プロローグ
一体いつの頃だったか。
見渡す限り、世界は灰色だった。
あるいは紅か。無色なこの世界で、その色だけはやけに映える。
おびただしい、生き物が生き物である証拠の色だ。
ふと、俺は自分の右手を見下ろした。
異様に細く華奢そうで、透き通るような色白の肌が確認できる。
「なんだ、やっぱダメじゃないか」
何ともなしに、そう呟く。俺は今生きている。“あいつ”の計画は、とんだ的外れだったわけだ。嗤う小さな声が、俺の口から漏れ出ていた。
何故そうなるのかは全くの疑問だったが、とにかく滑稽だった。
「なぁ」
ふと前方から声がした。
顔をゆっくりと上げていく。
声の主は、黒髪の少年だった。外見から判断する限りでは、年は十代後半くらいだろうか。若干鋭い目付きは、俺のものとよく似ている。背丈も、大体俺と同じくらいだろう。
……だからだろうか。この少年に対して、俺は嫌悪の感情がとりとめもなく溢れてくる。自分が大嫌いな俺にとって、俺に似ている人間というのはそれだけで許し難い存在だった。
「何でそこまですんの? あんた」
首を傾げながら、少年はそんなことを訊ねてきた。
……ズキン。
少年の問いを聞いた途端、一瞬頭が痛くなった。何だろう。何かを忘れているような、そんな気分に囚われる。
「なー、あんたは何でそこまで戦うんだ?」
……ズキン。
また頭痛だ。俺が、戦う理由?
そう言えば、俺は一体何故戦うというのだろう?
戦いほど無意味な行動はないというのに。
「ハ、そんなこと決まってるだろ」
随分と高い声が響く。思考とは別に、俺の口は勝手に言葉を紡いでいた。
戦う理由、
「なんだよ? もしかしてあの女か? あいつのために命賭けてるってか?」
からかうように口笛を吹いて、少年は俺を嘲う。
少年の言葉が俺の鼓膜を震わせてくる。あの女、とはあいつのことだろう。いつも俺の傍にいる、あの少女の笑顔が頭に浮かんだ。
けれど――
問いかけに対して、俺は静かに頭を横に振っていた。
「いいや、あいつのために死んでやるなんてまっぴらごめんだ」
俺のその返答に、少年の顔が怪訝そうに歪む。
「じゃ、なんだよ?」
改めて問うてくる。戦う理由、俺が戦う理由、それは――――
「――――――――――――」
宣言に対する少年の反応は、ひどく乏しいものだった。しばらく、沈黙が続いた。
「……なーんか」
少年の口が、やっと開く。
「だっせえーな」
「言ってろ。とにかくそれが俺が戦う理由だ。そう約束したんだからな」
ぴんと伸ばした指先を、少年の方に向ける。
「覚えておけ」
若干決め台詞めいた調子で、俺はそう言った。
「ふーむ、まあ要するに、あんたに退く気はないってわけ?」
「ああ」
俺が肯定の頷きを返した。その時点で、俺と少年の意識はある意味一致した。その直後、少年に動きがあった。
少年を中心に、エネルギーの渦が巻き起こる。
「……さすがたな」
その現象に、俺はそう呟くしかなかった。
荒れ狂う風は、純粋なエネルギーによって引き起こされた豪風だ。
この少年の実力は、俺より上だった。
この少年と遇うのは実はこれが初めてだが、俺はある程度この少年のことを知っていた。身体のスペックにおいて、俺は少年に数歩劣っている。だから、戦うのであればそれを踏まえたやり方をする必要がある。もっとも、俺と少年の力量差は少年も把握してるだろう。それ以前に、少年の方が俺のことを知り尽くしているだろうし。
地力の上でも、敵をどれだけ知っているかという点でも、俺に勝機はない。
でも――――
俺は、少年に対して一歩を踏み出した。
他ならない、彼がそうしていたように。
◆
「……また、あの夢」
目を覚ました俺は、ベッドの上でぼそりと呟いた。
目覚まし用の時計を見れば、時刻は深夜の3時頃だった。じとっ、と身体全体が冷える感覚。大してうなされるような夢でもなかったのに、俺の身体はしっとりと汗をかいていたようだ。
悪夢というほど嫌な夢なわけではないが、できれば見たくない夢だ。一応、明日は大事な日なのにあんなものを見てしまうとは、先が思いやられる。
ゆっくりと、自分の右手を頭上に掲げた。
夢の時とは全く違う。
色は白い方だが、透き通るほどではない。細くはあるが、全体的に夢の手よりも小さいし、華奢という印象はない。
……当たり前だ。
あの夢が何歳の頃の俺なのかはよく覚えていないが、今の俺よりは確実に年上のはずだ。五歳児の手は、まだまだ小さいのだ。
「戦う理由」
先刻まで見ていた夢の内容を思い出す。あの少年に対して、俺が宣言した言葉。
「俺、あの時なんて言ったんだっけ?」
――――覚えていない。
あれは恐らく二十歳以降の記憶なのだろう。前世の記憶は、二十歳より先は断片的にしか覚えていない。その二十歳までの記憶の中で、あんな情景は見たことがない。故に、あれがどこで、一体俺は何をしようとしていたのか、またあの後どうなったのかはわからない。
俺は、自分が何だったのかも覚えていなかった。
「はあ」
嘆くように、俺は大きな息を吐いた。
一月の一の日。
リュウト・カワキ(俺)の六歳になる年最初の夜だった。




