4,ヘルヘイム
今回は主人公の身近から離れた出来事です。
◇
クラザ・ストーラはその日、とある廃ビルに潜入していた。
「リック、気ぃ抜くなよ」
傍らの補佐役の青年に軽く忠告し、クラザは目を細める。
身長一八〇センチを超える身体は縦と言うよりは横に広く、しかしスーツの下からでもはっきりとわかる隆起した筋肉とがっしりした体格は、決して彼が肥満体でないことを物語っている。
「大丈夫ですよ部長。そんなに焦んなくても、死にはしませんって」
リックと呼ばれた補佐役の青年は、気の抜けた返答を上司に返した。
「それが油断なんだ。わかってんのか? 俺らは今、敵陣のど真ん中にいんだぞ?」
「大袈裟ですって。どちらかっていうとこっちから誘いをかけたんじゃないっすか。ここだって、どうせあいつらの拠点とかの一つで、敵陣ってのは……」
クラザの一睨みで、リックは押し黙った。
「はあ。何でお前はそうなんだ」
吐き出すように、クラザは嘆いた。
二人が今いるのは、三階フロアの廊下だった。
廃ビル故、人は一人もいない。
二人は予め指定されていた扉の前に立った。この扉の先に、今日の二人の仕事が待っている。
「いいな?」
クラザが押し殺した声で、リックに最後の確認をとる。
リックは静かに頷いた。
「行くぞ!」
扉が勢いよく開かれた。
すぐさま室内に突入した二人は、視界の中に一人の人物を捕らえた。部屋はどことなく応接間のような雰囲気だった。中央に正四角形を形作るように置かれた四つの長ソファのうちで、二人に背を向ける形で誰かが座っている。
身構える二人の目の前で、その人物はゆっくりと立ち上がった。黒い背広に身を包んだ男の後ろ姿を、二人は睨む。
「やっと来ましたか、随分待ったんすよ~。いやあ、どうも、わたくし、は?」
振りかえったその顔が、間抜けなくらいぽかんとする。まだ若い。青年だった。
「いえええクラザのとっつぁん!? 何でここに!?」
クラザを指さしながら、青年が素っ頓狂な声を上げる。対するクラザも、少なからず衝撃を受けていたのか、呆然としていた。
「……それはこちらのセリフだ。バギー、おまえ一体なぜここにいる?」
「こっちが訊いてんだ!! 重要な取引だってんでわざわざ来てみりゃ、安全委員がこんなもんに手え出してたってのか!? ああん!?」
ガンを飛ばすような口調で、バギーと呼ばれた青年は騒いだ。
「部長、こいつは……?」
クラザの背後で、リックが静かに訊いた。
「む、バギー・クロツラムと言う奴だ」
「バギー……? まさか指名手配中の?」
「ああ、そうだ。驚いたぞバギー、まさかおまえが、ヘルヘイムに入っていたとはな……」
バギーを睨みながら、クラザは懐からマジックペンほどの大きさと太さの金属棒を取り出した。棒の先端部には、何かのボタンが取り付けられている。
「んんんん!? あんたらはこの状況をちゃんとわかってるーん? ……ということは、騙したのか!? 俺たちを!?」
「今さらだ。お前らは最優先殲滅対象だ。どんな手を使おうと潰してやる。取引役にお前が出てくるのは全く想定してなかったが。ヘルヘイムについて知ってること、全部話してもらうぞ」
金属棒を突き付けながら、クラザはバギーに告げた。
「投降しろ。お前に逃げ道はない。抵抗すると言うんなら手足の二、三本くらいはお別れだぞ?」
「ちくしょー。良すぎる話だと思ったんだよ! でもよぉ、それでも組織のためになんならって、わざわざ特注のスーツでばっちり決めてきたのによぉ。安全委員の罠だったってわけだ。は! 笑えて来るゼ」
自棄になったように、バギーは金色に染められた髪を掻き毟った。
「ちきしょおが、許さねえぞ! クラザアァァ!」
バギーは吠えた。
「投降する気は……なしだな」
溜息するように呟き、クラザは棒の先端にあったボタンを押した。
現象は一瞬だった。
金属棒から、眩い光が溢れ出す。光が瞬いたのは一秒にも満たない時間だったが、収まった時、クラザの手には巨大な大剣が握られていた。
