合いが三秒ほど経ち、その均衡を破ったのはウルスタイガーの方だった。

 片方の鋏を地面に突き立て、そこを支点にしてもう片方の鋏をフルスイング。ある程度取っていた間合いがまるで意味を為さない大ぶりな横薙ぎが、左側から迫る。

 屈んでかわそうとした、その時だった。

「キィヤアアアアアァァァァァア!!」

 強烈な閃光が、俺の背後からウルスタイガーに向けて放たれた。閃光は、ウルスタイガーの上体に当たり、その巨躯を数メートル後方へ弾き飛ばした。

「やれやれ、ウルスタイガーだって来てみれば、随分と可愛い海老さんだね」

 後ろから、低い声がした。

 屈もうとしていた体勢のまま、振りかえる。

 スキンヘッドぎりぎりの茶髪に、二メートルほどはありそうな巨体。茶色の外套を脱ぎ捨てたその下は、茶色のスラックスと白いワイシャツというスタイル。彼の斜め後ろには、黒光りするバズーカ砲のような筒を持った女性が立っていた。

 俺は、彼らを知っている。

「おや、君は……、確かリュウトくん?」

「あ、はい」

 左足一本で立ち上がった俺の横を、ルーク・キミラという男は悠然と歩く。

「どうしたんだい?」

 視線をウルスタイガーに固定して、男はそう訊いてきた。彼が求める答えとしてはは、何故ウルスタイガーと対峙していたのか、その理由についてだろう。

「……歩いてたら、襲われて」

 嘘は言わない。もとより誤魔化す必要性もない。

「そう」

 ルークはただ、頷く。

 ウルスタイガーが、再び飛び掛かってくる。

「リミちゃん!」

 ルークは背後に控える女性へ、声をかけた。

「はい」

 彼女はそれだけを答えて、両手に持ったバズーカを構えた。

 轟音が、直後に鳴り響いた。強烈な閃光が、バズーカ砲から発射される。閃光はウルスタイガーに見事に当たり、その巨躯をまた弾き飛ばす。

「ギギャアアアアアアア!!」

悲鳴じみた鳴き声が周囲に響き渡る。

「さて」

懐に手を入れながら、ルークは一歩前へ出た。

「幼生でも、ウルスタイガーは危険種のレベルだからね」

 懐から、金属製らしいボールペンのような形の棒を取り出した。その先端は、ボタンのような形状を取っている。

「ガード博士の施したバージョンアップ、見せてもらうとしようかな」


      ◇


 ウルスタイガーとの距離を詰めながら、ルークはボールペンの芯を出すような気軽さで、棒先のボタンを親指で押し込んだ。途端に、ルークの手の中に光が瞬いた。

 安全委員が開発した戦闘兵器。それを呼び出すための魔法が発動し、ルークの手中に転送される。

 眩い光の中から現れた漆黒の巨槍の柄を握り、ルークはそこで歩みを止めた。

「ふむ」

 ウルスタイガーが、ゆっくりとまどかを描くようにしてルークとの距離を取り始めた。

「うん。少し重くなってるかな。で――」

 言って、ルークが地面を踏みしめる。その身体から、淡い青の光が漂い出す。

「『ドープ』」

 特化型の魔法、身体強化魔法の詠唱だった。

 直後、ルークの姿がかき消えた。

 ウルスタイガーが反応を示す頃には、既にその姿は標的の懐にまで迫っていて――、

「っはああああああああああ!」

 雄叫びと供に、漆黒の武器が振るわれる。鈍い音を響かせ、巨大な槍身が海老の巨躯を弾き飛ばす。

「っち!」

 ルークは小さく、歯噛みした。

 Kr兵器という強力な攻撃力を以ってしても、ウルスタイガーの甲殻に罅一つ入れることができていない。

 体勢を立て直すウルスタイガーを見据えながら、ルークは顎を軽く撫でた。

「やるね、ちびっこタイガーくん」

 クルルと唸りながら、ウルスタイガーの方もルークを睨む。

「さて、幼生にしちゃあちと堅すぎる気がするな。動きも充分に速い。ま、幼生にしちゃだけど、ね!」

 襲いかかってきた巨体を、下からかち上げる。浮き上った上体の裏面に、さらに強烈な突きを打つ。ウルスタイガーの体が半円を描いてひっくり返り、裏返った状態で地面をしたたかに打った。

 ウルスタイガーに反撃の隙を与えない。軽口を叩きながらも、ルークの攻撃は冷静な判断の下に動いた結果だった。

 果たして、その攻撃がウルスタイガーに通っているかと言われれば、はなはだ疑問が残る。

(隙は結構あるけど、あの堅さがね……)

 鉄壁並みの、いやそれ以上の防御力に、幼生ながら既に危険種指定されるのも頷ける攻撃力。

「……骨が折れそうだね。これは」

 ルークの口角が、わずかに引きつる。

 この怪物を相手にするには、今のこの装備は軽装すぎる。圧倒的な攻撃力も、あの防御の前では霞んでしまう。となれば、あちらの攻撃力の高さがこちらにとってはネックになってくる。どうやって対応するべきか。

「まあ……攻めるしかないね!」

 体の上下を元に戻したウルスタイガーに、ルークは再び接近する。大きく振り被った巨槍を、上から大上段に叩きつけた。

 堅い物同士がぶつかる鈍い音が、その場に反響した。ウルスタイガーの体が沈み、地面が大きな亀裂を生じて隆起した。

Kr兵器ニグルを凌ぐ堅甲、やっぱり幼生にしちゃおかしいかね」

 絞り出すように、ルークは漏らした。

 拮抗していた矛と盾の衝突は、盾の勝利に終わった。乾いた音を立てて、槍身が弾かれる。しかし、ルークはその力に逆らわず、むしろ勢いに任せ、柄の逆側の槍身で下からウルスタイガーの巨体を叩き上げた。