刀身は約二メートルほど、幅は六〇センチほど。まるで巨大な鱗が連なってできたかのような漆黒の巨剣を片手で持ち、クラザは矛先をバギーに向ける。
「そいつぁ、最近安全委員で流行りのKr兵器かぁ。けッ! そんなもんでこの俺様を…………ぎゃあああああああああああああああああああああ!!」
クラザには、バギーに最後まで喋らせる気など毛頭なかった。
大剣を恰好つけたように指さして騒ぐバギーとの間合いを一瞬で詰め、薙ぎ払う。スーツ姿の巨漢からは想像できないほどのスピードだった。バギーの右手は、肘のあたりからすっぱりと切断されていた。
「ああ、いで、痛ええええよおおおお!! 痛、コレやばい。コレやばいって。血、血ぃ。血ぃ出てるよおお!!」
「うるさい! 手足の2、3本はお別れだと行ったはずだ。さあ、投降する気になったか?」
「ああぁあぁああああぁあ」
壊れた蛇口のように赤い液体を滴らせる腕を庇いながら、バギーは蹲った。
「あああああああははは、あひひひひ、あははははははははははは」
その悲鳴は、途中から狂喜に変わっていた。
「甘ええんだよお!! クラザァァ!!」
しゃがみこんだ体勢から、バギーは一気にクラザ目がけて跳んだ。
「だあああああああ!!」
襲いかかる青年を、クラザは冷静に大剣の腹で殴り飛ばした。斬り付けてはいないが、打撃はもろに脇腹を叩いた。肋骨の数本は折れただろう。
「ぐあああああ!!」
バギーの体は、壁際まで吹っ飛ばされた。
盛大に壁に体を叩きつけ、そのままずるずると滑り落ちる。
「相変わらずの莫迦だな。うちのリックの方がまだ優秀だ」
部屋の入り口付近で、リックがむっとするのを想像しながら、クラザは吐き捨てるように言った。
しかし――、
「バカはあんただよおお!! いつまでもいつまでも、オッレの邪魔しやがってええええ!!」
歯をむき出して、バギーは吠える。
やれやれと呆れそうになったクラザだったが、次の瞬間ぎょっと目を見開いた。
先ほど斬りはねたバギーの右手。その切断面から、滴る血と一緒に赤黒い肉が迫り出していたのだ。
「お前、それは……?」
なんだと訊きそうになって、絶句した。迫り出した肉が寄り集まり、瞬く間に元の右手の形を成していく。右手の形が出来上がると、今度は赤の色がだんだんと薄く肌色へと変わっていき、
「あはぁ、戻ったああああ!!」
寸分違わぬ右手の復活に、バギーは喜びに打ち震えるかのように叫んだ。
立ち上がり、こちらを睨む青年を、クラザはまた睨み返していた。
「バギー、その右手は何だ?」
「何って、右手にキマってんだろおがよお! あんたの方がバカなんじゃねえのぉ!」
「黙れ! 魔法を使ってもそんな短時間で肉を再生することなどできない。……貴様、さては人間をやめたな?」
バギーの顔が、これ以上ないくらいに崩れた。
「あっはははははははは」
「Kr汚染によるカワサキ化じゃないな。おまえはとっくに十二を超えている。おまえ、自分に何をした?」
「何したかなんてあんたに言う義理はねえよ!!」
両手を広げて、嗤うバギー。
その右肩部分から、突然、黒の生地を突き破って、環形動物じみた赤黒い肉のような触手が二本、噴き出した。
「バギー」
「あははっははっはあっはは」
肘部からももう一本、肉の触手が跳び出す。
計三本の触手は、バギーの右腕に絡みついていった。
「さて、俺はカリンちゃんみてえに上手くはできねえが」
肉の触手で覆われたバギーの右手は、既に化物のように異形だった。
「バギー……」
クラザは哀れむような声を漏らした。
筋肉のようだった触手の見た目が、どんどん黒い光沢を帯びていく。さながら、肉と言うよりは甲殻と言える外観に変わっていく。
「あんたが人間でいる限り、俺に勝つなんてもうできねえんだよ!!」
バギーの姿が、一瞬で消えた。
クラザの眉が、わずかに動く。
その眼前に、突如としてバギーは現れた。
人間には到底できない高速さで、クラザの懐へ潜り込んだのだ。剛腕そのものである右腕を力任せに振るうような体勢で。
……しかし、それを簡単に許すほど、クラザは甘くはなかった。懐に潜られたその瞬間に、片手に持った大剣を一閃。バギーの体に、斜めに大きな斬を見舞っていた。
「あぐ、ああああ」
「例えお前が人道から外れようが、俺を殺すことはできん」
止めの一撃を振り上げながら、クラザは冷たく言った。
「あがああああああ!!」
蹲るバギーの背面から、さらに新たな肉触手が迫り出す。クラザ目がけて、触手が迫る。
「!!」
大剣の腹で、難なくその攻撃を弾いて、クラザは今度こそ得物を振り上げた。
「往生際が……」
巨大な凶器が、振り下ろされる。
しかし、その刀身が、青年の肉を穿つことはなかった。
的を外したのではない。大剣がバギーの体を砕き斬る直前、標的がその一瞬で消えたのだ。
「…………」
クラザはゆっくりと、床に食い込んだ大剣から視線を上げた。
大剣がバギーを捕らえる直前で、得物から獲物を攫っていった乱入者と、クラザの視線が交差する。
「君は、……誰だ?」
フード付きの、白いローブに身を包んだ少女だった。ローブの色と同じ真っ白な長髪と、まるでルビーのように赤々と煌めく深紅の瞳。
……どこから入ってきたのだろうか。
バギーを片手で抱える少女は、無表情にクラザを見ている。
「ああああ、ああ? あっ、カリンちゃん!」
「うるさい。逃げるぞ」
なんの抑揚もない少女の声は、透き通るように室内に響いた。バギーを抱えたまま、彼女はくるりと踵を返す。無防備な背中があらわになる。
この隙を、クラザが見逃すわけもない。例え少女であろうとも、ヘルヘイムのメンバーならば攻撃の対象に入る。
小さな背中ごと、バギーも仕留める。振るわれた巨剣は、そう思わせるように容赦がなかった。
「っ!?」
ガキイン、
と甲高い金属音を鳴らして、クラザの一撃は止められてしまった。
「……私に戦闘の意思はないのですが?」
ローブの白い生地を突き破り、少女の背面から出現した漆黒の触手が、大剣のフルスイングを防いでいた。バギーの肩と肘から突き出たモノと比べると、肉と言うよりは、細かく節が入った背骨のような外見だった。こちらの方がよほど硬質な印象を受ける。実際に大剣の重い一撃を防いでいるのだからかなり頑丈と言えるだろう。
「はっはーだ! カリンちゃんは俺よりもっと……」
「黙りなさい。それよりもバギー、羽骨を早く消しなさい。重い。できないなら私がその邪魔な右腕を切り落とす」
自由な方の腕で手刀を作りながら、少女は冷淡に言い放つ。
「そ、それは……」
「第一、取引が罠だったならすぐに引き返せばよかった。遊んでいるから早死にする」
沈黙するバギー。
少女はクラザを振り返った。
「クラザ部長、また会う機会があれば、その時に」
「待て、俺がお前らを逃がすとでも?」
むろん、そのつもりはない。
「私はあなたより強い」
抑揚なく、少女が断言する。
「それは、やってみんとわからんぜ? お譲ちゃん?」
挑発するようにそう言った。途端、クラザは奇妙な浮遊感に見舞われた。
視界が揺れる。感覚が鈍る。正常な思考ができない。
「ほら、私の方が強い」
少女の声が、遠くで聞こえる。
少女はこちらに自由な方の手を向けていた。その袖口から、バギーの肩から生え出たモノと同じ、環形動物めいた柔らかそうな肉触手が飛び出していて、クラザの脇腹へ深々と喰い込んで、スーツに赤黒い染みを作っていた。
クラザは苦々しそうに顔を歪めた。
――何も、見えなかった。文字通り、あの触手が出現する瞬間も、こちらに攻撃が届く瞬間も、何もかも。なるほど確かに、少女の実力はクラザを上回るだろう。
「不味い血」
口元を歪めて、少女はぼそりと呟く。
脇腹から、触手が抜かれる。触手は先端の形状が鋭利に変化していた。
不思議と出血は少なかったが、今のクラザにそれを認識する余裕はない。がくり、と前のめりに倒れ込んだ。
「さて」
少女は懐から通信機を取り出した。
「こちらカリン。バギーを無事回収。これより離脱する」
それだけを言いきって、彼女は一方的に通信を切った。
「ぐっ、待て」
少女に向けて、クラザが叫んだ。クラザとしても、譲ることはできない。例えもう動けなくとも、それで逃走を許す理由にはならない。