 上からの圧力に耐えていたウルスタイガーが、嘘のように簡単に体を浮かした。刹那、ルークの横薙ぎの一撃でその巨体が飛ぶ。

 ウルスタイガーが、ずるずると地面を引きずる。体勢を立て直そうとするも、その動きはどこか鈍い。目眩でも起こしたかのように、ウルスタイガーはふらふらと地面に鋏をついた。

「さすがに、弱ってきてるかな。ん?」

 疑問げに、ルークが声をあげる。

 ぐらぐらとふらつきながら体勢を立て直した海老の巨体が、今まさに力尽きたように沈んだところだった。


      ◇


「なんだったんだ?」

 沈黙したウルスタイガーを見下ろしながら、ルークがそう呟くのが聞こえた。

 ツンツン、と手にした巨槍でその甲殻を突つく姿は、どことなく子供じみた雰囲気があって、先ほどの戦闘を目の当たりにした俺としてはなんとも肩透かしを喰らってしまう。

 しかし、それにしても、

 ルークが持っているのは、本当に巨大な武器だ。

 長さにして、約三メートルといったところだろうか。一メートルほどの細い柄の両端に、ドリルを思わせる螺旋状の溝が入った極太の槍身がそれぞれ取り付けられている。

 突然にルークの手に現れたのは、魔法を使った喚術か何かの結果だろう。

「リミちゃん」

 ルークが、背後に控える女性に呼び掛ける。確か名前はリミアンと言ったはずだ。

「何ですか?」

「これは、死んでると判断していいのかな?」

 こつんと、ウルスタイガーの頭部をまた小突き、疑問の声を投げた。

「……そうですね。やけにあっさりしすぎていたように感じますけど、三本針が細く締まっているところを見ますと、やはり死んでるのでしょう」

 ウルスタイガーの背面から突き出る三本針を見ながら、彼女は結論付けた。

「うん……さて」

 ルークの顔が、こちらを振り返る。

「リュウトくん、大丈夫かい?」

「あぁ、はい、大丈夫です」

「……僕にはとてもそうは思えないけどね」

 ルークの視線は俺の顔ではなく、さらにその下へ向けられていた。

「……痛いです」

 右足に体重がかからないようにしているのに、あまり効果はないようだ。ドクドクと流れる鮮血は、裂かれたズボンの生地を朱に染めていた。

「ちゃんと病院行った方がいいよ? よければ僕らが送るけど」

「いえ、大丈夫です」

 本音を言えば、大丈夫ではないけれど。

 肩をすくめたルークは、ウルスタイガーへと向き直った。

「君も災難だったね。ウルスタイガーに襲われるなんて」

「はい」

 全くその通りである。危険種指定の基準はそんなに甘くない。ましてやウルスタイガーは危険種に設定された生物たちの中でも第一級の危険生物種なのだ。俺のような子供が死ななかったのは、冗談抜きで表彰されてもおかしくない結果だ。

「いやでも、君よりも結構な重傷もいるしね。その子には悪いけど、君は運がいいよ」

「はい、そうです……はい?」

 ふとルークの言葉に、認識と解釈のずれを感じた。

「あの」

「ん? 何?」

「その子って、子供なんですか?」

「うん、……そうだけど?」

 てっきり、さっき吹き飛ばされていた店員かと思ったのだが。胸を切り裂かれていたし、充分俺より重傷だと思うのだが。

「君、知らないの?」

 首を傾げたルークの質問に、俺もまた首を傾げる。

「何を、ですか?」

 うーんと、ルークは唸るように頭を掻いてから、ちらりと横目で海老の巨躯を見ながら説明した。

「あのウルスタイガーはね、最初ソージックに出没したって通報があったんだ。少なくとも、安全委員ぼくらが連絡を受けたその時は学校で暴れていたらしくて。急いで向かったんだけど、その時にはもういなくてね。学校で定期戦の練習してた生徒の一人が手ひどくやられて、今はベッドの上で安静にしてるみたいよ? そうそう、その子夏休みなのに練習してたってことは選手ってことでしょ? その子の担任が補欠の子を使わなくちゃいけないって嘆いてたよ。ほら、もうこの時期って選手変えってそうないだろう?」

 困ったトラブルだよね、とルークは茶化すように言った。

 けれど、俺の意識の半分ほどは、ルークの言葉とは別のことに向いていた。

 思考の中で、パズルのピースがかみ合うような音が鳴る。

 ソージックで定期戦の練習をしていた選手一人が重傷を負ったことによる、補欠との選手交代。そしてラーデの森でのユグドラシルの情報更新の旨。

 この二つの事柄に、もし因果関係があるのだとしたら。

 つまり、俺の考えた予想は――、

 テラが大怪我を負って、それで俺が選手として出場するということになったのだとしたら。

 ひんやりとした感触が、背筋を撫で回す。ただの予想でしかないが、可能性がないわけではない。それに、俺が選手に上がる道など、それくらいしか思いつかない。

 ポツリ、と鼻頭で冷たい飛沫が跳ねた。

 そう言えば雨が降りそうだったか。

 いや――

「おや、雨か」


 雨は既に、降り始めていた。

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