「しつこいオジサマ。めいっぱい吸った方が良かったかしら」
顔を顰めて、少女は毒づく。
くるりと踵を返し、少女は入り口とは反対方向の壁に手をかざした。
「『レイ・ベルム』」
掌から放たれた魔力の塊が、壁を穿つ。
開けられた大穴の先には、まだ陽の沈んでいない青空が広がっていた。
「では、ごきげんよう」
少女の背中から、さらに複数の漆黒の触手が生え出る。その数は、先に出していた一本を含めて、計八本。左右に四本ずつで広げられる。
意識を朦朧とさせながらも、クラザは少女の背中から出る異形を見ていた。
触手と触手の間に、みるみる膜が形成されていく。
さながら、蝙蝠の翼のような形状を取った。
少女は背中越しに、クラザを一瞥する。ルビーのように深紅な瞳と、クラザの視線が今一度交差する。
「…………」
少女はバギーを抱えたまま、壁にあけた大穴から飛んだ。
大きく翼を広げて青空をはばたき、廃ビルから脱出したのだ。
「くそ!」
クラザは床に拳を叩きつけた。貴重な情報を、みすみす逃してしまった。この作戦失敗は、安全委員としてとても痛い。
「部長、大丈夫ですか?」
今の今まで傍観していた補佐役の青年が、今更のように駆け寄ってくる。
「リック、おまえなんで逃がした!?」
「何でって、部長にこの前出しゃばんなって言われましたし、今回もおんなじ目してたじゃないですか」
「ああ!? ……いや、確かにそりゃ俺が悪かったか。だが、次からは逃がすんじゃない!! いいな!!」
「はい。……無理でしょうけど」
最後のものは、ぼそりとだけ付け加える。
「まあ、とにかくは、ヘルヘイムの手掛かりは無しですね。構成員が二人わかったぐらいですか?」
「そうだな。くそ!! 次は……」
安全委員の部長、クラザ・ストーラは、また拳を床に叩きつけた。
◇
「バギー、いい加減に羽骨を消しなさい。バランスが取りづらい」
無事に廃ビルから脱出し、空中にて。カリンは左手で抱えたバギーに向けて無表情な口調で言った。
彼の右手は、まだ黒の異形のままだ。飛べてこそいるが、やはりカリンの言うようにバランスを取りにくかった。
「カリンちゃ~ん。なーんであのままとどめもささずに来ちゃったんスか~? もうちっとでクラザのヤロウを」
「うるさい。羽骨と再生能力、果ては吸血まで。これ以上のネタバレは組織としても私個人としても御免だ。今の組織には、使徒くらいしか主力と呼べるモノがないんだ。そう簡単にバラしていいものじゃない。……それより早くその右手に絡みついてる羽骨を消しなさい。私が直接剥がすぞ?」
ようやっとと言うべきか、バギーの右手の異形が、まるで空に溶け込んでいくかのように霧散していった。
「俺だってあのままやってたら勝ってたのに」
「そしたらこれ以上のネタバレが起こっていた。組織に貢献したいなら組織の役に立つことをしなさい。でなければ、私があなたを消す」
ぎろりと、深紅の瞳がバギーを射抜く。
「やはりあなたを使徒にすべきではなかった。上のやることはよくわからない」
カリンは、飛行中ながら背後を横目で振りかえった。
「……結局、取引自体がなかった、と言うこと」
「安全委員の奴らの卑怯と言ったら」
「それだけこちらの襲撃を防ぎたいということでしょう」
あと二ヶ月後に迫った競技際を襲うと予告した自分たちを潰すためなら、あるいは。
「俺が行っていいすかね? 襲撃」
「頭の話を聞いてなかったのかしら? 襲撃する役はもう決まってる。当日は『彼女』だけを行かせる予定」
悲痛そうな叫びが、バギーの口から漏れる。
「大丈夫なんですかぁ?」
「心配はない。彼女は最強に近いから、いくら安全委員が対処したところで、目的は達せられる」
「そうですか」とこぼして、バギーは溜息を吐いた。
見かねたわけでもないだろうが、カリンは、
「あなたは今はまだ無理。羽骨もろくに扱えてない。力を弄ばない程度には努力しなさい」
「……はあい」
蝙蝠のような翼を広げて、カリンは大空をはばたく。
五月の初めごろの出来事だった。




